第10話 久坂玄瑞、蛤御門に散る!

 皇家こうけの祖を辿ると、天照大神あまてらすおおみかみに辿り着く。

『古事記』によると、天照大神は数多くの自然神の中で、最高神である太陽神だという。

 天照大神の孫の瓊瓊杵尊ニニギノミコトは大神に、地上を統治するように命令されて、地上に降り立ったという。俗に言う、天孫降臨である。

 その瓊瓊杵尊ニニギノミコトの曾孫が、初代の帝・神武帝じんぶていである。

 帝が天孫といわれるのは、このゆえだ。

 日の本は天孫・帝がおわす、神国――。

 尊攘派志士がたっとぶ理由は、これを元としている。

 その神聖なる国に、見知らぬ異国が土足でやってきた――、攘夷論はこうした神国思想と、帝を尊ぶ思想とが結びついた。

 

 そんな帝が座す御所は決して侵してはならない場所として、禁裏きんりとも呼ばれている。

 武家政権となっても朝廷に力があるのは、帝がこの日の本の主であり、徳川将軍であろうと、帝には逆らえぬ。

 なのにだ。

 

 幕府は帝の勅許を得ずに異国と条約を結び、攘夷を実行しようとはしない。

 公武合体で帝の妹宮・和宮親子内親王を、攘夷を条件に降嫁させたにも関わらずだ。

 尻込みする幕府に代わり、長州藩は馬関海峡にて異国船を砲撃した。

 のちに報復される形になったが、攘夷を実行したことを、彼は悔いてはいない。

 久坂玄瑞――、彼は京・天王山にて空を仰ぐ。

 雲は太陽を覆いかくし、鉛色に低くたれこめていた。

 長州藩は、絶体絶命の危機に瀕している。

 いったい、何が間違ったというのか。

 なにゆえ、罪に問われねばならぬ。

 

 その答えは朝廷からも、長州藩士を藩主・毛利敬親もうりたかちかもろとも京から追った、会津や薩摩、公武合体派の公卿からも返ってくることはなかった。

 自分だけでも我が一手をもって、悪人を退治すると言っていた来島又兵衛きじままたべいが、御所に向かったと報せを受けてしばらく経つ。

 空の雲は、久坂の心の中まで暗くした。

 嫌な胸騒ぎがしてならない。

「我々も、御所に向かうぞ!」

 久坂は、ついに動いた。


                  ◆


 七月十九日、御所の西辺である蛤御門はまぐりごもん付近で、長州藩兵は会津・桑名藩兵と衝突した。

蛤御門の名の由来は、もともと開かずの扉であったのが、天明の大火の際に初めて開門され、「炎で貝が開く」の例えに習い、蛤御門と呼ばれるようになったという。

 

 来島又兵衛は筑前藩が守る中立売門なかだちうりごもんを突破し、蛤御門を守っていた会津藩を側面から攻撃するほどの破竹の勢いで進軍するが、ここに薩摩が立ち塞がった。

「ここから先は、通すわけにはいきもはん!」

 薩摩藩兵を率いていたのは、西郷吉之助さいごうきちのすけという男らしい。

「おのれ……、薩摩!」

「武力行使するならば、オイは朝敵とみなすでごわんど」

 大柄な男が、薩摩藩兵の一歩前に出た。

 おそらくこの男が、西郷吉之助だろう。

「脅しに屈するな!」

 来島は仲間を鼓舞した。

 そんな最中、蛤御門の外で射撃音が轟いた。

 どうやら長州側の銃弾が、蛤御門に当たったらしい。

来島もさすがにまずいと思ったが、既に手遅れだった。

 西郷吉之助が、鋭く睨んでくる。

「これで、長州を討つ大義名分ができじょっと」

あとは銃撃戦になった。

 薩摩は、西洋式の銃を使用していた。

そのうちの一発が、来島に命中する。

「……う」

「来島どの……! ひ、弾け! ここは退くのだ!!」

 長州勢はたちまち総崩れになった。

 もはや長州勢に、勝ち目はなかった。


                ◆◆◆


「旦那さま、お帰りは遅くなるのでございましょうか?」

 女は、そう久坂に聞いてくる。

 名を辰治たつじ――、京の置屋・桔梗屋の芸妓をしていた女で、久坂は彼女と男女の仲となった。

 辰治のことを、萩にいる妻・ふみは知らないだろう。

 長門から進軍してきた久坂は、一目ひとめだけでもと彼女と会った。

 そのときに、そう聞かれたのだ。

 なぜ彼女はあのときに限って、聞いてきたのか。

 まるで――、もう逢えないとわかっていたかのように。


 

 ――私は帰れない。もう……、何処へも。


 久坂はかつての関白家・鷹司邸たかつかさていの庭で、玉砂利に膝をついた。

 戦端が開いたという報せに、久坂たちは蛤御門へ向かったが、そこで来島の死と戦線の壊滅の報を知った。それでも御所南方の堺町御門を攻めたが、堺町御門を守る越前藩兵を破ることはできなかった。

 久坂は、こうして鷹司邸へ向かったのである。

 久坂は帝へ、長州藩冤罪の取り直しを鷹司輔煕たかつかさすけひろに頼んだが、彼はこれを蹴った。

 もはや――、頼る術はない。

 久坂は、長門へ戻ろうとは思わない。生き恥を晒すよりは、最期は――。

 もともと医師の家に生まれた久坂である。医師の道を進んでいれば、結末は変わっていたかも知れぬ。

 だが、己の人生に後悔はない。

 あるとすれば、藩の名誉を回復できなかったことだ。

 空を見上げればあの重そうな雲は取れ、青空が覗いていた。

 久坂は嘲笑った。


 ――ふっ、今になって……。


 久坂がやり残したことは、桂小五郎と高杉晋作がやってくれるだろう。

 久坂が籠もる鷹司邸の兵から、白地に『あい』の一字を染めた旗が覗いた。

 白地に『會』の一字は、会津藩の軍旗である。

 おそらく鷹司邸は、会津藩に包囲されているのだろう。

 この変の最中、長州藩屋敷のみならず公家屋敷などにも砲撃があり、都は火の海に包まれていた。

 黒煙はせっかく雲間から覗いた青空を焦がし、鷹司邸まで火は迫る勢いであった。

 

 ――高杉……、お前と松下村塾で切磋琢磨していた頃が懐かしい……。


 久坂は、鞘から刀を抜いた。


 ――先生、私は先生のご期待に応えられたでしょうか?


 まもなくその答えは、あの世で師・吉田松陰から聞けるだろう。

 あの世の閻魔えんまが、引き合わせてくれればいいが。

 腹に突き立てた刀から血が流れ、久坂が座る周りに広がっていく。

 久坂は、静かに目を閉じた。

 長州のその後をみることなく、彼は逝った。

 二十五年という生を、自ら断ち切って――。


                 ◆


 龍馬が京で起きたことを知ったのは、蛤御門での事件から数日後のことだった。

 お龍のことが心配になった龍馬は、伏見に入った。

 幸いお龍たちは無事だったが、お龍いわく、火の手が長州藩屋敷と、中立売御門付近の家屋から上がったらしい。

火はたちまち都を舐め覆い、北は一条通から南は七条の東本願寺に至る広い範囲の街区や社寺が焼失したという。


「都から来はったお客はんから聞いたんどすけど、それは酷う有り様やと言いますえ?」

 お龍がその客から聞いた話によると、京の惨状はそれは酷いものだった。


 長州勢と御所の門を護る、会津・薩摩・桑名などの藩の戦いは一日で終わったらしいが、長州藩邸等から出火した火事による被害は、北は丸太町通、南は七条通、東は寺町、西は東堀川に至るほとんどの地域に及び、名の知られた寺院では、東本願寺・本能寺・六角堂が焼失し、御所・二条城・西本願寺は、火がすぐ近くまできたそうだが焼失は免れたらしい。

都の人は、手のほどこしようもなく燃え広がるありさまを「どんどん焼け」と呼んでいたという。

 

「大変じゃったのう」

 寺田屋の前を流れる高瀬川――、都と伏見を結ぶこの河は、鴨川のやや上流側で東へ横断したのち、一部区間で竹田街道と並行し、濠川と合流して伏見港を経て宇治川に合流しているという。

 

刻限は戌ノ刻――、船の往来はなく、川面に映る店の灯りが揺れている。

 お龍はすっかり寺田屋の仕事に慣れたらしいが、都の騒動に肝を冷やしたという。

「伏見まで火は来ぃひんさかい、うちも女将はんも無事でおした。けれど、こうなると、長州の方が哀れでおすなぁ」

「そうじゃの」

 

 龍馬は伏見に来る際、桂小五郎に会った。

 桂いわく、久坂玄瑞が死んだという。

 それも、自決で。

 桂の顔には、悔しさが滲んでいた。

 仲間を失う気持ちは、龍馬にもわかる。

 結局長州藩は、名誉回復どころか、御所に向かって発泡したことを理由に朝敵とされたという。

 帝が座す御所は、絶対侵してはならぬ場所ゆえに、別名――禁裏、というらしい。さらに御所に九つあるという門は、御所の禁裏に対して禁門と呼ばれるという。

 長州とて、わざと発砲したわけではないだろう。


 終わりにしなければならない。同じ日の本の人間同士で、血を流し合うような争いは。


 龍馬は、高瀬川を欄から見下ろしながらそう思うのであった。

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