第6話 池田屋騒動前夜

 元治元年六月四日――、その日は朝からどんよりと曇っていた。

 風が吹き、揺すられた庭木の葉がカサカサと音を立てる。

 壬生・八木源之丞邸を屯所とする新選組は、八月十八日の政変以降、京に潜伏しているかも知れぬ過激尊攘派の捜索に当たっていた。

 奴らは必ず動く――。

 新選組副長・土方歳三は、そう睨んでいた。

 

「少しは落ち着いたらどうなんです? 土方さん」

 屯所奥の副長室で、一緒にいた沖田が苦笑した。

「落ち着いているよ。俺は」

「そうは見えませんけど? さっきから指が動いてますし」

 沖田いわく、土方が両腕を組んだあと、指先だけが忙しなく動いていたらしい。

「うるせぇな。用がねぇなら出ていきやがれ」

 この日――、沖田は非番であった。

 暇となるとこうしてやってくるため、土方は追い払おうとするのだが、これがなかなか、出て行かない。

「私もね、彼らが動くのを待っているんですよ。ここ最近、刀を抜いてないもので」

 沖田は普段は子どものような無邪気な青年だが、一度剣を抜けば鬼神もさながらに変貌する。新選組は、過激尊攘派や不逞浪士に対してあくまで捕縛が基本だが、沖田は斬り合いとなると思っているようだ。

「物騒なことを考えてンじゃねぇよ」

「おや? 物騒なことを考えているのは土方さんのほうだと思いますけどね。難しい顔をして部屋に籠もっているときは、大概、そっちですから」

 相変わらず、沖田は鋭い。

 土方も、捕縛だけではすまなさそうな勘があった。

 こんな場合にも人の揚げ足を取ってくる沖田に、

「総司、お前なぁ――……」

 呆れる土方を、沖田は片手で制した。

「来ましたよ」

 沖田の言葉を合図に、庭に人影が降りた。

 

「――副長」

「……遅かったじゃねぇか。山崎」

 諸士調役兼監察しょししらべやくけんかんさつ山崎烝やまさきすすむ――、彼らの任務は隊の内部を監視、査察、外では不逞浪士などの探索である。

「申し訳ございません。探索に手間取りました」

 山崎は庭の玉砂利に片膝をついたまま、頭を下げていた。

「それで、わかったのか?」

「河原町の桝屋が、尊攘派と繋がっている由」

「桝屋……?」

「調べましたところ、桝屋主・枡屋喜右衛門の正体は古高俊太郎という攘夷派でございました」

「俺が探れと命じたのは、この京に身を隠している過激尊攘派だぜ? 山崎」

 京に潜伏している、過激尊攘派の探索。

 しかし、敵もさるもの。これが、なかなか難航した。

 こうなればこちらも密かに動くと決めた土方は、隊で最も目立たぬ男に彼らの所在を探らせることにした。

 それが、山崎烝である。

 山崎はその役目柄、多種多様に化ける。

 このときも山崎は、薬の行商に化けていた。

 

「はい。ですが、古高俊太郎を辿れば一網打尽できるかと」

 なんでも桝屋に、侍がよく出入りしているという。

「ほらね。やっぱり、物騒な話になったではありませんか、土方さん。一番隊わたしたちが、その古高俊太郎を捕まえに行ってもいいですよ?」

 沖田は楽しそうだ。

「いや、お前はいい。他のものに行かせる」

「そんなぁ!」

「うるせぇ! お前には、最もやりがいのある仕事を用意してやるよ。総司」

「なら、納得です」

 げんきんなやつだ――、土方は鼻で笑って、すぐに古高俊太郎捕縛を命じたのだった。


               ◆◆◆

 


 その日の夜は、静かであった。

 されど彼らにとって、京で息を潜めているのは、もう限界であった。

「もはや、猶予はならん」

 京・河原町――、古道具屋・桝屋の二階にて、男の一人が決断した。

 当然、桝屋主・枡屋喜右衛門こと、古高俊太郎も同席していた。

 座敷に集まっていたのは長州藩尊攘派志士を中心に、肥後藩尊攘派志士も混じっていた。

 季節はまもなく、六月になろうとしていた。

 長雨の時季でもあったが、彼らの計画は実行に向けて動き出そうとしていたのである。

「それで、いつやるのだ? 新選組が嗅ぎ回っているんだぞ」

 会津藩御預かり新選組――、会津藩主にして京守護職・松平容保の傘下となった彼らは、八月十八日の政変以降、執拗に京に潜伏している尊攘派志士を炙り出そうとしていた。

「なぁに、策は万全だ。計画が漏れることはない。会津には、我らをこの京から締め出した遺恨がある。守護職が斃れれば、新選組など恐れるに足らん」

 男はそう言いきった。

「桂さんを、どう説得するんじゃ?」

「あの人とて、長州をこの京から締め出した奴らに憤っていよう」

 桂小五郎は慎重に動いたほうがいいと言っているらしいが、その間に幕府は決起の芽をつみにかかってくるだろう。

 八月十八日の政変にて、京を追われた長州藩。そして、彼らに同調する肥後、土佐の過激尊攘志士。

 朝廷に攘夷を約束しながら実行せぬ幕府と、京から締め出した会津・薩摩、そして公武合体派の公家への怒りが、彼らをさらに過激な策へと向かわせていた。

 だが――。


 密議から数日後の六月五日早朝――、古高俊太郎は表戸を激しく叩かれる音に起こされた。

「今開けますさかい、そないに叩かんでおくれやす」

 このとき彼は、まったく警戒していなかった。

 御用と書かれた、提灯を見るまでは――。

「古高俊太郎、御用によって召し捕らえる!!」

 雪崩れ込んできたのは、新選組だった。

「ま、待っておくれやす! わては枡屋喜右衛門というただの商人でっせ!」

 古高の言い分は無視され、彼は捕らわれた。

 まさか己が彼らに捕まると思っていなかった古高俊太郎の頭の中には、絶望という文字しか浮かんでこなかった。


                 ◆


 摂津・兵庫津――。

 六月に入り、湿った風が吹く日が多くなった。

 兵庫津は、古くから航路として利用された瀬戸内海にあって、六甲山系によって北西の季節風が遮られ、西からの荒い波が和田岬によって防がれ、さらに水深に恵まれた天然の良港だという。

 北前船が運搬する様々な物資の集散地であり、朝鮮通信使やオランダ商館長一行の宿泊地でもあるらしい。


 

神戸海軍操練所設立から半月――、幕臣や諸藩から入門する者が増え、勝海舟は軍艦奉行と地位が上がっていた。

 だがその入門者たちは、龍馬らと学ぶこと不快感を露わにしてきた。

 幕府認可の操練所であるから、自分たちは正規入門者であり、幕府からも藩からも離れている非正規入門者となぜ、同じところで学ばねばならないのかということらしい。

 何処の地にも、身分や地位に拘る人間はいるようだ。

 心を一つにとは、まだ先になるかも知れない。

 

「あいつら……」

 正規入門者の態度に、近藤長次郎が憤った。

 饅頭屋の息子は士分となり、龍馬と同じく海軍塾の塾生となったが、この男、意外に気が短かった。

「相手にせんとき」

「龍馬さんは、悔しくないが?」

「いちいち腹を立てちょっては埒が明かんきにの。それに、虐げられるのは土佐で慣れちょる。それより、見てみぃ。やっぱりええのう。西洋の船は」

 二人の前には、かつて、長崎海軍伝習所の練習艦として使用された観光丸がいた。

「我々も乗れるんじゃろか?」

「勝センセは、わしらもこのこん海軍操練所で学ぶことを許しゆう。だからほんぢゃき、わしは悔しくないがよ。ここにいるモンは、皆仲間やき」

 勝海舟は、正規、不正規関係なく、この神戸海軍操練所で学べるようにしてしてくれていたのである。

「彼らは、仲間と思ってませんって。坂本さん」

 口を挟んできたのは、紀伊藩から海軍塾に入った陸奥陽之助(のちの陸奥宗光)という男だった。この男、一言多く、塾生と口論になりかけている。

 案の定、長次郎が激昂した。

「陸奥! おんしなぁ!」

「やめぇって! 陸奥、火に油を注ぐなや」

 龍馬の注意にも、陸奥は悪びれることはない。

「わしは本当のことを言っているだけですよ」

 そう言って去っていく陸奥を見送り、長次郎は膨れっ面で腕を組んだ。

「あの男、わし好かん」

「頼むき、諍いを起こすなや? 勝センセに迷惑をかけちゅうがやき」

 

 このときの龍馬には、夢が三つある。

 一つは弱体化したこの国の立て直し、二ツ目は北の大地・蝦夷の開拓と防衛、三つ目は己の船で海を渡ること。

 その夢が叶うなら、人に何と言われようと悔しくはなかった。


「龍馬さんっ、一大事じゃ!!」

 海軍塾生・沢村惣之丞が、息も絶え絶えに駆け込んできた。

「何事じゃ? そんなにそがに慌ててそそくって

佶摩きつまと、亀の奴が――」

 彼のいう佶摩と亀のやつとは、海軍塾生の北添佶磨きたぞえきつまと、望月亀弥太もちづきかめやたのことだと、龍馬もわかっていた。

「二人が、どうかしゆうが?」

 沢村はそこで息を注ぐと、最後に告げた。

 

 京で死んだ――、と。

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