第4話 夢を形に

 薩摩本土・鹿児島――。

 その地より鹿児島湾を望むと、北側に雄大な島がある。

 山裾やますそが海まで伸びていて、かなりの大きな山である。

 その山は、頂上から白い煙を棚引たなびきかせていた。

 薩摩国が誇る、活火山・桜島である。

 龍馬たち元神戸海軍塾生が鹿児島に入ったのは、慶応元年五月一日のことであった。

 最初は、他藩の人間が薩摩本土に入ってくることに渋っていた薩摩藩士たちも、西郷吉之助と薩摩藩家老・小松帯刀が推す人物とあって、警戒を解き始めた。

 龍馬たちはとりあえず、西郷の実家に厄介になることにした。


「なにもなか所じゃっどん、自分の家ち思うせぇ、くつろぎたもんせ」

 西郷の歓迎の言葉に、龍馬は気になっていたことを聞いた。

「西郷さん、長州討伐はいつになるか聞いちょるかえ?」

「今すぐちゅうこつは、なかようじゃ。じゃっどん、坂本さぁ。幕軍を止むったぁ、無理でごわす。聞けば長州は、幕府と戦うつもりじゃちゅう。こうなれば、戦いは避けられもはん」

 長州藩が幕府に対立し始めたことは、すでに幕閣まで噂がいっているようだ。

 だが威信低下しているとはいえ、幕軍に勝てるかというと疑問である。

 桂小五郎は、龍馬にこうも言った。


 ――現在の長州藩に、武器を揃える資金はない。


 それでも戦おうとするのは、長州藩士としての意地なのだという。

 どのみち滅ぶならば、最後は立派に戦って散る。

 彼らの覚悟に、龍馬はますます、黙っていられなくなった。

 

 

「龍馬さん、本当に長州と薩摩を繋ぐつもりですか?」

 龍馬にそう聞いてきたのは、陸奥宗光むつむねみつであった。

 陸奥は土佐出身者が多い元海軍塾生の中で、唯一の紀州出身である。

 ただ一言多いのがこの男の短所で、塾生たちとよく口論になるのだが。

「長州を救う道は、それしかないがよ」

「ですが、長州は納得せんでしょうな」

 龍馬にでさえ、こうである。

 人のやる気を削ぐ発言は、この男にとって悪気はないのだろう。

 癖というのは無意識で出てしまうもので、人に言われて一旦は自覚するが、癖というのはなかなか治らない。

 龍馬も子供の頃からの頭をかく癖は、治っていないのだから。

 長州藩が薩摩と組むことに納得しないことは、百も承知である。

 それにもう一つ、長州をどう幕軍に勝たせるか、だ。

 龍馬は両腕を組み、天井を見上げて唸る。

 そんな時、彼の脳裏に浮かんだのは、河田小龍の言葉であった。

 

 河田小龍は土佐の絵師だが、米国に渡ったジョン・万次郎を取り調べた人物であった。

 当時の龍馬も、異国を追い払うのだと燃えていたが、彼から聞く異国の話は龍馬の考えを変えるきっかけになった。

  


「そげな異国を相手に、戦じゃ? 勝てんよ。なんぼいうたち」

 小龍は、攘夷論をそう否定した。

「そいだら、こん国は、異国の意のままになるがよ」

 龍馬の言葉に、小龍はこういった。

 

「いんや。異国の大船を買っちょって、航海術を学びゆうがじゃ。 そいで、異国との貿易によって利益をあげ、異国に追いつく事がこの国のとるべき道じゃ」



 あの時――、そんなことは無理だと、龍馬は思っていた。

 だがその後、勝海舟と出逢い、航海術を学ぶことができた。いずれ己の船を持つ――、龍馬の夢の一つはここから始まった。


 ――そうじゃ。船じゃ……。


 龍馬は、さっそく動いた。

 一介の脱藩浪士には船は買えぬが、それを可能にするかも知れぬ場所に、龍馬はいた。

 ここは、薩摩本土である。

 薩摩藩家老・小松帯刀は元海軍塾生の知識を必要としている。

 ゆえに、薩摩は龍馬たちを保護した。

 ならば、薩摩藩の資金力をこちらも頼るのだ。

 その小松帯刀は、龍馬の訪問に少し驚いたようだ。


「坂本どの、どげんしよっと?」

「小松さま、長州を助けて欲しいがじゃ」

 龍馬の言葉に、小松帯刀は胡乱うろんに眉を寄せた。

「他藩を薩摩が助けよと?」

「もう何処の藩など言っちょっている場合じゃないがよ。こん国を建て直さんと、こん国は潰れるがやき、他藩であれ、協力せないかんちゃ」

「じゃっどん、某の力だけでは藩は動きもはん。久光公は、反対しもうそ」

 小松帯刀は家老の身では、藩は動かせないという。

 しかも薩摩藩国父・島津久光は公武合体派であり、朝敵となった長州に味方するなど言語道断だと言いかねないという。

「ほんぢゃき、資金だけ都合してくれればええがじゃ。あとは、わしらでやるきに」

「――ならば条件ばがある」

 小松帯刀は、そういった。


               ◆◆◆


 この日の鹿児島城下も、晴天であった。

 桜島から棚引く白煙はやや東に流れ、風で千切れた雲がいくつも空に浮かんでいた。

 小松帯刀との対面の翌日、龍馬は鹿児島湾を見つめていた。

 思えば昔から、考え事があれば海を眺めることが多かった龍馬である。

 西郷邸に戻ると一人、書に読みふけっている男がいた。


 ――長次郎は、変わらんの。

 

 龍馬が少年の頃、近藤長次郎は城下で饅頭を売り歩きながらも、難しそうな書を読んでいた。周りは、饅頭屋の息子が学問を学んでどうするがじゃと嘲笑っていたが、その饅頭屋の息子がのちに士分にまでなった。

 たとえ生まれがどうであれ、努力すれば道はひらけるのだ。

 

「長次郎、皆は奥かえ?」

「あ、龍馬さん、おかえりなさい。気づかずにすみません……」

「かまわんぜよ。話があるき、おまんも来ぃや」

 長次郎は軽く首を傾げ、書を閉じると龍馬の後ろについた。

 部屋には、元神戸海軍塾生が勢揃いしていた。

 龍馬が座すと間もなく切り出した話題に、一同は騒然となった。

 

「龍馬さん、わしらが船をもつがですか!?」

「そうじゃ。すでに小松さまの同意は得たがじゃ。薩摩藩は兵糧ひょうろうが困っちゅうそうじゃき、それを長州に出させることが、わしら社中しゃちゅうの初仕事じゃ」

 

 小松帯刀は龍馬たちへの資金援助と引き換えに、米を薩摩へ運ぶことを要求してきた。

 長州再征をするとしても、大量の兵を向かわせるには兵糧だという。ところが現在の薩摩藩にはその兵糧が不足しているという。

 

 幕府は命令すればそれでいいかも知れないが、討伐軍に命じられた藩は大変らしい。

 軍備を整えねばならず、食料もいる。さらにそれらを賄う資金も必要になる。

 前回の長州征伐時、薩摩藩のみならず、これを理由に二の足を踏んだ藩は少なからずいただろうと小松帯刀はいう。

 長州を説得するのは難関だが、現在の長州藩は軍艦すらない状況だと桂は言っていた。

 龍馬はこのとき、異国と銃器の取り引きを開始し、藩にその銃器などを卸す社中の立ち上げを計画していた。

 それこそ、河田小龍が言っていた「異国の大船を買い、航海術を学び、異国との貿易によって利益をあげて異国に追いつく事がこの国のとるべき道」――である。

 

「社中?」

「異国ではの、他の品を別の地へつなぐ仲介する集団をカンパニーと呼ぶそうじゃ」

 これに、千屋寅之助が隣にいた陸奥宗光に牙を剥いた。

「陸奥、おまんじゃな? おかしな入れ知恵をしちゅうたのは……」

「失敬な……! 某は、坂本さんが船で商売をするというから助言したまでじゃ」

 二人の口論を横目に、沢村惣之丞が口を開いた。

「坂本さん、わしらは商人になるがですか!?」

「そうじゃないがよ。ほんぢゃけんど、長州をこのまま見捨てることはできんがじゃ。わしらが神戸海軍塾で学んだ腕を活かすのは今じゃと、わしは思うちょる。これからの世は、侍も商人もないっちゃ。こん国を、わしらが変えるがじゃ」

「そげなことが……ほんとうに……、下士のわしらが……」

 元海軍塾生で土佐出身者は、ほとんどが下士や庄屋の子、または長次郎のような商家の出である。

 長年上士に虐げられ、活躍の場すらなかった下士たちにとっては、夢のような話に思えるのだろう。

「やりましょう! わしらの力を、威張り腐ったモンに見せつけちゃるがじゃ!!」


 龍馬の夢が、一歩前へ動き始めた瞬間であった。

 

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