第2話 裏切られた日

 ボス部屋を後にしてから、わずか1分後。

 僕たちの前に予想外の光景が飛び込んでいた。


 先頭に立つアルトさんが、怪訝そうに眉をひそめる。


「なんだ? 出口が閉ざされている……?」


 ボス部屋を出て、短い通路を挟んだ先に待つ大広間。

 安全地帯セーフティ・エリアと思わしい空間だが、なぜか来る途中に通ってきたはずの出入り口が厳重な扉で閉ざされていた。


「いったい、どういうことだ?」


 大広間の奥まで移動した後、アルトさんは小首を傾げながら扉に触れる。


 その直後だった。

 僕たちの前に、が現れたのは。




「グルゥゥゥウァアァァァァァッ!!!」




 咆哮。

 そう表現するのも生温い圧倒的な叫びが、突如として大広間全体に響き渡った。


「っ、敵襲か!?」

「きゃぁっ、何ですかこれは!?」

「――! 皆さん、後ろです!」


 ガレンさんとシエラさんが困惑する中、真っ先にその発信源を捉えたセドリックさんが声を上げる。

 それに応じるように僕たちは振り返り――そして、言葉を失った。


 大広間の中央。

 先ほどまで何もなかったはずのその場所に、一体の魔物が鎮座していた。


 高さは約4メートルに及ぶだろうか。

 全身が漆黒のもやに包まれており、姿形こそ人型であるものの、禍々しい靄のせいでとてもじゃないが人間と同種の生命体とは思えない。

 漂う雰囲気だけを見れば、むしろ不死者アンデッドに近いだろうか。


 右手には一振りの短剣を持っており――否、魔物のサイズが大きいだけで錯覚しそうになるが、僕たちでいうところの大剣を装備していた。

 その大剣もまた漆黒の靄を纏っており、醸し出す魔力オーラはとても言葉では言い表せない程に破滅的だ。


 僕は覚悟を決めて、魔物のステータスを確認した。



 ――――――――――――――


【ネクロ・デモン】

 ・レベル:1000

 ・エクストラボス:【黒きアビス】


 ――――――――――――――



 レベル欄に書かれていた数値を見て、僕は思わず目を見開いた。


「レベル1000だって……!?」


 僕はもちろん、レベル300のアルトさんたちをも大きく上回る存在。

 冒険者の中でも限られた存在しか到達できないその領域に、目の前の魔物――エクストラボス、ネクロ・デモンは至っていた。


 同じ結果を、他の4人も確認したのだろう。

 この場にいる全員が、突如として訪れた絶望的な状況に冷や汗を流していた。


 まずはじめに、戦士のガレンさんが声を張り上げた。


「おい、どうするんだアルト! レベル1000のエクストラボスが出るなんて、さすがに想定外だぞ!?」


 普段であれば、持ち前の防御力と意思の強さでどんな強敵からもメンバーを守ってくれるガレンさんですら、恐れおののく程の事態。

 判断を委ねられたアルトさんは、その表情を大きく歪ませた。


「オレたちは冒険者だ。できることなら、どんな強敵相手でも打ち倒したいところだが――」


 その時、ネクロ・デモンが一歩だけ前に踏み出した。

 耳を覆いたくなるほどの爆音が響き、大広間全体が激しく振動する。

 同時にネクロ・デモンを纏う漆黒の靄が大きく揺れ――その余波が僕たちの元にまで届いた。


「っっっ!?」


 たったそれだけで、僕は思わずその場に膝をついた。

 あまりにも濃密度な魔力。僕と敵の間にある、生物としての圧倒的格差を思い知らされるかのようだ。

 そして僕ほどではないが、同じ現象が他の皆にも襲い掛かっていたようで、全員が顔を青くしていた。


 そんな中、アルトさんは「くっ」と悔しそうな声を漏らす。


「……倒すのは無理だ、レベルが違いすぎる。しかし逃げようにも、退却用の出口は頑固な扉で閉ざされ開く気配がない。恐らく、ここは初めから挑戦者を閉じ込め始末するためのトラップ・ルームだったんだろう……」


 そこまでを分析し、逡巡するように目を閉じた後――


「……ふぅ、仕方ないか」


 ――僕にはアルトさんが、不自然にその口角を上げたように見えた。


(ん? 今のはいったい……?)


 それは果たして気のせいだったのだろうか。

 その答えにたどり着くよりも早く、アルトさんは真剣な表情で僕を見た。


「シン! 『脱出の転移結晶』を使え!」

「――――――!」


 その指示に対し真っ先に反応したのは、僕ではなくガレンさんたち3人だった。

 

「おいアルト、それを使うってことはまさか……」

「そういうことですね?」

「まあ、確かにそろそろ潮時でしたか……」

 

 僕には、ガレンさんたちが何を言っているのかが分からなかった。

 それでもやるべきことだけははっきりしている。


「分かりました! 『脱出の転移結晶』を使います!」


 そう答えた後、僕は荷物袋の中から一つの魔水晶を取り出した。

 マジックアイテム『脱出の転移結晶』。

 その名の通り、ダンジョンから地上に脱出するためのアイテムだ。


 緊急事態が生じた場合、僕がこのアイテムを発動するよう、事前にアルトさんから言われていた。

 その申し出に従い、僕は転移結晶に魔力を注ぎ始めた。


「アルトさん! 発動まで、1分程度かかります」


 僕が声を張り上げると、アルトさんは小さく頷いた。


「分かった! その程度の時間なら、何とか稼いでみせる! やるぞ皆!」

「おう!」「ええ」「はい」


 ――それから1分間、僕の目の前で激闘が繰り広げられた。



「グルォォォオォォォォォ!!!」



 鼓膜が破れそうになるほどの雄叫びと共に、力強く大剣を振るうネクロ・デモン。

 それに対しアルトさんたちはスキル・魔力を出し惜しみせず使うことで、わずかとはいえ拮抗状態を生み出していた。


 命を懸けて戦う4人の姿を見て、僕の心は高揚していた。


(やっぱり、皆はすごい……!)


 圧倒的格上に対し、怯えることなく戦う姿。

 いずれ自分もこうなりたいと、改めて強く思うほど眩しい光景だった。


 そして1分後。

 発動準備が整ったタイミングで、僕は声を張り上げた。


「準備できました! こちらに来てください!」

「っ、分かった! 全員、タイミングを合わせて退け――」


 アルトさんの持つ長剣に、眩い光が集う。

 そして彼は力強く長剣を振り下ろし、その光を解き放った。


「――セイクリッド・ソード!」

「グルァァァアァァァァァ!」


 アルトさんの最大奥義を浴びたネクロ・デモンの巨体がわずかに後退する。

 大したダメージにはなっていないようだが、最後に時間を稼ぐには十分だった。


「今だ!」


 それを見届けた後、4人は素早く僕のもとにかけてくる。

 すると、最後に到着したアルトさんがこちらに手を向けながら言った。


「シン、荷物をこっちに渡せ!」

「えっ? は、はい!」


 どうしてこのタイミングで? と疑問を抱きつつ、パーティー全員のアイテムを詰めた荷物袋をアルトさんに手渡した。

 いずれにせよ、これで準備は整ったはず。


「シン、頼む!」

「はい! 転移結晶――発動!」


 ダメ押しに最後の魔力を注いだ瞬間、転移結晶が眩い輝きを放つ。

 続けて巨大な魔法陣が出現し、そこから展開された透明の結界が転移対象を包み込んだ。






 ――――






「………………え?」


 意味が分からず、一瞬で思考が白に脱色する。


 何が起きた?

 アルトさんの指示通り、転移結晶を発動した。

 魔法陣は出現し、結界も無事に展開された。

 そこまではよかった。

 問題は、今もまだ僕が外側に取り残されているということ。

 これでは、僕だけダンジョンの外に転移することができない。


 原因は不明。

 ただ、このままだとまずいということだけは分かる。


「皆さん、大変です! 僕だけ結界の外に残されて――」


 アルトさんたちに状況を伝え、どうするべきか判断を仰ごうとした、その時。

 僕の目に、信じられない光景が飛び込んできた。


「くくっ、くはは……」


 どういうわけか、アルトさんは笑いを堪えるように自分の口元を押さえていた。


 いや、違う。

 ようやく気付いた。

 いま笑っているのはアルトさんだけじゃない。

 それどころか――




「「「「アーハッハッハッハッハッハ!!!」」」」




 ――4人全員が、外側に取り残された僕を見て高らかに笑い声を上げていたのだった。

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