第11話 ペリー米国艦隊との出会い
七月――、
真っ先に向かったのは、京橋桶町の千葉道場である。
「――結局、
江戸に戻ってきた龍馬の前で、千葉重太郎は
品川にて、龍馬たち土佐藩出身者は
警備についていた皆がほっとする中、龍馬は違った。
異国船が見たくて、仕方がないのである。
「浦賀に行けば、見れるじゃろか?」
これに、重太郎が
「まさか、浦賀に行くというんじゃないだろうな?
「その、まさかじゃ」
「しかしなぁ……、相手は異国船だぞ?」
重太郎の懸念は、最もである。
土佐藩の耳に入ろうものなら、大変である。
御政道に反する、不届き者と処罰されるだろう。
土佐藩山内家は、徳川幕府に思い入れが強いという。
遡ること関ヶ原の戦い――、当時土佐の国主は長宗我部氏で、豊臣側の西軍についたという。だが家康率いる東軍が勝利し、東軍の将・山内一豊が土佐に入ったという。
この山内一豊が、土佐藩山内家の藩祖である。
土佐一国を与えられた恩からか、現土佐藩主・
「なぁんも、異国船に乗りに行くんじゃないがよ。ちくっと、見るがだけじゃ」
異国船に近づけば確かに罰せられるだろうが、見物ぐらいは大丈夫だろう。
実際のところ、重太郎も異国船には興味があったらしい。
俺も行こうと、言った。
「
今度は龍馬が、心配する側になった。
桶町千葉道場の主・千葉定吉はこの年、鳥取藩の江戸詰の藩士として召し抱えられ、剣術師範に任じられたという。
鳥取藩池田家は、池田輝政と徳川家康の二女・
通常ならば、大名が江戸城に登城する際は刀を玄関前で家来に預けなくてはならなかったが、鳥取池田家は玄関の式台まで刀を持ち込むことが許されたらしい。これは鳥取池田家の他には会津松平家、越前松平家の一門といった徳川一門の親藩と加賀前田家のみに許された特権だという。
つまり鳥取藩は、幕府に近い藩となる。
しかも千葉定吉は千葉周作の弟というだけあって、勘がいいらしい。
彼に知られれば、重太郎は謹慎か最悪勘当か。
そんな二人がいる部屋に、佐那子が茶を運んできた。
「坂本さま、お越しだったのですか?」
部屋に入ってきた佐那子は、兄の部屋には重太郎しかいないと思っていたらしく、龍馬を見て驚く。
「邪魔しちゅう」
龍馬は、軽く挨拶をした。
「佐那子、龍さんはな、さっき品川から帰ってきたそうだ」
「左様でございましたか。お努め、ご苦労さまでございました」
佐那子はそういって、三つ指をつく。
「いやぁ、そげん大したことは、しとらんぜよ。はは……」
思わず、顔が引き
まさか岡場所の廓で、遊女に貞操を奪われかけたとはいえない。
◆
異国船に興味がある男が、ここにもいた。
彼の場合、この国の軍備不足を嘆いてのことだが。
男は断崖に立ち、沖を睨んでいた。
外海と江戸湾を繋ぐ浦賀水道に、四隻の黒い船影が確認できる。
「あれが米国から来たという黒船ですか?
先生と呼ばれた男は腕を組み、鼻をならした。
「ふんっ、たいそうな船だな。
「勝てますよ、ねぇ……?」
「勝てねぇよ。現在の力ではな」
男の名を、
彼の父は旗本小普請組の勝小吉で、家紋は丸に
彼を先生と呼ぶのは、赤坂田町に蘭学と兵法学を教える私塾「氷解塾」を開いていたからだ。ただこの男、旗本にしては江戸っ子気質で、口が悪い。
そんな勝麟太郎も先生と呼ぶ男がいる。
松代藩士で兵学者の、
彼もまた、この国の備えを憂いていた。
そんな矢先に、
「だったら聞くが、おまえさん、アレに勝てる自信があるかい?」
勝の問いに、塾生は言葉を濁す。
「そ、それは……」
「向こうは、こっちの力を知ってやがる。だから、居座ってるのさ。大砲の照準をきっちり合わせてな」
勝は沖合を睨みながら、
「まさか……」
「俺は合わせていると思うぜ。ま、こっちが撃たない限りは向こうも撃ってこねぇと思うが、それだけ向こうさんも必死ってこった」
哀しいかな、この国に大砲を備えた船はもちろん、大型船は商船しかない。
これまで幕府は異国船を追い返してきたが、今回は勝手が違うようだ。
最大の原因は、隣国・
この日の本にきたのは
――まったく、情けねぇ。
二百年という鎖国という眠りが、この国から異国への危機感を奪った。
海の向こうでは文明が進み、すべてにおいて進化していたことを、この国は知らずにいた。おかげで、この
威嚇されて怯えているようでは、この国はますます弱体化する。
――少なくとも、幕閣の石頭を叩き割るだけの効果はあるだろうよ。
勝麟太郎は沖合を一瞥し、踵を返した。
◆◆◆
「|おお! いちゅういちゅう」
晴れ渡る空の下、龍馬が子供のようにはしゃぐ。
岩場を降りつつ、龍馬は沖合に停泊している
異国船の船体は黒く塗られ、水車のような車輪をつけた船、黒い煙を吐く船など、この国では見たことがないものばかりである。
聞けば
「龍さん、そんなに大声で……。奉行所の役人に捕まるぞ」
共に来ていた千葉重太郎は、周囲を気にしつつ龍馬を制す。
「大丈夫じゃ。それにしても、あがな大きなもんが、どういたら海に浮くんじゃろのう? 餌はなにを食うが?」
「龍さん……、あれは異国船だ」
「はは……、そうじゃったの」
重太郎の呆れ声に、龍馬は頭を掻きつつ笑った。
実は龍馬は、船が好きだった。
子供の頃、土佐湾を行く和船を龍馬はよく見ていた。
泣かされてばかりの彼は、沖をゆく船を眺めては、広い海を堂々と進む船が羨ましく思った。それに比べ自分は弱虫で、すぐに泣く。
海は穏やかなときばかりでなく、荒波のときもある。
それでも逞しく進む船が、羨ましかったのである。
ある時、浜で知り合った漁師がこんなことを言った。
――海はの、わしらに恵みをもたらしゆうが、一旦荒れると怖いところじゃ。嵐とわかれば船は出さんが、空も気まぐれやき、漁の途中で嵐になりゆう。そんときはこっちも必死じゃ。生きるか死ぬかじゃきにの。
漁船でさえ、必死に荒波を進むのである。
大型船は体が大きい分、小回りには利かないだろう。自身の重さに加えて積んでいる荷の漁など、相当な操船力がなければ嵐は乗り越えられないだろう。
だがそんな船は、この国にはないとその漁師は
嵐の中をびくともせずに進む頑丈な船など、どこにもないと。
確かに、幕府による大型船建造禁止令というものが出されて以降、大型船といえば商船ぐらいなのだが。
だが――それが、目の前にいる。
商船ではない、大型船が。
姿は想像と違っていたが、彼はついに出会った。
実は見物人は彼らだけではなく、武士も町人もいた。
おそらく、この国にある大型船よりも大きいだろう。
ずっしりと重そうに見える船が、悠然と沖に停泊している。
船から吐かれる黒煙は天を
「ペリーっちゅう男は、こん国に何しに来ちゅうがの?」
龍馬の疑問に、重太郎は「さぁな」と答える。
聞けば幕府側との睨み合いは、もう数日も続いているという。
いずれ戦に発展するのか、それとも根比べに負けて
そもそもこの国は、二百年以上も続けている鎖国下にある。
幕府がそう簡単に、異国の話に乗らないと思うが。
龍馬はこのとき、そう思っていた。
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