第7話 弥太郎に似た男

 江戸・築地――、明暦めいれき三年に起きた明暦めいれき大火たいか後の復興計画で、大川おおかわ(隅田川)河口部にあたるこの一帯が開発されて武家地となったという。

河口部の立地条件の良さからか、廻船問屋かいせんどんやが多いらしく、さらに武家と町人の居住が隣接していたようで、屋敷相手の商売を目当てに米、炭、薪、肴屋などの問屋、仲買が集中しているらしい。

 南小田原町西南には御米蔵おこめぐらがあったそうだが、築地という地は海の一部を埋め立てた地とあって、潮風で米がふやけてしまうため、浅草蔵前に移されたという。

 そんな築地に、龍馬がこれから一年寄宿する土佐藩中屋敷はあった。

 龍馬としては藩邸での寝泊まりは遠慮したいところだが、そうもいかないらしい。

 たとえ国許を離れようと、下士とはいえ藩の人間。藩邸の管理下に置かれるという。

 土佐では上士とは道で鉢合わせするぐらいだったが、中屋敷はそうはいかない。

 さすがに土下座することはないものの、日に数度は顔を合わせることになる。


  ――ええか? くれぐれも、粗相そそうのないようにの。


 それが、父・八平と兄・権平から耳にタコができそうなほど云われてきた言葉だった。

 愛想が良いのは龍馬の売りだが、ここではそれが仇になるようだ。

 藩邸内の奥長屋が寄宿の場となっていたが、相部屋となる男はまだ帰っていないのか、部屋は無人であった。

 広さは六畳、壁際に文机があり、横に難しそうな書の山がある。おそらく、この部屋のもう一人の持ち物だろう。


 ――えらく、難しそうなモンを読んじょるのう。わしは、学門のほうはさっぱりじゃったきに。


 子供の頃――、龍馬は通っていた寺子屋から泣いて帰ってきたことがあった。

 塾生と些細ささいなことで揉めて、泣きながら帰ってきたのだ。それからもう、寺子屋には行きたくないと父たちに訴えた。

 さいわい読み書きなどは姉たちが教えてくれたが、書を率先して読むということはしなかった。

 

 龍馬は畳の上で、大の字になった。

 天井には雨染みの跡があり、それがなにかの顔に見えた。

「これから、よろしゅう頼むぜよ」

 龍馬は天井の染み跡に、そんな挨拶をした。

 そんな側から、部屋の障子が開いた。

 そこには、小脇に書を抱えた男が立っていた。

「…………」

 男は眉を寄せている。

「もしかして、おんしが、ここのもう一人かえ? わしゃ、坂本龍馬というモンじゃ。しばらく厄介になるがよ」

「わしは、黒沢雄馬じゃ。ひとついっておく。静かにしてもらえないだろうか?」

 

 どうやら龍馬の声は、廊下まで筒抜けだったらしい。

 しかし同じ土佐人としては、彼には訛りがない。

 さらに彼の印象は、龍馬の知る人物とよく似ていた。

 いつも不遜な顔で、龍馬を見てくるその男と。

 

「おんし、土佐の何処におっちゅう?」

「井口村だが?」

「どうりで、似ちゅうはずじゃ」

 井口村――、そこには岩崎弥太郎がいた。

 学問で成功するのだといっていた男は、龍馬が江戸に行くと聞くと悔しがっていた。

 呵呵と笑う龍馬に、黒沢が咳払いをした。

 静かにしろ、ということらしい。

 やはり似ている――と、龍馬はふっと笑った。

 龍馬は弱虫、泣き虫でなくなったぶん、好奇心旺盛で、興味あるものには人だろうとものだろうと首を突っ込みたくなるのである。

 これが弥太郎には迷惑らしく、会えばしかめっつらをされている。

 黒澤雄馬が龍馬をどう思ったか知らないが、反応はよく似ていた。

 

                    ◆


 桶町千葉道場――、神田於玉ヶ池かんだおたまがいけの玄武館と双璧そうへきをなすこの北辰一刀流の道場は、千葉定吉ちばさだきちが開いたものという。

 千葉定吉は北辰一刀流のにして、玄武館をおこした千葉周作の実弟である。

 しかしこの江戸でも、上級武士と下級武士の身分はものをいい、双方が同じ道場で切磋琢磨することはないという。

 ゆえに、桶町千葉道場には館名がないのだという。

 門下生は主に、下級武士だったからだ。

 

 けやきの板に、墨で黒々と千葉道場と書かれた看板を右に目にし、龍馬がこの道場の門を潜ったのはひつじ下刻げこく(午後二時二十分)のことである。

 ちょうど稽古上がりなのか、若い門弟が一人出てきた。

「千葉先生はおられるかの?」

 龍馬が声をかけると、その門弟は胡乱に眉を寄せた。

「道場破りに、きたか?」

「そがな、理由ではないき。わしは、土佐国の郷士・坂本龍馬というもんじゃ。ここで、剣の修業をしゆうがよ。わしのセンセの紹介状を持っちょるき、ぜひここに入れてほしいがじゃ」

 門弟の青年は「大先生」は留守だという。しばらく待てというので待っていると「若先生が会われる」という。

 

 通されたのは道場ではなく、千葉家の座敷だった。

 四畳半ほどの座敷だったが、どうも落ち着かない。

 土佐の坂本家は板敷きの床がほとんどで、畳敷きの部屋はあったにはあったが、ここほど綺麗ではない。

 書籍は綺麗に積まれ、床の間には掛け軸と一輪挿し、日当たりも良さそうだ。

 もちろん、寄宿先の藩邸も綺麗ではあるが、人の出入りが激しい場所のせいか、それはそれで落ち着かない場所ではある。

 それに比べ坂本家の龍馬の部屋は、どこか鼠にかじられていたりする場所や、畳も日焼けしていたりしていた。

 龍馬には、こっちのほうが落ち着くのだが。

 ほどなくして、廊下のほうからこちらに向かって歩いてくる足音が聞こえてきた。

 

「あいにく父は留守ゆえ、それがしが承る」

 そういって龍馬の前に座ったのは、定吉の長男・重太郎という男であった。

 龍馬と同じ総髪で、背は彼のほうが高いだろう。

「土佐・小栗流の日野根弁治センセの紹介状を持っちょるき、見てつかぁさい」

 龍馬がふところから出した紹介状はかなりくたびれていたが、中身に目を通した重太郎は眉を寄せた。

「流派は違うが、かなりの腕のようだが?」

 紹介状に目を通し終えて、重太郎が腕を組む。

 龍馬の腕は、日野根道場でも屈指の腕となっていた。

 道場を開ける腕にはなっていたようだが、龍馬としては流派が集まる江戸での修行が希望である。

「北辰一刀流の名声は、土佐にも聞こえゆう。わしはもっと強くなりたかよ。わしのようなもんが江戸で剣術を学べるがは、ここだけじゃき」

 剣術に本気に挑もうとする龍馬の態度が通じたのか、重太郎がふっと笑みを浮かべた。

「うちの稽古は厳しいぞ? 坂本どの」

「厳しい稽古には、慣れちょりますきに」

 龍馬も笑みを返す。

 

 稽古場には、まだ数人の門弟が残っていた。

 重太郎はまず、彼らと立ち合ってみろという。

「若先生、いいんですか……?」

 龍馬と立ち合えと言われた門弟たちは、不安そうな顔で重太郎を振り返る。

 なにせ今日入ってきたばかりの相手に本気で当たれといわれ、それはさすがに可哀想と思ったようだ。しかも龍馬はまだ、北辰一刀流がどんなものか知らない。

「ああ。いつも通りにやってくれ」

 重太郎は両腕を組んで、笑顔で指示をする。

「では参る」

「よろしゅう頼むがよ」

 表情を引き締めた相手に対し、龍馬は笑顔で竹刀を構えた。 


                  ◆


「次!」

 桶町千葉道場――、千葉重太郎は、ぽかんと口を開けていた。

 門弟が次々に、龍馬に倒されていくのだ。

 稽古を疎かにしていたわけではないだろうが、今日来たばかりの相手にやられるとは実に情けない。

 

  ――父上が留守で、良かったな……。

 

 道場主・千葉定吉は、神田於玉ヶ池の玄武館まで出かけていた。

 叔父・千葉周作は、北辰一刀流の祖である。

 もともと玄武館は日本橋品川町にあったそうだが、のちに神田於玉ヶ池へ移転。入門者はまたたく間に膨れ上がり、日本最大の剣術流派となったという。

 北辰一刀流が求める剣について、叔父・千葉周作は端的な言葉で表現している。

 

 ――それ剣は瞬息、心・気・力の一致。

 

 つまり、瞬きや呼吸をするわずかな時間内に、どれだけ太刀の速度を上げられるかが強さの基準であり、そのためには心と技と力を完全に一致させなければならないという教えである。

 それなのに、門弟たちときたら。

 これが道場破りなら、看板を持っていかれる始末だが。

 そんなときだった。

「兄上」

そう呼んでくる声に、重太郎は「助かった」と思った。

 

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