第11話 長州藩に迫る危機
京・
外様にして、薩摩・
この日、勝海舟はこの、薩摩二本松藩邸を訪れていた。
これを受けて幕府は、長州藩主・
俗に言う――、長州征伐である。
この勝の訪問を、一人の薩摩藩士が怪訝そうな顔つきで出迎えた。
大柄な
「――お前さんが、西郷吉之助かい?」
「いかにもおいは、西郷吉之助でごあんそ。じゃっどん、幕府の軍艦奉行ばぁが、おいに、なんの用じょっと?」
西郷吉之助――、薩摩藩下士だったらしいが、蛤御門の変にて薩摩藩兵を指揮していたのが、この西郷だったという。
「幕府から命令を聞いてるかい?」
「安房守どの、回りくどいいいかたばぁ、するんんじゃなか。まさか、薩摩に長州にいくなと? 幕臣とは思えんこつ、意見でごあんそ。長州は、御所に発砲ばした朝敵でごわす」
「俺らが言いてぇのは、他にやり方があるんじゃねぇかということよ」
西郷は、
勝の意図が、掴めかねているのだろう。
勝としては、国内で争っている場合ではないだろうという思いだ。
勅命には従わざるを得ないが、藩が消えればさらに浪人が増える。
彼らの会津、薩摩への憎しみは燃え続け、結果、再び騒乱となるのが落ちだ。
聞けば彼らは、薩摩と会津を
なぜ勝が西郷に会ったのか――、それは前薩摩藩主・
島津斉彬は藩主に就任するや、藩の富国強兵に努め、西洋式軍艦・
黒船来航以前から蒸気機関の国産化を試み、日本最初の国産蒸気船・
異国に対し早くも目を向けた島津斉彬――、その影響をもっとも強く受けたのがこの西郷だった。ゆえに島津斉彬の柔軟な考えに触れている西郷なら、考えを切り換えるだろうと、勝は思ったのである。
◆
相模・横浜――。
長州藩に対し、軍を進めようとしていた男が横浜にいた。
在駐日英国公使、ラザフォード・オールコックである。
彼の懸念は、馬関海峡である。
だが長州藩はいまだ、諸外国に対して海峡を封鎖している。
横浜英国公使館の執務室にて、彼は横浜港を見据えた。
港には、各国の軍艦や商船が停泊している。
対日貿易で英国は順調に利益を上げており、先の長州藩による砲撃でも、英国船は直接被害を受けていなかったが、これから先の見通しがつかぬ。
オールコックは武力を以て海峡を開かせることを、本国に意見を求める書簡を送った。
だが――。
「公使、本国はなんと……?」
ようやく届いた返書の封にペーパーナイフを入れ、中身を読み始めたオールコックに、秘書官が眉を寄せる。
「武力行使は如何なものか――、だそうだ」
思わず舌打ちしかけた、オールコックである。
英国本国は多額の戦費のかかる武力行使には消極的で、馬関海峡封鎖の問題については静観の構えだった。
この国では、一部のものが異国を追い出そうとしているらしい。
日本人に攘夷の不可能を思い知らすため、武力を示す必要を感じたオールコックは長州藩への
オールコックのこの方針にフランス、オランダ、アメリカも同意した。
四国連合艦隊の、誕生である。
◆◆◆
七月末――。
龍馬は再び、京の地にいた。
京へ所用で向かうという勝海舟に、護衛がてら同行したのである。
八坂神社近くの料亭で酒を飲んでいると、店の主が「誤用改め」だと声がかかる。
「――ひとがのんびり酒を飲んじゅうときに、なにごとじゃ」
障子が乱暴に開かれ、陣笠を被った役人が
「我らは京見廻役、
これに龍馬は、
「――土佐浪人、才谷梅太郎じゃ」
と、もうひとつの名を名乗った。
龍馬も二度目の脱藩をしたうえに、土佐勤王党の一人だったことで、土佐藩から睨まれている一人である。浪人だというのは事実だが、敢えて素性は伏せた。
「――そこもとは?」
見廻組の男は、龍馬の正面にいた男に視線を運んだ。
「
新堀は慌てることもなく、盃を口に運んでいる。
これに、見廻組の男は目を細めた。
「まさかそこもとたちは、騒ぎ立てる計画を企んではいまいな?」
龍馬はすかさず、これを否定した。
「そんなら、こがな所で飲んじょらんがよ。それによう見てみぃ。わしらの顔が、そがな悪もんに見えるかえ?」
見廻組の男はまだ怪訝そうな顔をしていたが、他を探すと、捕り方を連れて去っていった。思わず、安堵の息を吐いた龍馬である。
「うまく――、やり過ごせたようじゃの? 桂さん」
龍馬が振り向いた先で、桂小五郎は苦笑した。
「……ああ」
見廻組が探しているのはおそらく、長州藩尊攘派だろう。だが新堀松輔の名乗った男が、桂小五郎だとまでは気づかなかったようだ。
長州藩士にとって京は、昼間でも町中を歩きづらくなった。
蛤御門の変で朝敵とされ、変に関わっていなくても息を潜めていなくてはならない。
桂小五郎はかの変後、二条大橋の下で乞食のふりをして潜んでいたと語る。
その後、
龍馬も桂も、同郷の同志が虚しく散る思いをしている。
「桂さん。わしはもう、人が死んでいくのは見たくないがよ。久坂さんは、死ぬべきじゃなかったがじゃ。こん国を支える人間になっちょったかも、知れんちゃ」
「私も争いは好まぬ。だが、今の長州藩は朝敵となった。我々が今度対峙することになるのは、討伐軍だろう」
幕府が長州へ向けて諸藩に討伐令を発したと、龍馬は勝海舟から聞いていた。
「桂さんはどうするが?」
「久坂は長州藩の名誉回復のために挙兵した。ならば、彼の遺志を私は継ごうと思う。朝廷にはまだ、我々の味方となる方はいる。彼らへの工作を、試みようと思っている」
「成功するとええのう」
「必ず成し遂げる。長州を、潰すわけにはいかん」
故郷を、仲間を救うという桂の意気込みに、龍馬もこの日の本への想いを改めて強くしたのであった。
桂と別れた龍馬は、その足で伏見に向かった。
いまや京での逗留先となった寺田屋には、お龍が働いていた。
「――桂はんも、こちらにお泊まりになりはったらええのに」
「それはいかんじゃろ。ここには、薩摩藩士が来るきに」
寺田屋の近くには、薩摩藩・伏見藩邸があった。
さらに寺田屋は、薩摩藩士の定宿でもあった。
八月十八日の政変にて、敵対することになった長州藩と薩摩藩。
その薩摩藩士がうろうろしている伏見に、桂は来ようとは思わないだろう。
「龍馬はんも、気ぃ付けておくれやす」
ふいに、お龍がそんなことをいった。
「わしは大丈夫じゃ」
「人の運命とはわからんもんえ? この先、なにも起こらんとはわからしまへん」
お龍は龍馬もいずれは、幕府から狙われると危惧したようだ。
「子供の頃のわしはの、何もしても他の子に敵わんかった。泣いてばかりの弱虫じゃった。そげん子供が強くなれたがは、人との出逢いじゃ。わしはこれまで、いろんな人と会ったがよ。そして――、おまんに出逢った」
「龍馬はん……」
龍馬は、お龍への想いを確信した。
江戸にいる許嫁・千葉佐那子を忘れたわけではなかったが、やはり姉・乙女に性格も似ているお龍を伴侶にと決めた。
「おまんがいるがやき、わしは強くなれるがよ。挫けそうな心が保っていられるきにの」
「龍馬はんは、強くなりはったやないの?」
「痩せ我慢しちゅうき、ときどき、泣きたくなるときがあるがよ」
龍馬はそういって苦笑し、手元の盃に視線を落とす。
そんな龍馬に、お龍が肩を寄せてきた。
慰めてくれているのだろう。
だが、泣いている暇はない。
「わしは、夢を諦めんがよ」
たとえそれが――、幕府を敵に回すことになっても。
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