第18話 薩摩に迫る英国艦隊! 火を噴くアームストロング砲 

 季節は夏となり、朝から蝉時雨せみしぐれが忙しない。

 龍馬と勝海舟もまた、神戸海軍操練所建造にむけて忙しなかったが、西国の情勢も目まぐるしく動いていたようだ。

 なんと馬関海峡での騒動後――、今度は英国エゲレスが薩摩藩本土・鹿児島に向かったという。

 これを聞いて、龍馬は首を傾げた。

「薩摩は、公武合体派じゃなかったかのう? センセ」


 西国雄藩・薩摩藩――、国父・島津久光が藩兵を率い上洛したのは、昨年の四月のことであった。

 これを攘夷のための上洛と勘違いした者が、一部の薩摩藩攘夷派志士と、土佐勤王党の一人だった吉村虎太郎よしむらとらたろうで、京にて寺田屋事件が勃発する。

 島津久光の上洛は公武合体運動推進と、幕政改革を幕府に求めるためだったのである。

 つまり薩摩藩としては、攘夷の意思はないということになる。

「おめぇのいうとおりだ。龍馬」

 勝は苦笑した。

それならほんならどうしてどういて英国の船が大挙してやって来ゆう?」

「生麦で起きた事件を知ってるかい?」

 

 生麦でおきた事件とは、上洛した島津久光が江戸にて幕府改革を求めたその帰路、生麦村で騎乗した英国人に行列を阻まれたことから発する事件である。

 この賠償を巡り、両者は揉めているという。

 そもそも、大名行列の前を横切ったり、列を乱すような行為は非常に無礼な行いとされ、場合によってはその場での無礼討ちも認められていた。ただし、実際には事前に警告を行うため、無礼討ちにまで至るのは稀らしい。

  薩摩藩としては当然、警告したという。

 正当な行為の末に英国人を討った、それをなにゆえ責められねばならぬ――、薩摩側としてはそう思っているのだろう。

  

 対して英国エゲレス側は、大名行列に接した際の作法など知らなかった。

 ゆえに生麦村では、騎乗したままの英国人が久光の籠まで近づいてしまった。

 これを斬ったことが、英国側は許せんと出たようだ。

 もちろん、武士に無礼討ちの特権があることさえ、異国は知らなかったのだろう。

 どうも米国といいフランスといい、異国は報復に出たがるたちらしい。

 

「今度は薩摩で、戦になるっちゅうがか? センセ」

「今回は、攘夷戦にはならねぇだろうが……」

 龍馬の問いに、勝は難しい顔で答えた。

 

 英国は、あの大国・清に大勝した国である。

 英国は薩摩に生麦事件の賠償を直接求めにやってきたらしいが、もし戦となれば――。

 この国に、まだ二人が目指す日の本の海軍は誕生もしていない。

 まさに勝の言う通り、こんな時に、である。


                 ◆


 在駐日英国公使ラザフォード・オールコックの本国帰国によって、代理公使となっていたジョン・ニールは、生麦事件の賠償交渉を幕府としていた。

 しかし交渉は進まず、薩摩との直接交渉に踏み切った。

 七隻の英国艦隊を率いていたのは、旗艦きかん・ユーライアラス号に乗艦していた、英国東インド艦隊司令長官オーガスタス・レオポルド・キューパー海軍少将であった。

 

「提督閣下、薩摩は我々の要求を拒否するとのこと」

「副官、我が英国の人間が殺害されたのだぞ。しかも、たかが道を塞いだだけでだ」

 

 英国側の要求は、生麦村にて英国人を殺害した犯人の逮捕と処罰、および遺族への賠償金二万五千ポンドである。

 このとき艦隊側は薩摩との賠償金の交渉を有利にするために、薩摩汽船三隻を掠奪していた。英国とこの国の力の差は、歴然である。

 こちらが強くいえば、なにもいえぬのは幕府をみればわかる。


 ――我々の力を思い知るがいい。


 キューパー少将は沖から薩摩本土を見据え、薄く笑った。

 そんな彼を船体ごと、砲弾が揺すってきた。

 戦端を開いたのは、薩摩だった。

 薩摩汽船三隻を掠奪されたことの、砲撃らしい。

「提督閣下!」

「応戦しろ! 挑んできたのは向こうだ」

 しかし薩摩側の大砲が旗艦・ユーライアラス号に命中、キューパー少将は負傷した。

「おのれ……」

「閣下、傷に障ります。ここは一旦横浜に……」

「馬鹿者っ! このまま、おめおめ引き返せと……?」

「ですが、天候もよくはございません」

「まだ負けたわけではない」

 

 副官の言う通り、海は荒れ始めた。

 キューパー少将は軍人である。このまま戻るわけにはいかなかったのである。

 事態がやや好転したのは、ようやく艦隊の立て直しが終わったときだった。

 艦隊の集中砲火が薩摩側の砲台を破壊、最新鋭のアームストロング砲が薩摩本土へ撃ち込まれた。

 これが効いた。

 薩摩本土は炎上、それは艦隊からもよく見えた。

 しかし嵐という予想外の展開に大砲の照準は狂い、薩摩側に有利に進めてしまった。

 キューパー少将自身も負傷し、船も損壊している箇所がある。

 撤退を余儀なくされた英国艦隊だが、彼らが再び鹿児島湾に行くことはなかった。

 

 これから三ヶ月後――、薩摩側がようやく交渉に応じたからだ。

 このとき、あれほど非を認めなかった薩摩がその腰を上げるに至った心の変化を、英国側は武力に屈したと見ている。

 そもそも英国艦隊が薩摩へ向かったのは戦闘ではなく、交渉をするためだった。

 戦闘となり、一時は不利な状況ともなったが、結果は薩摩の腰を上げさせた。

 こちらが強く出れば何も言えぬ――、それが英国をはじめとした異国の、この日の本に対する評価だった。


                  ◆◆◆


 勝海舟が以前から顔見知りだという薩摩藩士は、彼にこういったという。

 

  ――これからは異国に習い、薩摩も強かぁならんと思うてごわんど。

 

 いやはや、呆れるほど見事な転身である。

 その男は攘夷派で、異国が来たら攻め倒すと豪語していたそうだが、先の薩英戦争にて攘夷の無謀さを思い知ったらしい。

 だが、異国はこれからも強気に出てくるだろう。

 薩摩一国が異国との取り引きで強くなっても、この日の本全体は異国に対して弱い。

 異国を恐れるだけではなく、追い払うのでもなく、その異国と堂々と渡り合えるだけの力を持たねばこの先も、異国の意のままである。


「アームストロング砲っちゅう大砲は、そんなにそがに凄かぁえらかぁ威力か……」

 龍馬は戦力が勝る異国の武器に、興味が湧く。

 薩摩本土を火の海にしたという、西洋式大砲。

 この日の本には、そんな威力の大砲すらない。

 だが尊王攘夷の風はさらに吹き荒れ、帝は大和行幸やまとぎょうこうみことのりが発せられたという。

 帝自らが大和の春日社や神武天皇陵に参拝し、攘夷の作戦会議を開くというのだ。

 だがこれは、龍馬とまったく無関係ではなかった。

 島津久光の上洛に便乗したあの吉村虎太郎が、この大和行幸にも便乗したらしい。


 吉村虎太郎は土佐国高岡郡芳生野村の庄屋の息子だが、武市半平太の道場に出入りしていた。彼もまた、積極的な攘夷派であった。

 土佐勤王党に加盟するが、彼は脱藩する。

 きっかけは、島津久光の上洛である。

 寺田屋事件後、吉村は土佐にて囚われの身となり、その後は京にいたようだ。

 現在の京は、尊王攘夷の志士が集まっている場であり、殺伐としている。

 三条河原には囚人ではない首が晒され、京所司代を始めとする取り締まりも厳しいという。

 吉村は大和行幸の先駆けとして、大和国で天誅組を組織して倒幕の義兵を挙げたという。

 この天誅組にもう一人、龍馬の知り合いが参加していた。

 龍馬が土佐から脱藩する際、国境の韮ヶ峠にらことうげまで道案内をした那須信吾である。

 

「あの男は、なにを考えちゅうが?」

 龍馬としては、同郷の盟友をこれ以上失いたくなかったが、吉村虎太郎も那須信吾も頑固者ときている。眉を寄せる龍馬に、近藤長次郎は言った。

「けんど、攘夷は帝の意思やき、大義名分はあるぜよ」

「帝が諸大名に、蜂起を命じたわけじゃなかろう」

「それはそうじゃが……」

 

 この日の本を強くするという龍馬の想いとは裏腹に、この国は大きく乱れ始めていた。



--------------------------------------第二部 完 

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