第14話 大阪海軍塾、設立!

「――随分と、早まったことをしたもんだぜ」

 四月も後半――大阪にいた勝海舟は、大阪湾を見据えつつ、そう言った。

安房守あわのかみどの、聞こえまするぞ」

 勝と同格の矢田堀鴻やたぼりこうは、周囲に幕府要人がいるにもかかわらず、文句をいう勝を注意してきた。

 だが勝海舟という男は、相手が自分より上の立場であろうと、正直にものをいう男である。お陰で幕閣ばっかくから煙たがられるが、それを恐れる勝ではなかった。

 将軍・徳川家茂の上洛がさなれたことはいい。

 問題は攘夷を迫ってきた朝廷に、攘夷決行を来月の十日と言ってしまったことだ。

 攘夷が無理なのは、幕府が一番理解わかっているのにである。


 大阪湾には、幕府艦・順動丸が停泊していた。

 四月末――、将軍・徳川家茂が大阪湾視察に訪れていたのである。

 潮風に羽織の裾を煽られながら、勝が実際に見ていたのはこの日の本が辿る運命である。

 異国と戦えば、この国に勝ち目はない。

 軍事力が圧倒的に違う異国相手に、どうしたら勝てるのか、聞けるものなら聞きたいところだ。

「だが、攘夷をすると言って一番困るのは、幕閣の奴らだ」

「だが攘夷は、帝のご意思」

「攘夷をせよと、勅命が出たのかい?」

「それは……」

矢田堀鴻は、目を泳がせた。

 どうやら、将軍に攘夷決行はいつか迫ったのは、攘夷派の公家たちらしい。

 

 ――まったく、情けねぇ……。

 

 今度は口にしなかったものの、勝は心のなかで幕府の態度に呆れた。

 長いものには巻かれろ主義も、を超すと手に負えぬ。

 

 安政五年、勅許を得ぬまま日米修好通商条約を締結したことを皮切りに、幕府と朝廷の関係は悪化した。

 さらに大老・井伊直弼が暗殺され、幕府の権威はさらに低下した。

 これを打開すべく、打ち出されたのが公武合体である。

 朝廷の権威を必要とするほどに、幕府の権威は落ちていたのである。

 

 幕府は、今上帝きんじょうてい(孝明帝)の妹宮・和宮親子内親王かずのみやおやこないしんのうを徳川家茂の御台所として降嫁を求め、帝は代わりに鎖国攘夷の方針を政策に盛り込むことを、幕府に要求してきたという。

 開国に踏み切った幕府だが、朝廷の権力に頼っている以上は、鎖国攘夷を決行する約束を果たさねばと思ったのだろう。

 しかし、五月十日といえば一ヶ月もない。

 確かに攘夷は、帝の意思に違いないだろう。

 だが、現実はどうだ。

 欧米列強に対し、幕府はなにも言えぬ。

 刺激したくないのが、本音だろう。

 異国と、朝廷の間で揺れる徳川幕府。それに攘夷派が各地で出没し、都の治安も悪化した。この状況で軍備を整えられるか、やってみるがいい。

 勝は幕閣に対しそう言いたかったが、再び海軍を追われると勝の夢は叶わなくなる。

 


安房あわ――、余に進言したいことは何ぞ?」

 幕府艦・順動丸内にて、徳川家茂は低頭する勝海舟に眉を寄せた。

「上様。摂津・神戸村に、海軍操練所かいぐんそうれんしょを築きとうございます」

 海軍操練所――、欧米列強の脅威にようやく幕府海軍の建設に乗り出した幕府は、海軍教育機関として、長崎に海軍伝習所を設置したのは、安政二年のことである。

 勝の進言に、老中・阿部正外あべまさとが口を挟んだ。

「安房守どの、軍艦操練所ならば築地にあるではないか」

「それでは不十分ゆえ、進言しております」

 

 長崎海軍伝習所が設立された二年後――、幕府はさらに江戸・築地にも、海軍教育部門・築地海軍伝習所を設立した。

 しばらくは長崎海軍伝習所と並立していたが、江戸から遠い長崎に伝習所を維持する財政負担の大きさや、西洋式軍事技術の導入に消極的な一部幕閣により、築地海軍伝習所設立から二年後、長崎海軍伝習所は閉鎖された。

 老中・阿部正外は、海軍伝習所は二つもいらぬと思っているのだろう。

 現在の海軍は、幕府海軍である。

 

 勝の目指す海軍は幕臣に限らず、諸藩の人材も集め、挙国一致きょこくいっちの日の本海軍を建設することだ。そこは海軍士官の養成と、海軍工廠かいぐんこうしょうの機能を併せ持つ海軍操練所となる。

 その最良の地が、兵庫津に近い神戸村である。

 兵庫津は碇が砂に噛みやすい上に水深も比較的深く、巨大船も入れる。

 

「それともう一つ――」

「まだあるのか……?」

 家茂が瞠目した。

 そのもう一つこそ、勝がしたかったことだった。


                   ◆◆◆


 龍馬が越前・北ノ庄から、勝のいる摂津国・兵庫津にやってきたのは、五月も近い頃であった。

 この間、龍馬のこの国を強くするという夢は勝によって動き出していた。

 

「――この地に、海軍操練所を造るっちゅうが? センセ」

 龍馬は勝から彼の構想を聞かされて、驚愕した。

 なんと将軍・家茂公を前に、直談判したという。

 設立される操練所の名は、神戸海軍操練所。

 海軍を指揮する士官を育成するだけでなく、艦船が係留できる港や船の建造や修理ができる海軍工廠も造るという。

 

「幕閣のお偉方は最後までごねていたが、もうそんなことは言ってられねぇ。それで異国とやり合おうってンだから、無謀もいいところだぜ」


 勝いわく、幕府は軍艦総数を三百七十隻以上、乗組員総数六万人を集め、全国六ヶ所に軍艦を配置する一大構想をぶち上げたらしい。


「随分と、大風呂敷を広げたモンじゃ」

 勝はこの案に、反対したという。

「大名に金だけ出させ、幕府だけ軍事力強化に走ろうってンだぜ? 幕閣の頭ン中は、未だにカビが生えてやがる」

「本当に異国と戦うつもりかのう?」

 案は撤回されたそうだが、幕府が朝廷に言ったという攘夷決行は、五月十日。

 龍馬は、どう考えても現在のこの国が、異国と戦っても勝てる気がしない。

「現在の幕府は四面楚歌だろうよ。それと、幕閣に納得させたものがもう一つある。おいらはなぁ、これからの時代はおぇらも海に出ていくようになると思っている。幕府にはそこまで説明しなかったが、おいらはそんな人間を育ててぇのさ」

 

 兵庫津近くに設立予定の海軍操練所は幕臣だけではなく、諸藩のものも集めて航海技術などを学ばせるという。

 それに先駆けて、龍馬ら門下に海で生きていくための知恵を教える私塾開設も、家茂公に認めさせたという。

 

「センセはやっぱりやっぱ凄いえらい人ぜよ」

 浦賀沖で米国艦隊を見た日から、龍馬の頭から離れなかった西洋式の巨大船。

 これまでに移動の際に乗ってはいるが、それは龍馬所有の船ではない。

 龍馬は、西洋式巨大船を操船してみたかった。なれど、その術を知らぬ。

 だが、それは叶うかも知れない。

 異国と渡り合えれば、この国は強くなる。


 この日の兵庫津の海は、凪いでいた。

 果てしなく広がる海を駆けたいと想う龍馬の夢は、再び動き出した。

 勝海舟との出会いは、今にして思えば運命。

 さすがに船を買う金は龍馬になかったが、いずれは船の主となってやる。

 龍馬の心は、再び燃えた。

その私塾が開かれる場所は、大阪・北鍋屋町きたなべやちょう専称寺せんしょうじだという。

 海軍塾の、誕生である。

 

                 ◆


 長門国・長州藩――。

 久坂玄瑞は、攘夷決行の期日となっても動かぬ幕府にれていた。

「この期に及んで、尻込みか……」

「久坂、幕府にはなにか考えがあるのであろう」

 長州藩の支藩しはん長府藩主ちょうふはんしゅ毛利元周もうりもとちかは、そう幕府を擁護した。

「元周公、攘夷は帝の意思にございます」

 帝の名を出されては、元周も口を閉じるしかなかったようだ。


 長州藩は当初、直目付・長井雅楽の航海遠略策による、公武合体策が藩論だった。

 しかし、公武合体を進めていた老中・安藤信正と久世広周が失脚すると、藩内では攘夷派が勢力を盛り返し、長井は藩主・毛利敬親から罷免され、尊王攘夷が藩論となった。

 

 長州藩は、さっそく動いた。

 日本海と瀬戸内海を結ぶ海運の要衝である、馬関海峡ばかんかいきょう(下関海峡)に砲台を整備し、藩兵および浪士隊からなる兵、帆走軍艦はんそうぐんかん丙辰丸へいしんまる庚申丸こうしんまる蒸気軍艦じょうきぐんかん壬戌丸じんじゅつまる癸亥丸きがいまるを配備して海峡封鎖の態勢を取った。

 そんな長州藩に、一つの報せが届く。

 馬関海峡に、米国メリケンの商船が停泊しているという。

 ここに長州藩は、異国との間に戦端を開く。

 俗に言う、下関戦争の始まりである。

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