第13話 北国街道・越前路

 文久三年三月四日――、ついに徳川十二代将軍・家茂公が上洛した。

 三代将軍・家光公から数えて実に、二百二十年振りの上洛らしい。

 これに先駆さきがけること二月二十三日、江戸から浪士組が大挙して京の都にやってきた。

「敵わんなぁ……。また騒がしゅうなったわ」

 京・四条河原町にある飯屋にて、客の一人が嘆く。

「仕方ないやろ。最近は物騒やさかい」

「まったく、けったいなことや」

 龍馬は聞き耳を立てるつもりはなかったが、帝がおわすこの洛中はもはや、尊王攘夷の中心地であるとともに、殺戮さつりくの地と化していた。

 所司代や奉行所では取り締まりに手が回らず、そこでやってきたのが浪士組らしい。

 

 このとき龍馬は、京にいた。

 勝海舟の仲介によって脱藩の罪から放免されたが、七日間の謹慎を食らった。

 その場所がこの四条河原町にある、土佐藩邸だった。

 ようやく謹慎が明けて、腹ごなしに立ち寄った飯屋でのことである。

「お客はん、おかわりもう一杯どうや?」

 龍馬の銚子が空になったのを見計らってか、店のものが声をかけてくる。

「え……、ああ、今日は冷えるき、熱燗を頼めるかの?」

「へぇ、おおきに」

 龍馬は肴の湯豆腐を突きつつ、攘夷が当初とは違う方向へ向かい始めていることを憂いた。異国へ向けられていた敵意が、対公武合体開国派に向いているのである。

 しかも、藩とも幕府とも縁がない食い詰め浪人までこの騒ぎに便乗していたから、滅茶苦茶である。

 ただの憂さ晴らしで暴れられては、京の民衆にとっては迷惑以外の何物でもないだろう。

 

 それから一ヶ月後の四月半ば――、龍馬は越前国えちぜんのくに北ノ庄きたのしょう(現在の福井)へ赴くことになった。

 元福井藩主にして幕府政事総裁職、松平春嶽に逢うためである。

 松平春嶽は龍馬に、勝海舟を紹介してくれた殿様である。

 その春嶽は突然、政事総裁職を幕府に辞し、国許に帰ってしまったという。

 龍馬が松平春嶽に逢わねばならぬ理由は、将軍御側御用取次・大久保一翁おおくぼいちおうから託された書である。

 彼から預かった書は二通――、一通は勝海舟宛て、もう一通が松平春嶽宛てなのである。


「大久保さまは、おいらの恩人みてぇな御仁ごじんさ」


 勝海舟は大久保一翁のことを、そう語る。

 大久保一翁がまだ幕府海防掛ばくふかいぼうかかりのとき、海防の必要性を説いた勝を見出し、幕閣へ導いたのが彼だという。

 さらに勝はこういった。

「あの人は、俺らたちより一歩前を見てなさるぜ」


 龍馬は、大久保一翁に逢いに行った。

 そして驚かされた。

 


 ――朝廷にこの国の現状を伝え、それでも朝廷が攘夷というのならば、幕府は速やかに朝廷にまつりごとを返上し、朝廷の下、諸大名が一つとなり、大小公儀会を開き、国是こくぜを決定して開国に向かうべきである。そのためならば徳川は、一大名になっても構わぬ。


 

 大久保一翁は大目付時代に、江戸城にてこの『大開国論』を主張したという。

 確かに勝の言うとおり、彼の言葉は一歩、いや、さらに先を見ていた。

 幕府の政権返上など、勝ですら考えていなかったことらしい。

 勝と春嶽宛ての書は、龍馬が彼に逢いに行ったそのときに託されたのである。


「いい空じゃ……」

 四月十六日――、龍馬は越前へ向かうみちで空を見上げた。

 既に桜は大半が葉桜になりかけ、生暖かい風が吹き始めていた。

 中山道を西へ進み関ヶ原宿へ、そこから北国街道ほっこくかいどう木之本宿きのもとじゅくに通じる北国脇往還ほっこくわきおうかんへ。

 龍馬初めての、北陸路ほくりくじである。

「――少し、邪魔するがよ」

 道祖神の前で腰を下ろし、龍馬は竹の皮包みを開く。

 中には、途中の旅籠で握った貰った握り飯が三つ。

 途中何処ぞの犬が尻尾を振ってやってきたが、下手に与えて懐かれてはどこまでもついてくるかわからない。

「堪忍しとぉせ。おまんにやると、この先いつ、飯にありつけるかわからんきにの」

 果たして犬に通じたのかわからないが、犬は行ってしまった。

 北国街道の難所と言われる栃ノ木峠とちのきとうげを越えれば、そこは越前国である。

 今庄宿いまじょうじゅくから浅水宿あそうずしゅくへと来れば、北ノ庄へ着く。

 だが、北ノ庄城に春嶽はいなかった。

 応対に現れたのは、福井藩政事顧問・横井小楠よこいしょうくなんであった。


                 ◆◆◆


 越前国は京を窺うのに近すぎず遠すぎずの大国でもあり、いにしえからこの地にあって、戦国の世には天下を争い、有名な武将を輩出したという。

 新田義貞にったよしさだ朝倉義景あさくらよしかげ柴田勝家しばたかついえである。

 直接天下取りに動いたわけではないが、徳川家康の次男であり、英邁えいまいを謳われながら弟の秀忠に、後継を譲らざるを得なかった結城秀康も、この地の国主として松平姓を興して初代福井藩主となり、越前松平家を築いたとされる。

 福井藩庁がある北ノ庄城は、その松平秀康が築城し、親藩に相応しい城となるよう、諸大名の御手伝普請で約六年の歳月をかけて完成させたらしい。

 

「――久し振りじゃのう、横井さま」

 

 対面の間で龍馬は、横井小楠に対し破顔した。

 この日の空は晴れ、庭の松が空の青に映えていた。

 実は龍馬は、横井小楠と逢うのはこれが初めてではない。

 松平春嶽を訪ねるため、江戸の福井藩邸に赴いた際、春嶽の隣に座っていたのがこの横井小楠であった。

 横井小楠は肥後ひご(熊本)藩士だそうだが、儒学者の才を福井藩に買われ、春嶽とともに幕政改革も成したという。

 以後――、小楠は福井藩政事顧問となったらしい。

「そなたは相変わらずのようだな」

「結構忙しくしちゅう。勝センセの弟子になっちゅうがです」

「ほう、あの勝麟太郎の……」

 龍馬に勝海舟を世話したのは春嶽だが、龍馬がそのまま勝の弟子となるとは、小楠は思っていなかったようだ。

 勝によれば、小楠もまた、刺客から狙われる立場になったらしい。

 

「横井さまも、危ない目に遭っちょったと聞きゆう」

「ああ、あれか……」

 小楠は嘆息し、瞑目めいもくした。

 

 

 それは、文久二年十二月十九日のことだったという。

 小楠は松平春嶽とともに翌年に上洛することになっていたらしい。そんなとき、肥後藩・江戸留守居役、吉田吉之助から上洛前に話を聞きたいと言ってきたという。

江戸・檜物町ひものちょうは吉田家別邸にて、肥後(熊本)藩士・都築四郎らも同席して話をし、その後は酒宴になったらしい。

 だが午後八時夜の五ツ、突然刺客が斬り込んできたという。


 

「襲ってきたのは、やはり攘夷派かえ?」

「わが肥後にも、この小楠が面白くない者はいるのだ」

 

 横井小楠もまた、この国に攘夷をする力はないという。

 だが彼が所属する肥後藩の中にも、開国論者の横井小楠を良しとせぬ、過激攘夷派がいるらしい。 

 そしてそんな攘夷派を、幕府や公武合体派の藩は抑えにかかっている。

 姉・乙女からの文によれば、平井収二郎と門崎哲馬が獄に囚われたという。

 二人は土佐勤王に属していたが、特に平井収二郎は龍馬の幼馴染みであり、その妹・加尾は龍馬の初恋の相手である。

 やはり土佐藩は、土佐勤王党を放っておかないらしい。

 となれば動いたのは藩主・山内豊範やまうちとよのりではなく、前藩主の山内容堂だろう。

 隠居したとはいえ、現在も藩に影響大のこの殿様は、吉田東洋が殺害されたとき、かなり憤っていたらしい。


 ――武市さん、以蔵……!


 一藩勤王に燃える、土佐勤王党盟主・武市半平太。そして彼のために、人斬りに堕ちていく岡田以蔵。

 他にも土佐勤王党には、龍馬の子供時代からの友がいる。

 これから土佐勤王党は、どうなるのか。

 

「――ところで、上様が御上洛されたことは知っておるか?」

 小楠はそう、話題を変えてきた。

「噂で聞いちょります」

「朝廷は、攘夷決行を迫ったと聞く」

「いよいよ異国と戦うが?」

「朝廷を無視はできまい……」

 それでも小楠は、難しい顔を崩さなかった。

 聞けば幕府は攘夷決行の日を、五月十日にと約束してしまったらしい。

 事態はどこも、深刻である。

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