第40話 一つの提案

 イネスはしばらく呆然とした表情を浮かべた後、ようやく我に返ったのか「ハッ」と目を大きく開ける。

 そして俺に対して、申し訳なさと感謝が入り混じったような視線を向けてきた。


「その、正直まだ、何が何だかって感じなんだけど……まずはうん、お礼だよね。えっと、あなたの名前を訊いてもいいかな?」

「……シモンだ」

「ありがとう、シモン。あなたがいなかったら、きっと今ごろわたしは捕まっちゃってたよ」


 あはは、と。

 イネスは少しだけ気まずそうな笑いを零した。

 そこに含まれている感情が、命が救われた安堵によるものだけではないことを、俺はもう分かっていた。


「これから、どうするつもりなんだ?」

「え?」


 俺の問いに、イネスはきょとんとする。


「さっきの話の続きだ。その様子を見るに、ああいった輩に狙われるのはこれが初めてじゃないんだろ?」

「……うん、そうだね」


 イネスは神妙な面持ちで頷いた。

 その後、数秒だけ何かを考え込んだあと、覚悟を決めた表情で口を告げる。



「ねえ、シモン。あまり楽しくない話だと思うけど、少しだけ聞いてもらってもいいかな?」



 そんな前置きの後、彼女はこれまでの境遇を語りだした。

 ハーフエルフがエルフ族から迫害の対象になっているのは、既に知っての通り。

 人族との間に子を為したイネスの母親は、イネスが生まれると同時にエルフの里から追放される羽目になったらしい。


 その後、行方をくらました父親に頼ることもできず、母は素性がバレぬよう、様々な国を転々としながらイネスを育て上げた。

 しかし約2年前――イネスが14歳となったタイミングで、母は突如として姿をくらませた。理由は今となっても不明。

 それからイネスはたった一人で、今日まで生き長らえてきたとのことだった。


 少し聞いただけでも、彼女の人生が壮絶なものであったことが分かる。

 彼女はそんな自分の半生について、淡々と語り続けていた。



「お母さんがいなくなって、わたしはハーフエルフであることを隠しながら、1人で生きていくことになったの。当然、ふとした拍子にバレることもあって、その度に居場所を変える羽目になったんだけど……」


 少し間を置いた後、イネスは続ける。


「そんな時、こんな話を聞いたんだ。ある国では、異種族に対する差別行為は禁じられているって。だから、必死に頑張ってここまで来たんだけど……結果はシモンも見ての通り。どうやらここにも、わたしが受け入れてもらえる場所はなかったみたい……あはは、期待しちゃって馬鹿みたいだよね、ホント」


 そう言って、イネスは自嘲気味に笑った。

 そうでもしなければ、安住の地という希望が失われた現実に耐えられなかったのだろう。


「………………」


 イネスの言葉を聞き終えた俺は、しばらく無言で思考を巡らせる。


 目論見が外れた彼女が、次に取る行動は簡単に予想できる。

 すぐにここを離れて、また同じようにさすらいの日々を送るのだろう。

 あんな、自分勝手の理由で襲ってくるような、どうしようもない輩たちから逃れるために。


 俺はそれが、無性に腹立った。

 決してイネスに同情したからではない。

 これはきっと、罪のない存在が不条理を強いられてしまう、この世界そのものに対する憤りだ。


 アルトたちから裏切られた、かつての自分。

 俺は今のイネスを通して、そんな過去を見た。


 だからだろうか。

 こんな提案をしようと思ってしまったのは。


「……だったら、一緒に来るか?」

「えっ?」


 どういう意味か分からないと言いたげな反応をするイネス。

 確かに、言葉が足りなかったかもしれない。


 俺は息を整えなおし、もう一度初めから説明することにした。


「さっきのは見ただろ? 俺と一緒にいれば、今後ああいった奴らに襲われても問題はない。もちろん、それだけだとその場しのぎにしかならないが……お前が望むのなら、自分一人で抗えるだけの力がつくまで鍛えてやってもいい」

「ちょ、ちょっと待って、シモン!」


 静止を受け、俺はいったん口を閉ざす。

 イネスは動揺を抑えるように、ゆっくりと深呼吸する。



「それって、本気なの? わたしはハーフエルフだよ? 一緒にいたら、シモンにも迷惑がかかっちゃうよ」

「別に、それくらい大したことじゃない。そもそもの話、仮にもこの国で“異種族への差別行為”が禁じられている以上、表立って攻撃をしかけてくるような輩はそういないはずだ。それでも気兼ねするようなら、普段はこれまで通りそのフードを被って身分を隠し続ければいい」

「………………」



 イネスは困惑したようで、しばらく無言を貫いていた。

 十数秒後、ようやく絞り出すように声を出す。


「その提案はすごく嬉しいし、ありがたいよ。でも、それだとシモンにはメリットがないんじゃ……」

「……確かに、そうかもな」


 イネスの言う通り。

 俺には彼女を守り、育てることに大したメリットはない。

 仮にあるとすれば、先ほどの輩のような、気に食わない存在がのさぼらないようにできるかもしれないという一点のみ。

 俺の最大目標である復讐には一切関係しない寄り道だ。


 しかし、だ。

 その観点で考えた場合、デメリットもそこまでは存在しない。

 そもそも今、この都市には標的である領主が不在であり、奴が戻ってこないことには本格的に行動できないからだ。

 その間にできるのは、これまで通りダンジョン攻略くらいだろう。


 その際、片手間で彼女を鍛えるくらいはしてもかまわない……俺はそう思った。


 だから最後に、釘をさすように続ける。


「だから所詮、これは俺の気まぐれだ。来るべき時が来れば、お前の側からいなくなる。それを踏まえて……お前はどうしたい?」

「……シモン」


 しばしの間、沈黙の時が流れる。

 どれだけでの時間が経過しただろうか。

 ようやく顔上げたイネスは、覚悟を決めたような表情を浮かべていた。


「……分かった、一緒にいく。ううん、わたしを連れていって」

「いいんだな?」

「うん! あなたなら信じられるって、そう思えたから」


 そう言って、イネスは笑みを浮かべる。

 純粋に、心の底から。

 まるで希望を取り戻したかのように。



 ――かくして、俺と彼女イネスの道は交わることとなった。

 この出会いがもたらす結末を、今の俺はまだ知らない。

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