第60話 失った感情


「――――ッ!?」



 どこからともなく、不穏な空気が漂う。

 本能が危険を告げ、シンは目を覚ました。


「今の悪寒は、何だったんだ……?」


 戸惑いながら隣を見ると、そこにイネスの姿はない。

 ベッドは冷たく、しばらく前に抜け出したことを物語っていた。


「もう、ここから出ていったのか?」


 疑問を抱きながらも部屋から出て食堂に降りる。

 するとそこには、どこか不安げな表情で立ち尽くすミアの姿があった。


 ミアはシンの姿を見つけると、ぺこりと頭を下げる。


「おはようございます、シモンさん!」

「ああ。ところで、何かあったのか? 様子がいつもと違うが」

「そ、それがその……実は朝食の材料が足りなくてイネスさんに買い出しを頼んだんですが、まだ戻ってこなくて……」


 ミアいわく、既にかなりの時間が経っているらしい。

 確かに買い出しだけならすぐ終わるはず。途中で何かトラブルにでも巻き込まれたと考えるのが自然だ。


 昨日、別れの言葉を告げたばかりなため多少の抵抗感はあるが……シンは胸中に沸いた、妙な違和感に従うように口を開いた。


「そうか。なら、俺が探してくる」

「本当ですか!? ありがとうございます、シモンさん!」


 ミアの言葉を背に受けながら、シンはその場を後にするのだった。


 

 外に出ると、空は分厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだ。


「……雨か」


 そう呟いたシンの顔に、さっそく冷たい雫が落ちる。

 この雨はまるで、これから起こる悲劇を予期しているかのようだった。


 シンはさっそくイネスの魔力の気配を辿る。

 やがて、かすかな反応を捉えた。


「あっちか」


 それを頼りにシンは路地を進んでいく。

 そして、シンはイネスを見つけた。




 ――――だが、それは彼が望んだ形ではなかった。




「………………」


 路地の奥、水溜まりの中に横たわるイネス。

 その肌は蒼白に変わり、もはや生気を感じない。


 シンは言葉を失いながら、そっとイネスに歩み寄った。


「……イネス?」


 呼びかけながら触れた肌は、既に冷たく硬直していた。

 何か大切なものが、シンの中から崩れ落ちていく。


「……お前が、やったのか」


 低い、感情の篭らない声で、シンはそう呟いた。

 その問いかけの先にいたのは、昨日ルイン・ドレイクの炎によって死んだはずの男――フールだった。

 そして彼の周りには、多くの取り巻きや、見慣れない冒険者たちの姿もある。


「あはははは! こっちから出向くまでも無く、二人目まで来やがった! 無様にも程がある!」


 フールは面白そうに嗤う。

 その笑い声は、不快に路地に木霊した。


「……これは、お前がやったのか?」


 シンはイネスの横に片膝をつきながら、再びフールに問う。

 その問いかけに、フールは更に大きな笑みを浮かべた。


「そうだ! テメェには言ったはずだ、俺様に逆らった者は全員殺すと! これがその証明だ! 既に女は殺した! あとはテメェだけなんだよ!」


 高ぶった感情を抑えようともせず、フールが叫ぶ。

 それに対しシンは、ただうつむいたままその言葉を聞いていた。


 なぜ死んだはずのフールがここにいるのか。

 そんな疑問は、もはやシンの中では些細なことに過ぎない。

 今、彼の脳裏にあるのはただ一つ。

 イネスが命を落としたという、残酷な事実だけだ。



 その事実を前に、シンの中で何かが壊れた。



 イネスとの日々の中で、少しずつ芽生え始めていた感情。

 かつて、確かに持っていたものの欠片。

 それらが一瞬にして、全て消え去っていく。


「ははっ、いい様だ! 俺様に逆らうからこうなる! ほら、どうした!? あの時みたいに生意気な態度でやり返してみろよ!? おい!」


 フールは嘲るように言葉を投げかける。

 だがシンは、一向に反応を見せない。

 まるで魂を失ったかのように。


「……つまらねぇ。この程度で絶望して身動き一つとれなくなるとは……これならそこの女の方がよっぽど殺し甲斐があったぜ」


 呆れたように呟くフール。

 そんなフールに対し、雇われた冒険者の1人が告げる。


「おいおいフールさん、本当にソイツがターゲットで合ってるのか? エルダーリッチを倒したって話だったが……」

「ああ、どうやらそれは何かの間違いだったみてぇだな」

「ははっ、違いねぇ。こんなガキが、そんな力を持ってるはずねぇよな!」


 アハハハハ、と笑い声を上げる冒険者たち。

 ひとしきり笑った後、


「じゃ、そろそろ始めていいか?」

「ああ。だが、ただ殺すのも勿体ねぇ。まずは四肢を斬り落として動けなくしてやれ。そのあとは俺様が少しずつ肉を削いでやる」

「はいはい、了解了解っと」


 フールの命を受け、一人の男がゆっくりとシンに近づいていく。

 男は高く剣を構えながら、嘲るようにシンを見下ろした。


「いやー、まさかターゲットがテメェみたいなガキだったとは。これでもエルダーリッチを倒したって話を聞いた時は警戒してたんだぜ? もっとも、俺はユニークスキル【自動障壁】を有している。俺のレベルこそまだ2000台だが、倍以上の相手の攻撃さえ自動的に防いでくれる最強のスキルだ。それを使って時間を稼ぐ予定だったんだが無駄になったな……ま、楽に済んで幸いってところか!」


 そんな前置きをしたのち、男は剣を振り下ろす。


「そんじゃ、まずは右腕から――――あ?」


 しかしその刹那、信じられない光景が広がった。


 音もなく、気配もなく、男の首が宙を舞う。

 シンが微塵も動いた様子はない。

 だというのに、男は自らの首を断たれたのだ。

 レベル5000台の攻撃すら無効化するその体が、まるで紙のように呆気なく。


 男の首は宙を舞い――自分が死んだという事実に気付くことすらできないまま、ゆっくりと地面に落下した。


「――――は?」


 フールの愕然とした声が、虚しく空気に溶けていく。

 否、フールだけではない。もう1人の冒険者と取り巻きたち。

 その誰もが戦慄の表情を浮かべることしかできなかった。


 そしてシンはゆっくりと立ち上がり、フールを見据えた。


「もういい」


 その声は、感情を欠いている。

 かつてアルトたちに向けた復讐心とも、また違う。

 もはや、何も感じていないかのようだった。


「お前たちに、復讐だとかそんな大それたものは必要ない。憎しみすら、向ける価値がない」


 俯いたままのシンが、顔を上げる。

 そこには、虚ろな瞳だけがあった。



「お前たちはここで、ただ惨たらしく死に絶えろ」



 その言葉は、絶望すら感じさせない。

 ただ冷たく突き放すだけの、魂のない言葉。

 だがその一言は死神の宣告よりも重く、フールたちに降り注ぐのだった。



――――――――――――――――――――――


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