♰148 干からびに水滴。(???視点)
記憶はない。
だが、知識は残っている。その知識で、自分の状況を理解していた。
“自分”を作り上げた“創造主”の命令にも、微動だにせず。じっと耐えた。
動かず、命令を無視。術者の命令に従わなかった。従わなくても、いい身体で幸い。でも時間の経過がわからないが、ずいぶん経って力が抜ける感じがしても、空腹を覚えないし、死にそうにもない。
いや、そもそも、自分は生きているのだろうか?
甚だ疑問だ。記憶はなし。生まれ変わったと言えば聞こえはいいが、目覚めてから拘束されていて、ここを出たこともない。おおよそ人間とは違うのは、当然。
一度死んだと思う。鼓動は鳴る。呼吸は続く。いつまでかは、わからないが。
だんだん衰弱してきた。何かを摂取したい気はするが、何を摂取すべきかなんてわからないし、そもそもそんなものはここにはない。
餓死はどんなものだろうか。俺の身体を調べることを諦められて、放置され続けて、どれくらい経ったか。
瞼を閉じて、じっと朽ちる時を待った。
ふと。声が聞こえた。
……少女の声?
そんな、まさか……。こんなところに、少女がいるはずない。
目を開いても、薄暗い地下牢。現実。
だが、まだ少女の声が聞こえる。
一人しか聞こえない。
間があるから、誰かと会話しているようだ。名前も呼んでいる。幼い割には、口調は大人びていた。
足音が近付いてくる。誰かと話しながら、鉄格子の前を横切った少女の姿を目にした。
「――と、あれ? 生きているのがいたよ」
目が合って驚いたようだったが、こてんと首を傾げた小さな少女は、ゴシックな大きな人形を抱えながら、おかしそうに笑った。
「こんにちは。あなた、だぁれ?」
青灰色の瞳を細めて、見つめてくる。
自分より異質な存在がいるのかと、驚いた。
生きていると言われたことも。挨拶されたことも。誰かと尋ねられたことも。驚きの連続。
“自分”として目覚めてから、こんな風に話しかけられたことはない。それに、生きていると言われたことも。衝撃を与える一言だ。
干からびた地面に水滴が落ちたようなイメージ。
どうしてだが、今更喉の渇きを覚えた。
「んー、人、かな? 顔色悪いけど、こっちをみる目はしっかりしてるし、人間味ある表情をしてるよ。……大丈夫だってば。彼、牢の中で繋がれてるもん」と、また誰かと話す。
だが、他の声はないし聞こえない。他に気配もしなかった。
「……誰と話してる?」
「あ。口聞いた。仲間と話してるの。この建物にいるよ」
声を発したのは、"自分"になってから、生まれて初めてだ。こんな声だったのかと、初めて知ったくらいだ。
「ねぇ、その仲間が『トカゲ』かどうか知りたがっているけど、違うよね? この地下牢には、拘束が必要な実験体が入れられてたみたいだし、実験された被害者だよね?」
「……トカゲ……トカゲの絵が描かれた白い面の奴なら、見たが……そいつのことか?」
「トカゲの絵の白い面。ここにいたの?」
驚いて目を見開く様子からして、間違いないらしい。
「俺の生みの親みたいなものだ」
「じゃあ実験体で生み出されたの?」
「……まぁ、そうだろう。気が付けば、術者が周りでほとんど死んでいて、トカゲの白い面の男だけがいたんだ」
「……ごめんね、ちょっと仲間と話すね」
少女は人形を抱えた腕の掌を見せて待つように示す。
ちゃんと人らしい扱いをしてくれる彼女は、通信機器もつけていないのに、整理するように口にする。
「そうだよね? 私もそう思うんだ。聞いてみるよ」と、一つ頷くと、彼女は俺と向き直る。
「拘束されてるのは、暴れたから? 命令違反したの?」
「……いや、逆だ。何も聞かないから、閉じ込められた」
「ははーん。何も言うこと聞かないから、閉じ込められたって。やっぱりだ」と、彼女は納得した様子。
「どうして“生みの親”の言うことを聞かなかったの?」
「それは……」
聞くべきじゃないと、直感したからだ。
「俺ばかりが質問されている」
「そうだね。じゃあ質問してもいいよ? 答えるかはわからないけど」
なんて冗談めいて笑う少女。
「……どうして“生きている”だなんて言えるんだ? 『式神』や怪物だとは、思わなかったのか?」
「ん? 普通に目に生気もあるし、自我もこもっていると感じられたし、表情が人間味あるよ?」
きょとんと首を傾げて当然みたいに言って退ける少女に、口をあんぐり開けてしまった。
そして、気付く。少女が抱えた人形の目にも、自我が見えることに。
「その人形……生きているのか?」
「えっ? サーくんが見えるの? ヤバ! サーくんの幻覚が効いてないよ! すごい!」
人形がビックリと身体で表現するように両腕を上げたかと思えば、少女の胸に引っ付いて顔を隠した。
う、動いた……。
少女は、ポンポンとその人形の背中を叩く。
「ねぇ、あなた。最初に目が覚めた時、術者が周りで死んでたって言ったよね? 円を描くように、だったんじゃない?」
「! ……ああ。数えなかったが、数人が倒れて死んでいた」
「そして、トカゲの白い面をつけた男は、その輪には入っていなかった?」
ズバリと言われて、ハッとした。
「そうだ……! 離れたところに立っていた!」
円を描く輪の中に、その面の男はいなかった……!
「うん。なら、その面の男は、あなたの“生みの親”ではないね。だから、命令も聞かなかったんだよ。聞いてやる理由がないしね。術者が全員死んだけれど、あなたが完成した。術者なしの生きた術式の……なんだろう? わかる?」
問われても、わからないと弱々しく首を振る。
生みの親もわからない。親だと思っていた白い面の男ならわかるだろうが、自分はなんなのか、わからなかった。
「そっか。わからないのか。でも、術式とか『式神』は、知ってるよね? 元術式使い?」
「……わからない。裏の人間だと思うが、知識しかなく、記憶はない」
「記憶なし? わぁー、お仲間だ。私も6年間生きた記憶失くしちゃったの」
不甲斐なく答える俺と違い、彼女は明るく言い退けた。同じ記憶なしと。
「そ、それは、大変だな? だ、大丈夫か?」
「大丈夫かだって! 心配してくれた! いい人だわ」
なんて愉快そうに笑う少女。本当に薄暗い地下牢に不似合いな存在だ。
「とりあえず連れ出していい?」と、問うたのは誰にだろうか。俺と目が合ってはいたが、どうやら猛反対の声が届いたようで、げんなり顔をした。
「いいじゃん。仮面つけてたとはいえ、『トカゲ』に会ったかもしれない生き証人だよ? 生み出した術者は死んでるから、事実上の自立した存在で、『トカゲ』側ではない。拘束して閉じ込めたのは、まだ使い道があると考えてのことだから、奪っちゃおうよ。ねぇ、あなたも出たくない?」
奪う。物みたいに扱われるかと思いきや、少女は俺の意思を問う。
それにはみっともなく、戸惑った。
「……ち、力が入らない……ずっと放置されていたから、今更動けそうにはない……」
答えにはならない返答。動けるなら出たい、とも捉えられる言葉だ。ムズムズする思いをする。なんだ。意味がわからない。
「力? そういえば……あなた、いつからここに放置されてるの? 食事とかは?」
「最初から食べていない……術式の創造物に食事なんて意味がないのでは?」
「……。普通なら、術者の気力を糧に動くけれど、あなたの場合、術者を失っている。その術者達の死を対価に生きているとしても、限界は来るよね。薬あるから飲んでみる? 気力が回復するの」
そう言って、人形を片腕に抱き直した少女はポケットからケースを取り出した。
薬で……気力が回復……?
ポカンとしている間に、少女は牢屋の閂を外してドアを開けて入ってしまった。
「だ、だめだ! 近寄ってはいけない!」と慌てて制止の声を上げる。
「なんで?」
「お、俺が意思のあるグールのようなものだったら!? 君を噛み千切ってしまうかもしれない!! なんかそんな気がする!!」
「そんな気がする……。まぁ、ちゃんと拘束してあるんだし、大丈夫でしょ? あーんして」
「……!! な、何故君は……!」
危険があると言ってもズカズカと牢の中にも入ってくるして、口元に薬を運ぼうとする少女に、ただただ呆気に取られる。
薄暗い地下牢に相応しくない異質な少女が、輝いて見えた。
干からびた地面を潤すみたいに、水を与えてくれるイメージが、しっくりくる状況。
ゴクリ、と喉を鳴らした。
まるで吸血鬼が、相手に執着した時の症状のよう。
「え……? グールじゃなくて、吸血鬼寄り? それとも吸血鬼なのかな? でも牙はないよね? ほら、あん!」
見開いた目をパチクリと瞬かせて首を傾げた少女は、俺の顎を掴むと引っ張り開けさせた。
「んー? 牙はないね。でも今の、執着症状だよね?」
次の瞬間、彼女の後ろに青年が現れる。
後ろから抱き上げると、俺から引き離して、ギロッと睨みつけてきた。
「影……? 王族の吸血鬼?」と呆ける。
二人の足元の影が濃くなっている。そこから出てきたとしか思えない。
影の特殊能力。王族特有の特殊能力だ。それもひと握りしか覚醒しない特別なもの。
「こら! 来るなって言ったのに! なんで優先生と離れた!」
「だって執着症状出した吸血鬼と言われて、お嬢をお一人に出来ません!!」
「自分を棚に上げて?」
「俺は信用を勝ち取ってますが!?」
べしべしと少女のチョップを受ける青年。本当に少女が会話していた相手のようだ。
「徹くん。マズいよね? グールもどきの次は、吸血鬼もどきだ。改造人間より厄介。……ああ、なるほど。あなたを弱らせてから、研究するつもりだったかもしれないって」
でも、まだ話す相手がいるようだ。誰かから言葉を受け取って、少女は俺に言った。
「上に改造人間って呼んでる緑の身体の怪物が解剖されて放置されてたの。そんな感じで、あなたの身体も解剖して解明されるはずだったんだと思う」と俺に告げてから、よそを向いて「徹くん。保護は出来る? いくら実験体とはいえ、昔の反省もしているし政府は反省して、同じことをしたりしないよね? この人は『トカゲ』を捕まえる手掛かりだ」と顔をしかめながら、少女は俺の保護を要求した。
それも真っ当なものを。人として。
またもや、酷く喉の渇きを覚えて、ゴクリと喉を鳴らしてしまった。
「この人めっちゃ吸血鬼として喉鳴らしますが!?」と青年が声を上げたから、ビクと肩を震わせる。
「ちょっと! アンタ! 何を思って、お嬢に向かって、喉鳴らしてんですか!?」と問い詰めてきた。
呆れ顔で、少女はまたチョップをした。
お嬢。少女のことか。
「い、いや、俺はその…………よくわからんが…………恐らく……希望?」
「「……」」
伝わらないだろうか。表現出来る言葉が他に見付からない。
希望の光で、水だ。
絶望という干からびに、希望という潤いを与える水。
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