よみ人しらず

ヤマシタ アキヒロ

退屈な日々


 

退屈な日々  


 僕は、僕の生まれた時代がきらいだ。

 もし僕が、どこか別の時代、別の場所に生まれていたとしたら、もっと僕らしい、やり甲斐のある人生を送れていたであろう。

 たとえそれが、今より貧しい時代、不平等な時代、あるいはいっそ戦乱の時代であったとしても―――

 目覚まし時計は鳴らない。今日は土よう日。学校は休みだ。期末試験はきのう終わった。

 もう少しベッドの中でだらだらと過ごしていてもよかったが、なぜかいつもとあまり変わらない時刻に目が覚めてしまった。

 最近、朝起きるのがおっくうだ。また変わりばえのしない一日が始まる―――そう思うとうんざりする。なぜ僕は、平成の日本などという、下らない時代に生まれて来たのだろう。

 今日は昼からバイトだ。予定はそれだけ。他になにもない。

 階下で何か話し声がする。朝から来客だろうか。

 もうこれ以上、夢の世界へ戻れないことを悟った僕は、意を決して起き上がることにした。ベッドの上でジーンズとパーカーに着替える。

 僕の部屋は三階にある。二階が家族の居間で、一階はそば屋だ。僕の両親はそば屋を営んでいる。

 階段を降りる途中、こんな会話が聞こえて来た。

「ふーむ。そう来たか。なるほど。その手があったか。ならば……パチリ。これでどうだ」

「あはは。引っかかった、引っかかった。そう来ると思った。そう来たところで、ここへ……パチリ。王手飛車取り」

「あっ、ちょ、ちょっと待った」

「待ったなし」

「ちくしょう、やられた。一杯食わされた。……では、そっちがその気なら……」

 どうやら、父が誰かと将棋をさしているようだ。

 相手は酒屋のジュンペイさんだろうか。ジュンペイさんは若いのに、なぜか父とよく気が合う。二人とも変わり者だ。

 それにしても、こんな早い時間から将棋とはお気楽なもんだ。お店の準備は終わったのだろうか。

 僕が二階へ顔を出すと、意外にもそこにいたのは、作務衣さむえを来た父が一人だけであった。辺りには誰もいない。一人で将棋盤とにらめっこして奇声を上げている。

「どうしたの?なにやってるの」

 僕はあきれ顔で訊いた。

「これか。これは一人将棋だ」

 父は腕組みをし、うつむいたままそう答えると、何かをひらめいたのか、こぶしをポンと打って、いそいそと反対側の席へ移動を始めた。見ると、あっちへ座ったり、こっちへ戻ったり忙しい。

「これで参ったか」―――

 父は芝居っ気たっぷりに、一人二役をこなしているのであった。いやはや、なんとも馬鹿ばかしい。

 子供のころはこんな父でも、それなりに偉大に見えたものだが、僕の背が彼と同じくらいになり、父が一人の等身大の人間として見えるようになった今、だんだんそのしらじらしさだけが目につくようになった。悲しいけれど。

 僕はあまり相手にしないようにしながら、さらに一階へと階段を降りた。

 まだ薄暗い、開店前の店内を通って、表に新聞を取りに行くのが僕の役目だ。

 その前に、厨房の大きな冷蔵庫を開け、だし巻き玉子を一つつまんでパクリと口に入れる。うしろを振り返ると、大鍋からは湯気が上がっている。

 厨房には誰もいなかったが、もうすでに準備は出来ているようだ。いつもそこにいるはずの母の姿はなかった。

 客席の椅子はすべてテーブルの上にひっくり返されている。すべて、と言っても、テーブルが三つに、壁沿いのカウンターがあるだけの、小ぢんまりとした店だ。『年越しそば予約受付中』のポスターがぼんやりと見える。ちなみに正面に掛けられた額縁の油絵は、母がいたものだ。母は美大を出ていて、いまでも気が向いたときに、絵を描いてお店の壁にかざる。今回の絵はなんだか抽象的な、林の木々をかきなぐったような絵だが、訪れる客は口々に「……あ、がしら公園ですね」と言う。噴水も橋桁はしげたも何も描いていないのに、雰囲気だけで井の頭公園と分かる不思議な絵だ。

 玄関にはまだ暖簾のれんが内側にかかっていて、うら返しの文字で「そば処すずめ」と読める。暖簾をくぐってカギをあけ、表へ出た。

 十二月とはいえ、朝の日差しはまぶしかった。

「そば処すずめ」は、さくら通り商店街にある。

 さくら通りは三鷹駅南口を出て、整然とした繁華な路地を、なぜか一本だけ斜めに貫いて走るバス通りだ。駅前こそにぎやかだが、僕の家はそこから少し外れた、住宅街にさしかかった辺りにある。

 さすがに冬の風はつめたく、僕はパーカーのえりをすぼめて、新聞受けから新聞を抜き取ると、すぐさま店内に戻った。

 手にした新聞は、一般誌とスポーツ誌の二誌である。来客用に二誌を取っている。

 階段を上りながら、なにげなく一般誌の見出しを見ると、写真付きの大きな記事で「バラク・オバマ氏当選確実」とあった。社会問題にうとい僕でも、今回の大統領選の眼目の一つが、初の黒人大統領誕生なるかどうかにあることは知っていた。しかし、さしたる感慨もなく、またそのまま階段を上った。

 二階では父が、こんどは腕立て伏せをしていた。

「母さんは?」

 母が見当たらないことを不審に思い、僕は訊いた。

「旅行に……出かけたぞ」

 父は別に珍しくもないという風に答えた。母はときどき、思いついたようにふらりと旅に出かけることがある。父に劣らず、気まぐれな人だ。そば屋にとって、十二月はかき入れ時だと言うのに。

「どこへ?」

「飛騨高山だとか言ってたな。なんでも、コンビニのない場所を探すのが目的だそうだ」

 母は独特の美意識を持っていて、今日こんにちの日本の軽佻浮薄けいちょうふはくな文化におおむね批判的だ。自分はどちらかと言えば浪費家のくせに、である。

「お前の朝ごはんは作ってあるそうだ」

 見ると、ダイニングテーブルの上に、目玉焼きや味噌汁やおひたしなど、一人分の食事が用意してある。家族の食事は、母が作る。お店の品書きにくらべ、あきらかに地味で質素な献立だ。

 その横に置き手紙があるので、開いてみると、

―――期末試験ごくろうさま。もうすぐクリスマスね。思い立ったが吉日。お金はお墓まで持っていけません。どう使うかが大事よ。命短し、恋せよ乙女。あした帰ります。探さないで下さい―――

とあり、ハートマークまで添えられていた。やれやれ。

「ついでにこれを、清乃きよのさんに持って行ってくれ」

 父はトレーにのせた焼き立てのパンを僕に渡した。清乃さんというのは僕の祖母のことで、父にとっては母親にあたるが、父はなぜか自分の母親を「清乃さん」と名前で呼ぶ。祖母は朝はパン食と決まっている。

 ダイニングの奥の和室には、いつのまにか祖母が、ちょこんと正座して野菜を切り揃えていた。僕はトレーといっしょに、二つの新聞のうち、スポーツ誌の方を祖母のもとへ運んだ。

「お祖母ばあちゃん。はい、これ」

 祖母は少し耳が遠く、僕はつとめて大きな声で言った。

「おお、ぼんちゃん。ありがとう。だいぶ寒くなったね」

 トレーを置く僕の手を、祖母はからかうように自分の両手で包んだ。しわくちゃの祖母の手は氷のように冷たかった。祖母が整えている野菜は、禅林寺の近くの畑から朝採って来たものだ。祖母はお店で使う薬味などの、ちょっとした野菜を自家栽培することで、わずかに稼業に役立つのを喜びとしている。僕も子供のころは祖母といっしょに出かけて行って、畑仕事をよく手伝ったものだ。

 いい香りのするパンにバターを塗りながら、祖母はスポーツ誌の一面をのぞき、

「ことしの駅伝は青学が強そうだね」

つぶやく。

 祖母はスポーツ全般が好きだ。

 若者たちの真剣な姿や、その純朴な目を見ていると、なんだかこっちまで元気になる、のだそうだ。

「ジュンボク」と発音するとき、祖母はゆっくりとした口調で「ク」の部分を高く言う。広島地方のイントネーションだ。

 僕はテーブルに着いて、自分のご飯を掻き込んだ。

 目玉焼きをご飯の上にのせ、海苔と醤油をまぶして乱雑に食う。結局これがいちばん美味い。

 そして三分で食事をすませ、また自分の部屋へ上がった。

 カーテンを開けると、民家の立ち並ぶ冬空のむこうに、禅林寺の瓦屋根が見える。十七年間、見なれた風景だ。

 僕は土曜日と日曜日に、コンビニでバイトをしている。ローンで買ったマーチンのギターの返済のためだ。

 エリック・クラプトンがアンプラグドで弾いていたギターがどうしても欲しくなり、三十万で手に入れた。秋に部活を辞め、バイトを始めてまだ四ヶ月。ローンはほぼそっくり残っている。

 朝日を浴びた木目調のギターが窓の下で神々しく輝いた。僕は久しぶりにそれを手に取り(テスト期間中は努めて触らないようにしていたのだ)、ベッドに腰かけてコードを鳴らした。なんともきらびやかな音が響いた。

 バイトの時間までまだ間があるので、僕は最近練習している「ウォーキング・ブルース」を弾いた。これもクラプトンのコピーである。元々はロバート・ジョンソンという古いブルースマンの書いた曲だが、ボトルネックという道具を小指にはめ、弦の上をすべらせるように弾く特殊な奏法を用いる。

 ボトルネック奏法を少々説明すると―――

 ギターという楽器は、そもそも、左手でフレットを押さえ、右手で弦をはじいて音を出すのだが、フレットのどの部分を押さえるかによって、音の高さが変わる。弦を長く押さえれば音は低くなり、短く押さえれば高くなる。ところが、指でフレットを押さえなくても音の高さを変える方法がある。

 それは、ガラスや金属質のものを弦に軽く押し当てることで、フレットの代わりにするものである。このやり方だと、弦が半音ずつに区切られていないので、音をスウッとなめらかに変化させることが出来る。そして、この連続した音の変化が、ブルース特有の哀感ややるせなさを表現するのに適しているのだ。別名スライド奏法ともいう。

 初期のブルースマンたちは、酒瓶の口を切り取って指にめたり、ありあわせのナイフで代用したりして、この独特の響きを産みだした。僕はそんな光景を想像するだけでも、胸が熱くなる。

 もちろん、僕の腕前では、とても彼らのように、アメリカ南部の空の色や、大地を走る列車の音を、眼前に浮かばせるには程遠いけれども。

 久しぶりに腕に抱えたギターは、はじめのうちは少し冷たく、弦は固く感じられた。が、だんだん弾いていくうちに感覚を取り戻し、ボディーは温かく、弦はやわらかくなって来た。僕は同じフレーズを何度も練習した。

 そして十一時十五分前になったので、練習を打ち切り、バイトに行く準備をした。コンビニは駅の裏手にあり、歩いて五分くらいである。まだ余裕がある。

 ところが、ジャケットを羽織り、二階でトイレを済ませ、ポケットに財布を入れようとしたところで、ふと、財布がないことに気付いた。

 あれ……?

 とくに使う予定はないのだが、やはりないと不安である。

 僕はきのうの自分の行動を思い出そうとした。

 学校から帰って、自分の部屋へ行く前に、いつも二階の居間でくつろぎ、お菓子など食べる癖がある。カバンもそこら辺に放り出す。カバンはソファーの横にあった。しかし財布がない。

 となりでは父が新聞を読んでいる。ページを全部バラバラにして、大きく床に広げて読むのが父のやり方だ。

「なにを探してるんだ?」

「父さん、僕の財布知らない?きのうこの辺に置いたはずなんだけど……」

 僕はあちこち裏返したり、ひっくり返したりしながら、すこしあせった口調で父に訊いた。

「サイフ?」

 父は広げていた新聞を一枚一枚きれいに重ね、もとどおりの折り目をつけてテーブルの上に置いた。こういうところはとても几帳面だ。

「サイフというのは、お金を入れるアレか」

 それ以外に何があると言うのだ―――僕はイライラしながら答えた。

「そうだよ。黒い皮製のやつ。定期も入ってる……」

 父はだまって僕の様子を眺めている。

「それはこの部屋の中なのか」

「うん、たぶん。上には持ってってないから」

 テーブルの下やソファーのすき間、戸棚のうら側まで見たが、やっぱりない。おかしいな。

「……なるほど。財布は確実のこの部屋の中にある。しかしお前はまだそれを見つけていない。この状況は、何かに似ているな―――そうだ、古代の遺跡発掘だ。この地球上には、まだ発見されていない貴重なお宝がゴマンと眠っている。見方によっては、それをこれから発見する喜びを、われわれは与えられている訳だ。そう考えると、じつにワクワクするではないか」

 父は訳の分からないことをゴチャゴチャと呟きながら、いっこうに手伝おうとしない。邪魔な場所に仁王立ちになっている。

「……しかもそれは、物質的なものに限らず、ものごとの本質といった精神的なものをも含む。地球上に確実に存在する。しかしまだ認知されていないだけ。あるいは、もう視界に入っているかもしれない。しかし、われわれの意識がそれを見ることをこばむ。先入観が邪魔をする。この部屋の中に、財布はたしかに存在する。しかしまだ見えていない―――幸いなるかな、財布をさがす我が息子よ。その可能性にみちた未来よ!」

 父はまるでギリシャ悲劇の演者のように、大げさに身ぶり手ぶりを加える。

 ―――いいから手伝ってよ!

 僕は腹立ちまぎれに、カーテンを乱暴にめくる。

「……しかしその風景に、あるとき変化がおとずれる。真理が発見されるときだ。いままで見えていなかったものが、ある瞬間、雷に打たれたように、目に飛び込んでくる。―――あ、あった!こんなところにあった。こんな近くにあったのに、見当ちがいな場所ばかり探していた自分の、なんと愚かだったことか!」

 うるさいな!何のつもりなんだ!人のことジロジロ観察ばかりして、自分は何にもしないクセに、口ばっかりの、場所ふさぎの……

 あ、あった。

 テレビの上にふつうにあった。

 よかった―――

 さっきから、黒いリモコンだとばかり思ってた。

 しかしながら、父のばかばかしい予言どおりになったことが、すこし腹立たしい。

 僕は見つかった財布をでながら、ポケットにしまった。

 父は、財布が見つかったことにはあまり興味がないらしく、さらに一人で演技をつづける。

「……そして発見された真理は、この世界に新たな光を投げかける。しかし、その新しい風景は、一見、いままでとあまり違いがないように見える。なぜなら、真理は外界からもたらされたものではなく、すでにそこにあったものだからだ。元々そこにあったからこそ、発見される前と後で、何の矛盾も生じないのだ。むしろそれが、真理が本物である証拠だ。少しずつ、しかし確実に、真理は世界を動かしてゆく。とくに変化が大きいのは、われわれのにおいてだ―――どうだ、息子よ。新しい真理を手にした気分は?」

「四百円ぐらいの価値しかなかったよ」

 僕は財布の中身を覗いて、そっけなく答える。

 まあ、とにかく、財布が見つかってよかった。

「……ところで、若者よ。お前はなかなか見どころがあるぞ」

 父はさらに、またヘンなことを言い出した。

「古来、ものを考える人間は忘れものが多かった。それだけ思索に没頭しているからだ。父さんもこれまで、いろんなものを失くしてきた。物心両面においてな。少なくともお前が、人間だということが判った。その調子、その調子―――」

 僕は、忘れものをして褒められるという、珍しい体験をした。

 ともあれ、こんな父につき合っているとバイトに遅れるので、僕はそそくさと階段を下りて先を急いだ。

 一階の店内では、いつの間にか祖母が一人、布巾ふきんでテーブルを拭いて開店の準備をしていた。

「行ってらっしゃい、ぼんちゃん。マフラーはいいのかい?」

「大丈夫だよ。すぐそこだから……」

 僕はろくに後ろも見ずに「そば処すずめ」の玄関を出た。

 さくら通りを歩いて駅の方へ向かう。

 通りの両側には、ささやかなクリスマスの装飾がほどこされている。時節柄、活気ある商店街を演出するのに、町内会もガンバっているようだ。

 漢方薬のお店や図書館や喫茶店を過ぎて、僕は馴染みの駄菓子屋の前を通りかかった。

 ふと、白いエプロン姿のおばちゃんが僕に声をかけた。

「おっ、ぼんちゃん。これからバイトかい?それにしても、大きくなったねえ」

 おばちゃんは僕の靴の先から頭のてっぺんまで、ゆっくりと眺め回した。

 子供のころは、彼女のエプロンがちょうど僕の顔の辺りに来て、とてつもなく大きく見えたものだが、今では僕の方が大きく、コロコロと愛らしい感じになっていた。

「行ってきます……」

 僕は苦笑しながら答えた。

 僕はみんなに「ボン」、もしくは「ぼんちゃん」と呼ばれている。

 もちろんアダ名である。

 その由来はこうだ。

 小学校低学年のころ、みんなで近くの公園で遊んでいるとき、友だちの一人が連れて来たヨチヨチ歩きの弟に、僕がシャボン玉の吹き方を教えたことがある。(この駄菓子屋で買ったものだ!)弟くんはその体験がむしょうに楽しかったらしく、それから僕に会うたびに「ボンチャ、ボンチャ」と言ってまとわりつくようになった。「シャボン玉、もう一回やって」と。それを誰かが「ぼんちゃん」と呼びかえて僕のアダ名にした。つまり、最初は「シャボン玉」のことだったのである。

 以来、僕を知っている誰かが必ず僕のことを「ぼんちゃん」と呼ぶので、中学でも高校でも、どこへ行っても、ずっと「ぼんちゃん」である。祖母までが面白がってそう呼ぶ。

 ちょっと人を馬鹿にしたような響きが気にならないこともないが、しかし、地味で目立たない僕の性格のわりに、なぜか不思議と、みんなに存在を覚えてもらうのが早いのは、このアダ名のおかげだと、僕はひそかにこの弟くんに感謝している。

 ちなみに彼がお礼にくれた緑色のビー玉を、僕はいまだに机の引き出しに大切にしまっている。そして、ときどきそれを取り出し、その小さな宇宙を覗いては、あの頃のことをなつかしく思い出す。

 そうこうするうち、通行人はしだいに増え、駅前に近づいて来た。パチンコ屋の角を曲がった裏手がコンビニである。

 さむざむと落葉した並木の横に、黄色い看板が見えた。イメージカラーは黄色、その名も『ラッキーマート』だ。

 僕は自動ドアをくぐって店内へ入った。来客を告げるチャイムが鳴った。

 レジには大学生の小林さんがいた。僕に仕事を教えてくれた人である。ニキビ面の男子学生だが、とくにニキビを気にしている様子もない。

「おはようございます」

 僕が挨拶すると、彼はおはようございます、と表情を変えずに言った。小林さんは、よくも悪くも「常識的」な人である。しかし僕は、決してこの人がキライではない。車の免許を取るために教習所に通っていて、バイトもその資金稼ぎだと言う。群馬県の出身で、他にもいろんな資格の取得を目指して勉強している。下宿先の家賃も自分で払っているそうだ。「エライですね」と言うと、少し照れた顔になり、「そうでもないよ。スタンプラリーのスタンプを集めてるようなもんさ」と自嘲じちょうした。なるほど、うまいことを言う。以来、僕は心の中で彼のことを「スタンプラリー君」と呼んでいる。

 スタンプラリー君はチキンをトングではさみ、手早く紙に包んだ。店内はいつもより少し混んでいる。

 バックヤードへ行くと、店長と出入りの配送業者さんが何か立ち話をしていた。と言うより、業者が帽子を取って申し訳なさそうに何かをびている。

「こっちから電話しなければ、もっと遅れてたのか?」

 店長はずんぐりした体をのけぞらせて、語気を強める。

 どうやら、納品が遅れたことに店長が腹を立て、叱言こごとを言っているようであった。

 僕はこの店長がキライだ。

 立場の弱い人間には高圧的な態度を取り、逆にエライ上司などにはペコペコする。バイトの僕らもよく些細なことで怒られる。かと思うと、店内ではお客さんに対し、あきれるくらい愛想がよい。「おっしゃる通りで……」「なるほど、なるほど……」が口グセだ。「あのですね」と言うときのイントネーションが、九州出身のなまりだそうだ。

 業者さんが肩を落として帰って行くと、店長はケロッとした顔でふり返り、「おう、佐倉か。今日はいそがしいぞ」と言った。

 朝礼をするために、先に立って事務所へ向かう。刈り上げのうしろ頭がニクニクしい。

 僕はハッピに着替え、店長の前に立った。

「先週からクリスマス商戦に入っている。お前たちの仕事は、なるだけ多くのラキチキを売ることだ。売り方は小林に教えてもらえ」

 ラキチキというのは、ラッキーマート・オリジナルのフライドチキンのことだ。試しに食べさせてもらったが、醤油のかくし味が効いてなかなかウマい。

「それでは唱和からいくぞ」

 僕と店長は壁に貼られた社訓を見上げ、声をそろえて読み上げた。「三つのモットー」と呼ばれる、社長が思いつきで考えたような社訓だ。

 ラッキーマート・フランチャイズは、関東を中心に勢力をのばしつつある中堅のコンビニ・チェーンである。出店・退店にともなう社員の異動も激しく、数字にシビアな分、ブラックな面も多い。

 売上目標が伝えられ、新しいクーポンについての説明を受け、これで終わりかと思いきや、もう一つバカバカしい唱和が待っている。「接客五原則」という、小学生の心得のような訓示である。「三つの」とか「五つの」とか、せめてどれか一つにしぼって欲しいものだ。店長が先に唱え、僕があとに続く。

「ではいくぞ。接客五原則。まずは『はい』」

「まずは『はい』」

「すなおに『ありがとう』」

「すなおに『ありがとう』」

「言い訳よりも『すみません』」

「言い訳よりも『すみません』」

「言われる前に『よろこんで』」

「言われる前に『よろこんで』」

「笑顔が笑顔を呼ぶ(ニコッ!)」

「笑顔が笑顔を呼ぶ(ニコッ!)」

 この最後の(ニコッ!)というのは、実際にその場で笑顔を浮かべるのだが、僕はこれがどうも苦手だ。なんだか引きつったような顔になってしまう。それに比べて、店長は作り笑いがとても上手だ。

 朝礼はこれで終わりである。

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 僕はドアを開け、明るい店内に出た。

 はじめはレジの担当なので、小林さんと交代である。

 小林さんはラキチキの売り方を簡潔に教えてくれる。

「……まるで何かのついでのように、アツアツのラキチキはいかがですか、いまなら三十円引きです、と言うだけだよ。アツアツの、を必ずつけた方がいい。頭の中にイメージさせるからね。それから、思い込みで判断しないこと。この人は買うはずがない、って人が意外と買ったりする……」

 スタンプラリー君は短い言葉で、要点を説明するのが上手い。だてにいろんなスタンプを集めていない。

「やってみます……」

 僕は少し緊張しながら答えた。

 とは言え、物を売ることなんか、そもそも好きではないし、得意でもない。とくに社交的でもない僕が、なぜこんなバイトを選んだのだろうかと、たまに後悔したりもするが、それでも頭にマーチンのギターを浮かべ、僕はがんばろうと思い直す。

 まず口の中で練習してみた。

 アツアツのラキチキはいかがですか、いまなら三十円引きです。アツアツの、ラキチキはいかがですか……

 と、そこへ、地味な色のセーターを着たお爺さんが買い物に来た。

 僕はさっそく、お爺さんに向かって声を発した。

「アツアツのラキチキはいかがですか、いまなら三十円引きです……」

 冷食のコーナーへ向かっていたお爺さんは、何か話しかけられたのに気づいたようだったが、耳が遠く、えっ、という顔でこちらを向いた。

 僕はさっきより声のボリュームを上げ、もう一度くり返した。

「アツアツの、ラッキーチキンはいかがですか!いまなら、三十円引きです!」

 お爺さんはやっと意味が分かったらしく、笑顔を浮かべながら、いらない、いらない、と手を横に振った。

 僕は大きな声を出したことで緊張がほぐれ、おかげで少し度胸がわった。もちろん、いきなり売れる訳はないことは分かっていたが、ひとまず自信にはなった。

 ところが、僕の大きな声が遠くで聞こえていたのか、別のお客さんがレジに来て、買い物ついでにラキチキを一コ注文した。

「ありがとうございます!」

 僕は思わぬ魚が釣れたことで、興奮のあまり手が震え、トングを落としそうになった。紙に包まれたチキンはアツアツだった。

「またお待ちしております!」

 ふだんは言わないそんなセリフまで、うれしさのあまり口をついて出た。

 売れるときは、こんなものであろう。

 スタンプラリー君が品出しをしながら、僕の方を見て「OK」のジェスチャーをした。

 こんな感じで、僕はしばらく、ラキチキを売ることに専念した。

「アツアツのラキチキはいかがですかぁ。いまなら三十円引きでーす!」

 僕の声には張りが出て、セリフもこなれてきた。行き交うお客さんの背中に浴びせるように、僕は朗々と声を上げた。

 ところが、僕のやり方に落ち度はないはずなのに、初めの一コ以来、なかなかラキチキは売れない。お客さんはまるっきり関心がない、という顔であっさり通り過ぎる。

 どうしたのだろう。早くもスランプか。追えば逃げるという、あのシビアな法則か。あるいは知らず知らずのうちに、下心が顔に出ているのであろうか。

 僕はあれこれ考えながら、それでも懸命に呼び掛けをつづけた。しかしそのうち、何だかむなしい気分になり、言葉に力が入らなくなって来た。

 そのまま三十分が過ぎ、また四十分が過ぎた。

「ラキチキはいかがですかあ。アツアツのラキチキ~」

 僕の声は、まるで焼きイモ屋のおじさんのように投げやりになった。

 そうこうするうち、お昼時になり、店内がしだいに混み始めた。

 僕は忙しさにかまけ、少しの間ラキチキのことを忘れ、レジ打ちに追われた。

「五百六十円でございます」

 僕は「~になります」という言い方はあやまりだと聞いたことがあるので、なるべく「~でございます」を使うようにしている。ささやかな世の中への抵抗だ。ちなみに店長は何の迷いもなく、になります、を使う。

 工事現場の休憩時間らしい、作業服のおじさんが入って来た。髭づらでちょっとコワそうだ。

 カゴも使わず、いきなり弁当とお茶を手に持って、さっさとレジにやって来る。

「あと、牛肉コロッケ二つ」

 おじさんはホット・ケースをのぞきながら、つけ足しのように言う。

「かしこまりました」

 僕は内心、ラキチキだったらよかったのに、と思いながら、トングを手に取った。

 ところが、僕の無意識の願望がそうさせたのか、まちがってラキチキを二つ、紙に包んでしまった。

「七百八十円でございます」

 そのまま気付かずに、レジを通した。

 おじさんは何も言わずに千円札を台の上に置いた。

 僕はお釣りを渡し、「ありがとうございます」と頭を下げた。

 何かヘンな気がしたが、そのまま次のお客さんを呼ぼうとしたとき、入口付近でおじさんが袋を覗き込み、

「あれっ、なんかちがうぞ……これ、牛肉コロッケ?」

と首をかしげた。

 僕はそのとき、はじめて自分の間違いに気づいた。

「すみません、お取り替えします!……」

 急いでおじさんのところへ行って袋を取り戻そうとしたが、おじさんは待ち列に遠慮したのか、

「いいよ、いいよ。これでいい。ありがとね、にいちゃん……」

と言って笑いながら出て行った。

「す、すみません。ありがとうございます!」

 僕は深々とおじぎをした。

 見かけによらず、いい人でよかった。

「それにしても……」と僕は考えた。

「こんなことなら、もう一つ多く入れときゃよかった……」

 怪我けがの功名とはいえ、とにかく僕は待望の3ポイント目をゲットした。もっとも、どれ一つ、クリーンな得点ではないけれども。

 つづいて、混雑が少しおさまった頃、小さな男の子がトコトコとレジにやって来た。手にはお金を握りしめているようだ。

「ラキチキ、ひとつ、ください!」 

 男の子は覚えて来た台詞せりふを唱えるように、大きな声で言った。

 見ると、売場のかげからお母さんがそっとこちらを見ている。

「はい。ラキチキですね。かしこまりました……」

 僕はわざと大人に接するように丁寧に答え、ラキチキを包んでやった。

 男の子は、自分の目の高さと同じくらいのテーブルを懸命に覗きこみ、やっと手の届いたトレーの上へ、握りしめた五百円玉をポトリと落とした。そしてそれがどうなるか、じっと目で追っている。まるで、ゾウさんがリンゴを食べるかどうか、確かめるように。

 僕はゆっくりとお金を受け取り、お釣りをそろえて、男の子の小さな掌に、落とさないようレシートといっしょに握らせた。

 男の子はうれしそうに目を輝かせ、そのまま振り返ってお母さんの元へ駆けて行った。肝心のラキチキは、テーブルの上に忘れたままで……

 僕はあわてて追いかけて包みを渡した。お母さんがニッコリ笑ってお礼を言った。元の甘えん坊に戻った男の子は、お母さんの腕の中で、指をしゃぶりながらそっぽを向いている。

 ほほえましい光景だ。

 これでまた1ポイントゲット。合計4ポイントだ。

 つぎにやって来たのは、やはり昼休みとおぼしき、制服姿のOLであった。うすいカーディガンを羽織り、寒そうに財布だけ握りしめている。

 OLは気取った様子で店内を見て回る。そして、サンドイッチとカフェオレと絆創膏と酢こんぶをかき集め、レジに来てタバコを注文したあと、ふいに思い出したように、

「あ、それと、ラキチキ一つ……」

と、こちらも見ずに言った。

 僕は彼女がお店に来たときから、レジ横のラキチキに熱い視線を送っていたことに気づいていた。本当はこれが一番欲しかったくせに、素直になれない年頃なのだろうか。僕もなるべく淡々と、事務的に接してあげた。

「ありがとうございます」

 これで1ポイント。合計5ポイントだ。

 お店にはさまざまな人が、次から次へとやって来る。そして、それぞれ目的の品を手にして帰って行く。おそらく、ハッピを着た店員のことなど、風景の一つとしか見ていないのであろう。その分こちらは、まるで透明人間になったように、彼らの本当の姿が見えるようで、なんだか妙に可笑しかった。

 アツアツのラキチキはいかがですかぁ。今なら三十円引きでーす……

 僕はあい変らずそのセリフをくり返したが、もうそれ以上は売れなかった。

 四時を過ぎたころ、店長がつかつかとやって来て、僕に告げた。

「佐倉。ちょっと表で呼び込みをやってくれないか。もっと大々的に盛り上げたいんだ……」

 レジにはまたスタンプラリー君が入った。

 僕はバックヤードへ連れて行かれ、いつのまに用意されていたのか、サンタの服装とトナカイの着ぐるみを見せられた。

「どっちがいい?」

 僕は有無を言わせぬ二択をせまられた。

 どっちもかんべんして欲しかったが、消去法でサンタの方を選んだ。

「準備が出来たら、さっそく頼む……」

 着替えをすますと、店長はさらに、棒のついた立体的なラキチキのプラカードを持ってきた。

「セリフはさっきと同じでいい。元気よくやるんだぞ」

 僕はプラカードを両手に持って表へ出た。レジにいたスタンプラリー君と目が合ったが、彼はとくに表情を変えなかった。

 外は想像以上に寒かった。

 十二月の日没は早く、あたりはすでに真っ暗であった。街路樹を照らす外灯、赤や青に変わる信号、わずかな光明はこの二つである。

 車道はわりと混んでいたが、歩道を歩く人影はまばらであった。

 百円ショップで買って来たようなペラペラのサンタの服は、驚くほど風通しがよく、ほとんど防寒にならなかった。じっとしていると余計寒くなるので、僕は意を決し、片足ずつピョンピョン飛び跳ねながら、信号待ちの人々にアピールすることにした。この際、恥も外聞もない。

「アツアツのラキチキはいかがですかあ……」

 半ばヤケになって叫んだ。

「いまなら三十円引きでーす!」

 しかし、二十一世紀の日本の人々は、自分と関わりのないものに対して耳を塞ぐのがうまい。こんな派手な格好をしているのに、僕はあい変らず孤独な透明人間の気分だった。

 ふと見ると、車道を走るピザ屋のバイクにも、僕と同じようなサンタが乗っていた。

 いま、この東京だけでも、いったい何百人のサンタがいることだろう。しかも、自分の企業のためだけに働く、心の狭いサンタが……

 こんなことなら、トナカイにすればよかった。トナカイならまだ罪が軽い。

「アツアツのラキチキはいかがですかあ。いまなら三十円引きで~す……」

 僕の吐く息は白く、鼻先はしだいに赤く腫れ上がってきた。

 これじゃまるで、サンタの格好をしたトナカイだ。 

 一時間ほどしたころ、夕方から出勤の女性アルバイトの人が近づいて来た。

「お疲れさま……」

「おはようございます」

 彼女は僕の格好を見て少し笑ったが、僕はもうどうでもよくなっていたので、無愛想に返事をした。プラカードを持つ手がふるえた。

 入れ替わりに、スタンプラリー君が仕事を終えて店から出て来た。私服に着替えた彼は、はじめてニッコリと笑った。

「がんばってね。また来週!」

 彼は両手に、田舎から送られて来たらしい深緑ふかみどりのテブクロをはめていた。

 平凡な幸せとは、きっとこういうものなのであろう。

 僕は寒さに耐えながら、一生懸命、与えられた任務の遂行すいこうにつとめた。

「アツアツの……ラキチキは……いかかですかあ……ブルブル」

 どうにも温かそうには見えない、説得力のない呼び込みではあったが、あの店長に泣きごとを言うのはシャクだったので、僕はガンバってつづけた。ふいに背筋に悪寒が走った。

「いまなら……三十円、引き……ハックション!」

 通行人がふり返るほどの大きなクシャミが出た。

 見ると人混みの中に、こんどは僕の代わりに出勤してくる夜のバイトの男性がいた。

「どうしたの?大丈夫?」

 彼は心配そうに駆け寄り、「ちょっと待ってて……」と言って、足早に店内へ入って行った。

 しばらくすると、トナカイの格好に着替えた彼が、店長と一緒に出て来た。

「おお佐倉。よくがんばったな。もう上がっていいぞ」

 店長は、あまり心のこもらないそんな言葉を、ニヤけながら僕に投げた。

 僕は親切なトナカイさんにプラカードを渡し、ようやく店内に戻って一息ついた。やっぱり人間の方がずっといい。

 タイムカードを押して帰る支度したくをする。

「また明日も出勤だったな。よろしく!」

 僕は店長にペコリと頭を下げ、店を出た。

 これでマーチンのギターが少し近づいた、仕事内容はバカバカしいが、それも給料のうちだ、などと考えながら、繁華な駅前をぬけ、さくら通りを自宅の方へ歩いた。しかし、なぜか震えが止まらない。頭も少しふらふらする。

 風邪でも引いたかな……

 僕は鼻水をすすりながら、ジャケットのファスナーを上まで閉めて、首をすくめた。やっぱり祖母の言った通り、マフラーをしてくればよかった。

 駄菓子屋はすでにシャッターを下ろし、いろんな店も軒並のきなみ店じまいを始めている。漢方薬の店だけが煌々こうこうと明かりを灯していた。

 僕は「そば処すずめ」の暖簾をくぐり、店内に入った。

 客席はほぼ満席で、厨房では父と祖母が忙しく立ち働いている。

「ただいま……」

 僕は元気なく言った。

「おお、帰ったか……腹へっただろ。いまメシ作るから、二階で待ってろ……」

 父はまな板の前でそう言ったが、僕の顔を二度見して、異変に気付いたらしく、

「どうした?顔色わるいぞ」

と、包丁を止めた。

 祖母もちらりと僕を見た。

「うん。ちょっと気分が悪いんだ。頭痛がする。のども痛い。……ご飯、いらないよ」

 僕は食欲もなく、とぼとぼと階段を上がった。

「そうか……ちょっと待ってろ」

 父はいそいそと前掛けを外した。

 僕が、いつもそうするように、二階のソファーでダラリとしていると、父が階段を駆け上がって来て言った。手には小さなお盆を持っている。

「これを飲め、だとさ。あのオヤジの言うことは、まずまちがいない……」

 見ると、お盆の上には、漢方薬局で買って来たらしい、三角の紙に包まれた薬がのっていた。銀翹散、と書かれている。何と読むかは分からない。

 僕は大人しくそれを飲んだ。おそろしくマズい。

「それから、栄養をつけてやれ、ってんで、ほれ、無理してでも、こいつを腹に入れておけ……うまいぞ」

 お盆にのっていたもう一つの器には、湯気の立つアツアツのおかゆが入っていた。

 父はそれだけ言うと、また急いで階段を下りて行った。

 僕はテーブルに置かれたおかゆをまじまじと眺めた。あまり食べる気がしなかったが、試みに、立ちのぼる湯気の匂いを嗅いでみると、どうやらホタテのダシが効いているようだ。

 少し食欲がそそられ、スプーンで一口すくって食べてみた。

 ―――美味びみだ……

 ホタテ味のうしろに、なんだろう、スルメや昆布の味も隠れていて、まるで旧友が次から次へと訪ねて来て励ましてくれているようだ。

 僕はもう一口食べてみた。

 塩加減も絶妙だ。塩はお店に出している「粟国あぐにの塩」を使っていて、深みがあるのにクセがないその味わいは、いくら食べても飽きがこない。

 僕はあっと言う間に一皿ぜんぶ平らげてしまった。

 そして、一旦食欲を呼び覚まされた胃袋はそれでも飽き足らずに、僕はふらつく足どりで階段を下りて、空の器を父に見せた。

「おかわり、ある?」

 天麩羅の盛りつけをしていた父は、ニヤリとして手を休め、「待ってろ」と言って鍋に残っていたおかゆを手際よく器についでくれた。

「そう言うと思って、多めに作っといた……」

 父の表情は、まるでヒットを打ったあとのイチローのような、さも当然という職人の顔をしていた。

 父は何をかくそう、料理の達人なのだ。

 お店で出すそばも、もちろん、うまい。贔屓ひいき目でなく。

 ふだんバカなことばかりやっている、あんな父のでるそばなんか、ふつうに考えればうまい筈はないのだが、これが絶品にうまいのだ。わざわざ遠くから電車に乗って食べに来るお客もいると言う。僕の友達も「そば処すずめ」の名前はそれとなく知っていた。

 ちなみにお店の一番人気は「竜のひげ定食」という一品だ。

 基本は天そば定食なのだが、油で揚げた春雨はるさめを竜の髭に見立てて天麩羅と一緒に盛り付け、あたかも龍の頭のように見せるという趣向だ。見栄みばえのよさと楽しさを味に添えるこのアイデアは、もともと母のものであるらしい。うずらの玉子を目玉に使い、ヤングコーンを逆さにして牙をすという凝りようだ。

 そして、厨房に立つときの父の動きは、テキパキとして無駄がない。まさに、水を得た魚のようである。

 もっと順序立てて話すと、こういう成り行きだ。

 父は初めからそば屋になりたかった訳ではなく、どうやら若い頃は「文学」を志していたらしい。

 大学を出て、しばらくは定職に就かず、同人誌などを刊行して活動していたが、資金面でうまくいかず、けっきょく最後は、挿絵を担当している母と二人きりになった。そしてまもなく、いわゆる人生上の「挫折」を経験した。

 それから、心ならずも父の父、つまり僕の祖父が営んでいた「佐倉不動産」のあとを継ぐことになる。この家の一階は、以前は不動産屋だったのである。

 そして母と結婚し、僕が生まれた。祖父は、僕が生まれて一年後に死んだ。僕を抱っこしている写真が残っているが、僕は祖父の記憶がまったくない。

 しかしあるとき、一念発起して「不動産屋」を廃業し、「そば屋」に転身するのだが、それにはちょっとしたいきさつがある。

 それを語るには、まず僕が雀を拾ったエピソードから説き起こさなければならない。僕はおかゆをすすりながら、当時のことを思い出した。

 あれは確か、小学校二年生のときだったと思う。そのころ僕は、毎朝、祖母と二人で禅林寺の近くまで歩いて行って、畑仕事を手伝うのが日課であった。手伝う、と言ってもただ邪魔をしていただけであるが、祖母の方も、小さなおともがいることを案外楽しんでいるようであった。

 ある秋の日、ささやかな収穫を終え、八幡はちまん神社に詣でた帰り道、僕はたわわに実った柿の木を見上げ、祖母に言った。

「柿、食べてみたい……」

 小柄な祖母は笑いながら「ばあちゃんにも届かんよ」と言った。

「あの落ちてるやつは?」

「落ちたやつは熟しすぎて食べられんよ」

 なるほどしゃがんで見ると、熟した柿はすでに腐臭を放っていた。

 仕方なく帰ろうとしたそのとき、ふと柿の木の根元に、巣から落ちたのであろうか、小さな鳥のヒナがうごめいているのを発見した。

「おばあちゃん!」

 僕は祖母を呼び寄せ、おっかなびっくり、その赤裸あかはだかの生き物を凝視した。

「スズメのヒナじゃろかね……」

 祖母が浅黒い指先をヒナのくちばしに近づけると、ヒナは小さく口を開けた。

 僕もマネをして嘴をさわり、やがて少しずつ大胆になって、両手でそっと包むように、ヒナを地面からすくい上げた。

 僕の手の中で、小さな生き物はかすかに震えた。

 あたりを見回しても、親鳥の姿はない。

 親はどこへ行ったのだろう、小さな子供を残して―――ひょっとすると外敵からヒナを守るために、身を挺して戦い、亡き者となったか。あるいはただ、育児放棄をしただけか。

 どんな経緯があるにしろ、いま僕の手の中に、無力で死にそうなヒナがいることだけは確かだ。僕はそのことに、ある運命的な何かを感じた。

「もってかえって、育てる!」

 あと先考えず、そう宣言した。

 あるいは反対されるかもしれない、と内心不安もあったが、祖母は、そうじゃねえ……と言いながら、

「じつはばあちゃんも、子供のころ、危ないところをスズメさんに助けられた夢を見たことがあるんよ。ちょうど、ぼんちゃんと同じくらいの年じゃったかねえ……」

と、遠い目をした。

 僕は、祖母にも子供時代があったのだと、それはそれで不思議な気がしたが、祖母は見るにするすると頭から手拭てぬぐいを外し、ヒナをそこに乗せるよう僕に促した。

「いっちょうお世話させてもらうかね……」

 祖母と僕は、それぞれの手にヒナと野菜を大切に抱えて家に帰った。

―――今にして思えば、野生動物を保護して飼育することは「条例違反」ということになるが、当時、僕も祖母もそんなことはつゆ知らなかった。すでに時効だと思うので、正直なところを話している―――二杯目のおかゆを食べ終えた僕は、ごちそうさま、と階下に向かって叫び、自分の部屋へ上がった。まだ少しふらふらする。

 それからというもの、僕が学校へ行っている間、祖母はいろいろ工夫をして、甲斐々々しくヒナの世話を焼いた。いまは使っていない昆虫飼育用のプラスチックケースに、細かく切った紙くずを敷きつめ、保温のためにケースの片側にだけカイロを当てた。(片側だけというのは、ヒナが自分で好きな温度の場所を選べるように、という心遣いである。)

 自分で育てる、とは言ったものの、僕にはそうした配慮や知恵はなく、大事なお世話はほとんど祖母まかせであった。

 エサは粟玉あわだまを買って来て水でふやかし、四十度くらいに温めて、スポイトで与える。その際、充分に水分も含ませる。

 はじめのうち、ヒナは口を開けはするが、なかなかエサを飲み込もうとしなかった。祖母はエサの柔らかさや温度、水加減を微妙に変えたりして、根気よく試みをつづけた。

 学校から帰ると、僕はすぐにランドセルを放り出し、ヒナのケースに駆け寄って中を覗き込んだ。

「やっと食べんさったよ」

 祖母がそう言ってニッコリしたときには、飛び上がるほどうれしかった。

 ヒナは幸いにして、一日、二日と生き延びた。

 それがオスなのかメスなのか、そもそも雀なのかも分からないまま、僕は勝手に「チュン太」と命名し、可愛がった。

 チュン太は祖母の手から、たびたび元気にエサを食べるようになった。まだ羽の生えていない翼を前後に動かし、いかにも飛んでいるつもりらしかった。

 僕が祖母からスポイトを受け取り、おそるおそるエサをあげると、やはり同じようにそれを食べた。

 僕は得意になってエサをあげた。そしてそのことを学校でみんなにも話した。夜中にとつぜん飛び起きて、チュン太の様子を見に行ったりもした。

 チュン太の目の右上には、まるで平安貴族の眉のような、丸くて白い、可愛らしい斑点があった。まぶたはまだ閉じられていた。

「チュン太。いっぱい食べて、早く大きくなれよ」

 僕は話しかけながら、いつくしむように、またエサをあげた。

 祖母はそんな僕とチュン太を交互に眺めて、目を細めていた。

 チュン太は肌の色つやもよくなり、ケースの中をしきりに移動するようになった。

「いつか空も飛べるんだね……」

 僕がうらやましそうに言うと、チュン太はまるで返事でもするように「チイ」と鳴き、見えているのか見えていないのか分からないような目で、僕を見たような気がした。

 ところが、十日ほどたったある日、僕が帰宅すると、祖母が沈んだ表情で「ぼんちゃん……」と言った。

 僕はいやな予感がして、そっとケースの中を覗くと、チュン太はひと回り小さくなって、しずかに死んでいた。

 何が起きたか分からず、僕はしばらく言葉を失った。

 指でさわってみても、チュン太の体は固く、じっとして動かなかった。それは「生きもの」ではなく、ただの「物体」であった。

 ようやく僕は、その動かしがたい事実を吞み込んで行った。と同時に、目から大粒の涙がボロボロとこぼれた。

 祖母は僕の背中をしっかりと抱きしめ、しゃくり上げる僕を無言でなぐさめた。

 僕はそのとき、生命には「死」があることを、生まれて初めて実感した。

 その言いようのない喪失感、胸がしめつけられるような絶望感は、しばらく僕を打ちのめした。二、三日、ご飯がのどを通らなかった。

 なかなか立ち直れない僕に、祖母はふたたび声をかけた。

「ぼんちゃん……チュン太はきっと、天国でぼんちゃんに感謝してるよ。短い間だったけど、ありがとう、って、言ってるよ……」

 僕はテーブルで箸を動かしながら、また新たな涙を流した。

 そんな僕の一部始終を、父と母は、柱の陰からそっと観察していたらしい。

 とくに父の方は、僕の喜びを喜びとし、悲しみをまるで自分の悲しみのように、ひそかに共有していたことを、あとで母から聞いた。この辺りも、父の意外な一面であるが。

 そして、どういうつながりでそうなるのか、因果関係はよく分からないが、思うところあって、父は不動産業をきっぱりと辞め、いきなり「そば屋」に転身した。一ヶ月ほどかけて家を改装し、屋号も「そば処すずめ」とした。

 父は、自分の才能がその方面にあることを、うすうす感づいていたようである。あれよあれよという間に、お店は繁盛し、やがて地元ではちょっとした名店として知られるようになった。

 あとはご覧の通りである。

 僕はパジャマに着替え、カーテンを閉めて、今晩は早めに寝ることにした。

 階下では最後の客を送り出し、店じまいをする音が聞こえる。

 体が熱っぽいわりに悪寒が止まらず、僕は布団を体に巻き付けるようにしてベッドにうずくまった。

 やまいで気が弱くなっているせいか、そんな昔のことを感傷的に思い出しながら、いつのまにか眠りに落ちていた。寝ている間は一度も目を覚まさなかった。

 次の朝、僕は汗ぐっしょりになって起きた。

 風邪を引くとよく見る夢がある。

 それは抽象的で、うまく説明できないが、ただなぜかしら、根源的な「恐怖」を呼びさますような夢である。こんな感じだ―――

 夜の海を巨大な船が進んでいる。行く先は分からない。甲板の先頭に立つ僕は、目の前に広がる不気味な闇を茫然とながめている。海は大きく荒れているが、波の音は聞こえない。完全な無音の世界である。乗客は僕以外、誰もいない。船はひとりでに、何かに導かれるように荒涼たる海の上を進む。引き返すことは出来ない。真っ暗闇の中、頭上におおいかぶさるように、船の輪郭だけが白く光っている。僕は言いようのない恐ろしさに戦慄する。

 ふとそのとき、かたわらに母の気配がして、はっきりと姿は見えないが、僕は母にすがるように、声にならない声を上げる。お母さん、この船はどこへ行くの?僕たちは、どこへ連れてかれるの?お母さん―――しかし、母はだまって僕の肩に手を置くばかりで、答えは返らない。孤独感がさらにつのる。船は刻一刻と進んで行く。何も起こらない。ゆっくりと着実に、巨大な船は前方へと進む。しずかに、荒ぶる波をかき分けながら―――

 ただそれだけの夢である。

 夢うつつのうちにうめき声を上げていると、どこからともなく母の声がした。

「こんなときに悪かったわね。調子はどう?熱、下がった?」

 旅行から帰った母の、階段をのぼる足音がし、いつのまにかその手が僕のひたいにあった。少しひんやりとした。

「まだちょっと熱いわね。今日もバイトなの?休ませてもらえば?こんなことなら、日を改めるんだったわ」

 さきほどの夢とは違って、現実の母はせわしなく僕に言葉をかけた。まるで別人のようだ。

「……でも一つだけ、いいことがあったのよ。山みちの喫茶店で、おいしい紅茶を見つけたの。いまれてあげるわね。それと、頬っぺたが落ちるようなシフォンケーキもね。残念ながら飛騨高山にもコンビニはあったけど、これを見つけたのが収穫だったわ。起きたら下りてらっしゃい……」

 母はそう言い残して、小気味よく階段を下りて行った。

 寝ぼけまなこで時計を見ると、すでに十時であった。バイトまであと一時間。体はまだだるく、自分ではないような気がする。しかし、動こうと思えば動けないこともないので、「エイ!」と気合いを入れて、ベッドから起き上がった。こんなときは、自分に考えるスキを与えない方がいいのだ。

 昨日と同じパーカーに着替えて、さっとカーテンを開ける。空はどんよりとした曇り空だ。

 ふと、階段を下りる足がもつれた。力が入らない。……やっぱり休もうかな。

 いやいや。きっと人手はいないだろうし、あんな店長に電話をして、不機嫌な声を聞くのもイヤだ。それくらいなら、体を引きずってでも出た方がましだ。

 やがて階段の途中から、なんだかモクモクとした油っぽい煙が、二階のリビングに充満しているのに気づいた。

 下りてみると、テーブルの上に広げたお土産みやげの横で、母が西洋人のように肩をすぼめ、僕を見ながら苦笑していた。

 目くばせをした視線の先には、前掛けをした祖母が台所に立ち、小さなフライパンで何かを炒めていた。煙の出どころはそこであった。

「おお、ぼんちゃん。起きたかい?風邪のときはこれが一番―――哲人てつとが小さいときも、よくこれをめさせたよ……」

 祖母のフライパンには、なんだかドロッとした黒いコールタール状のものが揺れていた。「哲人」とは父の名前である。

 その父が、煙の匂いを嗅ぎつけたのか、鼻をクンクンさせながら一階から上って来た。

「……おお、やっぱりこれだ。たまごの油だ。なんだか知らないが、よく効くんだぞ……」

 父は祖母のうしろに立ち、まるで自分が味見しそうないきおいで、祖母がついでくれた小皿を受け取ると、それを僕に渡した。

「飲め……」

 飲め、と言われて、わけが分からないうちに、僕はその不思議な物体を飲まざるを得ない立場になっていた。

真理絵まりえも知ってるか?卵の油はな、栄養満点、味0点、昨日のテストは三十点、良薬口に苦しの代表のような代物シロモノだ」

 父はいつもに増してそんなフザけたことを言いながら、母の顔を見た。

「知らないわ……」

 母は白い煙の中で、おいしい紅茶を淹れるどころではなくなり、仕方なく旅行カバンをほどいて片付けを始めている。カバンの中には土産みやげ物に混じって、赤と黒のなんだか変な人形が寝そべっていた。「さるぼぼよ」母が言った。

 紅茶とシフォンケーキはとりあえず戸棚にしまい、それから母は手当たり次第、いろんな扉を開けたり閉めたりしている。

 母は片付けが苦手だ。母が帰って来たとたん、部屋が散らかりはじめる。

「ほら、飲め……」

 父が強迫的に言うので、僕は見つめていた小皿を思い切って口に運んだ。

 マズい、マズい、と聞いていたせいか、それほどマズくは感じなかった。

 僕はを決めこんだ。

「うまいよ。……うん、うまい」

「そうか……」

 父は腕組みをし、ひたいに手を当てながら残念そうに言った。

「それじゃあ、……そば処すずめも、俺の一代かぎりだな……」

 祖母は、僕が口にしたのを見届けると、さっさと後片づけをはじめた。薬の効き目には絶対の自信を持っている様子だ。フライパンを水で洗い、かるく布巾で拭いて、壁にかける。こちらは、片付けの手際もいい。

「どうだい真理絵君。この地球上に、君の求める理想郷ユートピアはあったかね……」

 父は母のうしろを付いて回りながら、なかばからかうように尋ねた。どうやら父は、なんだかんだ言って、母が帰って来たことが嬉しいようである。さらばぁー、地球よぉー、旅立ぁーつ船はぁー、と、そんな鼻歌まで飛び出した。

「そうね。目的とは少し違ったけど、旅行って、予想しないことが、何かしら必ず起きるところがいいのよね……」

 母はどこまで片付けたか分からなくなったらしく、ため息をつきながら天を仰いだ。

 父が何げないそぶりで、母が開けっ放しにした扉や引き出しを、一つ一つ、そっと閉めて回るのが、僕には分った。

 この二人は、お互い一癖も二癖もあるけれど、凸凹でこぼこがうまくかみ合った、なかなかのいいコンビなのである。

 もっとも、聞くところによると、父は若い頃、母の意外な奔放さに相当ふり回されたようである。母は服装選びはもちろん、レジャーや調度品、レストランの趣味に至るまでことごとくセンスがいいのだが、なにぶん浪費癖が強く、いままで付き合った男とはそのせいで別れたと、本人の口から聞いたことがある。父との間にも、それなりの葛藤はあったはずだが、結局母は、この、当時無一文だった父を生涯の伴侶として選んだ。二人の間にどんな価値観のすり合わせがあったか、男女関係にうとい僕には知るよしもないが、この母に選ばれたというだけでも、僕は内心、父に一目いちもく置いている。

 こんな風変わりなを尻目に、僕は冷蔵庫からヨーグルトを取り出し、テーブルにあったバナナと一緒に食べた。バイトに行く腹ごしらえである。

「やっぱりバイト行くのか?」

 父はそう尋ねると、あとは好きなようにしろ、と言わんばかりに、テレビのスイッチをつけた。

 画面には、当選を喜ぶオバマ陣営の模様が映し出されていた。父はすぐにまたテレビを消し、ドタドタと階段を降りて行った。

「無理しないでね。あした学校なんだから……」

 母は自由人なのに、やはり息子のことは心配らしく、作業の手を止めて僕の顔を見た。

 僕は「うん、分かった……」と返事をし、忘れたジャケットを取りにまた自分の部屋へ戻った。

 ふたたび下りて来ると、こんどは祖母が「これを持って行きんさい。休み時間にお食べ」と言って、つやのある蜜柑みかんを一つ差し出した。

 以前の僕なら、そんなのいらないよ、ともなく断るところだが、高校二年にもなると、多少は人情の機微きびが分かるようになり、「ありがとう」と素直に受け取った。

 蜜柑を右のポケットに入れ、左のポケットに財布があるのを確かめて、さらに一階へ下りる。体はやはり、かなり重たい。

 一階では、まだ開店前の客席から、二人の男の話し声がした。こんどは父の一人芝居ではなさそうだ。

「やっぱり俺の勝ちだったな」

「くそぉー、こんなに早く決まるとは思わんかった……」

 靴ヒモを結びながらなんとなく聞いていると、父と話しているのは、酒をおろしに来た酒屋のジュンペイさんであった。ジュンペイさんは納品のついでに、いつも油を売っていく。ときには酒を売らずに、油だけ売っていくこともある。

「……アメリカに限らず、世界はわれわれの予想よりも一歩さきを行く、ってことだな」

「言うねぇ。ニクたらしいねぇ。まったく。そば屋のオヤジにしとくのは勿体もったいないくらいだ」

 父とジュンペイさんは、大統領選でどっちが勝つか、賭けをしていたようである。

 僕が店内に顔を出すと、ジュンペイさんは下唇をつき出しながら、「持ってけドロボー」と言ってウィスキーのボトルを父に渡すところであった。僕と目が合い、あっ、とバツの悪そうな顔をした。

「よう、勤労学生!今日もバイトか。マズいところを見られたな。内密に、内密に」

 ジュンペイさんは照れ臭そうに、しかし悪びれない笑みを浮かべた。

 この人はかなり珍しいタイプの、なんというか、面白い人だ。若いのに父と気が合うらしい。

 父はウィスキーを受け取りながら、

「ほんとにいいのか?タコ社長に怒られないか?こんど来た時、宅急便の帽子をかぶってたりしないか?」

と、ガラにもなく遠慮するフリをする。

「ダイジョブ、ダイジョブ。配達の途中で割れた、とでも言えば何とかなる。死なへん、死なへん。よかづら、よかづら」

と、ジュンペイさんは出鱈目でたらめな方言を並べた。

 そんなやり取りをよそに、僕はふと店内の違和感に気づき、壁に掛かっている母の絵を見た。すると、今までの「井の頭公園」の絵が、いつの間にか別の絵に変わっていた。

 赤と黒だけで構成された、子供が描きなぐったような絵である。僕はその雰囲気から、なにかを思い出しそうになった。はてな、何だったか、最近見たような……

 あ、さるぼぼだ。

 僕は突然ひらめいた。

 あの飛騨高山の、お守り人形である。

 そしてそれがさるぼぼだと判ると、もう今度はもうさるぼぼにしか見えなくなった。まったく母という人は、不思議な絵を描く人だ。

 その絵を描いた張本人が、なんだか慌てた様子で、玄関から僕を追いかけて来た。

「間に合った、間に合った。これを着けていきなさい」

 母の手には、どこで探してきたのか、白いマスクがあった。

 さすがに女性は細かいところによく気がつく。

 それに比べて男は(いや、僕は、と言うべきか)愚かなもので、マスクを着けながら、またもやマフラーを忘れたことに気が付いたが、再び取りに帰るのも面倒なので、そのまま出掛けることにした。

 漢方薬局の前で、店主のシルエットにお礼を言い、そそくさと通り過ぎる。

 駄菓子屋のおばさんは、奥で子供たちの相手をしている。

 日曜日のさくら通りは、歩く人々の種類がいつもと違い、親子連れや若者の姿が多かった。服装もカラフルで、クリスマスの装飾とともに年の瀬に彩りを添えていた。

 もっとも病人の僕には、そのにぎやかさがうっとうしく、ひとりゆがんだ世界を歩いているような気分だった。

 店へ着き、ドアをくぐると、例のチャイムが鳴った。その間抜まぬけな響きが僕の神経にさわった。

「おはようございます」

「佐倉くん、おはよう!」 

 レジにいたのは主婦のアルバイトのオオトリさんだった。「オオトリさん」というのは僕がつけたアダ名で、本名は田澤さん(野澤さんだったかな?)という。

 なぜオオトリさんなのか、理由をかいつまんで説明すると、彼女は熱心な宝塚歌劇団タカラヅカのファンで、中でも男役の「おおとりらん」が昔から好きなのだと言う。鳳蘭が誰なのか、僕は知らない。アダ名の由来はそれだけではない。いつか彼女と二人勤務のところへ、父がこっそり僕のバイトぶりを見るために、客のフリをして冷やかしに来たことがある。父は意味しんな笑みを浮かべて帰って行ったが、夕食のとき、「お前の横にいた女性、誰かに似てると思ったが、やっと分かった。おおとり啓助けいすけだ……」と言った。オオトリケースケが誰なのか、僕はさらに知らない。「夫婦めおと漫才の、左のおじさんの方だ」と父は念押しして、母にたしなめられていた。とにかくそれ以来、僕の中で、彼女の呼び名は「オオトリさん」と決まった。

 オオトリさんは僕のマスク姿を見て、自分の口を指さし、「風邪ひいたの?」と小声で訊いた。

 別にそっちは声を出してもいいのに、と思いながら、僕も合わせて、ウン、ウンと頷いた。

 彼女は気の毒そうに顔をしかめつつ、ちょうど客が来たので、すぐに応対に追われた。気の置けない、ショートカットで愛嬌のある、可愛らしいおばさんだ。

 バックヤードへ行くと、事務所の机で店長が頭を抱えていた。

「うーむ、数字が悪すぎる。これじゃ、またたたかれるな……」

 店長のこんもりした背中がちょっとあわれに見えたが、僕はむろん黙っていた。下手なことを言うと、ヤブから蛇が出てくるからである。

「着替えたら朝礼だ」

 僕はハッピに着替え、店長の前に立った。

 店長は立ち上がって、ファイルを見ながら喋りはじめた。僕のマスクのことは、気にならないようだ。

「……今月は特に数字が悪い。前年に比べて……」

 早口にまくし立てる店長の言葉はなに一つ僕の頭に入らなかった。ただ言葉遣いの間違いだけが耳に残った。

「お前たち現場の人間がガンバってくれないと困るぞ。たとえば、こういう点だ……」

 店長が見せた証拠写真には、バラバラに乱れた売り場の様子が写っていた。

「こういうことだから、売上がだんだん落ちてくるんだ。お客が買ったら、すぐに売り場を整える。教わっただろう。やってるか、佐倉!」

「あ、はい……」

 僕は声が出しづらいのと、たまたま昨日はその作業をやり忘れたのとで、しぜんに声が小さくなった。

「声が小さい!」

「はい!」

 僕は兵隊のように直立不動になった。ギターのため、ギターのため……。

 今日はいつもに増して、店長の機嫌が悪そうだ。イライラをぶつけるように、つづけて尋ねる。

「出店目標は?」

「二〇〇〇店舗です!」

 これは店長が口グセのように言っているので、さすがに答えられた。

「こんなところでウチがコケる訳にはいかないんだ。よろしく頼むぞ。では唱和!」

 僕らは壁に向かって「三つのモットー」を唱え、鏡の方を向いて「接客五原則」を唱えた。最後のニコッとするところは、今日はマスクをしているので、首をかしげただけで誤魔化すことが出来た。

 朝礼が終わるのと同じタイミングで、店長の携帯に電話が掛かって来た。発信元を確認した店長はあからさまに顔をしかめ、しぶしぶ電話に出ると、一回り小さくなって何かペコペコと頭を下げている。

 おおかた上司に叱られているのだろう。よく見る光景だ。

 僕はスイングドアを押し、一礼して店内へ入った。

「どうだった?あいつ機嫌ワルイでしょ……」

 オオトリさんが身を寄せるようにして訊いてきた。

 彼女は、出会った初日から、まるで前からの知り合いだったように、気さくに話しかけて来る。根っからの社交家である。

「まったくどうしようもない気分屋だから。あたしも朝、来たとたんにこっぴどくドヤされたわ。なんでも、本部へ提出する書類に、あたしがハンコを忘れたらしいの。言っちゃなんだけど、で、ビックリするほど怒るのよ。信じられる?そのクセ、あたしがこないだ事務所を掃除してあげたことには、なんの一言もないのよ。よくあんなんで結婚できたと思うわ。奥さんはあんな男のどこがよかったのかしら……」

 ヒソヒソ声ながら、彼女の語気は強かった。

 そう言えば店長は既婚者で、小さなお子さんも一人いるらしい。

 それは別にいい。

 しかし僕は同じ男として、仕事で貯めたストレスを、まわりに当たり散らすことで発散するような生き方は、できればしたくない。

 僕は商売のことはまるっきり分からないが、やはり何かが間違っている気がする。

 出店目標二〇〇〇店舗というが、そんなに日本中をラッキーマートにしてどうするのだろう。半分はライバルのゴーゴーマートに譲ってもいいではないか。ゴーチキもなかなかうまいのだ。学校の近くでよく買って食べる。

 サラリーマンが会社のために働き、そして出世を目指すのは当然のことであるが、それ以前に人間として、もっと大切なことがあるのではないか。人をむやみに傷つけないこととか、失敗をフォローし合うこととか。

 彼らは山登りに夢中になるあまり、その山が全体としてどういう形をしているか、ひょっとして草の生えたクジラの背中なのではないか、という可能性など、考えてみたこともないのではないか。

 僕は頭の中で、大きなモンスターをさらに肥大化させるために、社長をはじめ全従業員が、まるであやつり人形のように、せっせと餌を運ぶ姿を想像した。

「佐倉くん。レジ代わったげようか?声出しづらいでしょ……」

 オオトリさんが僕のしゃがれ声を気づかって申し出てくれた。

「そうですね。これじゃラキチキがあんまり美味しくなさそうだし……」

 僕はお言葉に甘えて、レジを代わってもらうことにした。

 通路に積んである商品を売り場に出す作業にかかる。

 オオトリさんははり切って大きな声を上げる。

「ご来店のみなさーん、ラッキーチキンはいかがですかぁ。あつあつのラキチキ~。お子様のおやつにー、家族の団欒だんらんにー、受験勉強のお供にー、揚げ立てジューシーなラキチキはいかがぁ。いまなら三十円引きでーす!」 

 自分なりにアレンジを加えたそんな台詞せりふで、オオトリさんは巧みにお客さんの注意を引く。さっそく今も一個売れた。

 なるほどぉ……。

 商才があるとはこういうことか―――

 僕は感心すると同時に、「明朗」かつ「健康」であることの有難さをつくづく思った。

 それに引きかえ僕の方は、やはりどうしても気分が盛り上がらず、見るもの聞くもの全てが何となくシャクにさわった。毒々しい商品のパッケージや、旬の芸能人を起用したケバケバしいポスター、消費者に媚びるような安っぽい音楽―――それらのあらゆるものが、弾力を失った僕の心から、さらに復元力を奪って行く。

 今日の僕に給料を払うとしたら、きっと、いつもの半分くらいかな……

 僕は自分でそう思いながら、それでも最低限の仕事はこなそうと、せっせと商品の補充に精を出した。

 時間の経つのがいつもの倍くらいに遅い。

 オオトリさんの周りだけが、まるでスポットライトを浴びたような活気にあふれている。さすがは宝塚ファン、している。すでに十個以上、ラッキーポイントを叩き出したようだ。

 そのうち店内がまた混んで来た。待ち列に四人が並んだ。

 やむなく僕がもう一つのレジを開けようと、小走りに近づいたところ、オオトリさんが思い出したように言った。

「あ、言うの忘れてた。そっちのレジ、故障中で使えないの。大丈夫よ。品出しやってて……」

 オオトリさんはテキパキとレジをこなしながら僕に告げた。

 彼女の手腕しゅわんを心強く思い、僕は安心してまた売り場に戻った。

 トラブルはそのときに起きた。

 たとえ具合が悪いからといって、僕は仕事の手を抜くつもりはなかったが、マスクを着けていることで、何か現実から薄い膜で隔てられたような、何かから免除されているような気分になっていたかもしれない。待ち列は二人になったり、三人になったり、何とかオオトリさんだけで持ちこたえているように見えた。

 ところが、僕が倒れやすいタバコの補充に苦戦していた矢先、いきなり背中に鉄槌てっついのような衝撃を食らった。誰かが僕の後ろから、思いっ切り飛び蹴りを食らわしたようだ。

 僕は前のめりに倒れ、プラケースの角に頭をぶつけて転んだ。持っていたタバコはバラバラになった。

 何が起きたか分からず、ふいに後ろを見ると、ヨレヨレの服を着たヨッパライの男が仁王立ちになっていた。

「……この野郎。なに呑気に遊んでやがる!いっぱい人が並んでるのが、見えねえか!」

 男は呂律ろれつがあやしく、酒くさい臭いがプンとした。目も焦点が合っていない。

 僕は何と答えていいか分からず、起き上がって服のほこりを払いながら、だまって突っ立っていた。

 オオトリさんが呼び鈴を鳴らして店長を呼んだ。

 客たちは惨状に顔をしかめつつ、見て見ぬフリをしている。

 出て来た店長は、オオトリさんに事の顚末を聞いている。

 そして事態をのみ込むと、つかつかとこちらへやって来た。

 僕はてっきり、店長が乱暴なお客を外へ連れ出してくれるのかと思った。しかし、それは逆であった。

「どうもすみません。店員が粗相そそうをしまして……お急ぎのところ、ご迷惑をお掛けしました。しっかり教育しておきますから、なにとぞご勘弁を……」

 店長は、お前も頭を下げろ、と言わんばかりに、僕の後頭部を無理に押さえた。

 さらに何を思ったか、小走りにレジの方へ行って、ホットケースからラキチキを取り出し、紙に包んでヨッパライの前へ差し出した。

「どうか、今日のところはこれでご勘弁を……。まことに失礼かとは存じますが……」

 店長は頭を下げた格好のまま動かない。

 ヨッパライはラキチキをチラ見して、一瞬まんざらでもない顔をしたが、再び語気を荒げて吐き捨てるように言った。

「分かればいいんだ、分かれば。お客様は神様なんだぞ。もっと大切にしろ!……」

 そしてラキチキを掴んで自分のふところに入れ、よたよたと入口のドアを出て行った。テープの自動音声が「またのご来店をお待ちしております……」と告げた。

 店長は酔漢がいなくなったのを見届けると、すぐさま頭を上げ、パチパチと手をはたいてフンりかえった。

「……佐倉。気を付けろよ……」

 一言いうと、いったん事務所へ引き返し、自分の財布を持ってまた戻って来た。そしてレジの中へポトリとお金を入れた。ラキチキの代金のつもりらしい。「正」の字を一本つけ足した。

 僕は、自分が叱られたことは、ある意味、まだ我慢が出来たが、このに及んで売上のことを考えている店長のいじきたなさに、ふつふつと腹が立った。

 オオトリさんも、まるで店長の背中にハアハアとゲンコを振り上げそうな勢いである。

「なあに、あの態度!ほんとムカつく!」

 店長がいなくなると、彼女は僕以上に激昂し、罵詈ばり雑言ぞうごんを吐いた。

「もうムリかも……。あいつが異動にならなかったら、あたしが辞めるわ」

 僕はヘンな方向に話が飛びそうになるのを、あわてて押しとどめ、かえって彼女を慰めるハメになった。

 オオトリさんはさらに僕を気遣い、「背中、大丈夫?痛くなかった?」と、僕の後方を覗き込んだ。

 あまり痛みは感じなかったので、僕は無理に笑って腰をさすった。

 それにしても、今日は散々さんざんな一日であった。帰り道、祖母にもらった蜜柑はまだポケットにあった。

 帰宅して、食卓につき、その出来事をさりげなく母に話すと、母は案の定、憤慨ふんがいして声を荒げた。

「お客だからって、やたらイバっている人、キライだわ。弱い立場の人にはいくらでも横暴になる。そんなサイテーの人までお客あつかいしなきゃいけないから、コンビニはイヤなのよ。その店長って人も、きっと教養のない人ね。教養っていうのは、強さと思いやりのことを言うのよ。その人には両方足りないわ。ああ、何だか胸糞悪い……」

 さらに、それを伝え聞いた父が、店を片づけたあとで言った。

「そうか。なるほど……。ともあれお前はよい経験をしたな。少なくとも、だれかに蹴られれば痛い、ということが分かった。世の中にはそういった矛盾がゴロゴロしている。自分にとって、一見マイナスに見えることが、長い目で見ればプラスになる。大事なのはだ。しかし、お前にも改善点はあるぞ。レジが壊れていたのなら、その、ケースケさんだっけか、の横で袋詰めを手伝うとか、なんらかのアピールは出来たはずだ。世の中は舞台、人生これ演技だ」

 僕はふむふむ、と聞いていた。父は父、母は母なりのことを言う。

 それはそうと、さいわい風邪の方は少しよくなってきた。僕は久しぶりに空腹を感じたので、母の作った肉じゃがを自分で皿によそって口に運んた。

 じゃがいもはじゃがいもの味がし、肉は肉の味がした。順調に快復してきた証拠だ。ご飯はまだ半分しか食べられなかったけれど。

「ぼんちゃん、一緒にみかん食べるかい?これからサッカーの決勝戦が始まるよ……」

 祖母はハリきって、ざるに盛った蜜柑の山を両手で抱え、そそくさと炬燵の方へ向かった。

 僕は秋にバイトを始める前はサッカー部であった。サッカーをテレビで観るのも好きだ。

「うん。いいね……」

 祖母につづいて和室へ赴き、炬燵に足を入れた。

 クラブチームの世界一を決める大会が今夜行われることを僕は言われるまで忘れていた。

 祖母はずっとそれを楽しみにしていたらしい。

 彼女は本当のところ、僕がこうむった災厄の話も聞こえていたはずであるが、そのことについては何も言わなかった。何も言わないことが、僕にはかえって心地よかった。なんだかそれがとても小さなことに思えてくるからだ。

 決勝戦は白熱した試合であった。満員のスタジアムが、歓声の渦に呑まれた。

 僕と祖母はみかんを食べながら、しばらくその試合に見入った。時間があっという間に過ぎた。ときどき祖母の顔を見ると、彼女は心の底から試合を楽しんでいる様子であった。

 ところで、どうでもいいことだが、祖母はみかんの皮をむくのがとても上手だ。祖母によってむかれたみかんは、まるではちすの台座にすわる仏様のように、やわらかな皮の上で神々こうごうしく鎮座ましましている。その顔はテレビの方を向いているが、無意識に動いている祖母の手は、おそらく何十年も同じ動きをくり返した結果、寸分たがわぬ形で、八方に開いた皮の中から、輝くような白い玉を取り出すことを可能にした。みずみずしい音を立てて一片一片をはぎ取り、ゆっくりと口に入れるその動作も、じつに自然なのだ。しかも、横目でそれを見ている僕に、だまって新しいみかんを与えるという気配りも忘れない。そして画面の中で惜しくもゴールを外れたシュートの行方に、選手とともに大げさに頭を抱えている。祖母の前には、まるでタコが足を広げたように、きれいにむかれたみかんの皮が、二つ三つと増えてゆく。

 試合は接戦の末、英国イングランドのチームの勝利に終わった。

「ああ、面白かった……」

 祖母は深い満足の声を上げると、よいしょ、と言って立ち上がり、それじゃあ先に休むね、と、自分の部屋へ早々と上がって行った。

 立ち去る際、もう一つ、みかんを手に取った。

 祖母の部屋は僕の部屋の右奥の、同じく三階にある薄暗い和室である。

 僕はそのまま九時のニュースを見ながら少しくつろいだあと、テレビを消し、入浴の準備のため、浴室へ行って蛇口を開いた。そして着替えを取りに三階へ上がった。

 いつもふすまを開けたままにしてある祖母の部屋は、すでに電気が消えていた。

 先ほど彼女が持って上がったみかんは、寝床の上の写真立ての前に、ポツンと供えてあった。

 物が捨てられない性質の祖母の部屋は、いろんな箱や包みがうず高く積まれ、鬱蒼として少々気味が悪く、僕は子供の頃からあまり入る気がしなかった。しかし、何かの折に入る機会があって、おそるおそる眺めまわしたとき、祖母の枕元の台の上に、小さな写真立てがあるのが分かった。その横には薄汚れた寄木細工の箱もあった。

 写真立てには、白い制服を着た青年の姿が写っていた。颯爽と腰に手を当て、おだやかに笑っている。二十歳前後であろうか。聞くところによると、それは戦争で死んだ祖母の兄であるらしい。みかんはその兄に捧げられていた。

 母も、その写真のことは知っていて、僕はそうは思わなかったが、「あなたにソックリね」と言って、よくからかった。「可愛がるはずだわ……」

 実際、初めて自分に似ていると言われたとき、僕はまるで、その横に置かれた寄木細工の箱の汚ならしさと同列に扱われたような気がして、あまりいい気分がしなかった。大人は何かにつけ、誰かと誰かが似ている、などと言いたがる。

 僕は祖母を起こさないよう、足音をひそめ、着替えを持って階段を下りた。風呂場は二階の廊下の奥にある。

 父と母が仕事を終え、リビングでくつろいでいた。

「シフォンケーキ、味見する?」

「いいね。ウィスキーにもきっと合うぞ」

「あたしは紅茶をいれるわ……」

 母が、下りて来た僕を見て、紙に包んだその上品なケーキをすすめた。

「食べる?」

「いいよ、いらない」

 僕はすでにお腹いっぱいだったので、つっけんどんにそう答え、風呂場へ向かった。平成の若者はなんともゼイタクである。

 服を脱いでドアを開け、さきほど出しっ放しにしていたお湯を止めた。

 かるく体を洗い、湯舟につかる。白い壁と天井の照明を見ながら、あしたまでに風邪なおるかな、月曜だから学校だし、とぼんやり考えていた。

 僕はまた子供時代のことを思い出していた。小さい頃は父といっしょに風呂にも入ったものだ……

 あたり前のことだが、父も母も、祖母も、昔はみんな若かった。

 母はそれほど変わらないが(肌にもっとハリがあったかな)、父は今よりトンがっていて、祖母は今よりもっと過保護であった。

 そのことに関して、ホロ苦い思い出がある。 

 僕が小学校に上がりたての頃だ。

 父は変人なので、自分より変な人が現れないかぎり、めったなことで怒ったりはしない。しかしこの父に一度だけ、本気でことがある。

 きっかけは忘れたが、僕が持ち前の気難しさから、つまらぬことで癇癪を起し、ダダをこねて母に叱られていた時である。

 それを陰で見ていた祖母が、僕を呼んでしゃがみ込み、「これで堪忍して下され」と紙に包んだ菓子を渡そうとした。

 ところが僕は、菓子ごときで機嫌をとられたことに一層腹を立て、あろうことか祖母に向かって「お前なんか、早く死んじまえ!」と憎まれ口を叩いた。

 ふだんやさしい祖母も、このときは悲しそうな顔をした。

 すると、階下でそれを聞いていた父がつかつかと上って来て、いきなり僕の頬に平手打ちを食らわせた。父の大きな手が、しばらく頬に張りついたような感覚であった。

 僕は驚きと悲しさのあまり、泣きながら家を飛び出し、そのまま三鷹の街を徘徊した。歩き回らずにはいられない気分だった。

 と言って、どこ行く当てもなく、ふと思い立ち、通学路の途中にある玉川上水の遊歩道を上流へ向かってひたすら歩き始めた。まるで何かをたぐり寄せるように。

 並木に囲まれた小川の流れは浅く、さわさわと音を立てながら真っ直ぐに伸びていた。僕はどこまでもどこまでも歩いた。そしていつのまにか見知らぬ風景の中にいた。

 これほど遠くまでひとりで歩くのは、小さな僕にとってはちょっとした冒険であった。しかし、その冒険のそわそわした気分や心細さが、熱くなった気持ちを冷ますのに役立った。僕は叱られたことも忘れて、途中から、ただ歩くことに夢中になった。

 歩いても歩いても、川はつづいている。

 小さな橋を、砂利を積んだトラックがゴトゴト渡ったり、二羽のカラスが林の上でケンカしていることにも、いちいち心を驚かせた。

 僕は不安な胸のうちに少しだけ希望が生まれたことを感じていた。

 この川はどこまでつづいているのだろう。始まりは一体どんな場所だろうか。流れをさかのぼれば、いつか水源へ辿り着くことが出来るのだろうか―――

 涙もすっかり乾き、ふだんの元気を取り戻した僕は、やがてふと足の痛みを覚え、知らぬ間にずいぶんと遠くまで来たことを思った。

 季節は秋であったか、遊歩道の並木から、一枚の葉っぱが足元に落ちて来た。

 僕は葉っぱを拾い上げ、小さな祈りをこめるように、それを玉川上水に落とした。

 葉っぱはヒラヒラと舞い降りて、水面にペタリと貼りつき、そのままゆっくりと流れはじめた。僕は葉っぱを追いかけ、もと来た道を下流へと歩いて行った。

 葉っぱは時にゆっくりと、時に早くなりながら、しっかりと川の流れを下って行った。ある時は水流に呑まれ、行方ゆくえが分からなくなることもあったが、また姿を現したときには、僕は自分のことのように喜びを感じた。障害物を乗りこえ、葉っぱの舟は勇壮に進んで行く。僕の歩みも自然と早くなった。

 ところが、ある地点まで来ると、舟は急に失速し、迷走をはじめた。そこは木の枝がくいに引っかかって、小さなよどみを作っている場所であった。

 葉っぱは同じ場所で、むなしく円を描いた。

 ここへ来て快進撃が止まってしまったことに、僕はいら立ちともどかしさを覚えた。

 あたりから小石を探して来て、どうにか流れを変えようと投げ入れてみたが、小石はズブリと渦に吸い込まれ、水中に消えるだけであった。

 僕は失望をかかえ、その場にしゃがみ込み、ただぼんやりと、流れにたゆたう葉っぱの舟を眺めつづけた。

 秋の日はかげり、並木の間から幾筋もの夕方の光が差した。

 どれくらいそうしていただろうか、時間が止まったように感じはじめたころ、僕の耳に、聞き覚えのある声が聞こえた。

 下流の方から聞こえて来たのは、まぎれもない母の声であった。ふり返ると、薄着のまま僕を探しに来た母が、逆光の中に立っていた。

「こんなところにいた。やっと見つけた。……よかった」

 母は顔をゆがめ、身をかがめて、僕にやわらかな手を差し伸べた。

「もう誰も怒ってないよ。さ、帰ろ……」

 水面を見つめる僕の顔は、母の目にはきっと、叱られて思いつめた哀れな子供の姿に映ったにちがいない。僕の心には、本当はそれとは別の、言いようのない寂寥せきりょうがあったのだが、しかし、母の寄せられた眉になにか温かいものを感じ、僕はそのまま「うん……」と頷いて、差し伸べられた手を握った。

 氷のように冷たい僕の手を、母の両手がつつみ、ごしごしとこすった。

 家に帰ると、父も祖母もいつものなごやかな顔になっていたので、僕はほっと安心したことを覚えている。

 あれから十年が経ち、みんなそれぞれ年を取った。

 母はそれほど変わらない(シワが少し増えたかな)が、父は人間が丸くなり、祖母は物事に拘泥こうでいしなくなった。

 それに比べて僕は、いったいどれくらい成長したであろう。おそらく、あの不機嫌な子供のままの自分かもしれない。そして、いまだにあの時の、クルクル回る葉っぱの舟を見つめているだけのような気がする。

 僕はそんな思い出にふけりながら、湯舟の中でいつかウトウトし始めたので、あわてて風呂を出て体を拭き、部屋へ戻って布団にもぐり込んだ。まだ病人なので、体を冷やしてはいけない。階下では父と母の笑い声が聞こえた。

 翌朝、けたたましい時計の音で目を覚ますと、体は思ったより軽く、手足も案外自由に動いた。漢方薬が効いたのか、卵の油のおまじないが効いたのか、風邪はどこかへ退散したようだ。

 リビングでは母がみそ汁の用意をしていた。

「あら、顔色いいわね。学校、行けそう?」

 僕はテーブルに並べられた焼き魚の匂いを嗅ぎながら、うん、大丈夫だよ、とそっけなく答えた。「食欲も出て来た」

 我が家では、みんな食事の時間がバラバラである。それぞれが自分の都合のいい時間に食べる。

 僕は顔を洗ってテーブルにつき、自分で御飯をよそって、焼き魚に箸を付けた。母がみそ汁の味見をし、出来立てをお椀についで持って来た。

「旅行から帰ると、こういう平凡なものが恋しくなるのよねえ……」

 椅子に腰かけながら、母は自分のために焼いた魚には手を付けず、ただ僕が食べる様子を見ている。

「あい変わらず、魚を食べるの、下手ヘタねえ……」

 僕が食べ散らかしたアジの開きは、ところどころにまだ食べられる身が残っていた。

「ごちそうさま……」

 僕はみそ汁で口の中のものを流し込み、空になった食器を洗い場へ運んだ。

 アジの開きは、母が残りを食べることを知っていたので、そのままテーブルに残しておいた。母はそれを自分の皿の横に並べて、はじめて箸を手に取った。

「いただきます……」

 丁寧にお辞儀をし、みそ汁に口を付ける母の様子は、いつもの奔放さに似ず、どこか上品でおしとやかであった。

 僕は階段を上りながら、やっぱりこういう所が母にはかなわないな、自分はまだまだ子供だな、と自らを省みた。

 制服のブレザーに着替えてカバンを持ち、財布を確かめて階段を下りる。

「行ってきます」

 テレビの旅番組を、食い入るように見ている母にそう告げ、さらに一階へ下りた。

 厨房では父が、めずらしく真剣な顔で、鍋を前になにかを考え込んでいた。

「おう、もう治ったか。……すこしぞ」

 僕を見ると、いつものおちゃらけた顔になり、照れかくしなのか、長い箸を両手に持って鍋のフチをドラムのように叩きはじめた。

 人生これ舞台、という父の言葉を思い出し、僕は苦笑しながら玄関の外に出た。

 朝の日差しはまぶしく、冷たい空気を吸い込んで鼻の頭が赤くなった。色褪せたポストが冷気のために湯気を上げている。

 こんな寒さの中でも、祖母は元気に畑へ出ているのであろうか。

 まだ軒並みシャッターの下りたさくら通りを、通勤通学の人々がぽつぽつと駅に向かって歩いている。僕もその一人に加わった。

 路線バスがテールランプを明滅させて追い越して行く。バスに乗らなくても、五分ほど歩けば駅はすぐそこだ。

 屋外おくがい型のエスカレータを昇り、改札を抜けてホームへの階段を降りる。

 学校のある立川たちかわは下り方面なので、新宿へ行く上り電車ほどには混んでいない。

 しかし、国分寺や立川、八王子など、それなりに大きな街へ向かう人々で、快速電車は座れないくらいの混みようである。

 僕はある理由があって、この快速電車ではなく、一つ前の普通電車で行くことにしている。

 その理由とは、今に分かるが、いつか間違って早く駅に着いたとき、この普通電車がたまたま先に入って来た。こちらでも充分間に合うし、いていることもあって、僕はそれに乗ることにした。そこで思いがけず、予期せぬ幸運に巡り合ったのである。

 そしてその目的のために、僕はわざわざ家を早く出るくらい、それは僕にとってかけがえのない時間となった。最近では学校へ行く唯一の楽しみと言っていいほどだ。

 まだラッシュアワーには早いせいか、普通電車はのんびりとした雰囲気を漂わせてホームに入って来た。

 ゆっくりとドアが開き、ガラガラの車内へ乗り込む。

 僕は座る場所を探すフリをして、その彼女が、いつもの場所に座っているのを確認する。

 制服の彼女は、長椅子の端っこの柱の横の席に、今日も膝をそろえて座っていた。

 僕はあからさまに正面に座るのははばかられるので、二、三人分ずらしたはす向かいの席へ腰を下ろす。結局ここが僕の定位置である。

 そう、何をかくそう、僕は毎朝、この彼女と、人生の同じ時を過ごすために、この普通電車の同じ車両に乗るのであった。

 それは僕が立川で降りるまでの、約二十分という短い時間ではあるけれども、そのわずかな時間が、このところ暗く沈みがちな僕の心に、一すじの光を投げてくれるのである。

 彼女とはもちろん一面識もない。

 しかしその見覚えのある制服は、いつかサッカー部の遠征で訪れた八王子S高校のものであった。

 彼女もおそらく僕と同じように、快速電車でただ窮屈な時間を過ごすよりも、のんびりと本でも読みながら、自分の時間を楽しみたいという考えの持ち主なのであろう(あくまで僕の想像だが)。

 車内アナウンスの眠そうな声とともに列車は動き出した。

 各駅停車なので、すぐに次の駅が近づき、ドアが開いて、また出発、をくり返す。

 僕はぼんやりと外の景色を眺めながら、ときどきそれとなく彼女の表情をうかがう。

 彼女の方は、とくにこちらを見るでもなく、ただ自分の靴の先を見つめていたり、マフラーに顔を埋めて目を閉じていたりするのだが、どうやらこちらの存在には気が付いている様子だ。なんとなく雰囲気でそれが分かる。

 ゴトゴトという電車の揺れが心地よく時を刻む。

 そして、そんな幸福な時間の中でも、もっとも僕の心をときめかせる、うっとりするような時間がやがて訪れる。

 ちょうど東小金井を過ぎる辺りで、住宅街の上に昇った太陽が、南側の席に座る彼女の全身をまぶしく照らし出すのだ。

 本日もその瞬間が訪れた。

 朝の光に照らされた彼女の髪は、おくれ毛が金色に輝いて、さらさらと夢のように美しかった。

 彼女は顔を上げ、まぶしそうに目を細める。

 僕は見てはいけないものを見たような気がして、思わず目をらす。

 列車の車両という限られた空間の中で、互いの存在を許し合い、適度な距離を保ちながら共にどこかへ運ばれて行く。そんな幻想的な至福の時間を、僕は今日も存分に楽しんだ。

 立川へ着き、僕は席を立った。彼女はとくにこちらを見る訳でもない。ドアが開いて、ふたたび彼女を振り返ると、その長い睫毛はやはりそっと伏せられたままであった。

 それでも僕は、満ち足りた思いで階段を降りた。

 彼女に別れを告げ、北口のバスターミナルでバスに乗り換える。

 僕の学校は立川駅北口からバスに乗り、広大な昭和記念公園の横を通って、さらに十分ほど走った、周囲には畑も広がる、見晴らしのよい郊外にある。

 バスに揺られ、やがて終点で降りたのは、僕のほか三、四人の男子学生があるのみであった。僕の通う「立川F高校」は男子校である。

 校門をくぐり、教室へ入ると、朝練のために早く来た生徒たちが五、六人、椅子を向かい合わせにたむろしていた。机の上に腰かけている者もいる。

「よう、ボン。元気か。なんだか顔色わるいぞ……」

 その中の一人が僕を見て、あわれみのような、あざけりのような声を発した。

 風邪はもう治ったつもりでいたが、やはり病み上がりの生気のなさが表情に現れていたのか、あるいは、部活を辞めて以来、人と関わるのが面倒になり、だんだん無口になっていたせいかもしれない。もともと笑顔がないとか、怒っているみたいだとか、よく言われるが、その無愛想にさらに拍車がかかっていたのであろうか。

「平気だよ……」

 僕は無愛想に答え、自分の机にカバンを置いた。

 ほかの生徒たちも、つぎつぎに出校して来る。

 やがてホームルームが始まり、担任が教壇に立った。

「……受験までまだ一年ある、と思う者は心を改めよ。もう一年しかない、と思い直せ。戦いはすでに始まっている……」

 担任はまあ、そんな月並みなことを言う、いわゆる「俗物」である。

 僕の学校は、実のところ、およそ八割の者が大学へ進学する、なかなかの進学校だ。

 僕自身は、入学のときこそ頑張って勉強したものの、その後いろんな理由から勉学への関心がうすれ、かと言って目指すものが決まっている訳でもなく、悶々たる生活を無為に送っている、こちらもまた俗な生徒だ。

 まだ両親には言っていないが、今のところ大学へ行くつもりはない。

 そして―――白状すると、出来ることなら、僕のことを肯定してくれる(と僕が思っている)音楽の道へ進みたいと、ぼんやり考え始めている。

 もちろん、その道が険しいことは十分承知しており、僕の甘い考えが夢のまた夢であることもよく知っているつもりであるが……

「ローマは一日にして成らず。日々の努力のつみ重ねが肝心だ。それ以外に道はない……」

 担任の言葉を、畑のカボチャのような生徒たちがだまって聞いている。頭に届いているかどうかは分からない。

 一時間目が始まった。

 一時間目は「生物」だ。

 先日の期末テストの結果が返って来る。

 一人ひとりの名前が呼ばれ、先生の手から採点された答案用紙を受け取る。

 自分の席へ戻りながら、生徒たちは明暗さまざまな顔をしている。

「……佐倉」

 自分の番が来て、僕は答案を受け取ると、すぐにそれを二つ折りにして天を仰いだ。

 四十八点―――

 いかに勉強しなかったとは言え、あまりといえばヒドい点数だ。

 テスト中は一切いっさいギターには触らないと、誓いを立てたまではよかったものの、払った努力はただそれだけであり、試験範囲の勉強など一秒たりともしなかった。

 それで良い点数を望もうなどとは、しっかり勉強した生徒にはなはだ失礼というものだ。

 先生は事務的に答案を配りつづける。

「西島……」

 タカシの名前が呼ばれた。

 タカシは中学からの友人であり、くされ縁というか、まあ悪友の一人である。

 彼は答案用紙を受け取ると、とたんにその場で崩れ落ち、横にいた生徒の肩にしなだれかかる演技をした。

 方々で失笑が起こる。

 そしてそのまま、笑って立ち上がり、窓際の自分の席に戻ると、今度はさらに答案をうしろへ投げ捨てるパフォーマンスをした。

 僕も思わず吹き出してしまい、その大きな図体の、丸められた背中をあわれに眺めた。

 彼は中学の頃からあまり勉強が得意ではなく、この学校へ入れたのも、僕と同じくの口であったが、やはりその後もかなり苦労しているみたいだ。もっとも、悪びれないのが彼の唯一の取りではあるのだが……

 タカシは授業をはじめる先生の目をぬすんで、先週手に入れた携帯電話の画面に光を反射させ、僕の方へしきりに合図を送って来る。

 ナンテンダッタ?

 口の動きからそう読める。

 僕はそれには答えず、ただ肩をすぼめただけであったが、彼はさらに自分の顔を指さし、オレはこれだ、と、右手で五本指、左手で二本指を立てて見せた。

 五と二……

 五十二点⁉

 僕よりいいではないか!

 右手の方を先に出したから、二十五点ではあるまい。やはり五十二点だ。

 クソ!やられた……

 僕は大袈裟に泣き真似をするタカシを慰めるように、ウン、ウンと頷いてみせたが、心中おだやかでなく、笑顔は引きってしまった。

 点数の悪いのは自業自得だが、このタカシに負けたことだけが、僕はどうにも悔やみきれなかった。

 生物の教師は絵にかいたような研究者タイプで、人に何かを教えるのには向いていない人物だ。最前列の生徒にばかり話しかけ、それもつまるところ独り言の域を出ていない。

 僕はどうやら一時間目からいきなり空想の時間を与えられたようだ。

 それにしても「教師」という職業はつくづく因果インガな商売である。

 教師たちは、若かりしころ少しばかり学問ができたおかげで、教師という「悪くない」職種を選び、はじめの方こそ向学心に燃えて「聖職者」たることに誇りを感じていたであろうが、しだいに自分の能力の限界を知るにつれて、初心を忘れ、人を導くというせっかくの使命をないがしろにし、ついには「生活の糧」を得るための手段としてのみ、それを考えるに至ったのであろう。

 未熟者が未熟者を教えるというのは、ひとり生徒と教師の間柄あいだがらのみならず、親子関係においても、会社の上下関係においても、いわば人間に与えられた宿命ではあるけれども、教師というのはとくにその矛盾に目をつぶって生きなければならない損な役回りだ。憐れむべし、である。

 友人について言えば、タカシとは前述のとおり中学からのつきあいだ。性格が正反対のせいか、かえってウマが合う。僕がわりと神経質で、気に入らないことがあるといつまでも怒っているのに対し、タカシは大ざっぱで執着がなく、来るものは拒まずというタイプだ。二人の会話は、真面目な話になることはまずない。どこのラーメン屋がうまいとか、どのアイドルグループの誰がカワイイとか、くだらないことで意気投合し、くだらないことでケンカになる。そして一度ケンカすると三ヶ月くらい口を聞かないこともある。が、またいつのまにか仲直りをしている。そんなことのくり返しだ。

 今さら言うのも何だが、気の置けない友だちというのは、このタカシのような者を言うのであろう。

 それともう一人、僕には親友と呼べる者がいる。

 うしろの方の席で、腕組みをして黒板を見つめている「ケンゾー」だ。

 ケンゾーのことは後に述べるので、ここでは詳しくは説かないが、一言でいうと、彼は「さむらい」である。あらゆるものに動じることなく、いつも超然としている。実はさっき、ケンゾーが自分の答案用紙を片手に持って席へ戻る際、その誰よりも低い点数が見えてしまったのだが、彼は一向に気にする風もなく、顔色も変えない。たとえ学業の成績が悪くても、彼にはそれをおぎなって余りある「スポーツの才能」があるのだ。あとでまた述べる。

 二時間目がはじまった。

 二時間目は「数学」である。

 数学の教師は体が細く、つり上がった目に眼鏡をかけているので、みんなにカマキリと呼ばれている。授業中、よく生徒を指名するところが油断がならない。剣道部の顧問もやっている。

 僕はこの教師が決してキライではない。

 ちょっと変わっていて、自分がカマキリと呼ばれていることに気付いた彼は、あるとき、わざと先のとがった眼鏡を新調して来て、教壇の上で仁王立ちになり、生徒たちを睨み回して一人えつに入っていた。カマキリが「凶暴なカマキリ」に進化していた。

 また彼はかつて、宿題を忘れた生徒に罰を与えるのに、水を張ったバケツを持たせ廊下に立たせるという、前時代的な手段を用いたことがある。この方法なら、もし問題になったとしても、親の世代はきっとなつかしがって、笑って許してくれるだろう、と期待してのことだったらしいが、結果は案に相違した。立たされた生徒とは別の生徒の親がネチネチと文句を言い、おかげで校長室に呼び出されて大目玉を食らったことを、カマキリは表情を変えずに話した。

 教室は大爆笑だった。そのとき立たされた生徒も、まるで自分がヒーローになったように、頭を掻きながら得意気に顔を輝かせた。

 またある時、顧問をしている剣道部の、大学合格率の高いことが評判になった。所感を訊かれた彼は、「なあに、固い頭を竹刀しないでひっぱたいて、やわらかくしているだけですよ」とうそぶいて、さらにPTAの顰蹙ひんしゅくを買った。こういうタイプは今では流行らないかもしれないが、僕には「生きた化石」のようで面白い。

 玉にきずなのは、ときどき救いようのないダジャレを言うことである。

「このといを、といといてくれ」といった風な……

 二時間目が終わり、僕はトイレに立った。

 小便器に向かって用を足していると、うしろからリョースケが来て僕の横に並んだ。

「よう、佐倉!久しぶり!」

 彼は屈託のない笑顔を僕に向け、ガニ股になってズボンのチャックを下ろした。「元気そうだね……」

 リョースケは別のクラスだが、サッカー部で一緒にプレーした仲である。生徒会に属していて、校内のいたる所に「目安箱」を設置したのは彼のアイデアだ。だれでも気兼ねなく、学校や生徒会への意見や要望を、自由に提出することが出来るという仕組みだ。

 僕はさきほど、親友としてタカシとケンゾーの名を挙げたが、このリョースケのことも親友と呼んでいいかもしれない。いや、やはり親友とは少しちがう。どちらかと言えば僕は、彼のことを「尊敬」している。同じ学年ではあるが、彼は僕よりもずっと大人であり、僕にない美点をたくさん持っている。その一つが、人をらさない「社交性」だ。しかもそれは、ときに人を傷つける無神経な明るさではなく、相手のかげの部分をも認めつつ、いつの間にかその人を光の方へ導くという、思いやりのある明るさなのだ。

「バイトはどう?」

 廊下を歩きながら彼は尋ねた。

 僕がサッカー部を辞めた時も、リョースケはちょっと残念そうな顔をしただけで、その理由を一切聞かず、僕の選択を尊重した。そこに僕は彼の信頼を感じた。

「まあまあだよ。どこの世界にも、いい人と悪い人がいるもんだね……」

 僕は彼と一緒にいると、不思議と心が解放されて、いつか言葉もなめらかになる。

「まず店長がどうしようもないヤツでね……」

 僕がそう言いかけた時、リョースケはうしろから誰かに声を掛けられた。

「サカモト!」

 また別の生徒が、すれ違いざまに名前を呼んだ。

「リョースケ!」

 さらに遠くから、手を振りながら近づいて来る者がある。

「サカモト先輩!」

 何人もの生徒に囲まれ、リョースケはなかなか教室に戻れない。

「佐倉、またね……」

と、ふり向きながら僕に目配せをした。

 彼はわけへだてなく人に接するので、同学年のみならず、ほかの学年や教師たちにまで人望が厚い。その人気ぶりを微笑ましく思いながら、僕は自分の教室へ戻った。

 教室ではタカシをはじめ何人かの生徒が早弁をしていた。僕は自分が弁当を忘れたことにそこで気が付いた。母もどうやら作るのを忘れていたらしい。まあ財布は持って来たからどうにかなるだろう。

 三時間目は「物理」だった。

「物理」はもはや、僕にとって「異言語」に近かった。

 とくに教師があまり好きでないせいか、ある時から授業をほとんど聞かなくなった。

 彼は成績のよい生徒をあからさまにエコひいきし、それだけならまだしも、何かにつけ二タ言目には「競争社会を生き抜くためには」を連発する。明らかに学問を、知的探求心としてではなく、受験を乗り越えるための「技術」としてとらえているのが分かる。

 優遇された生徒たちも、中には本当に学問の道へ進む者もいるかもしれないが、たいていは点数にたいして貪欲なだけの下衆げすな人種になり下がる。こういう受験エリートが将来の日本を背負しょって立つと思うと、僕はこの国の先行きが心配になる。

 人々はとかく世の中を「勝ち組」と「負け組」に分けたがるが、「負け組」の中にも気のいい連中はいっぱいいるのだ。人生で大切なのはお金や物質ではなく「心の豊かさ」だと、教科書にも書いてあるではないか。

 なんだかまた腹が立ってきた。

 休み時間になった。

 僕は空腹を覚えたので、売店へ行ってメロンパンと牛乳を買い、校舎の裏手でそれを食べていた。すると向こうからケンゾーがつかつかとやって来て、

「佐倉……」

と声を掛ける。

「佐倉……インフロント・キックのやり方を教えてくれないか」

 僕は思わず牛乳を吹き出しそうになった。

 彼はバスケ部のエースである。「宗方むなかたケンゾー」と言えば、自校はもちろん、他校でも名の通ったバスケの名プレーヤーである。

 その華麗なドリブルと、意表をつくパス、無尽蔵のスタミナと変化に富むシュートは、見る者の心を魅了するレベルだ。他校の女子生徒たちの間でファンクラブが出来ているという噂も聞いたことがある。

 その彼が僕にそんなことを言うのは、おそらくこのあいだ、体育の授業でサッカーをやったとき、なにかが納得いかなかったのであろう。何ごとにもその道を極めないと気が済まないのが彼の生まれ持った「ごう」である。

「いいよ」

 僕とケンゾーは連れ立って制服のままグランドへ向かった。

 用具入れからサッカーボールを取り出し、それぞれの手に一個ずつ持つ。久しぶりに嗅ぐ、埃っぽい土の匂いだ。 

 僕は先日の体育のとき、じつはケンゾーのプレーをこっそり観察していたのだが、その持ち前の運動神経からくる俊敏な動きは、たしかにほかの生徒たちとは一線を画していた。

 ただ、やはりバスケのときのように自由自在という訳にはいかず、どこかボールが足についていない感じであった。

「ボールに対して斜めに構えるといいよ。両足でボールを蹴る人はいないだろ。蹴るときはつねに片足だ。だから、体も基本は半身はんみに立つ」

 僕は無人のゴールに向かって、まずは自分でボールを蹴って見せた。

 普通のスニーカーを履いているおかげで、キックは思ったほどクリーンではなかったが、ボールはまずまずの軌道を描いてゴールネットを揺らした。

「なるほど……」

 ケンゾーは感心して見ている。僕は鼻の下をこすった。

「そのフワッとした感じが出したいんだ……」

 こんどは彼が蹴った。

 ボールに勢いはあったものの、それ以前の動きが、どこか力が入り過ぎている感じがした。

「そんなに力はいらないよ。疲れるし、足も痛い……」

 僕はボールを拾いに行きながら、二、三、気付いたことをアドバイスした。

「……まず、もっと斜めから入る。あまり勢いはいらない。歩幅を調節して、大きく軸足を踏み込み、回すようにして蹴る……」

 僕は彼のよこで、ボールを使わずに、動きだけでやって見せた。

「ボールがないと、こっちへ倒れる感じだ。そのエネルギーが伝わるから、ボールは飛んで行くし、自分は倒れずにすむ。野球のバッターが空振りすると、大きくバランスを崩すだろ。あれと同じだよ。ボールという一点を中心に、全宇宙を回転させるイメージだ……」

 きっとケンゾーなら理解できると思い、僕は感覚的な表現を用いた。

 分かった、と言ってケンゾーは、今度はさっきより大胆に角度をつけ、あまり助走を取らずに、軽くステップを踏んでフワリと足を回した。

 ボールはやわらかな軌道を描いて宙を舞い、ゴールネットのまん中に見事に吸い込まれた。

 教えた通りの動きを彼は一回で習得した。

「それだ、それ!」

 僕が喜んでみせると、彼は照れ臭そうにニヤリとした。

 僕らは今度は横に広がって、互いにボールを蹴り合った。

 幅の広いゴールを狙うより、相手の足元を目がけて蹴る方がもちろん難しい。しかし相手も人間なので、多少の狂いは動きでカバーしてくれる。そこが複数でやるスポーツの楽しいところだ。

 いくぞ―――

 遠くで構えるケンゾーに手で合図をして、僕が先にボールを蹴った。

 ところが、力みすぎたせいか、ボールはケンゾーの左へ大きくれ、ボテボテとぶざまに転がった。ケンゾーは笑いながら追いかけた。

 やはり、部活を辞めて四ヶ月のブランクは大きかった。すまん、すまん―――

 今度はケンゾーが蹴った。

 さっきと同じく、余裕のある、しなやかなフォームだ。

 ボールは思いのほか高く浮き上がり、あわや僕の頭上を越しそうになった。

 僕は教えている手前、手を使う訳にはいかず、少し下がってそれを胸で受け止めた。かろうじて面目めんぼくは保てたが、かなり痛かった。

 そして二回目は慎重にボールをセットし、ケンゾーに教えたことを自分で実践するように、集中してボールを蹴った。

 ボールは会心の軌道でケンゾーの足元へ飛んだ。

 ケンゾーは足で押さえようとしたが、ボールの勢いを制御できず、それを鎮めるのに苦労している。

 トラップ(ボールを受け止めて自分のものにすること)はまだあまり上手くないようだ。

 僕はここで先輩かぜを吹かせて、遠くの彼に叫んだ。

「ボールが当たる瞬間に、ちょっと力を抜くんだよ!」

 彼は両手で丸を作った。

 そして、まだ跳ねているボールをそのまま大きく蹴った。

 勢いのあるボールが、しなやかなカーブを描いて、僕の真正面に飛んで来た。僕は一歩も動かずにそれを受けることが出来た。キックはすでに完璧である。

 こんどはトラップの訓練のため、僕はわざとバウンドするボールを蹴った。

 ケンゾーはボールの動きを目で追い、先に落下点に入って、軽くそれをいなした。一旦前に転がったボールは、まるでヒモのついたヨーヨーのように、シュルシュルと彼の足元に戻った。

 一を聞いて十を知るとはこのことである。

 ここまで上達が早いと、教える方も教え甲斐があるというものだ。僕は驚きと同時に、軽い嫉妬を覚えた

 実のところ、僕が部活を辞めた理由の一つは、いつか能力の限界を知るに至って、他ならぬこのケンゾーのような、真の才能に恵まれた者にはかなわないと悟ったからであるが、当のケンゾーはそんなことは知る由もない。

 僕らはしばらく無言でボールを蹴り合った。

 そのうちケンゾーは何を思ったか、受け取ったボールを巧みにドリブルし、ゴールの方へ突進して、相手をかわす動き(フェイント)を入れながら、思い切りシュートを放った。

 サイドネットを揺らしたボールを、彼はさらに手で拾い上げ、ゴールを決めたサッカー選手のように、その辺を走り回って喜んでいる。

 僕ははしゃいでいる彼の頭ごしに、もう一個のボールでゴールを狙って、渾身こんしんのロングシュートを放った。

 見上げる彼のはるか上空を、滞空時間の長いボールが矢のように飛んで行く。そして、そのままゴールに突き刺さった。

 青空が高く、まぶしかった。

 シャツとズボンの汚れを払いながら、僕らは校舎の方へ引き上げた。

 途中、中庭のバスケットコートを通るとき、誰かが置き忘れたボールを、ケンゾーがヒョイと片手で拾い上げ、軽やかなドリブルのあと、猫のようなジャンプをしてゴールを決めた。その流れるような動きに僕はあらためて舌を巻いた。

 やはり彼の本業はこちらであった。

 教室には午後のカボチャ畑が広がっていた。みんなしまりのない顔をしている。

 昼休みのあとのマッタリとした空気の中で、英語の授業が始まった。

 英語の教師は、去年結婚したばかりの、近ごろ中年太りのはじまった、いかにも善良そうな男である。もともと性質が大人しいので、みんなこの時間は寝る気マンマンである。

 ところで、教師のことはさておき、僕はもう一人、ちょっと毛色の変わった生徒を紹介するのを忘れていた。

 ケンゾーのとなりのとなりの席に、図体のデカい白人の生徒が座っているのが見えると思うが、彼は文字通り、かなり毛色の変わった、アメリカからの転校生である。

 父の仕事の関係で(軍人であるらしい)、秋に立川へ引っ越して来て、このクラスに編入になった。母が日本人で、片言の日本語には不自由しないが、やはりどこかヘンな日本語を喋る。(物怖じしないので、それで平気みたいだ。)なんでも、男子校であることを入学の当日まで知らされていなかったようで、よく「父にだまされた」と不平を言っている。

 マシュー・カルブレイスなんとか言う長い名前であるが、この「Matthew【maeθju:】」という発音が、誰一人うまく出来ない。英語の教師でさえ、彼を呼ぶときは、少し照れ臭そうだ。よくも彼の親は自分の息子に、こんな呼びにくい名前をつけたものだ。

 そこで僕とタカシは、さっそく彼にアダ名をつけた。「マロ」というのがそれだ。その白いプヨプヨした肌が、あのやわらかな「マシュマロ」に似ているからだ。

 マロは当然のことながら英語の発音がいいので、よくテキストの代読をさせられる。なめらかに繰り出されるその言葉は、まるで水差しからこぼれ落ちるキラキラした水のようである。おそらく、構文自体は、日本語にすれば「彼の帽子は全然似合っていない」とか「日曜日の交差点はゴミゴミしている」とか、その程度の意味なのであろうけれども。

 喋ることに比べて、読み書きはあまり得意でなく、そもそも問題文の意味が分からないので、テストの点はあまりよくない。返ってきた英語の答案を見て、「オー・マイ・ガー!」と頭を抱えている。人生はとかくままならないようだ。部活は柔道部である―――

 そしていよいよ、本日最後の授業がはじまる。この「歴史」は、僕が唯一、自分から楽しみにしている科目である。

 はじめから歴史が好きだった訳ではないが、まずは担当の根本ねもと先生の人となりに惹かれた、というのが正直なところだ。

 根本先生は教師たちの中でも年配者の部類で、白髪の頭によれよれの背広を着て、むしろうだつの上がらない風采である。しかし、少し猫背で歩くその長身のうしろ姿に、どこか毅然としたものを僕は感じる。

 もっとも、大半の生徒たちの目には「ヨボヨボのおじいさん」としか映らないらしく、どちらかと言えばその授業は無法地帯と化す。先生はまったく怒らないので生徒たちはナメ切っていて、あからさまに昼寝をする者、大声でお喋りをする者、中には先生の似顔絵を描いて紙ヒコーキにして飛ばす者までいる。

 そんな雑音の中で、先生はいつものように訥々とつとつと授業をはじめた。喋り方も決してなめらかではなく、思い出したことを一つ一つ、確かめながら置いて行く感じだ。

「ものごとには……かならず……原因が……ある。歴史の流れに……偶然は……ない」

 そのまどろっこしいくらいのマイペースに、しびれを切らしたガリ勉タイプの生徒は、勝手に参考書を開いて自習をしている。

 僕は先生の言葉を一と言ものがさないよう、聞き耳を立てる。

 そのうち、内容が一区切りついたところで、僕はふと思い立って手を挙げ、先生にある質問をしてみることにした。先生はどんな質問に対しても、律儀に答えてくれるからだ。

 誰も聞いていないのをいいことに、僕はふだんから疑問に思っていた、歴史を勉強することの意味について、おおよそ次のような質問をした。

 もうすでに終わってしまった時代、起きてしまった出来事を学ぶことに、どういう意義があるのか。いくら歴史に学んでも、戦争はくり返すし、人類は少しも賢くならないように見える。むしろ物質的に豊かになるにつれ、一人ひとりは愚かになっていく気がする。歴史に学べば、はたして世界は「よくなる」のか、正直言って自分は疑問である。自然科学などに比べると、歴史という学問はうしろ向きで、あまりクリエイティブには見えないが、その辺りを先生はどう思われますか、と。

 根本先生は口元を結んだまま、しばらく考えていたが、やがて例の調子で、ボソボソと、つっかえながら喋りはじめた。

 要約すれば次のようになる。

 歴史とは、うらがえしの未来だと自分は考える。たしかに君の言う通り、人類は数千年の昔から、ちっとも進歩していないかもしれない。むしろ、幸福という観点から言えば、動物に近かった昔のほうが幸福だったとも言える。しかし、賢くなっていないかわりに、まんざら愚かになったわけでもない。万物はつねに変化する。どんなに平凡な人物にも何かしら取り柄があるように、暗黒の時代にも光明はあるし、退屈な時代にも希望はある。歴史という海の深さを知れば知るほど、未来という空の高さに思いはつのる。真っ白なキャンバスを前に、何を描こうかと、あれこれ空想している画家の喜びに似て、歴史を学び、未来を想像することは、何にも増してクリエイティブなことだと、自分は考える―――

 僕はその、根本先生の物静かなたたずまいの中に、めらめらと燃える青い炎のような情熱を感じ、少なからず感銘を受けた。

 ガヤガヤとした教室の中で、じつにタカシとケンゾーだけが、僕と先生のやりとりを聞いて、うん、うんと頷いていた。

 授業が終わり、ホームルームが過ぎた。僕はカバンを片手に教室を出た。

 校内のいたる所から部活に興じる声が聞こえる中、僕はいつものように、一人で帰途につく。

 バスの座席で、戻って来た答案を眺めると、歴史の八十五点以外は、目も当てられない点数だ。気にしないつもりが気になるところは、やはり僕も学生の端くれなのであろう。学生とはつまるところ、点数を気にする生き物なのかもしれない。

 家に帰ると、父も母も年末の忙しさにかまけ、僕の試験の結果など、まるで関心がないようであった。試験に関心のない親を持っただけでも、僕は十分恵まれていると言うべきであろう。

 火曜日―――

 風邪はすっかりよくなり、僕は階段を勢いよく駆け下りた。

「行って来まーす!」

 母も、今日こそは僕に弁当を渡すのを忘れなかった。

 そんなにハリ切って出かけるのは、時間に遅れているからでも、まして学校へ行きたい訳でもない。

 僕の最近の楽しみは、前に述べた通り、朝の電車で、彼女の顔を一目見ることであった。

 今日も彼女は同じ車両に乗っていた。僕もいつもの席に腰を下ろす。

 ふだん彼女は、本を読んでいるか、外の景色を眺めているか、目を閉じているか、そのどれかなのだが、ときどき今日のように、テニスラケットを大事そうに抱えていることもある。

 八王子S校はテニスが盛んで、彼女もそれをやるらしいことは前から分かっていたが、今日はまた別の発見があった。

 彼女が抱えているラケットの、白いケースの隅のところに、銀色に刺繍された「S・O」の文字が見えたのだ。

 S・O―――

 おそらく彼女のイニシャルであろう。

 僕は自然の流れで、いろんな名前の組み合わせを想像してみたが、そのどれもが、彼女の存在にはふさわしくないように思えた。

 僕の中で、彼女のことをあれこれ知りたい気持ちと、謎は謎のままにしておきたい気持ちが入り混じった。

 この感情を何と呼べばいいのだろう。

 現在、僕の知るかぎり、彼女に関する情報と言えば、八王子の学校に通っていること、読書が嫌いではないらしいこと、テニスをやるらしいこと、この三つだけである。

 そしてこの三つの条件さえあれば、僕みたいな単純な男子学生にとって、恋に落ちるには充分であった。

 もっとも、よくよく考えると、この世界の中で、こんな近くに、運命の人がいていいのだろうかという思いもあった。僕は恋愛に対して、臆病で、疑り深いのかもしれなかった。

 しかしまた一方で、運命とはそういうものかもしれない、と考えたりもした。この地球上の、この日本という国の、この東京という街の、中央線という電車で、毎朝同じ時刻に、同じ車両に乗り合わせる偶然―――それを運命と呼ばずして何と呼ぶのだろう。

 あとは、何かちょっとしたきっかけと、少しばかりの勇気があれば……

 実を言うと、僕は今でこそ彼女と向かい合うのに、さりげないポーカーフェイスを装っているけれども、―――恥ずかしながら、かつて彼女と偶然目が合った際、思い切って笑いかけてみたことがあった。

 もちろん、その試みは失敗した。笑顔が苦手な僕は、緊張で顔が引きつって、ヘンな表情になってしまったのだ。

 馬鹿だと思われはしなかったか。

 僕は決して利口な方ではないけれども、彼女の前で品位だけは保とうと思っている。そういうのはきっと分かってしまうからだ。実際―――誓って言えるが、僕は今まで彼女のことを、夜の妄想の中でけがしたことは一度もない。彼女はそういう対象ではないのだ。そこら辺の安っぽい女たちとはわけがちがうのだ。

 彼女の方も、それ以来、あえて目を合わせることはなくなり、また少し距離が空いてしまった感じだが、しかし、相変わらずこの車両に乗って来るということは、決して嫌われた訳ではないような気がする―――

 思いがあれこれと四散するうちに、今日もまた黄金の時が訪れた。

 彼女の髪にパッと光が差した。

 ところが、ちょうどその時、前を通りかかったランドセルの集団が、折しく僕の視界をさえぎってしまった。

 僕は「あっ」声を上げ、ちょっと口惜しい気がしたけれども、その代わりに、そこで見たもの―――子供たちの姿を目で追う彼女のやさしい笑顔―――が、あらたな思いで僕の心をかき乱した。

 バスに乗り換え、学校に到着した。

 相変わらず退屈な授業を、僕はひたすら路傍の石仏のようにやり過ごした。

 二時間目が終わり、すでに空腹を覚えたので、弁当を開いて早弁組に加わった。

 とはいえ誰かと無駄話をするでもなく、ただ黙々と箸を口に運ぶだけである。

 最近の僕は、事あるごとに、いろんなことがむなしく感じられ、しだいに寡黙になっていた。物言えば唇寒し―――そんな心境に包まれていた。

 大人になるということは、世の中の不条理に目をつむることなのであろうか。あるいは他の生徒たちのように、むやみに馬鹿笑いをし、鈍感さというよろいを身につけなければ、世の中は渡っていけないのであろうか―――

 中学の頃までの僕は、それなりに意欲をもって勉学に、スポーツに、いそしんできたつもりである。そしてそのまま、日の当たる大通りを大手を振って歩いて行くはずであった。しかし、いったいいつの間に、どの時点で、世の中のレールから外れてしまったのだろう―――

 弁当のフタを開けると、中にはお店で使うのと同じ「山菜きのこのおひたし」が添えられていた。ホロ苦い味であった。

 僕は現実のホロ苦さを噛みしめるように、その山菜きのこを呑み下した。

 ふと廊下を見ると、幼なじみの信ちゃんが、なにやら慌てた様子で、ヒョコヒョコと廊下を急いでいた。

 信ちゃんは一級上の三年生であるが、小学生のころよく遊んだ幼なじみである。本名は真壁まかべ信一という。痩せ型の長身で、もともと笑っているような顔をしている。気がやさしく大人しいので、同学年の友人より僕ら下級生に慕われていた。中学は別々であったが、高校でまた一緒になった。

 生まれつき足が悪く、すこし右足を引きずるようにして歩く。その信ちゃんが、なぜだか廊下を小走りに急いでいる。手には五、六個のパンを抱えている。

 いつか子供のころ、みんなでいたずらをして、近所の果樹園から梨を盗んだとき、信ちゃんだけが逃げ遅れて、おかげで全員が捕まった苦い思い出がある。少々ドン臭いが、それでも僕らは、そんな信ちゃんが好きだった。

 僕は不審に思いながらも、廊下を走り去る信ちゃんのうしろ姿を目で追った。

 午前の授業が終わって昼休みになった。

 と間もなくリョースケが、ハリキった顔で僕らの教室に駆け込んで来た。あの目安箱の男である。

 リョースケは机のあいだを縫って一直線にマロの席の方へ向かった。そして空いている席へどっかを腰を下ろし、マロに話しかけた。

「マシューどん、マシューどん。またアメリカの話を聞かせてくれや……」

 リョースケの目はキラキラと輝いている。

 彼はこのところ、転校してきたマロに興味津々しんしんで、ときどき休み時間にやって来てはアメリカの話を彼にねだるのである。

「Alright……いいよ!」

 マロは軽く両手を上げた。

 僕とタカシも、なんとなく集合した。ケンゾーはもともと席が近いので、自然に話の輪に加わる形となった。

「今日は何が聞きたい?」

 図体のデカさに、誇らしさも加わって、マロはふんぞり返るように言った。体の大きさはタカシといい勝負か、むしろ一まわり大きいくらいである。いつか相撲を取らせてみたいものだと僕は企んでいる。

「アメリカの高校って、いったいどんな感じなの?日本とかなり違う?それとも、だいたい同じようなもの?」

 リョースケはいつものように、聞きたいことをストレートに訊いた。彼は思ったことを単刀直入に口にしても、不思議と人に嫌われない徳を持っている。

 僕とタカシも思わず耳を傾けた。ケンゾーもだまって聞いている。

「いや、ぜんぜんちがうね。まったくベツモノだと思ったほうがいい……」

 マロは何かを思い出すように、天井を見つめた。

「そうだね……まず、起立、気をつけ、礼、がない」

 彼はいきなり立ち上がって、大げさに、気をつけ、礼、をして見せた。

 僕ら全員が苦笑した。

「日本の学校は軍隊みたいだね。堅苦しすぎる。それはそれで、いいところもあるけど……」

と、ちょっと日本式にフォローを入れたあと、さらにいろんな違いを並べ立てた。

 まず、クラスに「担任」というものがないこと。悩みごとがあればカウンセラーに相談すること。授業は自分のレベルに合ったクラスを選べること。毎時間、生徒が教室を移動すること。先生にもよるが、授業中の飲食は基本的に自由であること。参加型で、プレゼンや討論会が多いこと。そのほか、夏休みが二ヶ月あり、宿題がないことや、イベントが盛りだくさんで、中でも「プロム」と呼ばれるダンスパーティーを楽しみにしていること、ハロウィンの時期は仮装したまま授業を受けてよいこと、などを懐かしそうに語った。

 もっとも、悪い面として、自由な分だけ、酒、タバコ、麻薬に手を出す者が多いこと、女の子の十代での妊娠が多く、結果、貧困の問題につながること、また人種差別がはげしく、あからさまな暴力行為をよく見かけること、などを挙げ、悲しそうに肩をすぼめた。

「そうか。自由すぎるのも一長一短だな……」

 リョースケは「考える人」のようなポーズで、感心したり嘆いたりしている。

「それにしても……」とマロがつづけた。

「ボクはヤマトナデシコに憧れて日本へ来たのに、まんまとオヤジにだまされたよ。フタを開けてみれば、こんな無骨なオスばっかりの動物園……」

と言いかけて、あわてて口に手を当てた。

 僕ら三人は同時にマロをにらんだ。

「ヤマトナデシコって、いったいどんなイメージなんだよ」

 タカシが挑むように訊いた。

 マロはここぞとばかり、

「そうだね、気が優しくて、おしとやかで、いつもニコニコしてて、つまらないジョークにもオホホと笑い、帰宅が遅くなっても文句を言わず、フカフカのベッドを用意していて、朝起きたらもうキッチンにいて、おはよう、と言うと恥ずかしそうに後ろを向き、ボクのことを、あなた、と呼び、いつも薄化粧をして、和服の似合うカワイイ人……」

と一気にまくし立てた。よく口が回る男だ。

「そんなお人形さんみたいな人、いないよ」

 タカシがお気の毒さま、という顔で舌を出した。

「じゃあ、タカシは、どんな子がいいんだ」

 マロが売り言葉に買い言葉で訊いた。

 いきおい話題は、女の子の話に移って行った。

「……そうだなあ。オレはどちらかと言うと、年上の人に憧れるな。余裕があって、面倒見がよくて、ほら、野球選手にあねさん女房が多いっていうだろ、あんなふうに、フトコロが深くて、自由に泳がせてくれるタイプがいいな……」

 タカシも少し夢見がちに頬をゆるませた。彼は野球部である。

「ボクはだんぜん年下がいいな」

 マロが負けずに言った。

「いろいろ教えてあげるのが楽しいし、尊敬される喜びもある。男女平等って言うけど、やっぱり男がリードするのが自然だと思う。昔からその方がバランスがいいんだ」

「マロはイバリたいだけだろ。頭が古いよ」

 タカシが挑発ぎみに言ったので、場の空気が少し険悪になった。

 リョースケがすかさず僕に話を振った。

「ボンはどう思う。どんな子がいい?」 

 さすがは生徒会役員、場を取りなすのが上手い。彼は僕のことを「ボン」と呼んだり、名前で呼んだりする。

「そうだなぁ、ええと……」

 いきなり指名されて、答えを用意していなかった僕は、少し考えてから言った。

「……すきのある人、の方が話しやすいかな」

 あまり恋愛を一般化したり、タイプ分けするのが好きでない僕としては、当たりさわりのない答えでお茶を濁したつもりであったが、思いのほかその言葉にマロが食いついて来た。

「そうそう、スキのある人ね!うまいこと言うね。ボクが日本へ来て、イイナと思ったのは、女の子があまり警戒心がないところだ。相手がどう出るのか、しばらく観察していて、話を合わせるのが上手だね。そして、最大のスキは笑顔だね。笑顔は、『あなたのこと、ウェルカム』ってことだからね……」

 マロの言葉に、こんどは僕が食いついた。

 そうか。笑顔はスキなんだ―――

 てことは、あまり笑顔が得意でない僕は、スキがない、ということか……

 なるほど……

 僕は勝手に目からウロコを落とした。

 しかしマロは、そんなことには一向かまわず、

「ムナカタはどう?さっきからサムライみたいに黙ってるけど」

と、いまだ一言も発言のないケンゾーに水を向けた。

「そんな風に無口なのはアメリカじゃ流行はやらないよ。だけど、ケンゾーはモテモテだね。君にも何か好みがあるのかい?」

 ケンゾーにファンクラブがあるのは前にも述べた。僕ら四人の中で、いちばんモテそうなのは他ならぬケンゾーである。リョースケもタカシも、そして僕も、食い入るように彼の顔を見つめた。するとケンゾーは、意外にもあっさりと答えた。

「……好み、って言うより、楽屋裏が分かるのはやりづらいな。バスケのバの字も知らないって方が気が楽だ。趣味は別々の方がいい。男と女って、ちょっと駆け引きみたいなところがあるよ……」

 早口にそう言って、ふたたび沈黙した。

 マロが口笛を吹いた。

「ヒュ~。カッコイイね。ロンリーウルフだね。しかし、それじゃちょっと消極的すぎるね。ボクなら駆け引きなんかせず、はじめから本命の子に行くよ。どんな子だって、いきなりうまくいく訳ないじゃないか。価値観はだんだんすり合わせればいい。いよいよダメだったら、別れればいいだけの話だ」

「こいつにはもうカノジョがいるんだよ」と、タカシがマロの言葉を遮った。

天野あまの篤子あつこっていう。オレと同じ中学の子だ。ボンも知ってるよ」

 僕とタカシは同じ中学出身で、天野篤子も同窓だった。小柄な天野は、あまり目立たないけれど、しっかりした感じの、笑顔の可愛らしい子だった。たしか薙刀なぎなたをやっていて、一時期タカシが熱を上げていたことも知っている。そしてそれが、現在、ケンゾーの彼女なのである。

「天野さんなら、僕も知っているよ。合同発表会のとき、打ち合わせでちょっと話したことがある」 

 リョースケが口をはさんだ。どうやら生徒会どうしの交流で、四校合同のミーティングをしたとき、国立くにたちM校の代表として来ていた天野と、たまたま同席したのだそうである。

「あまり自分から発言はしないが、僕が意見を求めると、少し待って下さい、と言って一旦保留にし、別のヤツが喋り終わったあと『ハイ』と手を挙げて、ハキハキと、なかなか現実的なことを言う。そして、フタを開けてみれば結局、話し合いは彼女の発言した通りの方向に進んでいる、といった具合だ」

「そうなんだよ!」と、タカシが語気を強めた。

「のほほんとしてるけど、いつの間にかあいつの言う通りになってるんだ。不思議なやつだよ。あいつを見てると、まわりの男がみんなてのひらの上で転がされているような気になる」

 タカシはかつて、天野篤子にラブレターを書いたことがある、と頭を掻きながら白状した。

「オレ、篤子の『篤』っていう字、まちがえて書いちゃったんだ。竹かんむりじゃなく、草かんむりを書いた。そしたら篤子が次の日、そっと教えてくれた。『調べたけど、そんな字、なかった』って。―――結果はもちろんダメだったよ。玉砕だ。だけどそれ以来、篤子のヤツ、すれちがうたびにオレに笑いかけてくれるようになった。単に笑われてたのかもしれないけどね。それでもに角、一歩進んだから上々だ、って思ってたら、コイツにとられた」

と言って、となりにいたケンゾーのひたいにデコピンをした。

 クールなケンゾーにためらいなくデコピンが出来るのはタカシしかいない。

 そう言えば僕は、ケンゾーと天野篤子について、二人の関係性を物語るような、何とも不思議なエピソードがあるのを思い出した。

 こんな感じだ。

 ケンゾーは二年生にしてバスケ部のエースであるが、それまで弱小チームだった立川F校を、都内有数の強豪校に変貌させたのは彼の功績と言ってよい。しかしその道のりは決して平坦ではなかった。はじめのうち、ケンゾーはそのほとばしる才気ゆえ、ほかのメンバーたちとソリが合わず、みんなの反発を食らうことが多かった。おそらく、自分と同じレベルを他人にまで求めたせいであろう。チームは分裂した。

 ところがその後、ケンゾーはあることをきっかけに、考えを改め、人を批判する代わりに、自ら態度を以て示すようになった。彼のパスは見ちがえるようにやわらかくなった。それからというもの、ケンゾーが出場する試合では、明らかに周りの動きがよくなった。メンバーの心と心がかみ合ったのである。

 そしてケンゾーを変えるきっかけとなったのが、じつに「天野篤子」の存在であった。

 彼女とつき合いはじめて、最初のうち彼は、かえってイライラしているように見受けられた。ときどき物に当たるような場面もあった。しかし、徐々にではあるが、顔付きがおだやかになり、我々に対しても余裕のある態度を取るようになった。 

 バスケ部が強くなっていったのはその頃のことである。

 彼女との間に何があったのかは分からない。

 しかし、彼女の存在がケンゾーの何かを変えたのは間違いない。

 天野篤子、恐るべし、である。

「……ほんとのヤマトナデシコってのは、あいつみたいな女を言うんだよ」

 タカシがちょっと照れ臭そうに、鼻の下をこすりながら言った。

 ケンゾーは黙っている。

「サカモト君はどう?。君がいちばんボクたちの中で、女の子に接する機会が多いだろう。うらやましい立場だ」

 マロがリョースケに詰め寄るように訊いた。マロはリョースケのことを、苗字みょうじで「サカモト君」と呼ぶ。「リョースケ」の「リョ(ryo)」がうまく言えないらしい。

「僕は女きょうだいが多いから、たいていの女子には心が動かないんだ……」

 リョースケが真顔で言う。

ねえちゃんが三人いるから、わりと女子は平気なんだ。空気みたいなもんさ。むしろ、いいところも、悪いところも、等身大に見えちゃうから、かえって大恋愛はムリかもね。恋愛には何かしら幻想が必要だからね」

「でもタイプぐらいはあるだろ?」

 こんどはタカシがマロに加勢する。この二人が揃えば、吐かざるを得ない。

「そうだなあ、つまるところ、ハートがあれば、どんな子だっていいんじゃないかな。むしろ第一印象は悪いくらいの方が、だんだんきほぐす喜びがあるよ。ちょっと暗めな感じの子でも、だんだん話してみると、案外逆だったりする。あるいは、サバサバ、というか、若干キツめのくらいの方が、僕にはちょうどいいかもしれない」

「だれかいるのか?」

「じつは打ち合わせのとき、八王子S校から来てた小柄な子が気になった。リョーコ、とか言ってたな。僕と同じ名前だったから覚えている。気の強いタイプで、歯にきぬ着せぬ発言が清々すがすがしい感じなんだ。僕がタジタジになるくらいだよ。もっとも、八王子S校からはもう一人来てたんだが、普通に言えばそっちの方がカワイかったけどね。二人ともテニス部だって言ってた」

 僕は思い当たるフシがあって、少し緊張した。

「……ちなみに、もう一人の子は、リョーコの発言をニコニコして聞いてるだけで、ほとんど建設的なことは言わないんだけど、その場にいる男たちがみんな、彼女の笑顔を引き出そうと必死になる感じなんだ。いわゆるカワイ子ちゃんだね。コマッチャン、て呼ばれてたから、てっきり小松さんかと思ってたら、本名は小野おの、と言うらしい。『小野小町おののこまち』から来てるんだろう……」

 僕は電車の彼女が抱えていたラケットのイニシャルを思い浮かべた。

 S・O……

「O」は、小野、ということか―――

 僕はそわそわと落ち着かなくなった。

 そう考えれば、いろんなことが符合する。テニス部で、大人し目で、まあ、それなりにカワイくて……

 その僕の微妙な変化を、ケンゾーだけが見逃さなかった。チラっとこちらを見るなり、彼は何かを合点した顔をした。がしかし、やはり沈黙を崩さなかった。

「でも、やっぱり、僕はリョーコの方にかれるな。こればっかりはどうしようもないね。人の好みは様々さまざま―――他人がとやかく言うことではない」

 昼休み終了のチャイムが鳴った。

 リョースケは、じゃあ、またこんど、と言って急ぎ足に自分の教室へ帰って行った。僕らもそれぞれの席へ戻った。

 リョースケが去ったあと、少したって、廊下の向こうから、足を引きずりながら階段を昇ってくる信ちゃんの姿が見えた。

 いつものように、少し笑ったような顔は相変わらずであったが、よく見ると、ワイシャツやズボンに泥が付いていて、不自然に汚れている。やっぱり様子がおかしい。

 四時間目が始まると、僕はどういうわけか、いきなり腹痛と吐き気に襲われた。

 よく下痢をする方ではあるが、これは単なる下痢とはちがう「食あたり」のような症状であることが感覚で分かった。

 とても耐えられる痛みではない、と早々にあきらめ、僕は小学生のように我慢したりはせず、堂々と手を挙げ、お腹をおさえるジェスチャーをしてトイレの方を指さした。

「そういうことは休み時間のあいだに済ませておくように」

 化学教師がしかめっ面でそう言ったので、みんながどっと笑った。

 廊下を急ぎながら、今朝から食べたものを思い出してみた。すると一つだけ、口にするとき違和感のあった食べ物に思い当たった。

 弁当の中に入っていた「山菜きのこのおひたし」である。

 ちょっとホロ苦い感じがしたのを、大人の味であると勝手に思い込み、鼻をつまむようにして呑み込んだのが、本当に腐っていた可能性が大であった。

 トイレの個室から、僕は三十分も出ることが出来なかった。

 上からも下からも、もうこれ以上出すものがない、というほど全てをしぼり出した僕は、ようやく這い出して来て鏡を見た。

 顔面は蒼白で、死人のようであった。

 そして、なにか薬をもらおうと保健室の方へ歩き出したとたん、僕はまた、さらに重大なことに気がついた。

 僕が食べた「山菜きのこのおひたし」は、そば処すずめの食材として、来客用に出しているものと共通なのである。

 もし客たちの中で、昨夜あの食材を口にした者があったとしたら、今ごろ僕と同じように、食中毒の症状に苦しんでいるに違いない。

 僕は表へ出て、校門へつづくスロープを転げ落ちるように、バス停横にある電話ボックスへと駆け込んだ。

「もしもし?……」

 電話口に出た母は、こちらが喋り出す前に、「あなた大丈夫?」と尋ね、お店が引き起こしてしまった失態について、取り乱した様子で語った。

「やっぱりそうなの⁉困ったわね……」

 母によると、おそらくその食材を食べたらしいお客から立てつづけに三件クレームの電話が入り、ひとまず臨時休業して、父が対応に回っていると言う。

「これからもっと増えるかもしれない。お母さんは今日はおうちのこと、何も出来ないと思うわ……」

 こっちはなんとか平気だよ、と僕はやせ我慢を言って、電話を切った。

 折から小雨が降り出した。

 スロープを戻りながら、僕はだんだんと、そば処すずめが遭遇そうぐうする、創業以来の危機について思いをめぐらした。

 飲食店が食中毒を出した場合、その大きさにもよるが、悪いイメージを払拭ふっしょくするのに相当の時間がかかるにちがいない。ましてお客さんが重症になったり、入院でもしたりしたら……

 僕は心配症が高じ、もしやお店が立ち行かなくなって、ついに廃業のやむなきに至るところまでを想像した。そのあかつきには、父も母も、玉手箱を開けた老人のように、けこんでほうけてしまうのだろうか―――

 変わらないと思っていた現実が少しずつ変わって行く。動かないと思っていた岩が、いつか波に押し流される。

 そんな悲観的な思いがしだいに僕の心を領した。体調がすぐれないことも相俟あいまって、思考は悪循環に陥った。雨脚が強くなった。

 保健室で女の先生に薬をもらい、ベッドに横になった僕は、近ごろにないほど深く眠った。

 教室へは保健の先生が連絡してくれて、結局、その日一日、僕は保健室で過ごすことになった。

 目を覚ますと、熟睡したせいか、すこし気分がよくなっていた。

 様子を見に来た担任が、しぶしぶかけたねぎらいの言葉も、今日は素直に聞くことが出来た。

 保健の先生が貸してくれたビニール傘を手に、僕はそのまま下校することになった。

 グランド横を通るとき、ふと見ると、激しくなった雨の中、ケンゾーが一人、ずぶ濡れになりながらトレーニングをしていた。ダッシュやフェイントを織り交ぜ、緩急をつけて、運動場をひたすら往復している。

 ―――人にやさしくするためには、自分は強くなければならない―――

 彼がかつて言った言葉が思い出された。

 ケンゾーは男が惚れる男である。

 僕はその姿を見送り、バス停へと向かった。

 家へ帰り着くと、父も母も不在であった。

 一人で留守番をしていた祖母が、しょんぼり帰宅した僕のために、得意の「フナ焼き」を作ってくれた。韓国のチヂミにも似た、いわば和風のホットケーキである。

「まあ、こんなこともあるさあね……」

 二人でそれをつつきながら、僕らは父母の帰りを待った。祖母ののんびりとした口調が、なんとなく僕を大丈夫なような気にさせた。

 ほどなく、お店の玄関の開く音がして、父と母の話し声が聞こえた。

「……誠意をもって謝罪すれば、なんとかなるもんだ……」

「渡る世間に鬼はなし、とはよくいったものね……」

 レインコートを脱ぎながら、そんなことを言い合っている二人の様子は、かえって晴ればれとして楽しそうにも見えた。

 一夜明けて、そば処すずめは無事、早期再開の運びとなった。年末に休業という、そば屋にとっての面目めんぼくはまぬがれた。

 その日、母は僕の弁当にことのほか気を使った。おかげで僕の体調もほぼ回復した。

 昨日の雨がまだ乾き切らない「さくら通り」を、返却するビニール傘を持って、僕はいつものように駅へと向かった。屋外型エスカレータが雨粒で光っている。

 ホームへ降りると、ふだんよりも人の数が多いように見えた。

「……人身事故の影響でダイヤが乱れております。みなさまにはご迷惑をお掛けいたします。列車が遅れて到着しますことをご了承下さい」

 アナウンスの声とともに、電光掲示板にも同じニュースが流れた。

 遅れてはいるものの、不通ではないらしく、かなり早めに出て来た僕は、そのまま待っていればよいことを理解した。

「それにしても……」

と僕は待ち列のうしろに並びながら考えた。

「人身事故というのは、その多くが『飛び込み自殺』であると聞くが、これもそうなのだろうか……」

 そして朝からまた憂鬱な気分になった。

 しばらくすると、警笛とともにライトを光らせて、急行電車が近づいて来た。

 三鷹を「通過」する列車なので、スピードを落とさずに入って来る。

 ホームの人々は、新聞を広げたり携帯電話を見つめたりしながら、すこし下がってそれを待つ。

 風圧とともに勢いよく走る列車の正面が、一瞬、無慈悲な殺人鬼の形相に見えた。

 僕は考えないようにしながらも、ある不吉な光景を想像した。

 日本では年間約三万人の自殺者があるという。三万人といえば、一日にして約百人、この日本のどこかで、自ら命を絶っている人がいる計算になる。

 はたしてこの数字は正常だろうか。

 われわれの住む二十一世紀の日本は、ひとえに先人たちの努力によって、かつてない自由と繁栄がもたらされた、世界でも有数の「豊かな国」のはずである。紛争や貧困にあえぐ諸外国に比べれば、あきらかに恵まれた環境と言ってよい。

 にも関わらず、電車を待つ人々の顔は決して幸福そうには見えない。

 なぜだろうか。

 元気そうに見える人々も、実を言えば心のどこかに、ある種の「むなしさ」を抱えているのではないか。

 職場での人間関係に苦しむ者。

 学業の成績がかんばしくない者。

 子育てがうまく行かない者。

 お金の問題、家庭の問題、病気の問題、恋愛の問題―――

 その悩みは人さまざまであろう。

 しかし、その根底にあるのは、察するところ「物質文明の限界」ではないだろうか―――と僕は考えた。

 戦後、何もなかった時代、人々はある面、ガムシャラに働きさえすれば生活を向上させることが出来た。目標はつぎつぎと現れ、それに向かって奮闘努力すればよかった。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、そして自動車、それを買ったら、こんどはマイホーム、といった具合に。

 ところが、やがて国民の生活水準が上がり、物質的に飽和状態になる頃から、人々はとたんに迷走をはじめた。

 つまり極端な話が、プール付きの家に住んでもいずれは飽きがくるように、物質的な豊かさはわれわれに本当の幸福をもたらさないのではないか。

 その堂々めぐりの果てに、どこからともなく忍び寄るのが、彼らの顔に共通する「空しさ」ではないか。

 そうこうするうち、今度は不況の時代がやって来た。働いても働いても、われわれの手には何も残らなくなった。

 しかし、オールを漕ぐのをやめるわけにはいかない。やめればたちまち、舟は沈んでしまう。

 一度手にした物質的繁栄を手放すことも出来ず、かと言ってそれに代わる別の価値観をも見出せないまま、われわれはそれを維持するために、相も変わらず欲望を追いつづけている。それをくり返すことで、自らの正しさを証明するように。たとえそれが、地球を滅ぼす愚かな行為であることにうすうす気がついていても、なるべくその事実を見ないようにしながら……

 われわれは波間に漂う舟のようなものだ。荒ぶる海の上を、右に揺れ、左に揺れしながら、なすすべもなく彷徨さまよっている……

 ホームで列車を待つ人々の表情は、僕にはそんな風に見えた。

 普通電車がやっと到着したので、僕は前の人につづいて車両へ乗り込んだ。

 ふだんとはちがう、混み合った車内で、僕はやはり彼女の姿を探した。

 彼女はいつもの席ではなく、そのとなりの、柱とドアのせまい隙間に、カバンを守るようにして立っていた。

 味気ないモノクロの世界の中で、彼女の周りだけがなぜか生き生きと色づいて見えた。どこにいても彼女の存在はすぐに分かる。

 僕のネガティブな思考は一瞬にして消え去り、分厚い雲間からそこだけ光が差しているようであった。

 学校へ辿り着くと、まずは保健室に行き、借りていたビニール傘を返した。

「あら、返さなくてもよかったのに……」

 保健の先生は僕の顔色を見て、ちょっと安心した表情になった。

 教室ではいつもの土手カボチャたちが、待ってましたとばかり僕をからかった。

「よう、セボンちゃん。おはよう」

「トイレにドボンと落っこちて、どっかへ流されたのかと思ったよ……」

 昨日、あまりに長くトイレから出て来なかったことを、彼らはこぞって揶揄やゆしているのであろう。しかも今日の僕が、意外に元気な顔をしているので、安心して毒づいているのにちがいない。小心なヤツらだ。

 しかし面白くないのは、その彼らがみな、学校の成績はまずまず良好ということだ。

 つまりはこういう人間が、これからの世の中の中心を担っていく、ということである。

 日本の将来はますます暗い。

 それで思い出したが、僕が世間というものを、少々冷めた目で、ななめに見るようになったきっかけとなった事件がある。事件と言えば大げさだが、僕にとっては大きな出来事であったことにはちがいない。「ゲルニカ事件」と僕はひそかに呼んでいる。

 それは春の文化祭の時のことであった。僕たち二年生の出しものは、クラス全員参加による壁画の製作であった。何を描くかという話し合いの席で、僕は少し思うところがあって、勇んで手を挙げ、「ピカソのゲルニカを模して、ちょっと変わった風刺画を作ってみてはどうか」と提案した。あの絵に登場する人物や動物たちのように、自分たちがふだん抱いている欲求不満やいきどおりを、戯画に託して表現してみれば面白い、と考えたのである。思い切って発言したのは、おそらく、リョースケの積極性に触発されたのかもしれない。

 ところが、僕の説明のつたなさもあって、アイデアはうまく伝わらず、提案は保留にされ、代案として採用になったのは、当時流行していたヒット曲のフレーズをテーマにした、下らないサクラの絵であった。

 僕は落胆した。

 わざわざ手を挙げて発言したことを後悔した。

 そしてそのとき、世の中を構成するほぼ八割の人間が、「ダサくて俗っぽいものが好き」ということを、ある失意をもって悟ったのである。

 まともであると思っていた自分がむしろ異端に属し、センスのない、いい加減な奴らが世の中の本流メインストリームを形づくる。その発見は、少なからず僕を困惑させた。そして、誇張して言えば、それまで信じていた世界が急にガラガラと崩れ去り、海の上にポツンとひとり取り残されたような絶望と孤独を味わうことになった。僕をからかった連中の多くは、いかにも罪のない笑顔で、楽しそうに毎日を送っている。彼らを乗せた船が、いつか激流に吞まれつつあることには微塵みじんも気づく様子もない。そしてその流れがどこへ向かうのかも……

 僕はそんな彼らを、憐みと、むしろ羨望の入り混じった複雑な思いで、ただ眺めているしかなかった。

 ところで、きのう僕が腹痛で欠席した最後の授業は「美術」であった。保健室で寝ている間、みんなはもうそれぞれの絵を仕上げて提出していた。

 昼休みになり、僕は美術室へ行って、写生用の画板と鉛筆をもらうと、階段を屋上まで駆け昇って重たい扉を開けた。

 遅れた分を取り戻すために、さっさと風景画を仕上げるつもりであった。

 屋上からの眺めは南西の八王子方面が最もよく、市街地の向こうに高尾山系の山並がうっすらと見えるその角度は、平凡だがなかなかの景観だ。そしてこの風景の中にきっと彼女がいる、という思いが、僕の決断をあと押しした。

 フェンスに近づき、適当な場所に腰を下ろして画板に向かう。さっそくキャンバスに一本、大まかな基準となる地平線をかき入れた。

 そして、どの辺りから描き始めようかと、遠景から近景へ視線を移したそのときであった。

 グランド脇の、ふだんバレー部が練習用に使っているコートの隅で、三、四人の生徒が何やら制服のまま戯れているのが見えた。

 僕は何の気なしにしばらくその様子を眺めていたが、そのうち、ふと、彼らの動きが少しおかしいことに気づいた。

 三人が一人に向かって、連続してスパイクを打っている。受けている方は、とてもレシーブが追いつかず、ときどき顔や体に悪意のある強い球を食らっていた。

 それは遊びや訓練ではなく、どう見てもいじめであった。

 しかもよく目を凝らすと、やられているのは、他ならぬ幼なじみの信ちゃんではないか!

 僕は一瞬にして、昨日信ちゃんが、汚れた服で廊下を急いでいたことの意味を理解した。

 思うが早いか僕はキャンバスを放り出し、屋上の扉をこじ開け、脱兎のごとく階段を駆け下りた。助けよう、という明確な意志があった訳ではない。しかしどうにも、居ても立ってもいられない気持ちであった。

 小学校のころ、よく一緒に遊んだ信ちゃん。

 ドンくさくて、お人よしで、友達思いで、決して悪いことの出来ない信ちゃん。

 いつか駄菓子屋で、信ちゃんがアイスの当りを引いたとき、自分はいらないからと言って小さい子にあげていた心根のやさしい信ちゃん。

 僕の頭に、次から次へと、信ちゃんの思い出がよみがえった。

 夕方には子供心にもうっとりするような綺麗なお母さんが迎えに来て、みんなにお礼を言って帰って行った。

 信ちゃんの家はキリスト教で、父親はいないらしい。家庭環境は複雑で、聞くところによると、いつも通っている教会の牧師と、信ちゃんの母親が関係にあるという悪い噂が流れたこともある。しかし僕らは小さすぎて、何のことかよく分からなかった。

 実際、信ちゃんは中学の三年間、ずっといじめに合っていたらしいこともかすかに伝え聞いていた。

 そんな信ちゃんが目の前でいじめられているのを見るのは、自分の子供時代がけがされるようで、僕は我慢がならなかった。

 義を見てざるは勇なきなり―――漢文で習ったばっかりだ。

 こんな場面に出くわして、だまって見過ごす自分であってはならない。

 校舎を駆け出し、グランドを走り抜け、ようやくバレーコートの前へ来た。

 上級生の三人がジロリとこちらを振り返る。僕は立ち止まり、ハアハアと息をついた。

 信ちゃんもほこりまみれになりながら、例の笑ったような顔でこちらを見た。

 僕ら全員は、しばらく無言のまま対峙たいじした。

「……なんだよ。特訓してるだけだよ。文句あっか」

 ガッチリと大柄な一人が僕の方へ歩み寄り、ドスの効いた声でそう言った。

 僕はもはや引っ込みがつかず、なにかカッコいいタンカを切って、すぐさま彼らの悪行あくぎょうを非難したかったが、なにぶん慣れない場面での緊張もあり、とっさに上手い言葉が出なかった。代わりに、ありったけの敵意をもってそいつを睨みつけた。

 男は「やる気か?」と言ってさらに距離をつめ、いきなり僕の襟首を掴んだ。

 他の二人は、どちらかと言えばひ弱そうなタイプで、ただ後ろに立って成り行きを見ている。おおかたこの主犯格の男にそそのかされてイジメに加わった口であろう。

 僕は、思わず飛び出しては来たものの、三年生複数を相手に、どう始末をつけるあてもなく、ただされるがままの劣勢になった。 

 しかしそのうち、僕の中の「蛮勇」が頭をもたげてきた。

 日頃どんなストレスがあるのか知らないが、大勢で一人をいじめるのはどう見てもよくない。しかも、いじめられているのはあの無抵抗な信ちゃんだ。たとえ上級生、許しておくわけにはいかない。

 僕は意を決した。

 そして頭の中で、この三人に勝つシナリオを思い描いた。

 僕の作戦はこうだ。

 まず、この襟首を掴んでいる男のうす汚いニキビ面に思い切り頭突きを食らわせる。そして彼がうずくまっている間に、左の男の無防備なスネに渾身のインステップ・キックを見舞う。そいつが戦意喪失したところで、最後に、右ののっぺり男をどうにかしてやっつける。いかに上級生といえども、一対一なら僕も負けてはいない。ただし、心置きなく一対一で戦うタイマンをはるためには、はじめの二人はかならず一撃で仕留めなければならない。息を吹き返して参戦されたら、おそらく僕に勝ち目はないだろう。失敗は許されない。一瞬の勝負だ。

 僕はためらうことなく、上体をうしろに反らし、頭突きの体勢に入った。

 ところが、結果はイメージとちがった。

 上級生の握力は思いのほか強く、頭突きは鼻先をかすめただけで空振りした。

 意図を見破られた僕はたちまち不利になった。

 ニキビの男は勢いにまかせて僕を押し倒し、馬乗りになった。僕はそのときはじめて、彼が元柔道部であることを思い出した。

 しかし、時すでに遅く、彼はルール無用のパンチを僕の左目に、さらに右の頬と下顎したあごに見舞った。

 そこへ左の男が参戦し、僕の脇腹に容赦ないトウ・キック(つま先蹴り)を加えた。やられる方としては、素人の力まかせのトウ・キックほど痛いものはない。僕はしばらく息が出来なかった。なんとも手加減を知らない奴らだ。

 そしてさらに三人目が僕の右から襲いかかろうとしたとき、ふと何かにつまづいたように、そいつは柔道部の背中に覆いかぶさった。

 見ると信ちゃんが、笑った顔のままその男の足をしっかりと押さえてくれていた。敵同士がぶざまに折り重なった。

 僕はそのすきに身をかわし、やっと押さえ込みの体勢を脱した。

 そのとき運よく、たまたま通りかかったタカシたちの集団が僕らの騒動に気づき、遠くから駆け寄って来た。

 上級生たちは大ごとになるのを恐れたのか、人目を避けるように一人、二人と走り去った。

「大丈夫か……」

 タカシは僕を助け起こしながら、殴られた顔を見て顔をしかめた。

 組み合っている間は何とも感じなかったが、しだいに左目と下唇が腫れ上がっていくのが分かった。

「大丈夫だよ……」

 僕は無理に笑ってみせたものの、やはりそれなりの痛さがあとからこみ上げて来た。

「信ちゃんは平気?」

 僕が信ちゃんの方を気づかうと、彼は泥まみれの顔をほころばせて、こんどは本心からの笑みを浮かべた。

「あ、りが、とう……」

 それから僕は―――なにしろ二日連続で保健室のお世話になるのは憚られたので―――水道の水で濡らしたタオルを顔に当てながら、教科書に隠れるようにして午後の授業をしのいだ。

 冷静になって考えると、本当にバカなことをしたものだ。何も暴力沙汰にすることはなかった。口で言えば済むことであった。もっとも、こちらが一方的にやられたことは、ある意味、不幸中の幸いであったとも言える。サッカーで鍛えたヘディングやキックの技を、ケンカなどに使って自らの青春をけがさずに済んだからである。

 家に帰ると、母が案の定、驚きの声を上げた。

「なに、その顔……どうしたの?」

 僕の顔はお岩さんのように腫れ上がっていた。

「大したことないよ……」

 僕はいかにも何でもないという風に、信ちゃんがいじめられていたことを、とくに誇張するでもなく、ありのままに話した。

 母は顔をしかめ、溜め息をついた。

 父は調理場からチラっとこちらを見ただけであった。

 夕食のとき、はじめに口を開いたのは父であった。

「……やり方はまずかったが、方向性はまちがっていない。それはお前という人物の、あり方を示す行為だ」

 父は例によって理屈っぽい話し方をしたが、大まかには誉めてくれているようであった。

「……お前という人間の、存在証明の一つだ。人生は短い。われわれはみな、志なかばで死ぬ。しかし、肉体の死をこえて生き延びる方法が一つだけある。それは、たましいに姿を変えて生きつづけることだ」

 あっさりと受け流すかと思いきや、父はこの出来事に思いのほか関心を示した。

「あの人ならこんな場合、どうするだろうか、きっとこうするだろう、という行動の規範を示すことが出来たら、その人の人生は本望だ。後世の人々の心の中に、その人の面影があるかぎり、その人が生きているのと同じだ。肉体が生きているうちに、魂の方向性を示しておくこと―――父さんはこれを『遠近法の哲学』と呼んでいる。遠近法では、起点さえしっかりしていれば、そこから線を引くことで正確な絵がかける。人生においても、『しっかりした起点』を持つことが大事だ。それさえあれば、仮にその人の人生が不本意に終わっても、その延長線上に幻影が残るだろう。そんな生き方が出来たとき、肉体はいつ滅んでもいいと、父さんは思っている……」

 父はそう言って、なにか昔を思い出すような顔付きをした。きっと自らの青年時代にも、似たような経験があったのかもしれない。僕の無鉄砲は親ゆずりなのであろうか。

 ところが、それを聞いていた母が途中から猛烈に反論をはじめた。

「なにを言ってるのよ!冗談じゃないわ。死んだら意味がないじゃないの。本末転倒よ。君死にたまふことなかれよ。あと数センチ下だったら、失明したかもしれないのよ。たかがケンカぐらいで、一生目が見えなくなる必要はありません。そして何より、命が一番大切です。そこだけはゆずれない。それをまず考えて、自分のやるべきことをやって下さい。一人で三人に立ち向かうなんて無謀よ。お父さんも、変なふうにきつけないでね。なにが『遠近法』よ。そもそも遠近法では『起点』ではなくて『消失点』というのよ。言ってみれば架空の点よ。架空の点より実体の方が先にあるんです。そこを勘ちがいしないで。お父さんの言い方をマネするなら、母さんは『天動説の復権』でいいと思うの。まず自分が中心にいる。そのまわりに家族がいる。そのつぎに生まれた町がある。そのつぎに日本。そういうふうに、しっかりと地に足をつけて、少しずつ大きく輪を広げていけばいいの。そして失敗したら、いつでもおうちに帰ってくればいい。そのための家族でしょ。男ってもう、ホントに、どうしようもないんだから……」

 母の勢いは止まらず、男はカッコつけてるだけでいいけど、その尻ぬぐいをするのはいつも女よ、とブツクサ呟いた。

 この父にしてこの母あり、と僕は感心して見ていた。

 しかし、そんな家族の反応のうちで、僕がもっとも意外だったのは、他ならぬ祖母のものであった。

 祖母はあとから食卓につき、話をだんだん聞いているうちに、やがて事情を察したようであったが、あらためて僕の腫れ上がった顔を見るなり、何を思い出したのか、口を真一文字に結び、ついぞ見たことのない渋面を作って、大粒の涙をボロボロとこぼした。そして静かに箸を置き、自分の部屋へと上がって行った。

 父も母も、祖母の思わぬ涙に気圧けおされる形で口を閉ざし、その話はそれで終わりとなった。

 大人たちの予期せぬ反応は、しばしば僕を当惑させる。

 僕は傷口を濡らさないよう風呂につかり、あざだらけの体を鏡に映したあと、パジャマに着替え、ゆっくりと階段を上がった。祖母はすでに床に就いているようであった。小さな写真立てが奥に見えた。僕はそっと自分の部屋のドアを閉めた。

 開け放たれた祖母の部屋からは、かすかに線香の匂いがした。

 翌朝目を覚ますと、体のあちこちが痛かった。洗面所の鏡の中には、試合後のボクサーの顔があった。

 母は見かねて、大きなバンソウコを貼ってくれた。

 祖母は、と言えば、昨日とは打って変わってほがらかな顔になり、すでに畑から帰って、元気に白菜の泥を洗っていた。

「ぼんちゃんの好きな白菜の漬物を作るよ」

とハリキッている。

 何はともあれ、僕はひとまず安心して、カバンを持ち、行ってきます、と家を出た。

 さくら通りを歩いていると、みんなが僕の顔をチラチラ見るので、この大きなバンソウコがいけないのだと思い、僕はすぐにそれをビリビリと剥がしてしまった。何も隠し立てすることはない。人にはそれぞれ事情があるのだ。

 とは言うものの、僕はあることにハタと気づいて、しだいに気おくれがした。

 これから、いつもの電車に乗り、そして彼女と顔を合わせる。

 彼女は僕の顔を見て、なんと思うであろうか。

 むやみにケンカなんかする乱暴者と思うであろうか。

 あるいは、物につまずいて転んだうっかり者と見るであろうか。

 転んだにしては不自然な傷である。

 いずれにしろ、よい印象は与えないにちがいない。

 今日は別の電車に乗ろうか―――

 いやいや、それはいさぎよくない。

 僕という人間にはこんな一面もあるのだということを、そのまま彼女に見てもらう方がいい。

 それに、そもそも彼女は僕のことなど眼中になく、目も合わせてくれないかもしれないではないか。

 そんなためらいや、ひらき直りや、あきらめにも似たさまざまな気持ちを抱えながら、僕はホームで電車を待った。

 電車のドアが開いた。

 見ると彼女は、いつもの席で、いつものように、膝をそろえて本を読んでいる。

 僕も何食わぬ顔で席を探すフリをしながら、やはり斜向かいの席に座る。

 彼女が読んでいる本のタイトルをさりげなくぬすみ見ると『恋する伊勢物語』とあった。

 彼女は本に読み耽っていて顔を上げない。

 僕は投げやりに、腫れ上がった顔をわざとさらすように、いつもより不貞腐ふてくされた表情で不良っぽく身構えた。

 なるようになれ、という心境であった。

 電車は武蔵境むさしさかいを過ぎた。

 すると彼女は、ある瞬間、ふうとため息をついて本から目を離し、窓を見上げた。

 彼女の澄んだ瞳が僕の方へ向けられたのはその直後である。

 僕は反射的に目をらし、そしてもう一度、おそるおそる彼女の方を見た。

 彼女は相変わらずこちらを見つめている。

 僕はドギマギした。

 そして、どういう訳か、彼女は、見開いた目をゆっくりと細めると、その唇にかすかな笑みを浮かべたのである……

 僕は自分の目を疑った。

 どういう意味だろう。

 しかし、今、たしかに、彼女はハッキリと笑った。しかも、僕の目をしっかりと見て……

 あなたはそれでいいのよ。そのままのあなたで……

 その瞳はそう言わんばかりであった。

 僕は何かのまちがいではないかと、なおも彼女の顔をよく見ると、やはりそこに浮かんだ笑顔は、決して非難や軽蔑ではなく、明らかに「共感」と「肯定」であった。

 僕は有頂天になった。

 一瞬にして自分という存在に光が差し、これまでしでかした様々な失敗や、犯してしまった数々の愚行が、すべてここへつながる道のように思えた。傷の痛みもいっぺんに吹き飛んだ。

 車窓を流れ去る風景が、天国の光に包まれていた。

 彼女はしばらくして視線をまた本に戻し、そしてそれ以上、こちらを見ることはなかった。

 しかし僕の恍惚とした気分はそれからも長らくつづいた。

 それは「恋愛の成就」と呼ぶにはあまりにささやかな出来事である。しかし、その喜びは僕にとって、生まれて初めての、充分すぎるほど甘美な陶酔であった。これさえあれば生きて行ける。たとえ世界中の人を敵に回したとしても。たとえ僕の人生が何一つうまく行かず、すべてが失敗に終わったとしても―――

 そんな不思議な全人感を、彼女の微笑は突如として僕に与えたのであった。

 学校へ着くと、何人かの生徒には昨日のいざこざがすでに知れ渡っていると見え、僕の顔を見てヒソヒソと囁き合う声が聞こえた。

 僕はどこ吹く風で、席にどっかと腰を下ろした。

 そんなことはもうどうでもいい、僕にはもう何もいらない―――むしろボコボコの顔に、ふだんより快活な表情を浮かべていたかもしれない。

 昨日の事件は、僕がそれを望まないこともあって、それ以上おおやけに取り沙汰されることはなかった。

 そのかわり、その日の話題をさらったのは、ある別の珍事件―――タカシたちのカンニングが発覚した一件であった。

 話によると、数学のテストの時、タカシを取り巻く四、五人の生徒の、点数がすべて同じ、まちがえた箇所もすべて同じ、ということにカマキリが気付き、職員室へ呼び出されて大目玉を食らった、というのである。

 叱られる際、タカシが一歩前に出て、僕が答案用紙を回しました、とみんなをかばう発言をしたものの、一番出来の悪いお前がどうしてそれをやる、とすぐにバレて、いっそう火に油を注いだようである。そのいきさつを、僕はことのほか痛快な思いで聞いた。そして僕の中で、タカシの株がさらに上がった。

 今日は何となく気分がいい。

 僕にとって気分がいいというのは、めったにないことである。

 僕はつねづね、自分を「運のない」人間かもしれないと思うことが多かった。

 やることなすこと全て裏目に出て、あまり望みが叶ったためしがない。

元々「神様」や「運」など、あまり信じない方であるが、もしあるとすれば、僕は見捨てられた方の半分であろうと諦めていた。

 そんなネガティブな僕の思考を、いっぺんに吹き飛ばしてくれるような、とてつもない破壊力を、彼女の笑顔は持っていたわけである。

 僕はまるで、フワフワと宙を歩くような、うわついた気分で午前の授業に臨んだ。

 一時間目の「地学」も、二時間目の「古文」も、ふだんならそんな勉強が何の役に立つと懐疑的な目で見ていた僕が、今日はそれもまた一興、という余裕の態度に変わっていた。

 そして中休みに例のごとく早弁のフタを開き、そば処すずめ特製のダシ巻玉子を頬ばりながら、僕の運勢もまんざら捨てたものではない、と思ったりした。

 ところが、三時間目の「現代文」の時間であった。

 この教師は、ふだんからよくつまらない冗談を言ったり、若ぶって生徒の人気取りをしたりする、僕の最もキライなタイプの筆頭であったが、今日の彼の、とある発言が、僕の高揚した気分に完全に水を差すことになった。

 彼は一人の生徒の成績の悪さをそしるのに、新宿の浮浪者を例に出して、わざとらしくその将来をうれいてみせた。教室からはまばらな笑い声も起こった。

 僕も、はじめのうちは何となく聞き流していたが、ふり返ってその言葉を吟味すると、だんだんと腹が立ってきた。

 世の中には言っていいことと悪いことがある。例を挙げるにも品位が必要だ。これは聞き捨てには出来ない。

 僕はなるべく気持ちを抑えながら、おもむろに手を挙げた。

「先生……」

「ん?」

「先生は、浮浪者がはじめから浮浪者だと思いますか」

「?……」

「生まれた時から浮浪者の人がいますか、と訊いてるんです……」

 僕のただならぬ気配に、教師はすぐさま異常を察して、みるみる真顔になった。そして哀れなくらい狼狽うろたえるのが分かった。

「な、なんだ佐倉……。最近やけに威勢がいいようじゃないか……」

 昨日の件を知っているようである。

 彼は気圧けおされまいと、口の端で笑った。「お前もガード下で寝たいか」……

 つられて何人かが笑った。

「誤魔化さないで下さい!」

 僕は喋っているうちに、しだいに興奮が抑え切れなくなった。

 いつか教室はシーンとしている。

「あの人たちはみんな、むに止まれぬ事情で、仕方なくそうなってるんじゃないか!よくそんな想像力のないことで、国語の教師がつとまりますね」

「な、なにを!」

「大学の教師が明日浮浪者になってもおかしくない時代なんだ。ましてや高校の教師ごときが……」

「おい、やめろ!」

 ケンゾーが後ろから僕を制した。

「……」

 僕は決して浮浪者の肩を持つつもりはないし、社会派を気取る意志もなかったが、彼の迂闊うかつな発言をきっかけに、いろんな思いがせきを切って出て来てしまったのかもしれない。

 このまま言い合いをつづけていたら、とんでもないことまでぶちまけてしまう―――かろうじて理性のをつかまえた僕は、深呼吸をして腰を下ろした。

 しかしもう一度、いたたまれない思いがつのり、椅子を蹴るようにして立ち上がった。そしてそのまま教室を出て、ざわついた雰囲気を背中に感じながら、まっすぐ、廊下を階段の方へ向かった。

 どこへ行くあてはなかったが、こんな俗悪な人間どもと一緒に、一秒たりとも同じ空気を吸いたくない、という心境であった。とにかく今日は家に帰ろう。

 しかし、間抜けなことに、すぐにカバンを忘れたことに気づき、再び教室に戻ると、タカシとマロだけが大きく拍手をしていた。教師はそしらぬ顔でテキストを開き、つとめて平静を装いながら「……損するのは自分だぞ」と負け惜しみを言った。

 校門を出て、いつもならバスに乗るところを、どうにもムシャクシャした気分が収まらず、僕は立川駅まで歩くことにした。歩いてもたかだか四、五十分の距離だ。昭和記念公園の中をつっきれば、散歩がてらいい気分転換になるだろうと考えた。

 北側のゲートから入って、枯木立の中を、延々と伸びた遊歩道に沿って歩く。人影はまばらで、ほとんどすれちがう人はいない。少しだけ西に傾いた太陽と、まだうっすらと透けて見える真昼の月が対照的である。僕は釈然としない気持ちを大股の歩幅に乗せて、振り払うように歩いた。

 それにしても、いったい僕は何に対して怒っているのであろう。

 僕は自問自答した。

 そもそも、学問とは自分を「磨く」ためにあるのではないか。それをひけらかしたり、相手をおとしめたりするのは、むしろ自分を「けがす」ことではないか―――

 さっきは上手く言えなかったが、僕はきっとそういう事が言いたかったのだろう。

 思えば教師という仕事は因果なものだ。政治家や医者と同じく、よほど謙虚な気持ちを持ちつづけないと危険な商売である。みんなに先生、先生と呼ばれ、自分がまるで万能の導き手になったように錯覚する。愚かな教師の中には、威厳を保つためにわざと仰々しく振舞う者もいるかもしれない。小学校の教師のように、明らかに生徒との間に力の差がある場合は別だが、高校ともなると、能力においてすでに教師を凌駕りょうがする生徒だっているのだ。しょせん未熟者が未熟者を教えるのだから、先生たちはもっと謙虚になって然るべきではないか。

 もっと謙虚になれ―――

 その同じ言葉を、彼らはきっと僕に向けて投げかけるであろうけれども。

 日本の学校教育は、―――と、落ちこぼれの僕が言うのも笑いぐさだが―――もっといろんな個性を認め、いろんな方面に伸ばしてやることを考えてもいいと思う。なのに現状はと言えば、おもに経済界の優秀な歯車の育成だけを重視しているように見える。いかに人を出し抜くか、要領よく点を取るか、そういったあざとい競争力のある人間が最も評価される。日本の経済が下り坂になって久しいのに、いまだに人々は昔の栄光を追いつづけ、経済優先のやり方を変えようとしない。いったいいつから、こういう風潮が生まれたのか。大昔の日本人はもっとのんびりとして「遊び心」があったはずだ。平安時代の貴族文化しかり、江戸時代の町人文化しかり。こんなにせわしなく、セカセカと働く風潮が生まれたのは、いったいいつ頃だろうか。思うにそれは、きっと戦後すぐのことでないか。文化を楽しむ余裕などなく、とりあえず食うために、経済の復興を第一に考えた時代―――その時代の考え方が、今なお空気として残っているのではないか。もうそろそろ、金儲けのことは忘れて、ゆったりと文化を楽しんでいいはずなのに。きっと大多数の人々は、流されて生きる方がラクなのであろう。自分の信念や哲学を持つよりも、他人の価値観や「損得勘定」で生きる方がエネルギーがいらない。それはちょうど、あの「ゲルニカ事件」において、桜の絵に票を入れた八割の数に符合するかもしれない。

 つまり、悲しいかな、世の中を構成するのは、こういった主体性のないな人間なのだ。この八割が右に動けば、世の中は右に動く。左に動けば左に動く。それはまるで図体のデカい大蛇だいじゃのように、背負い投げを食らわそうにも長すぎてつかみどころのない代物である。魔力のある笛くらいしか、彼らを操るすべはない。

 仮に、残りの二割がいかに踏んばっても、あたかも洪水のときの堤防のように、荒れ狂う川の勢いを止めることは出来ない。とりわけ僕のようなヘンクツな人間は、波に呑まれていまにも転覆しそうな小舟のようなものである。役に立つどころか、身を守るのがやっとだ。

 いつから僕の人生はレールを外れてしまったのか。

 中学の頃までは、自分が陽の当たる大通りの真ん中を歩いているつもりであった。勉学にスポーツに、それなりに精進もした。

 そしてそのまま真っ直ぐに歩いて来たはずなのに、いつからか、自分が大河の本流とはかけ離れた、波の荒い傍流アウトサイドの方へ追いやられていた。

 僕の歩き方がおかしかったのか、それとも世の中の方が不自然に曲がっているのか、その答えは分からない。

 しかし、今の僕が、ほとんど舟から投げ出されて、あわや溺れかかっている状態なのは確かだ……

 僕はアスファルトを歩く自分の影を見つめた。

 また見上げると空には、爆音とともにヘリコプターが飛んで来て、しだいに高度を下げている。

 公園に隣接する陸上自衛隊のものだ。

 熊笹の生い茂る林の中に、敷地を区切る長いフェンスがあって、その向こうに小型の飛行機が数機並んでいるのが見える。グランドでは隊員たちが、体を鍛えるためにランニングをしている。

 僕はまた考えた。

 現在の自衛隊が、おもに災害時の救援や、それを未然にふせぐ警戒の役割を担っていることは知っている。しかし、その成り立ちや存在意義を思えば、どうしても「戦争」というものを連想してしまう。

 平和憲法のもとで、若者が再び徴兵されることは考えにくいが、ほんの数十年前までは、それが当たり前に行われていたことを、僕は出来るかぎり想像してみた。

 命の危険が伴う仕事(兵役)に、問答無用で駆り出される。はたしてそんな状況に、僕らは耐えられるであろうか。

 地球よりも重たいと教えられた命を、喜んで捧げる別の対象を、そこに見出せるであろうか。

 時代の変化は、僕らが考える以上にめまぐるしい。ほんの少し前のことでさえ、その状況と価値観のちがいを思い描くことが至難である。

 そういえば、祖母の兄にあたる人―――あの、僕に似ているという、写真立ての凛々しい青年―――が、戦争に行って亡くなったという話を、これまでに何度か聞かされたことがある。しかもいろんな話をつなぎ合わせると、それが「特攻」による戦死であることも事実のようだ。

 僕はそのことについて、初めの方こそあまり深くは考えなかったが、やはり正常なことではないと、このごろ思い始めた。

 特攻とは、言うまでもなく、生還をかえりみない捨て身の体当たり攻撃だ。今では考えられない、そんな人権を無視した、愚かな作戦に身を投じた人間がいることを、しかも自分とそう遠くない身内にいることを、僕はどう受けとめればいいのか。

 どんな事情がそうさせたか。

 僕らには僕らの事情があるように、彼らにも何かしら彼らの事情があったのであろう。

 少なくとも、愚かな大人たちが僕らのことを、ただ甘やかされたナマケモノと決めつけるような、想像力のない見方はしたくない。

 ひょっとすると、もっとたちの悪い大蛇があの時代にもいて、結局、だれもそれを制御できなかった、ということであろうか。

 僕らは耳をすませば、目の前の風景のいたる所に、前の時代と同じ水の匂いを感じ取ることが出来る。

 立川駅へ向かうゲートを出て、僕は公園をあとにした。

 時刻は十二時をすこし回ったところだ。

 このまま家に帰れば、きっと父や母は、昨日に引きつづき、また何をやらかしたのかと思うであろう。

 僕はとっさに思いを巡らし、家とは反対方向の、下り電車を乗り継いだ、高尾山のことを頭に浮かべた。

 昨日キャンバスに描きかけて途中となっていたその風景の中を、実地に歩いて見聞を深めるのもいいだろう、わずか数百メートルの低い山であるが、その山道さんどうを登るうちに、僕のざわついた気持ちも少しは落ちつくかもしれない、と考えたのである。

 思い立ったが吉日、切符を買って車両に乗り込む。

 平日の昼間の下り電車はガラガラだった。

 僕はシートに体をもたせるようにダラリと腰かけ、漫然と車窓を眺めた。

 立川から先へはあまり来る機会がないので、流れ去る風景はそれなりに新鮮であった。

 多摩川を越え、ケンゾーの住む日野ひのを過ぎ、リョースケの地元の豊田とよだを過ぎる。そしてもう一度鉄橋を渡って、電車はゴトゴトと進む。

 つぎに停車する八王子では、僕は立ち上がって窓際へ歩み寄り、南側に広がる住宅地を眺めた。あの丘の上に彼女の通う学校がある。いまごろ彼女は、午後の日差しに髪を光らせながら、教室の窓辺でしずかに授業を聞いているであろうか。なにげなく外を見るそのまぶたの裏に、僕の姿はまだ映っているであろうか。

 やがて電車は高尾で停車し、私鉄に乗り換えてまたしばらく行くと、「高尾山口たかおさんぐち駅」へ到着する。

 紅葉のピークはもう過ぎているので、登山客はそれほど多くない。

 降り立った僕は、カバンをロッカーに入れ、大きな地図でルートを確認したあと、渓流に沿って登山口の方へ進んだ。みやげ物屋がまばらに軒を並べている。

 制服のまま、しかも革靴で歩いている人間は僕以外にいない。

 ケーブルカー乗り場の横を過ぎると、さっそく登山道へつづく入口があった。数あるルートの中で、僕は最も自然の多そうなそのコースを迷わず選んだ。紅葉の散り敷いたデコボコ道はさすがに革靴では歩きづらかったが、僕が求めていたのはまさしく、こういったたぐいの小さな冒険であった。そわそわした感じもまた心地よかった。空気はヒンヤリとしていた。

 落ち葉の凍りつく段々をしばらく登るうちに、樹木もしだいに鬱蒼としてきて、頭上にわずかに木漏れ日が見えるくらいになる。運動不足のせいか、自分の筋肉がまるで他人のようだ。まだ登り始めたばかりなのに、かなりふくらはぎが痛い。

 それにしても、と、またさっきの怒りが込み上げて来る。

 ちょっと教科書を開けば、そこにはなかなかいいことが書いてあるのだ。

 いわく「博愛の精神を持ちなさい」とか「常識にとらわれないように」とか「理想は高く」とか。

 ところが、いざそれを実践しようとすると、途端に風当たりが強くなるのはなぜだろうか。教師たちはあからさまに正反対のことを言う。

「現実を見なさい」とか「要領よくやりなさい」「人を蹴落としてでも自分が優位に立ちなさい」などなど。

 それは哲学ではなく、ではないか。

 どうしてその矛盾に気がつかないのであろう。

 生徒たちの方も、あんなに難しいテストはやすやすと解くくせに、いちばん大事な問題については途端にだんまりを決め込む。二重人格もいいところだ。

 いったい間違っているのは僕の方だろうか。

 急勾配を抜け、ようやく道はなだらかになった。

 プンプン怒りながら登って来た僕は、一息ついて周りを見回すと、いつしか森の中へポツンと一人立っていた。鳥のさえずりが聞こえる。

 もうすでに三分の一は登ったであろうか。さだめし低い山である。

 やがて木立ちの向こうから、なにやら話し声が聞こえて来た。山を下りて来た登山客のグループのようだ。

 めいめいお洒落なハイキングの出立ちで、楽しそうにお喋りをしながら年配の女性たちが接近する。僕は狭い道をすれちがうのに、少々体を傾けた。

 おばさんたちは取りとめもなく、家族の話や年金の話、健康の話などしている。下り道だけに舌は滑らかだ。

 そのうち、集団から少し遅れたらしい一人が、息を切らしながら追いついて来た。「みんな待ってよ……」

 そのおばさんは僕とすれ違うとき、なぜか「こんにちは」と言ってニッコリとした。

 不意をつかれた僕は、とっさに返事が出来ず、「……んちは」と口の中でモゴモゴ呟いた。

 彼女はどう見てもドンくさい感じだが、僕の場違いな制服を見ても何とも言わない辺りに、その性格のやさしさが感じられた。一くくりにおばさんと言っても、いろんな性格の人があるようだ。

 僕はおばさんたちのお喋りを聞くのが、それほど嫌いではない。

 その「健全さ」に救われる気がするからだ。

 この人たちは、この世に生まれて来て、なにか大きなことを成し遂げようなどとは、これっぽっちも考えていない。ただ人生を楽しく過ごせばよいと考えている。利害損得に敏感で、ときどきそのみみっちさに驚かされることもあるが、それすらも、何か動物の本能を思わせるようで好もしい気がする。

 彼女たちはなぜこんなに元気なのだろうか。

 思うに―――僕もそうだが、とくに男の場合は、手柄てがらを立てようと躍起やっきになるあまり、こまごまとした日常のことをないがしろにしがちである。観念の世界に生き、やがて行きづまった挙句、精神を病んだりするのもたいてい男だ。これは動物として本末転倒である。男の悲しさは、例えて言えば、なるべく大きな円を描こうとして両手を広げ、ひっくり返るカエルのようなものだ。円の大きさにも限界があり、その線はしだいに直線に近くなって行く。男たちは人生の途中で、広げた手の痛みに耐えかね、方針を変えて小さくまとまるようになる。そしていつか疲れ果て、ショボくれたおじさんになる。

 ところがおばさんたちは、はじめから小さな円を描こうとするので、その小さな円と円が寄り集まって、結果的に点描画のような集合図形になる。そして知らず知らずみんなで、大きな円を描いているのではないか。決して欲張らず、―――いや欲張ってはいるが、等身大の欲で満足して、つつましく平凡に暮らす。けっきょくこれが動物としていちばん賢い生き方かもしれないのだ。おばさんたちを見て元気になるのは、とかく男が忘れがちな「自然」を思い出させてくれるからではないか。

 母の書架にあるフェルメールという画家の作品には、おばさんを描いた名画が多い。それはこの画家が、彼女たちの中に、ある種の「永遠」に通じる尊さを見ていたからではないだろうか。

 見渡せば、いま僕がいるこの自然の風景も、決して左右対称ではなく、いろんな物がてんでバラバラに混在し、全体として美しいバランスを保っている。そしてそれでいいのだ。僕はひとりで何かを納得したような気分になった。

 道はやがてまた険しくなり始めた。大木がそそり立つ林の中を、道とは呼べない道に沿ってひたすら登って行く。

 ブナやシイなどのさまざまな樹木が、何十年、何百年かけて成長し、少しずつ葉を広げ、枝をのばし、地面の中でさらに太くなった根っこが、風雨にさらされ、むき出しとなり、地表で複雑にからみ合って天然の足場を作っている。折り重なった根っこは、数えきれない登山者によって踏み固められ、つるつるに磨かれて、いつしかわれわれを山頂へみちびく「階段」となって目の前につづいている。

 僕はせり出した枝にからまる太いつるを引っ張りながらさらに登りつづけた。ワイシャツの中が汗ばんでくるのが分かった。しかしそれは心地よい疲労感であった。

 山道はときどき下り坂になったり、また上ったりして、変化に富んでいた。思いがけず開けた場所に、樹木を透かして降りそそぐ日差しが神々しかった。

 またしばらくすると、別の登山客とすれちがった。両手に杖をもった、足の不自由そうな男性である。

 彼は立ち止まって道を譲るとき、やはり汗ばんだ顔に笑みを浮かべ、「こんにちは」と言った。

 こんにちは―――

 こんどは予想していたので、僕はスムーズに返事が出来た。

 登山者たちはよく挨拶をする。

 それは、敵意がないことの表明や、相手へのねぎらい、元気に登山ができることへの感謝の気持ち、健全な趣味への誇り、など、いろんなニュアンスが含まれている。

 ふと僕は、自分に足りないのはこういう点かもしれないと思った。

 うすうす自覚していることだが、僕はカッとなりやすいのが欠点である。気分というのは暴君みたいなもので、興奮するとすぐに前後のみさかいなく行動してしまう。心と体は「バランス」が大事だ。心の重心はつねに肉体の上に乗っていなければならない。肉体の可動範囲をこえて心が暴走すると、知らぬまに大きな犠牲を払うことになる。

 加えて僕はつねづね、なにかにつけ世界を、戦うべき「敵」とみなす傾向がある。しかし、そもそも世界は「敵」であろうか。そう感じるのは、今の僕が、どこかしら依怙地いこじになっているからではないか。

 たとえばリョースケなら、この世界を敵だとは考えていないはずだ。おそらく彼は、この世界を、乗り越えるべき荒波、くらいに考えて、波乗りを楽しんでいるのではないか。

 彼ならばきっと、小さなしくじりを、やれ「ゲルニカ事件」などと大袈裟にとらえ、いつまでも恨みに思っているのではなく、失敗したらすぐに次の手を打つだろう。

 また信ちゃんを助けたときだって、僕は短気を起こさず、暴力以外の手段を考えるべきであった。

 もし、ケンゾーならば、相手に指一本触れることなく、ジロリと睨みを効かせるだけで済んだかもしれない―――もっともそれは、あくまで「ムナカタケンゾー」の特権であり、僕の実力と知名度ではとても覚束おぼつかないが。

 本当に強い男はやさしい―――いつか彼が言っていた言葉が思い出された。

 いったい僕のカッとなりやすい性格はなんなのだろう。せっかちな「完璧主義者」なのだろうか。あるいはスケールの小さい「潔癖症」か。人間のやることに「完璧」はあり得ない。あるとしたら、限定された狭い範囲内での話だ。生まれてまだ十七年しか経っていないのに、自分を限定した世界に閉じ込めるのはもったいない―――たまにはタカシを見ならって、あまり細かいことは気にせず、荒地を突き進むブルドーザーのように、豪胆に生きてもいいのではないか。もっとも、当のタカシは、そんなことは思いもよらないであろうけれども。困難にぶつかったら、「ブルドーザー、ブルドーザー」と呟くことにしよう。

 ようやく、視界が開けた先に、休憩所をかねた展望台が設けてあった。

 ちょうどここが山の中腹にあたるらしい。来た道を振り返りながら、僕は大きく伸びをした。

 いつのまにこんなに登って来たのだろう、木々のこずえの向こうに、陽光に照らされた八王子市街が広がっている。

 目を凝らせば、うっすらと遠くに新宿の高層ビル群も見える。

 視力がよくなりそうな風景だ。

 そして高いところからの眺めは、僕の気持ちをおおらかにさせた。

 ―――僕が僕の人生に悩んでいるように、ほかの人たちもそれぞれ、ままならぬ日常をもがきながら生きているのであろう。父や母や祖母、駄菓子屋のおばさんをはじめ、リョースケ、ケンゾー、タカシ、また電車の彼女、それからコンビニの店長や、あの愚かな国語教師の顔までがつぎつぎと浮かんだ。

 またふいに新宿のビル群が、せいくらべをしている怪獣の姿に見えた。

 そう言えば、僕はときどき、この世界には大小さまざまな「モンスター」がはびこっているのを感じることがある。

 企業というモンスター。学校というモンスター。世間というモンスター。国家というモンスター……

 それはあくまで僕の空想の産物にすぎないが、言ってみれば、実体のない巨大な怪物が、個人の意思をこえて、ひとり歩きをしているイメージである。人間が「集団」を形成するところに、それは亡霊のように現れる、と言ってよい。はじめは誰かの意志であったものが、しだいに制御コントロールが利かなくなり、やがて自らを肥大化させるためだけに、モンスターは動きはじめる。人々はあやつり人形のように、セッセとそいつに餌を運ぶ、命を捧げる。そして気がつけば、それはとても直視できないグロテスクな姿に変貌している。

 モンスターが現れる条件は、つまるところ人間が「神さまの模倣マネをしたがるとき」と言っていいかもしれない。

 われわれは何かに没頭するあまり、―――あるいは自らの正しさに固執するあまり、ついつい盲目的になりがちである。しかし、人間が決して神にはなれないように、すべてのモンスターは決して実像にはなれない。いつかは消える魔法―――いわば虚像である。

 われわれは、それが虚像であることを念頭に置きながら、モンスターと上手に付き合っていくしかないのであろう。なぜなら、そいつは実体がないだけに、ともすればよりも大きくなってしまいかねない存在であるから……

 僕はそんなとりとめのない妄想に耽りながら、目の前につづく山道を再び歩き出した。

 日差しはすでに西に傾き、山肌をオレンジ色に染め始めている。

 来た時の、僕のぐずついた心も、いつのまにか晴れていた。

 体を動かせばたいがいの悩みは吹き飛んでしまう―――いつかアホな体育教師が言っていた言葉がふいに思い出された。くやしいけれど至言のようだ。

 またしばらく行くと、大きな木の切り株があった。

 両手を回しても届かないくらいの大きな切り口に、幾重にも、また幾重にも年輪が刻まれていた。

 僕が生まれるずっと前から、この木はここに立っていて、移り行く世相をしずかに見つめて来たのであろう。

 ときには荒ぶる戦火をの当たりにしたかもしれない。太平洋戦争はもとより、日露戦争、日清戦争のことまで、多分この木は知っているにちがいない。

 人間の歴史は戦争の歴史、というが、そもそも―――と僕はまた考えた―――なぜ人間は戦争なんかするのだろう。

 戦争とはもちろん、双方にダメージを与える愚かな行為である。人も多く死ぬ。

 はじめからそうと分かっていれば、当然、話し合いによって解決する方が賢明である。なぜそうならないのか。

 知恵のある学者や政治家が何人もいて、方策を考える時間も充分にある。思わず手が出る、といった子供のケンカとは訳がちがうはずだ。

 動物の場合なら、争いごとを力で解決するのは常套手段である。手っ取り早いし、それで自然のバランスもとれている。

 しかし近代国家どうしが、あと先考えず、その野蛮な解決法によって無益なつぶし合いをするのは、いかにももったいないし、だいいち今日では、地球を滅ぼすリスクさえある。

 そこまで人間は愚かなのか。

 ふだんもっともらしいことを言う大人たちが、いざ国家間の争いとなると、とたんに聞き分けがなくなるのはなぜだろうか。一人ひとりの力ではいかんともし難い何かがそこにあるのではないか。

 思うにそれは、意外に身近な要因かもしれない。

 僕自身の場合にしても、決して争いごとが元々好きではないが、否応なくそれに巻き込まれる可能性はある。

 信ちゃんがいじめられているのを見て、僕は思わず立ち上がった。あのときの気持ちはおさえようがなかった。もし被害者が僕本人だったとしたら、僕はもう少し我慢したかもしれない。しかし、弱い立場の信ちゃんを守りたいという気持ちが、自分の理性を狂わせてしまった。

 ひょっとすると「愛する者を守りたい」という気持ちは、いざとなったら自分の「命」よりも大きくなるのかもしれない。僕らの世代はつねづね「命がなにより大切」と教わってきたが、状況によってわれわれの「心」は、自分の肉体をも顧みないほど愛する者のために強暴になるのかもしれない。つまり、争いの一つの原因は、ほかでもない「愛」なのではないか。

 そしてそれは、容易に貧困や虐待にあえぐ自国民を守りたいという気持ちに変わり、戦争へとつながってゆく。この場合、相手の被害のことなど考えている余裕はない。むしろ、相手をなるべく悪者に仕立て上げ、味方に有利な筋書きを立てた方が戦意高揚につながる。そしていつか戦争は泥沼にはまって行く。

 また、それとは別に、戦争を大がかりなものにする原因に、技術力の進歩がある。

 アインシュタインの研究が結果的に原子爆弾の開発につながってしまったのは有名な話だが、これに限らず、優秀な頭脳が戦争に利用されてしまう例は数多い。科学者たちは、決してそんな目的のために知の追求にいそしんでいる訳ではないのであろうけれども、少なくともこれまでの科学の歴史は、原発事故や各国の軍事演習を見るかぎり、功罪あい半ばする結果になっていると言わざるを得ない。

 つまり「知」の追求も、戦争を拡大させる一つの原因と言えるのではないか。

 ならば、人間はいっそのこと文明を捨て、自給自足の暮らしに戻る方がいいのかと言うと、そういうものでもないであろう。だいいちそれが出来るのは、ごく限られた、自然の豊かな国の人々のみである。厳しい環境に生まれた者たちは、そもそもそれを克服するために、知恵をしぼり、文明を生みだしたのではなかったか。つまり、話はふりだしに戻る。

 「知の追求」を否定することは出来ない。それは人間を他の動物から区別し、人間たらしめている最大の特徴だからだ。問題はそれをどう利用するかだ。単にそれを、私利私欲の追求のために用いるのであれば、これまでの二のてつを踏むことになる。われわれはせっかく築いた文明を、なにか別の方面に有効活用すべきであろう。

 しかし、それが難しいのは、おそらく、進歩という「欲望」を持ちながら同時に「無欲」になるという、矛盾する行為をわれわれにいるからではないか。

 お坊さんのジレンマにも似ている。

 あるいはもう一つ、「美の追求」もまた、戦争を長びかせる原因となり得ることを僕は身にしみて思う。そして、僕が気を付けるべきはここだ。

 「ゲルニカ事件」で思い知ったのは、世の中の人の八割が「美的なもの」よりも「俗っぽいもの(なじみのあるもの)」を好むということである。この傾向は、くやしいけれど如何いかんともしがたい。しかし、見方を変えれば、猥雑なものを受け入れ、異質なものと共存できるの方が、健全ということも出来る。世の為政者たちは、ともすれば同質を求め、同じ言語、同じ民族、同じ宗教による国家の統一を望むけれども、こうした、言わば「潔癖さ」が、戦争を根深いものにしているとも言えよう。ヒトラーが若いころ画学生であったという事実も、あながち偶然ではないかもしれない。また、日本軍が、負けると分かっている戦いで「玉砕」を望んだのも、一種の美意識であっただろう。

 つまり、今考えてきたように、戦争の原因となるのが、これまで人間にとって「よいもの」とされてきた「愛」や「真・善・美」であるなら、それを克服するのは至難の業であろう。もともとそれは、追求すべきものでありこそすれ、克服すべきものではないのであるから―――

 戦争がまだ斧や弓矢、刀や鉄砲で済んでいた時代はよかったが、今や科学技術を駆使した核兵器の時代である。ひとたび戦争が起きれば、人類が滅亡する可能性だってある。

 少なくとも、けっきょく地球を滅ぼした愚かな動物は人間であった、というふうにはなりたくないものだ。

 ふと林の中から山鳥の飛び立つ音が聞こえた。

 もうかなりの高さまで登って来たようである。

 僕らは鳥のように空も飛べず、魚のように海も泳げない。

 先の見えない、どんよりと曇った二十一世紀―――

 終末観さえ漂うこの時代を、われわれはどう生きるべきか。

 自分の舟の漕ぎ方さえ分からない僕に、この先いったい世界のために何が出来るか。

 ため息とともに坂道を上る僕の足元に、我知らず額からにがい汗がしたたり落ちた。

 そのとき、前方から坂道をわいわいと下りて来る家族連れの姿があった。若いお母さんと姉妹と思しき二人の女の子である。

 僕は何かのきっかけとして、まずは自分が変わらなければと思い、手始めに、この見ず知らずの親子に、こちらから挨拶を仕掛けてみようと企んだ。

 なんでもないことだが、僕にとっては少なからず勇気のいる行為だ。

 親子連れが近づいてくる。いよいよだ。

 僕はドキドキしながら、まるで動物園の象に恐る恐るリンゴを差し出すように、思い切って声を発した。

「こんにちは……」

 親子連れはふいに喋るのをやめ、こちらを見てキョトンとした。そしてゆっくりと微笑を浮かべ、

「こんにちは!」

と言った。

 元気のいい返事であった。

 いちばん小さい女の子までもが、たどたどしく、コンニチハ、と頭を下げた。

 僕は込み上げて来るうれしさをひた隠しにしながら、なるべく澄まし顔で通り過ぎた。

 まったく気分とは不思議なものだ。一瞬にして晴れたり曇ったりする。

 やがて目の前の空が広くなり、あと少しで頂上という風景に辿り着いた。もう一息だ。

 僕は気分がいいついでに、今ならきっと冷静に、自分が生まれた時代、置かれた状況について見渡すことが出来ると思った。波の状態を知れば、舟の漕ぎ方もちがってくる。

 僕らの世代の特徴として、よく言われる言葉には、さまざまなものがある。無気力・無関心はもとより、覇気がない、夢が小さい、飽きっぽい、リアリティーがない、男らしくない(女らしくない)、表情に乏しい、何を考えているか分からない、などなど……。

 心ここにあらず、といった表情のことを「エリック・サティーの音楽のような」と表現した批評家がいたのには、思わず笑ってしまった。

 たしかに、どこも見ていないような目、しいて言えば、世の中全体をぼんやりと眺めているような目は、僕らの世代の淡白さの表れであり、鼻息の荒い中年のおじさんたちには奇異にうつるであろう。迷走している人間の特徴かもしれない。反対に、きちんとした目標があり、自分の仕事の価値を信じて疑わない人の目は黒目がちである。よく笑い、よく泣き、よく怒る。昭和生まれの教師などに多いタイプだ。

 しかし彼らは、たまたま時代に勢いがあり、その流れに沿って舟を漕いでいればよかっただけで、迷いがないかわりに、すぐ目の前の風景しか見えていない。僕らに言わせれば、

 しょせん彼らだって、その前の世代からは「新人類」などと呼ばれ、理解不能の烙印を押されていたではないか。今どきの若者、の連鎖である。

 思うに「激動の昭和」に対してわれわれの時代は「なぎの平成」と呼べるかもしれない。

 川の流れにたとえると、舟が転覆しそうな急流をどうにか抜け、しばらくは安定した快適な旅を楽しんでいた「昭和」に比べ、われわれの時代はほとんど波風のない、吹き溜まりのような沼地を、それぞれの舟がバラバラに、方向を見失ってたゆたっている、といった状況であろうか。腐臭を放つ水の上で、どっちへ漕いでいいか分からず、ひたすら退屈に耐えている、どっちへ漕ぐのも自由だが、そこに出口があるという保証はない。まるで灯籠流しののように、真っ暗な海をゆらゆらと流れゆく舟たち―――

 われわれの旅路はかくのごとく、恐ろしく自由で、なおかつ、恐ろしく孤独なのだ。

 もちろん、決して呑気のんきな時代というわけではない。今のところ戦争こそないが、この国のどこかで毎日百人が自死しているし、きっと天変地異は忘れたころに襲ってくる。

 いじめを苦に自殺する中学生の悩みが、アウシュビッツで殺されたユダヤ人の悩みより小さいと、誰が言えるであろうか。平穏に見えるこんな時代でも、その闇の深さは同じ、と言っていいだろう。

 しかし一つだけ、僕らの世代に有利な点がある。それは、無風状態で波がおだやかなおかげで、視界がよいということだ。

 われわれは先人のかつぐお神輿みこしの上に乗った「稚児ちご」のような存在かもしれない。 

 大人のような馬力はないが、高い場所から、進むべき正しい道を指し示すことが出来る。

 しがらみも、気兼ねもなく、無責任に、自由にものが言える。これは世界でも珍しい、奇跡のような状況だ。

 われわれに与えられた役割は、すなわちこれである。

 肥大化したモンスターを等身大に戻し、動物としての人間本来の姿を見つめ直す。曲がりくねった大河の、今にも氾濫しそうな流れを、少しの工夫で、なるべくスムーズに、大いなる海へと導く。

 傲慢のそしりを恐れずに言えば、この狂った時代、腐敗した日本に生まれた僕らの世代の、それが特権でもあり、また使命なのではないか。

 まちがった歴史の流れを正すのは「僕らの世代」である。

 そんな荒唐無稽な空想をもてあそびつつ、僕はひとりで興奮し、胸を熱くした。

 木の階段を昇りきると、途端に視界が開けた。

 ついに頂上へきた。

 登山客たちの顔には、達成感とともにおのずと笑みが浮かんでいる。

 広場の中央には「高尾山頂」と刻まれた石碑がある。

 僕はあたりを一周し、山頂からの眺めを味わった。

 中でも西向きの展望が最もよく、折り重なった山々が遠く離れるにつれ、しだいに薄墨のように白く霞んでいる。

 こういう名前の山がここにあるという、横長の写真と実際の風景とを見比べながら、山にはいかめしい名前がつくものだな、と僕は妙なところが可笑しかった。富士山のあるべき場所に富士山は見えなかった。

 山登りはやっぱりいいな。来てよかったな……

 そんな平凡な言葉が、真実を表していた。

 しかしながら、山頂からの風景よりも僕にとって印象的だったのは、山々を背に思い思い記念写真を撮る、西日に照らされた人々の晴れやかな顔であった。

 そして僕の目的もひとまず達せられた。それが何だったのか、忘れるほどに。

 帰りは別のルートから、大きな神社の中を通って山を下りた。

 電車に乗る頃には日はとっぷりと暮れ、僕は真っ暗なガラスに映る自分の顔と、三鷹で降りるまでの四十分の間、否応なくつき合わなければならなかった。

 家に帰り着くと、母が僕の顔を見て「だいぶれは引いたようね」と言った。高尾山に行ったことは、もちろん黙っていた。

 夕食をすましてテレビをつけると、ニュースキャスターが「リーマンショック」の話題に顔を曇らせていた。

 世界は僕の知らないところで、また新たな局面を迎えているようだ。

 風呂に入って、早めにベッドに横になる。しかし、電気を消してもなかなか寝られない。

 僕は手探りでCDを選び、ヘッドホンを着けて一九七〇年代のロックを聴いた。

 耳に飛び込んでくる荒削りな音は、古めかしい空気感とともに、色あせない「永遠性」を帯びていた。僕の居場所はここである―――そうしみじみと思った。

 翌朝、部屋のカーテンを開けると、禅林寺の上は曇り空であった。

 僕の心も、やはりまだ完全に晴れてはいなかった。

 国語教師の発言に反発し、教室を飛び出したことに後悔はなかった。

 しかし、そのむくいがこれから来るという思いが、僕を憂鬱にさせた。

 担任はきっと型にはまった叱言こごとをいうであろう。

 先日、保健室を見舞ってくれた時には、ちょっといい奴かもしれないと思ったが、やはり教師の務めとして、「俗物的」対応をするはずである。

 生徒たちの方も、きっと僕のことを、かなり毛色の変わったヤツ、という目で見るにちがいない。溺れかかった人間を助けるのに、自分も溺れる必要はない。それは仕方のないことだ。

 群れからひとり離れるというのは、やはりしんどいことである。

 僕は重たい足取りで三鷹駅へと向かった。

 心にふと彼女の顔が浮かんだ。今日もこれから出会うはずだ。

 彼女の笑顔が、きのう僕をそうさせたように、他には何もいらないほど、一切の暗雲を吹き飛ばしてくれるかもしれない。

 あの太陽のような笑顔はまた見られるであろうか。

 それとも、彼女が笑いかけたように見えたのは、たんなる僕の勘ちがいであったか……

 僕は答案の答え合わせをする思いで、いつもの列車に乗り込んだ。

 ところが、今日に限って、彼女はいなかった。

 いつもの席はぽっかりと空いていた。

 僕は拍子抜けがして、向かい側の席にドスンと腰を下ろした。

 やれやれ。人生は一筋縄ではいかない。

 もちろん彼女にも事情はあるだろうし、小さな舟と舟とが毎日、同じ場所ですれちがうのは、やはり当たり前のことではないのだ。

 僕はいろんな理由をこしらえて、彼女の不在を自分に言い聞かせようとした。

 しかし、胸にしのび込んだ落胆と空しさを消し去ることは出来なかった。

 学校へ着くと、みんなが僕の顔を見て、すぐにまた目をらした。いつものからかいの言葉もなかった。

 どうやら、迷子はついに見捨てられたようだ。

 タカシだけが大袈裟な身ぶりで、おどけるように僕に敬礼をした。

 朝礼もまるで何事もなかったように済み、担任も昨日のことには一切触れなかった。

 僕はてっきり、もしや無罪放免かとも思った―――が、もちろんそう甘くはなかった。

 二時間目の終わりに職員室に呼ばれた。

「佐倉。自己責任でやるのはいいが……」

 担任はどこかで聞いたような説教の決まり文句を並べた。僕は大人しく聞いていた。国語教師が遠くの席から、ちらちらと見ているのが分かった。

 しかし、もっと激しい叱責を覚悟していたせいか、担任の言葉は心に響かず、そよ風が顔を撫でたくらいのダメージで済んだ。

 案ずるよりも産むが易し―――

 こんな場合に使う言葉かは分からないが、僕はかえって肩の荷が下りたような気がして、少し元気が出た。早弁できなかったことが唯一悔やまれた。

 チャイムぎりぎりに教室に戻ると、どういうわけか誰もいなかった。

 僕はキョトンとした。

 が、すぐに、三時間目は音楽の授業であることを思い出した。みんな音楽室へ移動しているのだ。

 うすいテキストを手に掴み、廊下をたどって別棟べつむねの音楽室へと急ぐ。

 ところで僕は、音楽はもちろん好きだが、音楽のはあまり好きではない。着たくもない服の寸法を測られているような気がするのだ。そう言えば実際に着る方の服も、あまり堅苦しいのは好きではない。箪笥の中は同じようなパーカーやトレーナーばかりである。お世辞にもファッションセンスがあるとは言いがたい。僕はつねづね、みんなのことを「救いようのない俗物」のように言うけれども、ことファッションに関するかぎり、僕の方こそ不粋な八割に属するのであろう。ファッションのみならず、政治経済とか、ギャンブルとか、株の話とか(分からないけど)、自分の興味のない分野においては、他ならぬ自分自身が、その他大勢、食えないジャガイモの一人にちがいない。発言には気をつけよう。

 音楽室へ近づくにつれ、ガヤガヤとした物音が聞こえて来た。ときどきバカ笑いも混じっている。とても大人しく授業を聞いている様子ではない。

 ドアを開けると、生徒たちはみな好き勝手にお喋りをしていた。女の先生はピアノの前で、困惑した顔である。

 おそらくは、音楽は受験科目にないので、生徒の誰一人、真剣に聞く気がないのであろう。

 音大を出たばかりの女の先生は、しばらく我慢して雑音の中でピアノを弾いていたが、そのうち突然バーンと不協和音を響かせ、立ち上がってメガネの奥の涙を拭きながら教室を出て行った。生徒たちは、それでも喋るのを止めなかった。

 僕は、ふと心の中で、これが昨日山道で出会った女の子の将来の姿だとしたらどうだろう、と想像して、ひとり心を痛めた。

 しかし、昨日の今日なので、あえて黙っていると、とつぜんマロがイライラした様子で立ち上がり、「みんな、うるさいぞ!シャラップ!」と叫んだのには、驚きもし、大いに感心もした。このマシュマロは、なかなかいい奴かもしれない。

 それにしても、きのう高尾山に登ったときには、なにか進むべき道の方向性が見えたような気がしたが、やはり下界へ降りてみると、相変わらず日常は、奸計かんけいうずまく修羅のちまたであった。闘うべき亡霊がウヨウヨいた。

 僕はなんとしても、自分の航路を照らしてくれる明かりが欲しかった。真っ暗な海の上を、自前のサーチライト一つで進むのはいかにも心許こころもとない。月明りや星明りは確かに大いなる味方である。しかし、もっと身近な生身なまみの人間に、お前の道はまちがってないよ、そのままでいいんだよ、と言って欲しかった。

 幸い、四時間目は根本先生の授業であった。

 おろかな生徒たちは、自習時間のつづきのように思って、ガヤガヤをやめなかった。僕はこの機会に、騒音のなかで手を挙げ、先生に、ある突っ込んだ質問を投げてみた。

 先生はなぜ、歴史という学問を志そうと思われたのですか、そして、なぜそれを人に伝えようとされるのですか、と。

 対話はふたたび、僕と先生の一対一になった。

 その質問は先生にとって決してイヤな質問ではなかったらしく、しばらく考えた末、先生はぽつぽつと喋りはじめた。そして驚いたことに、僕が漠然とイメージしていた、あの「川の流れと舟」という、同じ例えを口にしたのである。

「……歴史という大きな河があって、……われわれはそのどこかに、とつぜん放り出されるのだ……どこに生まれるかは……自分では選べない……流れの急な場所もあれば、ゆるやかな場所もある……そして、たかだか数十年の人生を、生きるわけだが、……その河がどこへ向かうかは、神のみぞ知る、だ……しかし少しずつ、語りつがれた物語をつぎ合わせることで、……われわれはその河の地図を手にすることが出来る、それが歴史だ。……そして、実際は見ることの出来ない源流の風景を、……想像によって、うかがい知ることが出来る……そして、自分が今いる場所に、……遠い過去と同じ水が流れているのを感じる……それは自分という存在の小ささを知ると同時に……それを誇りに思えるようになることでもある……私はちょうど戦争が終わった昭和二十年に生まれたんだが、……それは日本がいちばん貧しかった時代だ……私は自分の運命を呪ったよ……なんてヒドイ時代に生まれたんだ、と……しかし、……歴史という学問に出会い、それを学ぶにつれて、……自分の悩みがとても小さな、取るに足りないものに思えるようになった……」

 ふだん能面のような根本先生の顔が、そこでニッコリと崩れた。

 キン、コン、カン、コーン。

 そこで授業が終わった。

 僕の心に立ちこめた霧は、かなり鮮明に晴れたような気がした。やはり根本先生は只者ではなかった。

 しかし、それでもまだ、僕のやり場のない虚しさを癒すのに、決定的な何かが足りない。

 その何かとは、もはや言うまでもなかった。

 彼女に会えなかったことが、埋めがたい不満として僕の胸にわだかまっていた。

 太陽を覆い隠している暗雲は、依然として居座っている。

 このまま週末を迎え、彼女に会う機会を来週にまで延ばすなんて、どうして出来るであろうか。

 今日は金曜日―――

 来週という時がとてつもなく遠い未来のように感じられた。

 今すぐ、彼女に会いたい。今日中にも。

 そう思い始めると、矢も楯もたまらなくなった。

 僕は昼休みのうちに、一気に、きのう高尾山から眺めた八王子市街の風景をまぶたに浮かべてキャンバスに仕上げた。しかし僕の意識は、その中の一点に集中していた。

 彼女に会いに行こう。八王子の学校まで。

 そして、唯一無二の、天女の放つ光によって、心の雲を晴らしてもらおう。

 彼女はきっと、放課後のテニスコートで、部活の練習にいそしんでいるにちがいない。急いで行けば間に合うはずだ。

 せっかちな僕は、授業の終了がとても待ち切れず、チャイムと同時に誰よりも先に校門の坂をかけ下りた。そしてすでに動き出していたバスを呼び止め、ドアにすべり込んだ。

 車窓の風景を見ながら、僕はあらためて、ここが僕の生きる場所だ、と思った。

 立川駅へ着き、昨日に引きつづいて下り電車の切符を買った。なんだか毎日、僕は家と反対方向へ向かってる気がするな、と苦笑いした。

 多摩川を過ぎ、ケンゾーの家のある日野に停車する。

 僕はケンゾーの家へは、二、三度遊びに行ったことがある。

 ケンゾーには大学生のお兄さんがいて、ギターを弾く。

 何をかくそう、僕とケンゾーは、このお兄さんからギターの手ほどきを受けたのだ。

 同じ時期に始めたので、腕前も同じくらいであろうが(比べたことがないので分からない)、あるいはテクニックではケンゾーの方が上かもしれない。僕は実のところ、あまり器用なタイプではない。

 本当言うと、はじめはリョースケもそこにいたのだが、彼はしばらく見ているうちに、自分には芸術面の才能がない、と早々にあきらめたのか、次からは来なくなってしまった。

 ケンゾーの家は自転車屋を営んでいて、ムナカタ・サイクルという、地元ではよく知られた店だ。

 あるとき、天気がよいこともあって、ギターの練習に飽きた僕らは、自転車を借りて、多摩川の土手を上流の方へ、ひたすら漕いで行ったことがある。

 この川がどこから始まっているのか、その源泉を探ろうという算段であったが、当然の如く川はどこまでも延々とつづいていて、とても終わりがないことをやがて悟った。そして、やむなく途中で引き返して来た。何時間走ったかは、よく覚えていない。

 こんな無謀で愚かなことを本気で試みるほど、当時の僕らは無邪気で、かつ純粋であった。僕はそんな思い出に耽りながら、鉄橋からの風景を眺めた。

 やがて「豊田」に停車する。豊田はリョースケの住む町である。

 僕はリョースケからも、遊びに来るよう誘われたことがあるが、まだ一度も行ったことがない。

 気さくな彼に何の遠慮をする必要はないのだが、しかしどうも、彼の家は大家族で、しかも姉さんがいっぱいいると聞いていたので、僕は尻込みをしていたのかもしれない。人見知りのクセはなかなか抜けない。

 そうこうするうち、ようやく八王子に到着した。

 時刻はまだ四時過ぎだが、冬の日の暮れやすさに加え、今にも降り出しそうな曇天もあって、辺りはすでに真っ暗であった。

 ホームに降り立った僕は、勢い込んで出ては来たものの、さすがに少し緊張してきた。

 別に、告白しようというわけではなく、ただ彼女の姿を見て安心したいだけなのに、なぜか悪事に手を染めるような後ろめたさがあった。

 八王子は大きな街である。人の流れがぞろぞろと階段を動いて行く。僕はあとに続き、改札を出た。

 華やかなプロムナードを抜け、表へ出ると、南側に連絡路をかねたテラスが広がっている。円い吹き抜けの部分からは、一階の広場が見下ろせる。広場の中央には大きなクリスマスツリーが飾られている。

 そのきらびやかな、趣向を凝らしたイルミネーションの美しさに、僕はしばし心を奪われた。

 われわれは、それが人工的なものであると分かっていながら、都会の夜景やイルミネーションといった華やかな眺めに、どうしてもロマンチックな気分を催してしまう。人の感受性とは不思議なものだ。

 思うに、日本のクリスマスの最大の美点は、だれに気兼ねなく、おごそかで甘美な気分が味わえるところにあるのだろう。

 彼女の学校は南口から歩いて十五分くらいの、住宅街をすぎた小高い丘の上にある。いつかサッカーの遠征で訪れたときの記憶から、僕は夕暮れの街を、だいたいの見当をつけて歩いて行った。

 空はどす黒い雲に覆われ、いつ冷たいものが降って来てもおかしくない様相である。天候というものは、人類が制御できない、最後の砦であろうか。

 十分ほど歩くと、前方に急な上り坂が見えて来た。

 この坂をのぼれば、彼女の学校は目と鼻の先だ。

 僕は腹の底に気合を入れなおした。

 やがて坂の中腹まで来たとき、ふと、すれちがったベビーカーの若いお母さんが、あわてて前面にフードをかぶせた。

 と同時に、大粒の雨がポツリと額に落ちた。やがてパラパラと地面にも落ちた。

 湿った土の匂いが辺りに立ちこめた。

 とうとう来たか。

 僕は、雨に濡れるのはかまわないが、そのために部活が中止になり、彼女に会えなくなるのは困る、と別のことを心配した。ここまで来た意味がなくなってしまうからだ。

 そもそも、彼女がテニス部であることも、いまが練習の最中であることも、あくまで僕の想像に過ぎなかったが、半面、妄想がきっと現実になるという、根拠のない確信もあった。はたまた、とつぜん弱気になり、自分の愚かさと思い込みの強さを呪う気持ちに襲われたりもした。

 虚しさと後悔にかられ始めたころ、僕はようやく坂の頂上にたどりついた。と、どこからか黄色い掛け声とともに、ラケットでボールを打ち合う小気味よい音が聞こえて来た。

「八王子S校前」と書かれた信号を左に折れ、さらに一、二分歩いたところに、S校のキャンパスはある。

 僕は胸の高鳴りと、押し寄せる罪悪感と、そして背徳はいとくの喜びが間もなくかなうという期待に身を震わせた。

 ボールを打つ音がだんだん大きくなる。さいわい、雨でも練習はつづいているようだ。僕は浅い呼吸を整えながら、恐る恐る近づいて行く。

 テニスコートは緑色のネットにおおわれ、外からは気軽に覗けないようになっている。しかし、ところどころ隙間があって、なんとなく中の様子を伺い知ることが出来た。

 僕はなるべく怪しまれないよう、彼女の存在をこの目で確かめたいのだが、なかなかそんな目的のために好都合な場所がない。一ヶ所に立ち止まってジロジロ見るわけにもいかない。

 すると、校門に沿った道路の脇に、誰もいないバス停があるのが見えた。あそこでバスを待つフリをしていれば、しばらくはコートを眺めながら、自然に、この風景に溶け込むことが出来る。

 僕はそわそわと急ぎ足にバス停まで近づき、それからわざと鷹揚おうような動作で、テニスコートの方へ体を向けた。そして腕時計を見たり(腕時計は持っていないが)、空の様子を見上げたり、下手な芝居を打ちながら、中の様子を覗こうとした。ここからはまずまずの眺望が得られる。

 ところが、ちょうどそのとき、運悪く、すぐにバスが来てしまった。ドアが開き、運転手がミラーごしにこちらを見ている。

 僕は何かを思い出したようにソッポを向き、乗る意志のないことを伝えた。バスはドアを閉めて不機嫌そうに走り去った。僕はため息をついた。

 なんでもない「フツーの人」を演じるのが、こんなにも大変だとは思わなかった。

 コートでは、運動部特有の元気な声を張り上げて、女子部員たちがラリーをつづけている。少々の雨は気にしていないようだ。僕は彼女の姿をさがした。

 みんな同じような白いウェアを着ているので、人の判別がつきにくかったが、しばらく見ているうちに、中でも小柄な、きびきびとした動きの子が、リーダー的存在であることが分かってきた。みんなを鼓舞するように、率先して声を上げている。

 そして、さらによく見ると、彼女とラリーを打ち合っている相手が、どうやらお目当ての彼女であるらしい。

 こちらに背を向けてプレーしていたのと、いつもと違うポニーテールに髪を束ねていたのが、気付くのが遅れた原因であった。さっぱりした髪型もよく似合っている。

 僕は特等席での観覧に心を躍らせた。

 ふと、リーダーがバックハンドで強く打ったボールを、彼女は打ち損じてうしろへらした。ボールは点々と転がり、こちらへ近づいてくる。彼女はボールを追って顔の正面を見せながら駆けて来る。その恥じらうような、屈託のない微笑は、まさしく僕の知っている彼女であった。

 僕は思わず身を伏せ、カバンの陰に隠れた。覗いているのを見られたら終わりだ。心臓が止まりそうだった。

 しかし彼女は僕には気付かず、またプレーに戻って行った。僕はそのうしろ姿を眺めながら、しばしうっとりとした。僕が求めていたのはこれであった。

 ―――僕の目的は達せられた。

 雨にもかかわらず、僕の心は晴れていた。

 彼女の躍動する姿を目視できた喜びと、悪事が成就した甘い陶酔を胸に、僕はここで帰途につくべきであった。そろそろ、この緊張にも耐えられなくなっていた。長居は無用である。

 ところがそのとき、突然、空に稲光りがして、雷鳴とともに大粒の雨が降って来た。テニスコートは、はね返りの雨で白くなった。

 こんどこそプレーの続行は不可能なようである。彼女たちは巣に水をかけられた蟻のように、わらわらと狼狽あわてはじめた。僕は、さっさと帰ればよかったものを、何となく気になって、カバンを頭上にかざしながら、また彼女たちの様子を見ていた。

「ダメだ。アガろう!」

 リーダー格の小柄な子がみんなに叫んだ。

 部員たちは首をすくめながら、フェンスぎわに散らばったボールをいそいで拾い集め、大きなカゴに投げ入れ始めた。マーカーやボードなど、使用した道具もいっしょに、コート脇にある倉庫のところへ運ぶ。どんなときにも、後片づけは自分たちでやるのが高校生の部活である。もはやバス停から自分たちのことを観察している怪しい男に気付く余裕はない。僕はずぶ濡れでも、河童かっぱのようにへっちゃらであった。

 しかしよく見ると、倉庫の入口のところで、何かトラブルが発生してるようだ。

 どうやら、扉に掛かっている南京錠がなかなか開かないらしい。

 はじめ電車の彼女が根気づよく鍵と格闘していたが、いくら揺さぶっても頑固な鍵はびくともしない。雨に濡れた前髪がぺたんとおでこに貼りついている。

小町こまっちゃん!かして!ちょっと私にやらせてみて!」

 見かねたリーダーが、南京錠をうばうようにして彼女を押し退けた。

 そして、デタラメにガチャガチャやっているうちに、ようやく鍵は開いた。

 待ちかねた部員たちが、放り入れるように道具類をしまうと、こんどは誰かがもう一度、扉を施錠しなければならない。

「みんな、もういいよ!あとは小町ちゃんと二人でやっとくから!」

 リーダーは心配そうに見ている部員たちを先に避難させ、自分はまた扉の前にしゃがみ込んで格闘をつづけた。部員たちはふり返りふり返り、屋根のある渡り廊下のところへ駆けて行った。

「リョーコ、かして!今度はあたしがやる」

 中腰で見ていたポニーテールの彼女が、再び鍵をうばい返した。

「そう。じゃ、よろしくね!」

 リョーコと呼ばれたリーダーは、足早にみんなのあとを追った。このサバサバした性格の子が、おそらくリョースケが言っていたあの子であろう。

 すると間もなく、奥の練習場から引き揚げてきた男子部員たちが我さきにと渡り廊下へ駆け込むのが見えた。彼らは大騒ぎしながら、合流した女子部員たちと軽く会話をかわし、体育館の方へと消えて行った。

 しかしその中の一人に、必死で倉庫の戸締りをする彼女に心づいて視線を投げる者がいた。

 長身の彼はしばらく屋根の下からその様子を見ていたが、やがて施錠を終え、おくれて駆け込んで来た彼女を迎えるように歩み寄ると、おもむろに自分の持っていたスポーツタオルを彼女の頭にかぶせ、くしゃくしゃと乱暴にその濡れた髪を拭いた。

 彼女は初めの方こそ恥ずかしそうに拒んでみせたものの、ついには例の愛くるしい笑みを浮かべ、されるがままに身を任せた。その親しげな様子は、とても普通の部員同士には見えなかった。

 二人のやりとりを廊下から見ていたリョーコは、だまって微笑みながら、その場をあとにした。

 見なければよかった―――

 僕は全身の力が抜け、しばらくその場を動けなかった。びしょ濡れの服がぴたりと体に貼りつき、まるで海から上がって来た怪人のようであった。

 それからどうやって駅まで帰ったかは、よく覚えていない。

 きっと夢遊病者のように、ふらふらと坂を降りたのであろう。

 ただ駅前のクリスマスツリーが、すっかり日の暮れた広場の真ん中で、やけに煌々こうこうと輝いていたのを記憶している。

 ほんとうに人間の心は気まぐれである。あんなに美しかったイルミネーションが、今は味気ないモノクロ写真のように色褪せて見えた。

 僕のずぶ濡れの格好を見て母が「ビニール傘ぐらい買いなさい。また風邪ひくわよ」と顔をしかめた。母はコンビニは嫌いなくせに、なぜかビニール傘だけはやたらと評価している。

 着替えをすませ、味の分からない食事を吞み込んで、僕は部屋へ上がった。

 ベッドに腰かけ、しばらくぼうっとしていた。

 歩き疲れて体はくたくたなのに、なぜか横になる気になれない。横になった途端に、ベッドの底が抜け、奈落の底に落ちそうな予感がした。

 僕は、舟のかいを持つようにギターを手に取り、小脇にはさんだボディーの感触をたしかめた。

 爪弾きでポロンと鳴らすと、弦はいつもよりキラキラした、やさしい音を立てた。

 波立った心の稜線をなぞるように、僕は思いつくままのメロディーを、ギターの音色に乗せた。

 少しずつ、つむぎ出されていくメロディーが、まるで吸い取り紙のように、心の悲哀を吸い取っていくのが分かった。いつの間にかそれは、小さな曲の形を与えられていた。しずかな、水面みなもを渡る風のような旋律―――

 なにかタイトルをつけようと思ったが、よいタイトルが浮かばない。しかたなく僕は『無題』と名付けた。

 ギターを立てかけ、窓際に立つ。

 カーテンを開けると、禅林寺の真上に、雨上がりの星空がのぞいていた。

 人生とは、カーテンの隙間から眺める星空のようなものかもしれない。カーテンを開けるのは一瞬だが、星空は永遠である。僕はいま、その永遠の一秒の中にいる。僕の目から涙がこぼれた。

 いつのまに寝入っていたのだろうか、目が覚めると朝の十時であった。地球が自転をやめないかぎり、忘れずにこうして朝はやってくる。

 今日は土曜日なので、十一時からバイトが入っている。

 重たい体をどうにか動かしながら、顔を洗い歯を磨き、出掛ける準備をした。朝食は食べなかった。

 まだ腫れぼったい顔で店の玄関を出るとき、厨房から父が「よう、勤労学生!」と声を掛けた。どうやったらこんなに、いつも元気でいられるのだろう。母はまたどこかへ出かけたらしく姿が見えなかった。

 外は無神経なくらいによく晴れていた。

 雨上がりのさくら通りを、バスが水しぶきを上げながら走って行く。沿道の商店は飽きもせず、つつましい営業をつづけている。

 いったい何のために、と僕は考えた。

 何のためにみんなは毎日毎日、こんな虚しい営みをくり返しているのか。

 世界は終わるかもしれないというのに。

 何のために、相も変わらず、地球は回り続けるのか。

 僕の心の中に、彼女はもういないというのに―――

 右足と左足を交互に動かすことさえ馬鹿ばかしく思いながら、僕はバイト先への道のりを手繰たぐり寄せるように歩いた。

 コンビニの店内は相変わらずケバケバしく、店長はいつも通り優柔不断であった。

 しかし、僕にはみんなもうどうでもよかった。

 目の前の現実が、なにか薄いまく一つ隔てた、別世界の出来事のように感じられた。

 ラキチキを売りさばくオオトリさんの声が、どこか遠い世界の声のように響いた。

 品物を売場に並べる自分の手さえ、なんだか他人のような気がした。

 幸いなことに、鈍感な店長は僕の異変に気づかず、いつも通り僕をバックヤードへ呼び、

「すまんが、これも給料のうちだと思ってくれ……」

と言って、例のトナカイの衣裳を渡した。口の端が笑っていた。

 僕は、そのふざけた格好をするのに、今日は何の抵抗も感じなかった。

 かえって、自分以外の何者かになれるという事実が、今の僕にはむしろ有難かった。

 プラカードを持って表へ出ると、外はすでに夕方の光が差していた。

 トナカイなので特にセリフはいらないだろう―――僕はただ無言のまま夕暮れの街に突っ立っていた。

 信号が赤に変わり、青に変わり、そしてまた赤に変わった。

 別段寒くはなかった。店長が途中で様子を見に来たときも、大丈夫です、とだけ答えた。

 ストレイ・シップ……

 僕はぼんやりと行き交う人々を眺めながら、あの、夜の海を行く舟のイメージを思い浮かべた。それは子供のころから、何か受け入れ難い現実に出会うたびに、僕の心に去来する幻影である。

 われわれは、真っ暗な海をさまよう孤独な舟のようなものである。どこから来て、どこへ向かうのか、だれも知らない。舟には一つずつ、サーチライトがついていて、その小さなあかりをもとに、われわれはどうにか暗闇の中を進んでいく。たまたま近くを通りかかった舟は、お互いの航路を照らし合い、助け合いながらそれぞれの道を進む。いくつものサーチライトが重なるとき、航路はより明るくなる。灯りの大きさは様々である。肉親など、身近な人間の灯りは大きく、友だちのは中くらい、見ず知らずの人は小さな灯り、すでに亡くなった過去の偉人などは、さしずめ星灯りのようなものであろう。その、舟と舟とが引き合う力のことを、人は「愛」と呼ぶのかもしれない。愛する人の死が悲しいのは、航路を照らしていた灯りが、一つ消えるからである。さまよえる舟たち―――孤独に、それぞれのサーチライトをかかげながら、まるで天の河のようにどこかへ流れてゆく……

 僕はいま、目の前を照らしていた大きな灯りを一つ失ってしまった。それはかけがえのない、とてつもなくまぶしい光であった。その残像が目に鮮やかな間は、僕の視界はかえって真っ暗である。暗闇に目が慣れるまで、僕はほとんど盲目のまま、舟を漕ぐしかないのであろう。いつ大波にさらわれ、転覆してもおかしくない。はたしていつの日か、僕はまた、りどころとなる大きな灯りを見出すことが出来るのであろうか。

 もし、そんな日が来るとしたら、僕は自分のことはともかく、ほかの舟たちの不安な航路を照らす、なるべく大きな灯りになりたい―――そんなことを考えたりした。

「佐倉。もういいぞ。それより、ちょっと折り入って相談がある……」

 背後から店長の声がした。

「じつはな……」

 事務所のパイプ椅子に座らされた僕は、トナカイの格好のまま意外な申し出を受けた。

「あした、どうしても人が足りなくて困ってるんだ。夕方から朝にかけての、がいない。昼間はなんとかなるんだ。オレが通しでやればなんとかなる。しかし、夜やってくれる人間がどうしても都合がつかないんだ。そこでだが、佐倉、あした昼番ではなく、深夜番をやってくれないかな。もちろん、手当はそれなりにはずむ……」

 店長は言いにくいことを一気に吐き出すように言った。

 僕は、その意図は理解したものの、さすがに戸惑いを隠せなかった。「ですが、店長……」正直な疑問を口にした。

「協力したいのは山々ですが、なにぶん僕は高校生……」

「分かってる、分かってるよ」

 店長は言葉を遮った。

「規則違反なのは分かってる。というか、だ。犯罪だ。しかしだな、ここがオレの首が飛ぶかどうかの瀬戸際なんだ。一か八かの賭けだ。あくまで内密に、ということで、今回だけ、力になってはもらえないだろうか。たのむ……」

 店長は深々と頭を下げた。ふだんの横柄な彼からは想像のつかない、哀れなほどの低頭ぶりであった。

「うーん……」

 僕は答えをしぶった。

「次の日は学校だし……。僕はまあ、平気ですけど、家族がなんと言うか……相談してみないと……」

 父と母の顔が浮かんだ。父ならばきっと―――なにぶん変人なので―――いい経験だ、行ってこい、行って世の中の裏側を見てこい、とでも言うであろう。しかし母の方は、意外とこういうことに関しては保守的なのである。トンデモナイ、と首を高速で横に振るにちがいない。

「そうですねえ……」

 躊躇する僕の顔を、店長は上目遣いに睨んだ。懇願する表情が、しだいに鬼のように赤みを帯びてきた。

「この通りだ。なんとかたのむよ……」

 頭を上げようとしない店長の態度には、大部分の誠意と、憐みを乞う卑屈さと、それから少しだけ脅迫が含まれていた。

 僕は、決して情にほだされたり、脅しに屈する人間ではないつもりであったが、心の中にふと、なにか普段とはちがう無茶なことをして、ぽっかり空いた心の空洞を埋めてみたい、それによって精神のバランスを取り戻したい、と思う気持ちが働いた。しばらく考えたすえ、返事をした。

「分かりました。……が、いちど家に帰って、親と相談してから、あとで電話してもいいですか?……たぶん……きっと大丈夫です」

 そう思い始めたとたん、僕は急にその気になり、たとえ母に嘘を付いてでも、一つやってみようか、という気になった。半分ヤケっぱちの心もあった。

「そうか!……恩に着る。よろしくたのむ!」

 店長は肩をふるわせ、額の前で手を合わせた。

 脱ぎ捨てたトナカイの衣裳が、僕の体温で温かかった。

 厨房に立つ父に、母の行方をたずねてみた。

「……なんだか急に、『倉敷』へ行くって言ってたぞ。見たい絵が、今しか見れないそうだ。命短し……とかなんとか言って、嬉しそうに出かけ行った……」

 僕は拍子抜けがした。先週に引きつづき、全くりていないではないか。しかし、余計な手間が省けた。

「じつは、これこれで……」

 父には手短かに、深夜労働の件を告げると、父は腕組みをしながら、しばらく考えていた。

「うーむ、……徹夜勤務か……あれはどうもな……」

 ―――あれっ……まさか……こっちが鬼門だったか?

 僕は一瞬ヒヤリとした。店長にはすでにほぼ了承の意向を伝えてある。

 しかし、すぐまた父は、

「……よし。行ってこい。行って世の中の裏側を見てこい!」

と、予想と寸分たがわぬセリフを吐いた。

 おおかた勿体もったいをつけて、考えるフリをしていたのであろう。まったくこの人は……

 厨房の奥には祖母もいたが、最近耳が遠くなったせいか、話の内容までは理解していないようなのが、かえって好都合であった。

 僕は店長に電話して、承諾を得た旨を告げた。

「ほんとか?……そりゃ助かります。恩に!……ああ、ほんーに、よかったぁー」

と、彼は興奮のあまり、変な九州弁を使って喜んだ。僕はその声がうるさく、少し受話器から耳を遠ざけた。

 翌、日曜日―――

 徹夜明けで学校へ行くことになるので、僕はカバンと制服を持ってバイトに出かけた。

 夕方、スタンプラリー君の帰り時間に、代わってレジに入った。「大変だね、ガンバってね……」

 見ると店長は、奥の机に突っ伏してグーグー寝ている。

 人を呼び出しといて、いい気なもんだ。

 ま、ずっと連勤だから、しょうがないか―――

 僕は少し同情する気もあり、そっとしておいてあげた。

 さいわい今日は、ラキチキのノルマもうるさく言われず、単純にレジの業務をこなしていればよかった。

 それにしても、日曜の夜とはこんなにヒマなのか、と思うほど、お客もまばらであった。来るのはせいぜい寝グセのついたスウェット姿の不精髭のお兄さんくらいであった。

 天井にかかった芸能人のポスター。間抜けな音楽を垂れ流しにするBGM。人間の低俗な欲求を満たすために所せましと並べられた商品の数々……

 あすを生きる理由を見失った僕にとって、五感に訴えるすべてのものが不快で苛立いらだたしかった。

 こんなニセモノのいこいの場所を、まるでオアシスのように感じる日本人の心は、どれほど砂漠のように乾いているのであろう。僕は、母とはまた別の意味で、コンビニのことがイヤになり始めた。

 間延びした時間がするすると流れ、時計は二十二時を回った。

 店長はまだ起きてこない。

 思えば店長も可哀想な存在だ。ラッキーマートというモンスターの下敷きになり、タテ社会の板挟みになり、過労で死にそうになり、あっぷあっぷしながらやっとこさ家族を養っている。(去年結婚して、お子さんが一人いるそうだ。)そしてそれ以外に、今のところ彼の生きるすべはない。

 彼のような人こそ、現代に蔓延はびこるモンスターの典型的な犠牲者というべきであろう。憐れむべし、である。

 しかし、大波にさらわれそうな点では、おそらく僕自身も例外ではない。先日、食中毒に見舞われた際に、そば処すずめの存続を危ぶんだ僕の心は、ある意味、小さなモンスターの手中にあった、と言えなくもない。「そば処すずめ」だって、かわいいモンスターかもしれないのだ。そう考えると、モンスターというのも、あながち敵視すべきではなく、「上手に飼いならすべき」存在なのかもしれない。それは言い換えるなら、差し当っての小さな目標、あるいは、それを目指して歩むべき架空の太陽、とでも呼べるのではないか。その太陽が本物かニセモノかは、また別の機会に考えればよい。どうも店長を見ていると、まるで何かに取り憑かれたように、ニセモノの太陽に向かって、目の下にクマを作りながら歩いていく亡者を思わせる。それはゾンビのようにおぞましい姿だ。

「佐倉。ご苦労さん。交代だ……」

 ふり返ると、目の下にクマを作った店長がゾンビのような顔で立っていた。僕は思わずギャッと叫んだ。

「あ、はいっ……お願いします」

 事務所でしばらく休んでいいと言うので、僕は言われるがままに奥へ引っ込んだ。

 来客用のソファー(と言っても、うす汚れてツギハギだらけのビニール製だ)にもたれながら、僕は漫然と壁に掛かったカレンダーを眺めた。2009年(平成二十一年)と書かれたそのカレンダーは、取引先からもらった来年用のものであった。 

『世界の夜明け』と題されたその表紙には、万里の長城から昇る太陽がロマンチックに描かれている。それは、たしかにキレイではあるが、よくある陳腐な構図であった。太陽はホンモノなのに、なぜか写真はウソっぽく見えた。

 僕は軽く目を閉じ、仮眠を取ろうとしたが、昼間すこし眠ったせいか、いっこうに眠気は来ない。瞼のうらには、高尾山に登ったときの、人々の顔を照らすまぶしい夕日の情景が浮かんだ。

 カレンダーのカッコいい太陽よりも、記憶の中のありふれた太陽の方がリアルであった。

 僕はふと「芸術」というものについて考えた。夜中に、よく僕を訪れる妄想の一つである。

 われわれにとって、芸術とは何か。それは何のためにあるのか。美しさとは、たんに心地よさのことを指すのか。中には心地よくない作品だってある。

 われわれは芸術に何を求めるのか。

 思うに、芸術の目的とは、いわば「ホンモノの太陽」を描くことではないか。

 世界はニセモノの太陽に満ちている。我こそはホンモノ、という顔で、それらは僕らの前に立ちはだかる。

 芸術家には、ホンモノの太陽のありかを察知し、それを指し示す能力がある。

 彼らの使命は、さまざまな作品を通じ、世界の流れを太陽の方へ向けること―――「感受性」という鏡にその光を映し、わずかながら人々の行く手を明るく照らすこと―――

 僕はいつの頃からか芸術というものに、一方ひとかたならぬ興味を感じ、自分の生きる道はこちらかもしれないと思い始めている。そこにかすかな光明を見出している。

 もちろん、自分にその能力があると決まったわけではない。自分に与えられているのは「ムキ出しの感受性」のみである。勝手に傷つくことが創造力の証明にはならない。しかし、僕が日々さいなまれている、ヒリヒリとした心の痛みは、充分条件ではないにしろ、必要条件ではあるはずだ。

 僕は、ケンゾーのように何かがズバ抜けて出来るわけでもないし、リョースケのように柔軟なコミュニケーション能力があるわけでもない。またタカシのように打たれ強くもない。こんな僕に、何かしら能力があるとすれば、それはきっと「作品を生み出す力」なのではないか―――

 しかし、そう感じる一方で、僕はふとした瞬間、突如として、言いようのない虚無感に襲われることがある。

 行く先々で荒波にぶつかり、転覆しそうな舟をどうにか持ちこたえるのが精一杯の自分―――何をやってもうまくいかず、今のところ同志もあまりいない。迷える人々の航路を照らす光になりたい、などと言いながら、ほんとうにそんな力が自分にあるという確信もない。

 こんな僕に、いったい何が出来るのか。このねじ曲がった社会の中で……

 群れから一人はぐれることはこんなにも孤独で、目の前にそそり立つ波はこんなにも高い。僕はそこまでして、必死に舟を漕ぐ必要があるのだろうか。正直言って、今ここで、僕がこの世からいなくなったとしても、誰も困らない。むしろ、その方がサッパリするかもしれない。このまま海の藻屑もくずと消えた方が、いっそ楽かもしれない……

 ぼんやりとカレンダーを見つめながら、僕はそんな暗い絶望と、一すじの希望のあいだを行ったり来たりした。

 ふと時計を見ると、午前一時になろうとしていた。

 店長とまた交代の時間である。

 立ち上がって店内へ戻ろうとしたとき、思い立って僕は、店内放送のBGMを別のチャンネルにかえた。たぶん店長は、そんなことには気づかないであろう。

 操作盤のチャンネルをいくつか回すと、なじみのあるオールド・ロックの音楽が聞こえてきた。

 これにしよう。ここから朝までの長い時間、せめて好きな音楽でも聴いて、無聊ぶりょうを慰めるよすがとしよう。

 スイング・ドアを押し、誰もいない店内に一礼して、僕は店長のいるレジへと向かった。

「ありがとうございました。交代します」

 ヒマな時間を利用してレジで事務作業をしていた店長は、書類の束を抱えながら、おう、と生返事をして、また事務所へ戻るようであった。

「これからの時間は防犯に気を付けてくれ。何かあったら、すぐに呼ぶんだぞ……」

 分かりました、と答えながら、僕は店内に小さく流れるレッド・ツェッペリンの曲に耳を澄ました。

 案の定、店長は、チャンネルが変わったことには気づいていないようだ。しかし、スイング・ドアを押すとき、店長が曲のリズムに合わせて首を前後に動かしたのが、僕にはひどく可笑しかった。

 真夜中のコンビニは、外の世界に比べて、不自然なほど明るかった。植物なら、まちがって花を咲かせそうである。

 オールド・ロックのチャンネルはさまざまな曲を流した。僕はそのうちの半数を知っていた。

 旧知の曲はまるで古くからの友人のように、両手を挙げて僕を迎えてくれた。

 また初めて聴く曲は、風変わりな人物とふいに出会ったような、ちょっとした違和感と、これから親しくなりそうなワクワクを含んでいた。

 おしなべて僕は、流行はやりものの曲よりも、ルーツ・ミュージックと呼ばれる音楽を好んで聴く傾向がつよい。それは例えていうなら、美味しい料理に出会ったとき、その素材を研究してみたくなる料理人の気持ちに似ているだろうか。流行りものは新鮮さが魅力だが、どうしてもすぐに鮮度が落ちてしまう。その点、時代の波を乗りこえてきたものは、いったんほこりを払ってしまえば、その芯の部分に、なにか一本、筋の通ったものを感じる。

 こんな好みだと、なかなか友達と話が合わないのが難点だが、その代わりに、歴代の勇者たちを友とすることを思えば、千人の友を得るよりも心強い。目の前の現実より、大切なのは想像力だ。

 とくに僕の好きな音楽に共通するのは、その源流を流れる「ブルージー」な香りだ。ポピュラー音楽の世界では、白人もアジア人もラテン人も、みんな黒人をリスペクトしている。どんな不思議な魅力がそこにあるのだろうか。

 僕は、孤独な夜に、これらの音楽に耳を傾けるとき、あの真っ暗な海の、何もないと思っていた夜空に、じつは無数の星がまたたいていたのを見つけたような安らぎを覚える。過去のミュージシャンたちは、夜空に輝く星のようなものだ。

 その中の一人が言った。自分は夢想家かもしれない。しかし決して一人ではない。君もいつか仲間に入らないか、と。

 オールを漕ぐ重さは、すなわち「生きる手応え」である。星空はそこに見えている。海はなおも茫漠とつづいている。

 僕はなんとか舟を漕いで行くしかないのだろう―――

 時計の針が午前三時を指していた。

 ここからは僕があまり足を踏み入れたことのない未知の領域である。

 さっきまで親しく語りかけてきた音楽も、しだいに右から左の耳へすり抜けるようになった。

 急に重たくなり始めたまぶたが、まるで休業時間のシャッターのように、するすると閉じてしまいそうになる。僕はあわてて頭をブルブルと振って、遠ざかりそうな意識を辛うじて呼び戻そうと努めた。思うに、いわゆる魑魅魍魎と遭遇するのは、きっとこんな時間なのであろう。僕はなるべく大きな目を見開いて、どうせならそいつを見定めてやろうと、頑張って立っていた。

 と、久しぶりに来客の姿があった。

 工事現場のおじさんたちが三人、ヘルメットをかぶったまま、缶コーヒーを買いに来たようである。

 おじさんたちは、どこからどう見ても人間の格好をしている。狐ではないらしい。

 レジでお釣りを渡す際、すこし触れたその指先が氷のように冷たかったので、僕はそっと彼らの足を見た。足はあった。泥だらけの安全靴をはいていた。

 プルタグを開け、笑いながらコーヒーをすする彼らの吐く息は白かった。おそらく、その体に流れる血は赤いのであろう。

 時間はなかなか経たなかった。

 楽しい時間は早く過ぎ、そうでない時間は遅く過ぎる。

 時間は伸び縮みする!

 アインシュタインはそういうことが言いたかったのか―――

 僕は、そんな当り前のことをまるで大発見のように感じながら、ひょっとして妖怪に取り憑かれているのは僕自身かもしれないと疑ったりもした。

 思考は支離滅裂となった。不毛な堂々めぐりを繰り返した。

 それにしても店長は何をやっているのか、奥の部屋ではコトリとも音がしない。

 時計はさっきから、まるで反対方向へ回っているような気がする。店内の照明だけがむやみに明るく、窓にうつるマヌケなハッピ姿の若者を、自分自身だと認めるのに少々時間がかかった。

 するとそのときである。

 得体の知れない二つの黒い物体が、音もなく店内を浮遊しているのが見えた。

 スナック菓子からカップ麺の棚、文房具から日用品のコーナー、天井のライトからATMの頭上、成人向け雑誌から生理用品の売場へと、それは伸びたり縮んだり、遅くなったり急に速くなったりしながら、まるで戯れる二匹の動物のように気ままに移動している。大きさはバレーボールより少し小さいくらいで、色は黒―――と言っても、普通の黒ではなく、想像しうる中で、もっとも深い、闇のような黒―――それは「無」の象徴と言ってもよい、存在そのものが、あらゆる事物に対して、そのどれでもない、一種の「現象」のようなもの。あるいは、見るものすべてを呑み込むブラックホール―――何と表現したらいいか、実際にそれを見ないことには想像もつかないような、不気味な「闇」がそこにあった。

 僕は目をしばたたいた。

 昏睡しかかった僕の意識は、この物体を前にすっかり覚醒した。もう一度目をこすって、それが現実かどうか確かめるけれども―――意識ははっきりしているにも関わらず、浮遊する物体は消えない。それどころか、まるで春の野を飛びまわる蝶のように、くっきりとその姿をさらしている。いや、蝶よりももっとユーモラスな、柔らかな綿毛のような、どちらかと言えば愛嬌のある姿態であった。

 二匹はなんら僕に危害を加えるでもなく、むしろ一緒に遊ぼうと誘いかけてくるように、ときどきレジにいる僕の頭上をかすめ飛んだ。そのふんわりとした、そよ風が頬を撫でるような感覚は、なんというか、うっとりとくすぐったく、鳥肌が立ちそうな心地よさであった。僕は思わず目を細めて、ふらふらと彼らの戯れるあとを追った。しかしあくまで、その身にまとった「黒」は、吸い込まれそうな虚無的な「黒」であった。

 試みに、近くへ降りて来た拍子に、その透明な中心部へ手を伸ばそうとしたが、物体はたちまち、いたずらな少女のように、すうっとどこかへ逃げてしまう。決して捕まえることは出来ないようだ。僕は店内に誰もいないのをいいことに、つかの間その二匹と、無邪気な鬼ごっこを楽しんだ。

 そのうち、朝の配送業者さんが店内へ弁当のワゴンを運んで来た。ドアの外はまだ真っ暗である。僕は鬼ごっこをやめ、伝票にサインするため業者さんに近づいた。

 二匹の物体は興味深そうにそれを覗き込み、僕の手元にまとわりつく。僕はなぜか、彼らを人に見られてはいけない気がして、あっちへ行けと、あごで追い払おうとしたが、二匹は大胆にも、業者さんの帽子にちょっかいを出そうとしている。僕は気が気ではなかった。

 ところが不思議なことに、業者さんは気にする風もなく、何もなかったように伝票の半分をもぎとり、半分を僕に渡して、そそくさと表へ戻って行った。

 まさか、物体が見えていないのであろうか。

 つづいて店長が、物音を聞きつけて奥から出て来た。「もうそんな時間か……」

 もう、なのか、やっと、なのか、時間の感覚の分からない僕は、しばらく黙っていると、店長は積まれたコンテナから手際よく弁当を取り出し、古くなった弁当を無造作に大きなビニール袋へ捨て始めた。もったいないが、これがコンビニ・モンスターのうす汚い食事の仕方である。

 それより僕はさっきから、明らかに店長をからかうように、弁当の横で伸びたり縮んだりしている二匹の物体が気になって仕方なかった。

 しかしやはり、店長の目には見えていないようだ。陳列を終え、そのまま物体の中心を通ってバックヤードへ戻った。

 僕はその二匹が、僕の目にしか見えていないのを確信した。

 そして朝までの時間、僕はなんとなく彼らを眺めながら過ごした。

 夜が白みはじめると、しだいに人通りも増え、その一部は店内にも流れ込んで来た。通勤のサラリーマンや、朝早い学生たちが、それぞれに欲しいものを買った。だが、やはりだれ一人として、黒い物体に気づく者はいなかった。

 眠気のピークはすでに過ぎていて、僕はわりとハッキリとした頭で朝の仕事をこなした。BGMはいつか元の安っぽいチャンネルに戻っていた。交代が来るまであと少しである。黄色いジャンパーを羽織り、僕は表に出て掃き掃除をした。

 落ち葉や吸い殻を集めていると、店長が出て来て言った。

「佐倉、あと三十分くらい、延長できるか?朝の人間が、少し遅れると連絡して来た」

 僕は店内の時計を見て、その時間でも学校に間に合うことを確認し、「いいですよ」と返事をした。どうせ徹夜なのだから、変に時間が空くより、ギリギリまで働いている方が都合がよい。

 店長がホッとした顔で戻ろうとしたその瞬間―――

 ドアの隙間から、店長と入れ替わるように、二匹の物体が相次いで外へ飛び出したのが見えた。

 ふわふわと空へ飛び去って行くその姿を、僕はただ呆然と見送った。彼らは日の光に弱いのか、その墨汁のような黒はしだいに色が薄れ、やがて煙の如くどこかへ消えて行った。

 いったい彼らは何だったのだろう―――

 僕は箒を持ったまま、しばらく空を見上げていた。

 ふと見ると、通りかかった一匹の野良猫が、やはり同じように僕の横で、不思議そうに空を眺めている。

 やっと交代が来て、僕は解放された。

 お疲れさまでした―――

 バックヤードで学校の制服に着替え、挨拶をして立ち去ろうとしたが、店長は遅刻した従業員を叱るのにかまけて、僕の方は見もしなかった。

 見なれた日常がまた戻って来た。

 駅前の雑沓が、僕を現実に引き戻した。

 いや、バイトの時間も「現実」にはちがいなかったが、それはどこかしらバーチャルな、嘘くさい時間に思われた。世の中の裏側、と父が言ったのはこのことであろうか。選ばなかったもう一つの可能性―――それを経験した意味がはたしてあったのか。

 目は冴えていたが、頭はどこか白濁していた。自分が自分でないような気がした。

 ふだんより二十分遅いせいで、すれちがう人の顔ぶれも何となく違っていた。

 ホームへ降り立ち、電車を待つ。

 いつもと違う電車、ということが、やはり少し悲しかった。

 しかし、彼女に会うという目的がすでに失われた今、僕にはもうすべてがどうでもよかった。

 来る電車に乗って、ただ運ばれて、学校へ行けばよい。そして授業をうけ、また家に帰って、排泄して寝るだけだ。

 変わりばえのしない日常。ダラダラとつづく現実。意味があるかどうかも分からない僕の人生―――

 わずかに垣間見たような気がした光明が、いまはまた遠くにかすんでいた。

 目の下にクマがあるのが自分でも分かった。あの、月曜日のホームで、幽霊のように電車を待つ人々―――その中の一人に、いま確実に僕自身がいた。

 電車は乗り継ぎが悪く、なかなか来なかった。反対車線の列車ばかりが何本も通り過ぎた。僕はピカピカに磨かれた線路をぼんやり見つめていた。

 舟べりから水が入りはじめている―――

 このままでは舟が転覆する、と、どこかで理性の声を感じながら、僕はどうすることも出来なかった。

 そこへひょっこりと彼らが現れた。

 彼らとは―――言うまでもない、あの二匹の黒い物体である。

 今までどこへ行っていたのか、いたずらな我が子を見つけたときのように、僕はむしろホッとする気持ちが強かった。

 二匹は、ホームに立つ人々の頭上をピョンピョン飛び回ったり、自動販売機の中にもぐり込んだり、相変わらず勝手気ままに、楽しそうにじゃれ合っている。

 僕はだんだんと、うれしいような、くすぐったいような、なつかしい気分に包まれて行った。そしてふらふらと彼らに誘われるように、右に左にそのあとを追った。みんな、待って。ボクも仲間に入れて。やりたいことがなくて退屈してたんだ―――

 どこか遠くで救急車のサイレンが聞こえたが、僕には関係のない話だ。

 黒い物体は変幻自在に、階段を昇ったり降りたり、屋根の鉄骨に腰かけたりしている。電光掲示板には「つぎ中央特快」とあった。今度もまた、通過する電車らしい。

 僕はふと、彼らがホームを越えて、うっかり線路の方へ躍り出るのが分かった。遠くに中央特快のライトが小さく見えている。

 危ないよ。そっちへ行っちゃダメだよ!

 僕は思わず、人ごみをかき分け、彼らを連れ戻すのに、白線を越えて線路の方へ身を乗り出した。もどっておいで……

 女の人の悲鳴が聞こえた。

 僕が右手を伸ばしたその瞬間、中央特快の運転手の、驚いた顔と目が合った。けたたましい警笛とともに、鬼のような形相の電車が目の前にあった。

 しまった……

 僕は自分の体の重心が、すでにホームの上にないのを感じていた。

 ―――人の死というのは、こんなにあっけないのだろうか。

 僕はあと数秒ののちに確実に死んでいる。

 死んだあとの自分は、もちろん、この世の人ではない。

 その境目はほとんど紙一重だ。

 人はそれを―――僕が電車に飛び込んだことを―――自殺と呼ぶかもしれない。

 思えば、動機はいくらでもある。

 部活を辞め、このところ成績もふるわず、口数も減り、友達とケンカしてはボコボコにやられ、教師に歯向かって学校を飛び出し、おまけに恋にやぶれて失意のどん底にいました……

 証言する人は何人もいるだろう。

 あるいは失恋のことまではバレないかもしれないが、いったん思い込むと融通の利かない子でしたからと、僕の気難しさまでもがその原因の一つに数えられるであろう。

 それはこの際、仕方のないことだが、僕のことを本気で心配してくれた人々を悲しませるのは、いかにも残念だな……

 わずか数秒の間に、僕はそんなことをあれこれ頭に浮かべた。

 と突然、ホームの端から、かろうじて残った僕の左手を強く引っぱる者があった。

 僕は肩が抜けるような痛みを感じ、同時に風圧がすさまじい勢いで僕の頬を横殴りした。

 ほんの一瞬の差であった。僕は無傷でホームに倒れ込んでいた。

 周囲の人や駅員があわてて駆けつける。中央特快はビューと音を立てて、そのまま通り過ぎた。

 電車が去ったあと、少し落ち着いた空気の中で、僕は聞き覚えのある声を聴いた。

「なにやってんだよ!まったく。ぼうっとしてちゃダメじゃないか!」

 見上げると、さかさまの顔で僕を覗き込むリョースケの顔があった。

「……電車にまでケンカを売る気か?」

 その顔はしだいに笑顔になり、彼は強く握っていた僕の手をようやく放した。僕を助けたのはリョースケであった。

 周囲の人はあやうく惨事を免れたことに安堵して、つぎつぎと離れて行った。容態を尋ねる駅員も、大丈夫です、と言って立ち上がる僕を、介抱すると同時に、迷惑そうに睨みながら帰って行った。

 僕はいまだこの世の人であった。黒い物体はいつかいなくなっていた。

 魔法が解けたような顔で僕はリョースケに尋ねた。

「オレ、いま何やってた?」

「こっちが訊きたいよ!……」

 僕とリョースケは、それから連れ立って電車を待つ人の列に加わった。

 聞けばリョースケは、豊田で乗って立川で降りるところを、マンガに読み耽って乗り過ごし、気がつけば三鷹まで来ていた、あわてて降りて、また下り電車に乗ろうとした矢先、ホームに立つ幽霊のような僕に出くわした、と言うのであった。

「……まるで何かに取り憑かれてたみたいだったよ」

 彼は笑いながら、わざと力強く僕の肩を叩いた。

 こんなときに屈託なく笑い飛ばすことの出来る彼の人間性を、僕はかけがえのないものに思うのである。

 僕は徹夜のバイト明けであることを正直に話し、彼は「ふーん」と頷いた。

 僕らは下り電車に揺られながら、ふだんの和やかさを取り戻し、ひとしきり彼の読んでいるマンガの話で盛り上がった。

 それは時空を超え、人類がさまざまな困難に遭遇する局面で、折ふしに華麗な姿を見せる不死鳥の話であった。リョースケは読書は嫌いなくせに、マンガは三度の飯より好きだ、と言った。

 僕はいつもと同じ車窓の風景の中に、いま彼女がいないことをぼんやりと考えていた。

 充分間に合うと思っていたのに、途中バスが渋滞にはまったおかげで、学校へ着いたときにはすでに始業のチャイムが鳴っていた。

 僕とリョースケは我先にと折り重なるようにそれぞれの教室へと向かった。

 しかしながら寝不足の頭で授業に集中するのはなかなか困難であった。

 幸い、というか不幸にして、というか、一時間目は気の抜けない漢文の授業であった。口うるさい教師に指名されるのがイヤで、僕はガンバって目を開けていた。

 二時間目は体育。ふだんの半分も力が入らなかったものの、なんとか鉄棒からは落ちなくて済んだ。

 ところが、三時間目がいけなかった。

 三時間目は歴史―――根本先生の授業である。

 いつもは何より楽しみにしているその時間が、今日の僕にとっては拷問に近かった。

 先生の、あのまったりとした喋り方や、生徒たちのザワザワ声、窓外で聞こえる小鳥たちのさえずりが、抵抗しがたい砂男のように僕を天上界へと導いた。

 それでもなんとか、目をみひらいて、僕は人生における大事な教えを漏らすまいと、必死でその声に耳を傾けていた。

「ソクラテスが……もし毒杯を……仰がなかったら、……いま、君たちは……ここにいないかもしれない」

 先生は珍しく茶目っ気のある顔で、どうやら自分で考えたらしい仮説を披露していた。

 彼の言わんとするところは、こういうことらしかった。

 ソクラテスは無実の罪で毒杯を仰いだ。→彼の死をきっかけに、弟子のプラトンが著した書物が西洋哲学の基礎を作った。→西洋哲学の合理精神が自然科学を発展させた。→自然科学は「産業革命」を生み、力をつけた国々が世界を支配した。→その覇者となったアメリカが、日本を近代化へと導いた。→近代日本の繁栄の象徴として、一九六四年、東京オリンピックが開かれた。→東京オリンピックの年に生まれた君たちの父さん母さんが、やがて結婚し、そしてめでたく君たちが生まれた……

 よって、そもそもソクラテスが毒杯を仰がなかったら、君たちは今こうして机に向かっていないかもしれない、というのであった。

 あい変わらず面白そうな話であったが、いかんせん、僕の瞼はそろそろ限界に達していた。ほかの生徒には念仏にしか聞こえない、先生のボソボソ声と、教壇の上をゆっくり往復するコツコツという足音は、ゆめ安らかな子守唄として、僕を深い深い眠りの世界へいざなうのに充分であった。


                       



                               


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