第9話 京に迫る戦の足音

 元治六月二十四日――、御所では三十日に行われる夏越なごしはらえの準備に入っていた。

 夏越の祓とは、一年の半分にあたる六月三十日に、半年の間に身に溜まった穢れを落とし、残り半年の息災を祈願する神事である。

 だが、都はまたも騒がしくなりそうであった。

 

「――長州勢が、挙兵きょへいした……?」

 御簾奥みすおくで、孝明帝こうめいていが戸惑ったような声を発する。

主上おかみ、かような暴挙、お認めになってはなりませぬ」

 関白・二条斉敬にじょうなりゆきは、御簾に向かって進言した。

「ですが、長州は嘆願書を出してきておりまする」

 長州に同情する公卿くぎょうを、二条斉敬は睨んだ。

 

 だが朝廷から尊攘派公卿を追いやっても、政敵はまだいた。

 案の定――、長州勢挙兵を聞いて参内してきた人間がいた。

 一人は有栖川宮幟仁親王ありすがわのみやたかひとしんのう、もう一人は幟仁親王の第一皇子・熾仁親王たるひとしんのう、もう一人はなかやまただやすである。

 

 熾仁親王は、和宮親子内親王かずのみやちかこないしんのうの婚約相手であった人物である。

 公武合体の一環により、和宮親子内親王は徳川家茂に降嫁したが、問題は父親の有栖川宮幟仁親王である。彼は、三条実美と並ぶ尊攘派だった。

 皇族とあって、おいそれと朝廷から追うわけにはいかなかったが、

主上おかみ、長州勢の入京と、松平容保の追放を御命じ下さいませ」

 これが、帝の機嫌を低下させた。

 

 それはそうだろう。帝は攘夷は望むものの、まるで己の意思かのような大和行幸やまとぎょうこうが企まられ、洛中は天誅と称する人斬りが横行し、国家安寧を祈る帝としては、騒乱になりかねない件に不快を示すのは当然だろう。

 

「宮様、主上おかみはこの都が再び荒れることを望んではあらしゃられませぬ」

 二条斉敬はそういったが、幟仁親王に睨まれた。

 中山 忠能は公武合体派だったが、長州を養護する始末だ。

 これに、帝もはっきりと、苛立ちを声に乗せた。

「――幟仁、下がれ」

主上おかみ……!」

 さらに帝は、二条斉敬に命じた。

「斉敬、速やかに長州勢を退かせよ」

「御意」

 

                  ◆


長門を発った久坂玄瑞、来島又兵衛きじままたべい、三家老の福原元僴ふくばらもとたけらは、京・山崎天王山やまさきてんのうさんに久坂と三家老の一人・益田親施ますだちかのぶが率いる隊が、宝山に、三家老の一人・国司親相くにしちかすけ、来島らはてんりゅうに、三家老の残りの一人・福原元僴は伏見長州屋敷に兵を集めて陣営を構えていた。

 久坂はふと、数日前のことを思い出した。

 久坂が京の妾宅を出る際、妾の辰治たつじが、

「旦那さま、お帰りは遅くなるのでございましょうか?」

 と、聞いてきた。

 

 思えば久坂は、あまり家にいたためしがなかった。

 しかし辰治たつじは、己の立場がわかっていたのか、久坂が出ていくときには、いつ帰るかなど聞いては来なかった。

 ではなぜ、あの時に限って、長くなるのかと聞いてきたのか。

 そんな久坂に、 

「久坂さん、朝廷は殿をお許しになるでしょうか?」

 長州藩兵の一人が不安な顔で、そう聞いてきた。

 このとき久坂は朝廷に対して、藩主・毛利敬親もうりたかちかと、長州藩の罪の回復を願う嘆願書を出していた。だが、朝廷からの報せはまだ来ない。

「なんとしても殿の冤罪えんざいを晴らすのだ」

 

 久坂は前方を見据え、辛抱強くそのときを待った。

 だが、七月に入っても吉報きっぽうは入らず、長州藩兵に焦りが見え始めた。

 それでも久坂玄瑞は、動かなかった。

 ようやく朝廷からの報せが来たのは、それから間もなくのことである。

 分隊していた長州勢は、京・男山八幡宮おとこやまはちまんぐうに集結した。

 報せは、久坂が期待したものではなかった。

 朝廷は彼らの嘆願書を跳ね除け、長州勢に退去を命じてきたからだ。

 

「ここは退こう」

 久坂は、進軍を断念するが、これを長州藩士・来島又兵衛が嘲笑わらった。

「久坂玄瑞とあろう者が、長州へ引き返すとは――」

「今回の件は元々、殿の無実の罪をはらすため、嘆願を重ねてみようということであったはずだ。我が方から手を出して、戦闘を開始するのは我々の本来の志ではない。今、軍を進めたところで、援軍もなく、しかも我が軍の進撃準備も十分ではない。必勝の見込みの立つまで暫く戦機の熟するのを待つのがいいと思うが」

 この久坂の言葉に、来島は激昂した。

おくしたか!? 久坂玄瑞。所詮、医師の息子などに戦のことがわかるか。命を惜しんで躊躇ちゅうちょするならば、勝手にここにとどまっているがよい。それがしは我が一手をもって、悪人を退治する!!」

 

 その勢いに久坂は、一言も発することなく天王山の陣に戻ると、空を見上げた。

 この日の空は、これからの戦いが厳しいものとなるのを暗示しているかのように、重そうな灰色の雲に覆われていた。


 ――先生、私は決して臆したのでありません。長州を護りたかっただけです。


 亡き師・吉田松陰に思いをせ、久坂玄瑞は空を見上げていた。


                  ◆◆◆


 龍馬、桂小五郎、そして勝海舟の不安は的中してしまった。

 七月に入り、京の情勢が摂津・神戸村まで伝わってきた。

 それによれば、長州藩兵が京まで進軍してきたという。

 神戸海軍塾にて、勝海舟は舌打ちをした。

 

「思ったとおりだぜ……」

 予想はしていたものの、この展開には龍馬も眉を寄せた。

「センセ、都で戦になるがよ」

「まったく、無謀もいいところだぜ」

「長州藩は、負けるというが?」

「長州は、馬関海峡の痛手をまだ引きずってると、おいらは思うぜ? しかもだ、長州藩の相手は会津や薩摩だけじゃねぇ。幕府が在京の諸藩に長州討伐を命じれば、どうなると思う?」

 

 多勢に無勢とは、このことである。

 龍馬の想いとは裏腹に、尊攘派志士たちはますます過激になっていく。

 もし戦となれば、都は火の海となる。

 いくら攘夷を期待する帝といえど、戦乱を望むだろうか。

 

「都を騒がしちょったのは、長州藩の責任じゃないがよ。センセ」

「それが通じる相手なら、先の政変は怒らなかっただろうよ」

 勝いわく、公武合体派も行き詰まっているという。

 つまり、お互い引き下がれない状態らしい。

  

 ――久坂さん……。


 龍馬は長門・萩で、一度だけ久坂玄瑞と会ったことがある。

 たった一度の邂逅だったが、久坂の情熱が龍馬を動かしたと言ってもいい。

 彼に逢わなければ、龍馬は土佐を脱藩してまで出ることはなかっただろう。

 そんな龍馬に、これも残念な報せが塾生から入る。

 

 岡田以蔵が京で幕吏に捕らわれ、入れ墨刑になった上に、無宿人としておとされたという。

 もはや郷士でもなく、足軽でもなくなった彼は土佐に送られるらしい。

 おそらく土佐では、さらに厳しい調べが待っているだろう。

 このとき龍馬には、土佐藩から帰国命令が出ていた。

 土佐へ帰れば間違いなく、龍馬も土佐勤王党の一員として調べを受けるだろう。

 龍馬は勤王党の一連の事件には関わってはいないが、土佐へ戻ればもう土佐から出られないような気がしてならない。

 そうなれば、彼の夢はすべて水泡に帰す。

 ゆえに、龍馬は帰国命令を蹴った。

 せっかく勝が山内容堂に直に会って、龍馬の赦免を嘆願したというのに、龍馬は二度目の、脱藩浪人となったのである。

 しかし当の勝海舟は、このことに関しては何もいわなかった。

 

 京の都が再び荒れる――、龍馬は不意に、おりょうとの会話を思い出した。

 

 

「今年の祇園祭は、難しおすなぁ」

 池田屋事件から数日後の伏見船宿・寺田屋――、浴衣に身を包んだお龍はおばしまに腰掛け、高瀬川を眺めていた。

「どういて、そげなことを思うが?」

「さぁ……、なんでしゃっろ」

 お龍はそういって、くすっと笑った。

 祇園祭は八坂神社の祭礼で、その祭事は、七月一日に始まり七月三十一日まで、およそ一か月にわたって行われるという。


  

 しくも、お龍の予感まで的中した。


 ――どういて、同じ国のもんがいがみ合うがじゃ……。


 この国を強くするためには、朝廷も幕府も藩も、同じ方向を向かなければ成立しない。

 龍馬はまたも、国を憂う同志を失おうとしていた。

 そして――。


                   ◆


 元治元年、七月十九日――。

 御所・蛤御門はまぐりごもんにて、長州藩勢は会津藩、薩摩藩、さらに桑名藩兵と睨み合った。

 俗に言う、禁門の変の勃発ぼっぱつである。

 

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