第1話 会津藩御預り・壬生浪士組

 文久三年八月五日――、京。

 この日――、会津藩主にして京守護職きょうしゅごしょく松平容保まつだいらかたもりは、御所に参内さんだいした。

 その心中は、複雑である。

 彼は元々、京守護職に就くつもりはなかったのである。

 容保の固辞こじに将軍・徳川家茂は他の者を選任させようとしたようだが、幕閣は執拗に容保に迫り、会津松平家の弱みを突いてきた。

 

正之公まさゆきこうならば、お受けしておりまするぞ? 会津どの」

 正之公とは、会津松平家の藩祖・保科正之ほしなまさゆきのことである。

 その保科正之が後世のために書き記した会津松平家訓あいづまつだいらかくんには、徳川将軍家への忠誠心は絶対のもの――とある。

 家訓を持ち出されては従わざるを得ず、松平容保は京守護職になった。

 だがその京の都は、攘夷の風が吹き、天誅と称する殺戮さつりくが横行していた。

 しかし容保が守護職となってからもそれは変わらず、帝がどんなに心を痛めあそばしておられることか。


 

「――よく参った。容保」

 帝の御座所ござしょにて、容保は御簾に向かって低頭した。

主上おかみに拝し奉り、この松平肥後守容保まつだいらひごのかみかたもり恐悦至極きょうえつしごくにございます」

 いつもなら、帝が座す場は御簾が降ろされているのだが、この日は帝の胸の位置まで巻き上げられ、帝が纏う純白の御引直衣おひきのうしと緋袴が垣間見えた。

 

「会津どの、主上は大変お心を痛めてあらしゃる」

 御簾の前に座る関白・鷹司輔煕たかつかさすけひろが、口を開く。

「松平容保、不徳ふとくのいたすところにございます」

 容保の陳謝に、孝明帝こうめいていはこころのうちを吐露とろされた。

ちんは攘夷を望んでおる。されど、国家安寧こっかあんねいを願うが朕の努め。昨今の都の騒動は望んでおらぬ。容保、しかと任に励め」

 

 帝からの直接の言葉に、容保は感無量であった。

 攘夷派のいうとおり攘夷は帝の意思だが、都での騒乱は望んではいないのである。

 御所を辞し、本陣の黒谷金戒光明寺へ戻ろうとする容保を、意外な男が呼び止めた。

「これは……、島津どの」

 薩摩藩国父・島津久光――、彼が上洛していたとは予想外であった。

「会津どの、折り行って相談したきことがござる」

 久光の言葉に、容保の心は再びざわざわと音を立て始めた。


                    ◆◆◆


 京――、四条大橋しじょうおおはし

 滔々とうとうと流れる鴨川を見下ろしながら、彼は両腕を組んだ。

 空は青く、容赦ない日差しが降ってくる。

 八月に入り、夏草が立ち枯れるほどの暑さが続いていた。

それでもせみは夜明けとともに鳴き始め、日が暮れてからも地熱の冷めぬうちは夜半まで泣き続ける。

 聞けば蝉は、成虫となって長くとも一ヶ月しか生きられぬらしい。

 この日――、黒羽二重くろはふたえの紋服に馬乗り袴、癖っ毛の頭と相変わらずの出で立ちの男は、橋の上で一人、この国の末を考えていた。


 ――このこん国はまだ弱いぜよ。異国は、このこん国より遥かに進んぢゅう。今のままいくらなんぼ異国に挑んでも、勝てんがやき。


 都に吹き荒れる攘夷の風――、かつて龍馬も、夷狄いてきと戦うのだと意気込んでいた。

 しかしその相手は、とても敵う相手ではなかった。

 馬関海峡での長州藩と米国艦メリケンかんの戦い、鹿児島湾での薩摩藩と英国エゲレス艦隊との戦い、どれも聞く話は異国の力を思い知らせるものだった。

 だがこの攘夷の勢いは、ついには過激なものへと変わった。

 安政の大獄を主導した幕府要人が天誅という名の下で殺害され、さらには開国派の人間も襲われた。

 これに土佐勤王党が関わっていることが、龍馬を悩ませた。

 土佐藩参政・吉田東洋暗殺を境に、この京では岡田以蔵が人斬りに手を染めている。

 前土佐藩主・山内容堂は、土佐勤王党を潰しに動きだしているという。

 盟友ともの生殺与奪権は、彼が握っていた。

 勤王党かれらだけではない。この都では諸藩の攘夷派が、過激な徒と化している。

 彼らもこの日の本を護りたいのだ。ただ、それが過激すぎた。

 この日の本を異国と対等な立場とするには、朝廷も幕府も、そして諸藩も同じ方向を向かねばならぬ。


 龍馬が橋を渡り終えて、町家沿いに歩いていた時だった。

 前方から、数十人はいるだろう集団が来るのが見えた。

 皆一様に、袖口を白くだんだら模様に染めた、浅葱色の羽織を羽織っている。

「みぶろや……!」

 町民の一人が呟き、それを合図に往来の人々が一斉に道を空けた。

「みぶろ……?」

 龍馬は、目の前を通り過ぎていく集団の一人と目があった。

 まだ、二十代と思わしき青年である。

 人懐っこい顔をしていたが、研ぎ澄まされた刃のごとく、青年の目は一瞬鋭さを増した。

「まったく、けったいな連中や」

 遠ざかる集団に、町人たちは眉をひそめた。

 どうやら都の人たちは、彼らを歓迎していなさそうだ。

「しかし、変わった連中じゃのう……」

「壬生浪士組だよ。坂本どの」

 

 思わぬ方向から声をかけられて、龍馬は飛び上がりそうになった。

 その人物は、町家と天水桶(防火用)の間の壁にぴったりと張り付いていた。

 龍馬はこれにも驚いたが、男が自分を覚えていたことにも驚いた。

 しかしである。

 

「桂さん、どうしてそんなどういてそげな所におっちゅう?」

 桂小五郎は人差し指を口に当て「しっ」と龍馬の声を制した。

 どうやら、隠れているらしい。

「あれが、壬生浪士組かえ……。桂さん、アレに追われちゅうが?」

「私としては追われるようなことはしてはいないが、幕府をよく思ってないのは確かだよ。それに、わが長州藩は血の気が多い者も多い。早かれ遅かれ標的にされるだろう」

 桂が龍馬を覚えていたのは、久坂玄瑞を通してだったらしい。

 久坂から龍馬の話を聞かなければ、桂にとっては鍛冶橋土佐藩邸での他流試合で、対峙した相手の一人に過ぎなかったであろう。

「――長州藩は、攘夷を諦めてないがか?」

「坂本どの、もはや幕府に攘夷の意思はないと、私は見た。だが、それではますます異国がつけあがる。これを解決するには、どうしたらいいと思うかね?」

 

 桂の問いに龍馬は、答えなかった。

 桂たちが貫こうとしている攘夷論と、異国の技術を取り入れてこの国を強くしようとしている龍馬の考えとは、対照的だからだ。

 はたして、この国は何処へ向かうのか。

 龍馬が見上げた空からは厳しい日差しが降ってくるだけで、答えが降ってくることはなかった。

 

                  ◆


京・壬生村みぶむら――、八木源之丞邸やぎげんのじょうてい

 壬生浪士組は、ここを屯所とんしょとしている。

 この日――、筆頭局長・芹沢鴨せりざわかもと、近藤勇・新見錦にいみにしきの両局長が、会津藩本陣・黒谷金戒光明寺に向かった。


  ――壬生浪士組は、めいがあるまで待機せよ。


 三名はそこで、会津藩公用方・秋月悌次郎あきづきていじろうからそんなことを云われたという。

 いつもならこちらから存在を示さねば目もくれぬ会津が、わざわざそんなことを言ってくるということは――。


 ――ようやく、俺達を使う気になったか……。


 壬生浪士組副長・土方歳三は、会津の態度に鼻で笑った。

 そもそも押しかけの形で会津藩傘下にしてもらったのだから、あまり文句は言えないのだが。

文久三年二月、徳川第十二代将軍・徳川家茂の上洛に先駆け、浪士組として京入りしたのち、紆余曲折あって、会津藩御預りとなったのは、それから一ヶ月後のことである。

 

 刻限は午後十八時暮れ六つ――、ちょうど時の鐘が鳴る。

「――相変わらず、難しそうな顔をしていますねぇ? 土方さん」

 戸口に立つ青年に、土方は視線を運ぶ。

 立っていたのは、壬生浪士組一番隊を率いる沖田総司である。

 

「何処かの誰かと違って、遊郭に籠もるほど暇じゃねぇんでな」

「芹沢さんたちのことですか?」

 土方の揶揄を、沖田は笑った。

 芹沢鴨は筆頭局長に就いているが、この京に来る前から問題行動をやらかしていた。

「他に誰がいるんだよ。ま、あの野郎には今のうちに精々いい思いをさせておくさ。ところで、ついに俺達の出番が来たようだぜ? 総司」

「会津さまからご指示が?」

 三人の局長が本陣に呼ばれたことは、沖田も知っていた。

「待機しとけ――、だそうだ。こりゃあ、近いうちになにかあるぜ」

「楽しそうですねぇ。土方さん」

 沖田には、土方が楽しそうに見えるらしい。

 確かに会津からの指示があれば、こちらが動くのに大義名分が成り立つ。

「それより、町に以上はねぇか?」

「ええ。ただ……」

いつもならはっきりとものをいう沖田が言い淀み、土方は眉を寄せた。

「ただ、何だ?」

「少し変わった男なら、見かけましたけどね」

「過激攘夷派か?」

「そうは見えませんでしたが」

 沖田は、そう言って笑う。

「俺にすりゃあ、お前のほうが楽しそうに見えるぜ。総司」


 果たして、これからこの都でなにが起こるのか。

 勘が鋭いと云われる土方でも、それは読めなかった。

 

 

 

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