第12話 国難回避の一手! お台場建造計画
江戸・
この木挽町に、砲術と兵学を教える
勝麟太郎はかつて、この五月塾の門下生であった。
「
木戸を潜って土間にやってくると、その男は眉を寄せた。
「やっと江戸の町が静かになったかと思えば……」
「なんでぇ。久しぶりに愛弟子が訪ねてきたんだぜ?」
勝麟太郎は旗本の身分ではあったが、口のほうは良くはない。
なにせ彼の父・小吉も、相当な不良だったらしい。
女遊びはするわ、喧嘩はする、しまいに道場破りはするという為体である。
母から聞いた話によると、麟太郎が生まれた時など父・小吉は、長男が生まれたので自由になれると思ったらしい。
隠居して、まだ三歳の麟太郎に家督を譲りたいと願ったという。
だが、麟太郎の祖父に「少しは働け」と言われ、幕臣となるも日頃の行いのせいか、役を得る事はできなかったという。
その後は喧嘩と道場破りをしながら、刀剣の売買や町の顔役のような事をして過ごしていたらしい。あまりの
そんな父も今や
そんな父の影響ではないが、江戸っ子気質な性格で、思ったことをはっきりいうためか、幕閣内からは煙たがれているが。
「君はちっとも変わらんな」
象山こと、
「先生こそ、相変わらずの堅物じゃねぇか。ま、おいらは好きだぜ? 先生のそういうところはよ」
佐久間象山は以前は、神田於玉ヶ池で私塾「象山書院」を開いていたそうだが、象山はこの塾を閉じ、
この国の海防は遅れている――、そう言い切る象山に、幕閣はその重い腰を上げなかったらしい。
幕閣と相当揉めたというというから、この男も勝同様、幕閣の石頭連中から煙たがれているのだが。
笑う勝に、象山が嫌そうにまたも眉を寄せた。
「君に云われても嬉しくない。で、なにか用かね?」
象山は兵学書を読んでいたが、視線はその書に落とされたままだ。
「先生のことだ。浦賀まで行ったんじゃないかと思ってね。どうでぇ? 当たりだろ?」
「見に行ったが?」
あっさり認めた象山に、勝の口も乗ってきた。
「やはりな。実は、おいらも見てきたのさ。あんなものが、海の向こうにいるとは驚いたぜ。問題は、幕府だな? 先生」
浦賀沖に現れた
すぐに出ていくだろうと
この国に、異国に勝る軍備はない。
それが現実である。
大砲はあるものの旧式で、とても異国船まで届かないだろう。
勝は象山に学ぶまではそこまでの知識はなかったが、
この国は、いま異国と戦っても勝てない――と。
象山が言っていたことは、正論なのだ。
象山は書を閉じると、ようやく視線を上げた。
「異国はこの国より進んでいる。船も大砲の技術も。これまで対策をしてこなかったツケを、これから上は払うことになる」
まるで異国が戦を仕掛けてくるというような物言いに、勝は苦笑した。
「穏やかな話じゃねぇなぁ……」
「このまま幕府が何もしなければ、の話だ」
戦となれば、この国は無力さを知る。そういう象山に、勝も異論はない。
「そういえば
今回の米国船来航で、幕府はようやく海防の必要性に気づいたようだ。
「あの、かび臭い大砲を据えるつもりか……」
「いうねぇ……」
象山の言葉に、勝は笑った。
「わたしは、君ほど口は悪くはない」
いや、じゅうぶんに口が悪いよと、勝は心のなかでも笑う。
象山としては、西洋式の大砲でなければならないようだ。
だが、本気でことにあたらねば、この国は異国の意のままになる。
隣国・清国が、いい例である。
二人は既に、一つの結論に達していた。
それを幕府が受け入れれば、この国は強くなるのだが。
◆◆◆
七月も中旬――、長雨が明けて、浦賀にいた
江戸には平穏が戻ったが、今回の件を受けて、幕府は砲台(現在のお台場)を品川沖に築くことにしたらしい。
異国船がまた来ようものなら、威嚇発砲するつもりらしい。
品川の土佐藩邸でも抱屋敷近くに砲台を築くらしく、江戸・土佐藩中屋敷でも藩士の出入りが多くなった。
こうなると居心地が悪いというもので、龍馬は暇を見つけては千葉道場に入り浸るようになった。
何しろ藩士というわけでもなく、土佐から遊学にきている身である。
気楽なやつ――などと云われては、居心地がいいわけがない。
「それまで!」
打ち合い稽古が重太郎の声で止まり、龍馬は面を外して自席に腰を下ろす。
「また腕をあげたんじゃないか? 龍さん」
話しかけてくる重太郎に、龍馬は小さく首を振る。
「わしの腕なんぞまだまだじゃ。ごがな腕では異国に勝てんがよ」
「異国と戦うつもりか?」
「もしもの場合じゃ。わしに、大砲が撃てればええが……」
異国船に興味はあるが、異国と仲良くなりたいわけではない。
戦となれば、もちろん戦うつもりでいた。
しかし肝心な異国船は浦賀沖に留まったまま、何もしては来ず、龍馬のいる品川沖までも来ることはなかった。
船が相手となると、腰の刀は役には立たない。
この国の大砲といえば、青銅製の大砲だという。
威力はさだかではないが、異国船に対抗するにはそれしかないらしい。
今度警備に駆り出されることがあれば、大砲ぐらいは撃ってみたいと龍馬は思った。
品川沿岸に砲台が築かれ始めたという話は、重太郎も知っていたらしく「
「大砲の撃ち方を教えてくれるのかえ?」
さっそく、龍馬の好奇心はくすぐられた。
「そこまではわからんが……」
重太郎はそういって、苦笑した。
おそらくまたも、おかしなものに興味を持ち始めたなと呆れているのだろう。
その砲術を教えているという男は、佐久間象山というらしい。
道場の門外に出ると、夏の日差しが照りつけてきた。
土佐を出てから、黒羽二重の紋服に馬乗り袴という
(ま、ええかの……)
歩き出したところに、佐那子がちょうど帰ってきた。
「坂本さま、もうお戻りになるのですか?」
「木挽町へ、少し用があるがじゃ」
「…………」
佐那子が、不意に眉を寄せて黙った。
「やっぱり、臭うかのぅ?」
龍馬は己の汗臭さについて聞くが、佐那子は
「坂本さま、口に墨が……」
と、言うのである。
しまったと思ったときは既に遅く、佐那子はクスクスと笑い始めた。
実は重太郎と話したあと、部屋を借りて姉に文を書いた。
文などいつでも良かったのだが、思ったら行動せずにはいられないのも彼の癖なのだ。 ただ、癖にも自覚しているものと、していないものがある。
頭をかくのはまだいいほうで、墨を舐める癖は困ったものである。
筆先をならすためについ口に運んでしまい、その場で拭けばまだよかったが、
佐那子に出会わなければ、そのまま江戸の町に繰り出していた龍馬である。
改めて口元を洗い、龍馬は木挽町へ向かう。
佐久間象山――、新たな出会いがなにをもたらすのか、このときの龍馬は知る由はない。
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