第4話 京大仏が結んだ奇縁

 五月――、快晴の空の下、あさいろの羽織を身にとった集団が駆けていく。

 蕎麦屋の格子越しに見たその光景に、蕎麦を口に運ぼうとしていた龍馬は、箸をぴたりと止めた。その集団は以前、龍馬が四条大橋にて見かけた壬生浪士組であった。

 急いでいるところをみると、誰かを捕縛しに向かうところか。

 

「こりゃあまた、斬り合いとなるで」

「ほんにいつになったら、この都は落ち着くのやろ」

 蕎麦屋にいた他の客たちも、壬生浪士組の存在に気づいたようだ。

 聞けば彼らは壬生浪士組改め、新選組と名乗っているという。

 その取り締まりは厳しく、手向かって行こうものなら斬り合いとなるらしい。

 不意に、いまだ所在がわからぬ岡田以蔵が心配になった龍馬だが、彼を探す術はなく、龍馬は蕎麦を腹に収めて店を出た。

 

 刻限は午後二時昼八ツ――、日は西に傾いているものの、目に飛び込んできた日差しに、龍馬は手をかざした。

 師・勝海舟は、神戸海軍操練所実現に向けて、相変わらず多忙だ。

 そんな勝から離れ、才谷梅太郎として京に身を置く龍馬は、一人でも同志を救う術をさくしていた。

 攘夷が無駄なのを説いても、そんじょうには通じぬ。

 過激になればなるほど、幕府の取り締まりは厳しくなり、捕まればただではすまないだろう。龍馬とて、土佐勤王党にいたという理由だけで土佐藩から睨まれようとしている。

 幸い、勝が容堂公に「坂本龍馬は事件とは無関係」と言ってくれたようだが。


 ねぐらとしている河原屋五兵衛宅へ帰ろうと、大和大路通へ足を向けた龍馬だったが、向こう岸に渡る橋の前に人集ひとだかりが出来ていた。

 なんでも女が、浪人に絡まれているという。

 原因は、女が浪人にぶつかったことらしい。

 だがよくよく聞けば、ぶつかったのは浪人のほうだという。

 これを聞いて、龍馬はやれやれと嘆息した。

(どうしようもない侍は、この都にもいちょったようじゃの)

 当の浪人は見た所、かなり酒に酔っていた。

 

「女、それがしに非があると申すか!?」

「ぶつかって来られたのは、お侍はんのほうどす」

「黙れっ! 某は尊攘の士である!」

「だからと、難癖をつけるんはどうかと思いますえ?」

 

 絡まれていた女は二十代ぐらいの若い女だったが、侍を恐れることなく、相手の非を堂々と責めるその態度に、龍馬は感心した。

(あの女子おなごも、男勝りはちきんじゃ)

 どうも龍馬は、この手の女によほど縁があるようだ。

 だが相手は浪人とはいえ、侍である。

 龍馬は、とっさに飛び出した。

 

「なんだぁ? お主は……」

 浪人の正面に立てば、その顔は赤い。

 おまけに足許もふらつき、これでは人にぶつかる筈である。

「わしは、才谷梅太郎っちゅう土佐浪人ぜよ。けんど、往来で女子おなごひとり相手に刀を抜くのは感心せんのう」

「某は尊攘の士ぞ。罵倒するとはお主も斬る!」

 抜刀した浪人に、龍馬もやむを得ず愛刀・陸奥守吉行を抜いた。

お主おんしのようなモンがいるがやき、この都は荒れるんじゃ」

 尊攘の士を連呼する浪人に、龍馬は激昂した。

「黙れっ」

 振り下ろされる刀身を自身の刀で受け止め、龍馬は浪人を睥睨へいげいした。

「ならば聞くが、お主は本当にまっことこのこん国のことを考えちゅうが? 帝のために、そのそん生命をかけて、異国と戦えるが? わしの知っちゅう尊攘の志士はの、お主おんしと違うて、人に言いがかりをつけたりせんがよ」

 

 武市半平太や平井収二郎、岡田以蔵に土佐勤王党の仲間たち。

 生きる道の違いでたもとを分かつことになってしまったが、龍馬にとっては彼らは今でも盟友だった。桂小五郎や久坂玄瑞も、この国を憂いて戦っているのである。

 酒に酔い、足に踏ん張りが聞かぬ浪人は、龍馬に押し戻されて後ろ向きに倒れる羽目になった。

 龍馬は浪人の顔面ぎりぎりに、刀身を向けた。

「う……」

「命はとらんきに、ここから去りや」

 浪人はすっかり酔いが覚めたのか、今度は青い顔で逃げていく。

「大丈夫かえ?」

 龍馬は刀を鞘に収め、改めて女を見た。

 目鼻立ちが整った、美しい女である。

「助けていただきありがとうございます。才谷さまには、ご面倒を……」

大した事ないなんちゃーない。また絡まれては大変じゃ。送っていくき、ええかの?」

 龍馬の申し出に、女はにっこり笑って「ええ」と答えた。

  

                 ◆◆◆


 大和大路通にある方広寺ほうこうじには、大仏が安置されているという。

 大仏といえば奈良・東大寺か鎌倉・長谷寺と聞いたことがあったが、ここ京にも大仏があった。

 京に大仏が建立されるに至ったきっかけは、かの太閤・秀吉が、松永久秀の焼き討ちにより焼損した東大寺大仏に代わる新たな大仏を、京都で造立することを発願したことに始まるという。以後、大仏は火事などに焼失を繰り返し、現在の大仏は三代目らしい。

 そんな大仏がある方広寺大仏殿・南門の近くに、龍馬たち土佐志士が隠れ住む、河原屋五兵衛宅はある。

 

 日は暮れ始め、東寺の五重塔が黒く塗りつぶされて、茜の空に浮かぶ。

 何処ぞの寺が鳴らす鐘の音に背を押され、龍馬は大和大路を歩いていた。

 橋の上で酒に酔った浪人と対峙したあと、団子を食べたのがいけなかった。

 龍馬は、浪人に絡まれていた女に詫びた。


「すまんのう。送っていくといいながら、寄り道させちょうて……」

「いいえ、かましまへんえ。誘ったのは、うちやさかい。助けてくれた礼もせんと」

 龍馬が送っていこうと言い出した時、同時に腹の虫が盛大に鳴った。

 なにか食べはりますか? という女の問いに、龍馬は団子屋に寄ることになった。

 歩き始めて、龍馬は妙なことに気づいた。

 女の行く方向が、龍馬の帰り道と同じだったからだ。

「おまん、この辺りに住んじょるのかえ?」

「うちの母が、大仏さまの近くで働いてはるんどす」

そうなんだそうながや。けんど、奇遇きぐうじゃの。わしもそのそん大仏の近くにおるがじゃ」

 これに女は「え……」と驚いた顔をした。

 この近くに、旅籠はない。

 不審な奴と警戒されたか、龍馬は頭を掻いた。

 説明しようと口を開きかけた時、河原屋五兵衛宅の裏口が開いた。

 出てきたのは、河原屋五兵衛宅で賄いをしている貞という女だった。

 その貞が、龍馬が連れている女を見て驚いた顔をした。

 

「おりょう?」

「あ、お母はん」

 二人のやり取りに今度は、龍馬が驚く番となった。

「なして、才谷はんと一緒におるん?」

 母・貞の問いに、おりょうはまたも驚いた顔を龍馬に寄越した。

「……なんじゃ、おまんの母御は貞さんのことじゃったか……」

 どおりで、彼女の行く道と龍馬の帰り道が同じはずである。

「おりょう、才谷はんはの、河原屋はんが預かってはる方や。才谷はん、うちの娘がなんぞ、失礼なことをしはりましたか?」

 母の言葉に、おりょうが膨れっ面になる。

「お母はん、まるでうちが悪者に聞こるえ?」

「少しは女らしゅうしとれば、うちもこないなことは云わへん」

 母娘の舌戦に、龍馬は姉・乙女を思い出した。

 乙女は口でも、負け知らずであった。

 たまらず笑い出した龍馬に、おりょうが首を傾げた。

「才谷はん?」

「いやぁ悪い……、つい、わしの姉を思い出したがじゃ。それよりおまん――、おりょうというが?」

「……ええ」

 おりょうの顔が、不意に曇る。

「これに、おまんの名を書いてくれんかの?」

 龍馬は懐から懐紙を出した。

 なぜ彼女の名前が気になるのか、龍馬自身もわからなかった。

 おりょうは躊躇ためらいつつ、名を書く。


 楢崎龍ならさきりょう――、と。


 書かれた文字に、龍馬は瞠目した。

「――変な名前でおすやろ?」

 おりょうは、自身の名が好きではないらしい。

「こりゃあたまげた。おまんの名に龍がおる。ええ名前じゃ」

「え……」

「わしの本当の名はの、坂本龍馬というがじゃ。龍はの、天を駆けるちゅうって強かぁ名じゃ。女子だからと恥じることはないがよ。おりょうどの」

 龍馬は同じ龍の名をもつ彼女との出逢いを、感慨深く思った。

 盟友に迫る危機に、龍馬の心は落ち着かなかったが、お龍との出逢いは龍馬の心に再び感動と感激をもたらしたのであった。

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