第12話 風雲、馬関海峡! 四国連合艦隊の猛攻

 元治元年四月――、英国エゲレス倫敦ロンドン

 ウェストミンスター寺院の鐘が鳴り響く街を、伊藤俊輔いとうしゅんすけ(のちの伊藤博文)は駆けていた。異国での生活と洋装に慣れた頃、故郷に迫る危機を聞いたためだ。

「井上!」

 寄宿先の扉を開け、彼は中にいた井上馨いのうえかおるに向かって叫んだ。

「その顔ではお主も、例の話を聞いたようだな? 伊藤」

 井上は振り向き、眉間に皺を刻む。

 伊藤俊輔と井上馨――、二人とも長州藩士だった。

文久三年――、二人は英国へ渡航する。

 伊藤に至っては彼も松下村塾の塾生で、尊攘派であった。

 井上も尊攘派で、二人は高杉晋作や久坂玄瑞とともに、品川御殿山の英国公使館を焼き討ちにもしていた。

 

 そんな二人が英国エゲレスに渡ったのは、敵を内側から見たいという思いからだったが、日の本と英国エゲレスでは国の力があまりにも違いすぎた。

 なにしろあの清国が、惨敗させられた国である。

 最新鋭の蒸気船に、鉄道という乗り物、軍事も産業も、日の本の比ではない。

 そんな最中、日の本に在駐している英国海軍が、長州に対して戦をするという。

 英国だけではない。米国メリケン仏蘭西フランス阿蘭陀オランダがこれに同意、四国艦隊として馬関海峡を目指すという。

 

「こうしている場合ではないぞ。すぐに戦をやめさねば、長州は滅ぶ!」

 伊藤は、帰国を決した。

 長州が追い詰められていることは、二人も知っていた。

 既に長州が文久三年六月はじめに、米国メリケン仏蘭西フランスの報復攻撃に遭っていることも。

 またも攻撃されたらどうなるか――。

 しかも相手は、メリケン西ンスラン英国エゲレスを加えた四国艦隊である。

 だが――。


 帰国した二人の話に、耳を貸す者はなかった。

 長州藩庁がようやく海峡通航を保障する止戦方針を決めたのは、元治元年八月四日のことだった。

 既に馬関海峡には十一隻からなる、四国艦隊が集結していた。

 伊藤は漁船に乗り、交渉のため艦隊に向かうが、艦隊は既に戦闘態勢に入っていた。

 海戦は、阻止できなかったのである。


                ◆


 この日――、長門ながと・萩の空は重そうな鈍色の雲に覆われていた。

 まるで先行きが見えぬ、長州藩を暗示しているように――。

 

(久坂、お前はどんな想いで、そこから見ている?)

 

 高杉晋作は、亡き友に思いを馳せ、空を仰ぐ。

 ともに、松下村塾の双璧といわれた、高杉晋作と久坂玄瑞。

 久坂は藩の名誉回復のために、戦ったというのに――。

 高杉は、動けぬ己に唇を噛んだ。

 

 八月十八日の政変後、高杉は脱藩して京都へ潜伏していたが、脱藩の罪で野山獄に投獄され、出所した後は謹慎処分となっていた。

聞けば馬関海峡に、メリケン西ンスラン英国エゲレスを加えた四国艦隊がいるという。

 これに対抗すべく、高杉が結成した奇兵隊が向かったという。

 馬関海峡にて長州が米国メリケン仏蘭西フランスによって砲撃攻撃された後、高杉は下関の防衛を任せられ、六月に廻船問屋の白石正一郎邸において身分に因らない志願兵による隊を結成した。 これが、奇兵隊である。

 現在の長州藩に、四カ国を相手に勝てる戦力はない。

 砲撃攻撃された痛手からは覚めておらず、砲台に据えられている中には木製の偽砲にせほうまである有様だ。


(久坂、教えてくれ。俺は、どうしたらいい?)


 その答えはもう、友から返ってくることはなかった。


                    ◆◆◆


 その戦いは元治元年八月五日の午後、長府城山から前田・壇ノ浦の長州砲台群に向けて、四国連合艦隊による猛砲撃によって始まったという。

 長州藩は異国に報復攻撃されたあとも、馬関海峡を異国船に対して封鎖していた。

 

 これを不服するメリケン西ンスラン英国エゲレスが、武力行使に出たらしい。

 これに長州藩兵も応戦し、前田砲台・州岬砲台・壇ノ浦砲台などが善戦するが、火力の差が圧倒的であり、砲台は次々に粉砕、沈黙させられたという。

 

 翌の八月六日、壇ノ浦砲台を守備していた奇兵隊は、至近に投錨していた敵艦に砲撃して一時混乱に陥れるが、艦隊はすぐに体勢を立て直し、砲台を占拠して砲を破壊するとともに、陸兵隊の一部が下関中心を目指して進軍して長州藩兵と交戦したらしい。

 だが長州藩兵は旧式銃や槍弓矢しか持たず、新式のライフル銃を持つ連合軍を相手に敗退したという。

 八日までに下関の長州藩の砲台はことごとく破壊され、長州藩はまたも異国に屈した。

 


「これで攘夷が無駄なのは、わかっただろうよ」

 神戸村の海軍塾にて、勝海舟は煙草の煙をゆっくりと吐いた。

 幕府海軍・軍艦奉行という地位にある彼は、馬関海峡での戦闘を幕閣から聞いたらしい。

 でも、である。

 

「ほんぢゃち、センセ――」

「幕府は、長州討伐はやめねぇだろうな」

 龍馬が言おうとしたことを察知してか、勝は渋面になった。

 長州藩の危機は、まだ去ってはいないのである。

 幕府は帝の勅命を受けて、長州征伐を行うという。

 これに諸藩が軍を出すらしい。

 勝はこれを一藩でも制するべく、薩摩藩邸に向かったという。

「薩摩はなんと言っちゅうが?」

「勅命に逆らうわけにはいかんと言っていたが、あとはあの男次第だな」

 勝の言うあの男――、蛤御門の変でも薩摩藩兵の先頭にいたという西郷吉之助。

 勝は、その男に逢いに行ったというから驚きである。

「そん西郷ちゅう男は、信用できる男がか? センセ」

「俺らが知っているのは、異国がこの国に来るよりも先に異国に目を向けていたという前薩摩藩主に西郷が影響を受けていたということだけさ」

「それだけで、そん男に会いに行ったが?」

「この国がしなきゃならねぇのは、この国の立て直しだ。そう思わねぇか? 龍馬」

 

 確かに勝の言う通り、この国がしなければならないのは攘夷でも、お互いが争うことでもなく、朝廷も幕府も藩も一致団結して国の備えを万全とし、国を立て直すことである。

 だが現今――、長州藩は風前の灯火である。

 薩摩が長州征伐から手を引いたとしても、長州征伐は実行されるだろう。

 龍馬は、桂の言葉を思い出す。


 ――必ず成し遂げる。長州を、潰すわけにはいかん。


 故郷を、多くの仲間を救うため、彼は最後まで諦めないといった。

 そう諦めてしまえば、希望も夢も潰えるのだ。

 龍馬も、夢を諦めないと心に誓うのだった。


                   ◆


 四国艦隊との戦い後――、高杉晋作はいきなり謹慎を解かれた。

 戦闘で惨敗を喫した長州藩は、講和使節の使者に高杉晋作を任じたのである。

 馬関海峡には、四国艦隊の旗艦きかん・ユーライアラス号が停泊していた。

 高杉は通訳担当の伊藤俊輔を伴い、ユーライアラス号に乗り込んだ。

四国艦隊の講和の条件は五つ。


 一、下関海峡の外国船通航の自由。

 二、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し。

 三、悪天候時の、船員の下関上陸の許可。

 四、下関砲台の撤去。

 五、賠償金三百万ドル。


 こちら側としては、条件をのむしかなかった。

このとき長州藩は、現在の国力では攘夷が無謀なのを知ったようだ。

 長州藩が砲台などに配備した大砲は、連合軍艦隊の搭載砲よりもはるかに小型で性能が劣っていたのである。

 さらに馬関海峡は海峡の両側とも険しい山になっているが、長州藩の砲台はこの地の利を活かすことなく、十五箇所の砲台は、何れも海岸に近い低地に構築されていた。

 加えて崖の下の砲台も多く、砲弾が崖に命中すると岩の破片が砲台に降り注いでしまうという大きな欠陥があった。

 また、砲台は正面の敵にのみ対応できるようになっており、複数の砲台が連携しての十字射撃はできなかった。

 これに比べ四国艦隊は複数の艦からの共同攻撃により、長州藩の各砲台を個別撃破して粉砕できたようだ。

 だが、長州藩の危機は続いている。

 

 高杉は講和を終えて、空を仰ぐ。

 八月――、降り注ぐ日差しは厳しく、蝉時雨も忙しない。

 はたして長州は、これからどんな運命を辿るのか。

 それは彼には全く、予想もつかなかった。

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