第11話 長州藩に迫る危機

 京・今出川通いまでがわどおり――、その通りに臨済宗相国寺派大本山りんざいしゅうそうこくはだいほんざんの禅寺・相国寺があるが、その南側に、ある大名屋敷がある。

 外様にして、薩摩・大隅おおすみの二か国、日向国ひゅうがのくにを領有し、琉球王国を服属国ふくぞくこくとする、薩摩藩・二本松藩邸である。

 この日、勝海舟はこの、薩摩二本松藩邸を訪れていた。


 蛤御門はまぐりごもんの変から五日後――、朝廷は幕府に対して、長州追討の勅命を発したという。

 これを受けて幕府は、長州藩主・毛利敬親もうりたかちか養嗣子ようしし毛利定広もうりさだひろに、蛤御門の変を起こした責任を問うとともに伏罪をさせるため、尾張藩・越前藩および西国諸藩から征長軍を編成することにしたという。

 俗に言う――、長州征伐である。

 この勝の訪問を、一人の薩摩藩士が怪訝そうな顔つきで出迎えた。

 大柄な体躯たいくで一瞬相撲取りかと思ったが、男の名乗りを聞いて、勝は口の端を吊り上げた。

 

「――お前さんが、西郷吉之助かい?」

「いかにもおいは、西郷吉之助でごあんそ。じゃっどん、幕府の軍艦奉行ばぁが、おいに、なんの用じょっと?」

 西郷吉之助――、薩摩藩下士だったらしいが、蛤御門の変にて薩摩藩兵を指揮していたのが、この西郷だったという。

「幕府から命令を聞いてるかい?」

「安房守どの、回りくどいいいかたばぁ、するんんじゃなか。まさか、薩摩に長州にいくなと? 幕臣とは思えんこつ、意見でごあんそ。長州は、御所に発砲ばした朝敵でごわす」

「俺らが言いてぇのは、他にやり方があるんじゃねぇかということよ」

 

 西郷は、胡乱うろんに眉を寄せた。

 勝の意図が、掴めかねているのだろう。

 勝としては、国内で争っている場合ではないだろうという思いだ。

 勅命には従わざるを得ないが、藩が消えればさらに浪人が増える。

 彼らの会津、薩摩への憎しみは燃え続け、結果、再び騒乱となるのが落ちだ。

 聞けば彼らは、薩摩と会津を薩賊会奸さつぞくかいかんとよんでいるらしい。

 

 なぜ勝が西郷に会ったのか――、それは前薩摩藩主・島津斉彬しまづなりあきらにある。

 島津斉彬は藩主に就任するや、藩の富国強兵に努め、西洋式軍艦・昇平丸しょうへいまるを建造し、幕府に献上したという。

 黒船来航以前から蒸気機関の国産化を試み、日本最初の国産蒸気船・雲行丸うんこうまるとして結実させたとも聞く。

 異国に対し早くも目を向けた島津斉彬――、その影響をもっとも強く受けたのがこの西郷だった。ゆえに島津斉彬の柔軟な考えに触れている西郷なら、考えを切り換えるだろうと、勝は思ったのである。

 

                  ◆

 

 相模・横浜――。

 

 長州藩に対し、軍を進めようとしていた男が横浜にいた。

 在駐日英国公使、ラザフォード・オールコックである。

 彼の懸念は、馬関海峡である。

 

 長門国ながとのくに豊前国ぶぜんのくにを隔てるこの海峡は、諸外国にとっても交易や防衛の拠点であった。

 だが長州藩はいまだ、諸外国に対して海峡を封鎖している。

 横浜英国公使館の執務室にて、彼は横浜港を見据えた。

 港には、各国の軍艦や商船が停泊している。

 対日貿易で英国は順調に利益を上げており、先の長州藩による砲撃でも、英国船は直接被害を受けていなかったが、これから先の見通しがつかぬ。

 オールコックは武力を以て海峡を開かせることを、本国に意見を求める書簡を送った。

 だが――。

 

「公使、本国はなんと……?」

 ようやく届いた返書の封にペーパーナイフを入れ、中身を読み始めたオールコックに、秘書官が眉を寄せる。

「武力行使は如何なものか――、だそうだ」

 思わず舌打ちしかけた、オールコックである。

 英国本国は多額の戦費のかかる武力行使には消極的で、馬関海峡封鎖の問題については静観の構えだった。

 

 この国では、一部のものが異国を追い出そうとしているらしい。

 日本人に攘夷の不可能を思い知らすため、武力を示す必要を感じたオールコックは長州藩への懲罰攻撃ちょうばつこうげきを決意した。

 オールコックのこの方針にフランス、オランダ、アメリカも同意した。

四国連合艦隊の、誕生である。


                    ◆◆◆


 七月末――。

 龍馬は再び、京の地にいた。

 京へ所用で向かうという勝海舟に、護衛がてら同行したのである。

 八坂神社近くの料亭で酒を飲んでいると、店の主が「誤用改め」だと声がかかる。

「――ひとがのんびり酒を飲んじゅうときに、なにごとじゃ」

 障子が乱暴に開かれ、陣笠を被った役人が不遜ふそんな顔で睨んできた。

「我らは京見廻役、蒔田広孝まきたひろたかさま配下、京見廻組である。不審な者がいるとの報せを受け、探索中である。そこもとの身分と名を名乗られよ」

 これに龍馬は、

「――土佐浪人、才谷梅太郎じゃ」

 と、もうひとつの名を名乗った。

 龍馬も二度目の脱藩をしたうえに、土佐勤王党の一人だったことで、土佐藩から睨まれている一人である。浪人だというのは事実だが、敢えて素性は伏せた。

「――そこもとは?」

 見廻組の男は、龍馬の正面にいた男に視線を運んだ。

但馬浪人たじまろうにん――、新堀松輔でござる」

 新堀は慌てることもなく、盃を口に運んでいる。

 これに、見廻組の男は目を細めた。

「まさかそこもとたちは、騒ぎ立てる計画を企んではいまいな?」

 龍馬はすかさず、これを否定した。

 

「そんなら、こがな所で飲んじょらんがよ。それによう見てみぃ。わしらの顔が、そがな悪もんに見えるかえ?」

 見廻組の男はまだ怪訝そうな顔をしていたが、他を探すと、捕り方を連れて去っていった。思わず、安堵の息を吐いた龍馬である。

「うまく――、やり過ごせたようじゃの? 桂さん」

 龍馬が振り向いた先で、桂小五郎は苦笑した。

「……ああ」

 

 見廻組が探しているのはおそらく、長州藩尊攘派だろう。だが新堀松輔の名乗った男が、桂小五郎だとまでは気づかなかったようだ。

長州藩士にとって京は、昼間でも町中を歩きづらくなった。

 蛤御門の変で朝敵とされ、変に関わっていなくても息を潜めていなくてはならない。

 桂小五郎はかの変後、二条大橋の下で乞食のふりをして潜んでいたと語る。

 その後、但馬出石たじまいずし出身で対馬藩出入りの商人・広戸甚助ひろどかんすけの協力で、桂は出石に逃げのびたらしい。出石では広戸家の親戚宅や、檀那寺だんなでらである昌念寺しょうねんじ、但馬の西念寺さいねんじなどを転々とし、さらには城崎しろさきまで避難することもあったという。

 龍馬も桂も、同郷の同志が虚しく散る思いをしている。

 

「桂さん。わしはもう、人が死んでいくのは見たくないがよ。久坂さんは、死ぬべきじゃなかったがじゃ。こん国を支える人間になっちょったかも、知れんちゃ」

「私も争いは好まぬ。だが、今の長州藩は朝敵となった。我々が今度対峙することになるのは、討伐軍だろう」

 幕府が長州へ向けて諸藩に討伐令を発したと、龍馬は勝海舟から聞いていた。

「桂さんはどうするが?」

「久坂は長州藩の名誉回復のために挙兵した。ならば、彼の遺志を私は継ごうと思う。朝廷にはまだ、我々の味方となる方はいる。彼らへの工作を、試みようと思っている」

「成功するとええのう」

「必ず成し遂げる。長州を、潰すわけにはいかん」

 故郷を、仲間を救うという桂の意気込みに、龍馬もこの日の本への想いを改めて強くしたのであった。

 

 

 桂と別れた龍馬は、その足で伏見に向かった。

 いまや京での逗留先となった寺田屋には、お龍が働いていた。

「――桂はんも、こちらにお泊まりになりはったらええのに」

「それはいかんじゃろ。ここには、薩摩藩士が来るきに」


 寺田屋の近くには、薩摩藩・伏見藩邸があった。

 さらに寺田屋は、薩摩藩士の定宿でもあった。

 八月十八日の政変にて、敵対することになった長州藩と薩摩藩。

 その薩摩藩士がうろうろしている伏見に、桂は来ようとは思わないだろう。

 

「龍馬はんも、気ぃ付けておくれやす」

 ふいに、お龍がそんなことをいった。

「わしは大丈夫じゃ」

「人の運命とはわからんもんえ? この先、なにも起こらんとはわからしまへん」

 お龍は龍馬もいずれは、幕府から狙われると危惧したようだ。

「子供の頃のわしはの、何もしても他の子に敵わんかった。泣いてばかりの弱虫じゃった。そげん子供が強くなれたがは、人との出逢いじゃ。わしはこれまで、いろんな人と会ったがよ。そして――、おまんに出逢った」

「龍馬はん……」

 

 龍馬は、お龍への想いを確信した。

 江戸にいる許嫁・千葉佐那子を忘れたわけではなかったが、やはり姉・乙女に性格も似ているお龍を伴侶にと決めた。

「おまんがいるがやき、わしは強くなれるがよ。挫けそうな心が保っていられるきにの」

「龍馬はんは、強くなりはったやないの?」

「痩せ我慢しちゅうき、ときどき、泣きたくなるときがあるがよ」

 龍馬はそういって苦笑し、手元の盃に視線を落とす。

 そんな龍馬に、お龍が肩を寄せてきた。

 慰めてくれているのだろう。

 だが、泣いている暇はない。

「わしは、夢を諦めんがよ」

 たとえそれが――、幕府を敵に回すことになっても。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る