第11話 人斬り以蔵

「――容堂公が、吉田東洋を斬った下手人を探しちゅう……?」

 文久二年夏――、このしらせに武市半平太は眉を寄せた。

 前土佐藩主・山内豊信やまうちとよのぶ――、現在は容堂と名乗り隠居の身である。

 しかし武市は、この報せに驚くことはなかった。

 吉田東洋は容堂公が藩主時代、大目付に抜擢し、参政として藩政改革を主導させたという人物である。つまり容堂公の信頼が厚い、ということだ。

 

「藩じゃ、一部の者が探索に動いちゅう話じゃ」

 武市にこの報せをもってきたのは、土佐勤王党の一人、望月亀弥太もちづきかめやたである。

 中でも下手人探索に必死だというのが、井上佐市郎いがみさいちろうという男らしい。

 下士という身分ながら、吉田東洋によって藩内を取り締まる下横目しもよこめという役に就いているという。

 なるほど、恩人を殺害されては必死になろうというものだ。

 

「武市さん、大丈夫じゃろか……」

 仲間の一人、高松太郎が武市を見てきた。

 深刻そうな彼の顔に、武市のすぐ近くにいた男がこれを揶揄やゆした。

 柱にもたれかかり、愛刀・肥前忠広ひぜんただひろを抱えていたその男は、ここにいる誰よりも深い闇の中にいる。武市が不気味さを感じるほど――。

 岡田以蔵である。

「高松は、怖じ気づいちょう」

「なんじゃとっ!」

 以蔵の揶揄に、高松は刀を掴んだ。

「やめちょけ、二人共。同志でいがみ合ってどうするがじゃ」

 高松太郎はなんと、龍馬の甥に当たる。

「武市センセ、容堂公がいくら言ったってなんぼ゛いうたち、奴を斬ったがは間違っちょらんがよ」

 そういう以蔵の目は、淀みがない。

 吉田東洋を斬ったのは土佐勤王党の那須信吾なすしんご大石団蔵たいせきだんぞう安岡嘉助やすおかかすけの三人だったが、武市に忠実で真っ直ぐな以蔵は、武市が下手人を探しているというその男を斬れと命じれば、なんの躊躇ためらいもなく動くだろう。

 以蔵の腕は、武市自身がよく知っている。

 武市が開いた道場で剣の腕を磨き、武市とともに江戸は士学館にて、鏡心明智流を学んでいる。

「けんど以蔵、こうなると我らの邪魔をしちゅう者は多くなるじゃろ」

「――ならばほいたら、また始末するがじゃ。のう? 武市センセ」

 同意を求めてくる以蔵に、武市は是とも否とも言わなかった。


 武市の、一藩勤王の想いは変わらない。

 たとえこの先、勤王党が血に染まろうとも――。


                   ◆


 岡田以蔵――、彼の武市への想いは真っ直ぐだった。

 以蔵の生まれた岡田家は、郷士でも下位の足軽格。

 当然彼も、土佐では上士に虐げられ続けた。

 武市との出会いが、以蔵を変えた。


「おまんは、強かぁ男になるがよ! 以蔵」

 武市道場で腕を磨く以蔵に、武市はそういった。

 

 以後――、武市の期待に応えることが、以蔵の目指す道となった。

「井上佐市郎を斬るがじゃ」

 以蔵は肥前忠広の柄を力強く握りしめて、一人呟く。

 肥前忠広は龍馬から受け取った刀である。

 赤鞘あかさやで、つばには龍の意匠いしょうがされている。

 龍馬は、一藩勤王は無理だと言っているらしい。


 ――武市センセの言っちょっていることは、正しいがやき……!


 藩が変われば、下士はもう下を向かなくても良くなる。

 異人がこの国からいなくなれば、天下泰平の世に戻るのだ。

 変わるのは、この土佐だけでいい。


「以蔵――、来たぞ」

 その声に、以蔵は我に返って顔を上げた。

 大阪・九郎右衛門町くろううえもんちょう――、道頓堀川どうとんぼりがわの南岸の戎橋えびすばしから湊町にかけてのこの土地で、以蔵と土佐勤王党の数名は、吉田東洋を斬った下手人を探索中の井上佐市郎を待ち伏せていた。

「――おまんらは……」

 突然現れた同郷の士に、井上は驚く。

「久しぶりじゃのう、井上」

「こんなところで、なにしちゅう?」

「おまんを助けてやろうと思っちゅうがじゃ。のう? 以蔵」

 同意を求められ、以蔵は低く答えた。

「……ええ」

「助ける……?」

 訝しむ彼を誘い、このあと軽い酒宴になった。

 井上佐市郎はかなり酔が回っていた。

 無理もない。一方的に酒を飲まされ、肝心な話は延ばすに延ばしたのだから。

「――して、吉田さまを斬ったのは誰なんじゃ……?」

吉田東洋を斬った下手人を知っている――、こういうと井上は警戒を解いた。

 月のない、夜であった。

 井上は背後から近づく殺気に、気付くのが遅れた。

「もう、理解わかっておろうに……」

「やはり、土佐――……」

 井上の言葉は、最後まで続くことはなかった。

 土佐勤王党と、言いたかったのだろう。

 以蔵の刀が、井上の急所を捉えていたからだ。

「武市センセの邪魔はさせんがよ。井上佐市郎」

「……岡田……以蔵……」

 

 井上佐市郎を斬ったことを、以蔵は後悔はしていなかった。

 武市のため、土佐を変えるため、そして攘夷のため、以蔵はこのあと京にて、人斬りに堕ちていく。

 そんな以蔵だが、なんと龍馬に呼ばれた。

 年が改まった文久三年一月の、ことであった。

  

                     ◆◆◆


 京・左京――、常林寺じょうりんじ

 浄土宗の寺院で、山号は光明山というらしい。

 常林寺の敷地は元々中洲で、萩がよく育つという。初秋には石畳が隠れるほど生い茂り、ついたこの寺の別名が『萩の寺』。

 しかしこのときは一月始め、萩はとうに刈られていた。


「おお、雪じゃ雪じゃ! センセ、雪が積もっちゅう」

 夏は暑く冬は寒いという京――、寺の敷地を萩の代わりに覆う雪に、龍馬は子どものようにはしゃぐ。

 これに、勝海舟が両腕を組んで呆れた。

「雪なんざ、珍しくあるめぇ」

「土佐に雪は降らんきに」

 黒潮が流れる土佐は温暖な地なため、京のようにたくさん雪は降らない。

 霜柱しもばしらを踏みつける遊びはそれなりに楽しかったが、土佐に降る雪はすぐに溶けてしまう。

 龍馬自身、まさか二十八にして浮かれようとは思っていなかったのだが。

「おぇを見ていると、この京が物騒な地になっていることを忘れちまう」

 勝は苦笑した。

「ならば、他に行くかえ?」

「ふんっ、この勝を見くびるんじゃねぇ。刺客が怖くて、都を歩けるかってンだ」

 軍艦奉行並・勝海舟――、幕府海軍を統括し、軍艦の製造・購入や操錬技術者の育成などを管轄するというその役職に就く彼は、西国を転々と渡り歩いていた。

 常林寺は勝にとっての、宿坊なのである。

 彼は、新たな操練所建造の夢を抱いていた。

 その候補地を探しての、西国巡りらしい。

 だが異国の技術を取り入れようとすることは、攘夷派には許しがたい事かもしれない。

 この京では幕府要人まで、天誅という名の下、斬られている。

 江戸から勝を追ってきた龍馬に勝は当初、唖然とした。

 押しかけ弟子入りした龍馬だが、師である勝が刺客に襲われては一大事である。

 だが勝は、龍馬が用心棒となることは嫌がった。


「おぇは、目立ち過ぎンだよ……」


 と、いうのである。

 好奇心旺盛で、黙っていられない龍馬の性格である。

 しかも黙って歩かないため、連れの相手は大変だろう。

 一緒にいて楽しいかもしれないが、いつ襲われるか知れない道では困りものだ。

 北辰一刀流の腕をもつ龍馬だが、勝も直新陰流の腕だ。そう簡単に斬られねぇよと、勝は啖呵たんかを切る。


 ――わし、そんなにうるさいかのぅ……。


 まったく自覚がない、龍馬である。

 といって勝を一人にはできない。

 そこで呼んだのが、岡田以蔵であった。

 以蔵は常林寺にやってくると、龍馬を睨んできた。

 土佐勤王党に参加しながら、その勤王党から抜けたのだから睨まれるのも当然だが。


「おまんに、わしのセンセを守って欲しいがじゃ」

「なぜ、わしなんじゃ?」

「さぁ、どうしてかのぅ……」

 京に吹く攘夷の風――、その裏で繰り広げられる天誅という名の粛清。

 これに、岡田以蔵が関わっていた。

 

 人斬り以蔵――、人は彼をそう呼ぶ。

 龍馬としては、以蔵の人斬りをやめさせたかった。

 龍馬は、以蔵を信じた。

 以蔵が龍馬の知る昔の彼のままなら、彼は勝を斬ることはしないと。

 それは友を想う、龍馬の賭けであった。

 

 

  

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