第10話 寺田屋騒動始末記
文久二年四月二十三日――、京・伏見。
伏見は京と大坂を結ぶ、水上の
江戸から京に至る東海道の終点は京の三条大橋だが、その先の大坂に至る手段としては、陸路の
淀川を上り下りし、伏見と大坂を結んでいたのが、
これにより大小の船が集中するようになり、伏見を流れる宇治川沿いに位置する河川港・伏見港はさらに発展したという。
そんな淀川沿いに船宿が点在し、寺田屋もそんな一つであった。
「――こうなったからには、やるしか
寺田屋の二階――、数人の男たちが意見を戦わせていた。
「
皆一様に、薩摩訛りがある。
彼らは薩摩藩の、攘夷派志士であった。
京・薩摩藩邸に、
島津久光は薩摩藩二十七代藩主・
そののち斉興が隠退し、斉彬が二十八代薩摩藩主となった。
斉彬が死去すると、久光の実子・
久光は藩主の父ゆえに、「国父」の礼をもって遇されることになり、藩政の実権を掌握していたのである。
だが島津久光の目的は公武合体を押し進め、幕府へ改革を促すための上洛だという。
あてが外れた彼らは、それでも動くつもりだった。
「某も、ここは慎重に動くべきと思うが」
そういったのは、久留米藩・攘夷派志士、
「
渋る真木に、有馬は言い切った。
「有馬
一同の意見がようやく固まり、腰を上げようとしたときだった。
「あ、有馬
「
「下に藩命じゃって、
果たして、何事だろうか。
お互いに、顔を見合わせた彼らであった。
◆◆◆
龍馬が勝海舟に弟子入りして間もなく、勝は所用で
実は勝はこの年の八月に、
置いてけぼりを食らった龍馬だが、大人しく帰りを待っている彼ではなかった。
江戸から東海道を進み、京に入った。
すぐに勝に逢いに行くべきだったが、京の情勢も気になるところだった。
「こら、坂本さまやあらしまへんか」
伏見船宿・寺田屋――、女将・お
実は龍馬が寺田屋に泊まるのは、これが初めてではない。
武市半平太の使いで土佐と長州を行き来した際、京を訪れている。
当時の土佐勤王党は、長州や京の攘夷派の動向を知りたかったのである。
「野暮用じゃき、狭い部屋でもええが、空いとるかえ?」
「そんなんをいわんと、どこでも泊まっとぉくれやす。うちは、構わしまへんえ?」
お登勢は「さぁどうぞ」と、龍馬を二階へ案内する。
寺田屋女将・お登勢は十八歳で、この伏見南浜の船宿・寺田屋主人、寺田屋伊助の妻となったそうだが、この夫・伊助は放蕩者で経営を悪化させたらしく、お登勢が代わりに寺田屋の経営を取り仕切るようになったという。
その夫は早世し、寺田屋はお登勢が事実上の主だった。
「――繁盛しちょるようじゃの」
龍馬が案内された二階の座敷は淀川に面し、淀川を行く船や、客の出入りが一望できた。
「そうでもあらしまへんえ。昨今の都は大変やさかい」
帝がおわす京の都――、だが、攘夷の風はそんな都だろうと構わず吹いているらしい。
天誅なる事件が相次ぎ、幕府要人が殺害されているという。
おそらく安政の大獄で攘夷派志士を弾圧し、さらに開国を推進する者への報復だろう。
「ほんに、けったいな世になったもんどす」
お登勢は、そう嘆く。
「寺田屋も、大変じゃったと聞いちゅう」
文久二年四月――、この寺田屋で薩摩藩国父・島津久光によって、薩摩藩・尊皇攘夷過激派志士が弾圧されたという。
俗に寺田屋事件と呼ばれるこの騒動は、龍馬にとって対岸の火事ではなかった。
島津久光が藩兵を率い上洛したのは、この寺田屋騒動が起きる七日前のことだという。
これを攘夷結構の上洛と、勘違いしたものが土佐にいる。
土佐勤王党の一人で、龍馬より先に土佐を脱藩した吉村虎次郎である。
どうやら薩摩藩もまた公武合体派で、島津久光は自藩の攘夷派志士を弾圧した。
「薩摩の方々は、有馬はんたちを説得しようとしたんどす」
お登勢いわくその日、寺田屋には薩摩藩士・有馬新七ら数名がいたという。
そんな夜――、寺田屋に薩摩藩士・奈良原喜八郎ら四名がやってきて、有馬新七に面会を申し出たという。
二階から「いない」と言われ、力ずくで二階に上がろうとして押し問答となったらしい。
ようやく有馬と田中謙助、橋口壮介とが降りてきて議論に加わったが、埒が明かず、薩摩藩士はともかく藩邸に同行するように求めたようだが、これが拒否されたという。
奈良原は説得を続けたそうだが、君命に従わぬのかと激高する奈良原の連れが「上意」と叫んで抜き打ちで田中謙助の頭部を斬り、激しい斬り合いが始まったようだ。
「危ない目に遭っちょったの」
争いは、無関係な人まで巻き込むことがある。
平穏だった京の都が一変し、殺戮の地と化していることに一番嘆いているのは、お登勢たち下々の民だろう。
「大変な目には
お登勢はそういうが、攘夷は
いつしか攘夷派と、幕府、それに従う藩との対立に変わっているのである。
――同じ国のモン同士で、啀み合っちゅう場合じゃないがよ。
夜の帳が落ち、行灯の灯りがゆらりと揺れた。
寺田屋がある伏見は、都から少し離れているせいか、静かだった。
もしかしたら、嵐の前の静けさかもしれない。
なにゆえ、この日の本の中で争わねばならぬのか。
この日の本のため――、攘夷派も公武合体を押し進める幕府や諸藩も想いは同じだろう。 ただ、異国を排除したい攘夷派と、その異国を刺激したくない幕府側の対立はついに帝がおわすこの京をも巻き込んだ。
となれば、朝廷は黙ってはいまい。
勝いわく――、来年に将軍・家茂公が上洛するという。
島津久光は上洛したのち、勅使を伴って江戸にきたという。これは単に朝廷を介しての幕政改革ではなく、朝廷からの将軍上洛要請を伝えることもあったらしい。
帝の真意は推し量れないが、朝廷は攘夷に纏まっているという。
勅命とならば、いくら幕府とて逆らえないだろう。
「異国と戦になるが?」
この龍馬の問いに、勝は難しい顔で「攘夷を決行せよと勅命が下りればな」と答えた。 だがこの日の本は、まだそこまで軍備は整ってはいない。
勝のいう『カビ臭い戦法』で戦う羽目になる。
「坂本さま、今回はいつまで、京にいらはるおつもで?」
お登勢に酌をされ、龍馬は口元で盃を止めた。
「そうじゃのう……。少し都の様子を見て、兵庫津に行こうと思っちゅう」
摂津国・
幕府が米国と交わした日米修好通商条約によれば、兵庫津は開港されるはずだったらしいが、実際には宇治川を挟んで東に位置する、神戸村が開港するという。
翌――、龍馬は混沌とする京を発ち、勝がいる兵庫津へ向かった。
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