♰80 お話をする約束。



「もぉー、まじかよぉー……んだよ、記憶喪失って。高熱でそれってありえんの?」


 投げやりな声を伸ばす藤堂は、絨毯の上に突っ伏しては、優先生に問う。


「……可能性は著しく低いですね。頭が高熱で負荷を感じても脳に影響は残りにくい……」


 優先生も、疑問だと難しそうに顔をしかめた。


「最初の記憶は、病室だったのですか?」


 私に尋ねるので、首を横に振る。


【多分、この部屋。話し声が聞こえて、救急車に運ばれたと思う。ずっと熱にうかされてたから、目が覚めたら先生と組長が話してるところが見えたのが、最初のはっきりした記憶】

「……そうですか。運べるくらい熱が下がってからですね。その前にはもう記憶を失っていたと……」


 ムムッと眉間にしわを寄せたあと、ヒクリと笑みをつり上げた。


「喋らなかったからわかりにくいとは言え……よく記憶喪失だって隠し通せましたね? こんな特殊な家で……すごいという言葉では足りません」


 呆れていいのか褒めていいのか、わからなそうな優先生。

 それな! と言いたげに、指差して激しく頷く藤堂。


 月斗の肩を掴んで引き寄せて、ギュッと頭を抱き締めた。ポンポン、と頭を叩いて、どや顔をする。


「ああ、月斗の情報を元に、順応したのですね」

「色々……吹き込みました……」

「 ありがとう 」


 吹き込んだとは、人聞き悪いけどスルーしてそれにお礼を言えば、ボンッと真っ赤になる月斗は「ンンッ!」と喉を鳴らすことを必死に堪えた。

 だから口を押えて何になるの?


「順応するために情報収集して動いた……頭いいですよね。記憶がなくなったから、トラウマという足かせもなくなったからこそ、動けるようになったということでしょうか」

【そうだと思う】


 いや、別人だから違うとは思うけれど、もしかしたら、記憶が残っていれば少なからず怯えて動けなかったかもしれない。同じく、冷遇に耐えて部屋にこもっていたこともありえた。

 ので、そう思うってことにしておく。


【冷遇ヤクザお嬢のサバイバル生活は、月斗と橘のおかげで乗り越えられた】

「記憶喪失者はそんなサバイバルを強いられるんですか???」


 それな。だが事実だ、藤堂。


「迎えに来ていたのに気付かなかったあなたが言えることですか?」と冷めた目の優先生。


「うっ! だ、だっていつも通りに見えたし……いや、珍しく顔を上げてた……? え? 思い返せば、ってことが多いな!? 嘘だろ!!」と、頭を抱えた藤堂。


「当然じゃないですか……お嬢様は黙っていただけでしょうに。本来の自分のことも知らないのですから、行動も仕草も違うものでは? はぁ……それに気付かない組長を筆頭に、皆さんに呆れ果てますよ」


 やれやれと首を振る優先生に、藤堂は「いやぁ……だって、俺達は、近付かないように気を遣ってて……」と言い訳を募ろうとしたが、優先生は「だから許せと? 出ていくなと? 今のお嬢様が、見限って当然だと思いますがね」と冷たく言い放った。


 お。やっぱり家出を反対する気ないんだね、優先生。


「そうだ! 記憶を取り戻してから!」と、藤堂が言い出すから、タブレットに打ち込む。



【悪いけれど、アルバムを見ても、記憶は全然、一欠けらも蘇らなかった。母の顔も見知らぬ人】



 ヒュッと、藤堂は喉を鳴らす。

「だから……」と、優先生が小さく呟く。


【さっきの増谷も全然覚えてない。トラウマの元凶の一人でも、記憶は微塵も刺激されてない。高熱前の記憶は全てなくなってて記憶なんて戻りそうにもないよ。残念だけど、記憶がなくて困るのって、せいぜい組長くらいでしょ? 私は困らない】

「っ……!」


 藤堂は、息を呑む。恐る恐るとタブレットの画面から私の真顔を見上げた。

 記憶がなくても別にいいと思っているし、父との記憶が戻らなくてもいい。


【アルバムを見てわかったのは、家族愛だよ。わかってる。愛されていたんだよね。組長に】

「……お嬢」

【でも、だからこそ怒っているんだよ、私。愛されていた記憶を持つ私は、どんなに傷付いたか、想像しただけでもつらくならない?】

「っ! そ、それはっ……」


 力なく俯く藤堂。


「 藤堂。じゃま、だめ 」と声を出せば顔を上げた藤堂が、タブレットの文字を読むように視線を動かして。


【愛していたくせにずっと気付いてくれなかった父に絶望しただろうね。そんな記憶は要らない。今の私で生きていく】


 それを痛々しそうに見つめたあと、拳を握った。


「それでもお嬢! どうか! どうか組長とお話しください!!」


 藤堂は、土下座をした。

 月斗も優先生も、その頭を見下ろしたあと。


「藤堂を援護するわけではないのですが、どちらにせよ、話すかどうかは決めておきましょう。護衛責任者としての地位を傷付けないと約束するなら、話を通さないと藤堂の地位は守れません。藤堂を振り切って家出をすれば責任を、少なからず負いますしね」

「俺達は、お嬢に従います。どうしますか?」


 本当に予め話をしていたみたい。

 すんなりとした二人と、頭を下げたままの藤堂を見る。


【先ずは公安と話をつけよう。風間警部に相談して、明確にしてから、組長に話そうと思う。記憶がないことも、家を出ることも】


 優先生につつかれて、顔を上げて文章を読んだ藤堂は、ホッと安堵で胸を撫で下ろす。


「ありがとうございます……。あっ! 話す時、術式使っちゃだめですよ!?」

「どんな話をすると思っているんですか。使ったとしたら、百パーセント、相手が悪い時です」

「だめだっ、立ち会わないと!」


 すぐに血みどろの話し合いを想像する藤堂を、横目で呆れている優先生。

 とりあえず【今から風間警部にメールを送ってみるね】と教えておく。

 スマホを持ったが、これが父からの贈り物だと思い出して、ぽいっとベッドの端に放った。

 正直、だからこそスマホではなく、優先生がくれたタブレットを主に使っているのだけどね。

「ああぁー」と嘆く藤堂を完全無視して、優先生のスマホを借りてメールを打つ。

 内容の確認のためにも、膝の上に座っているから、月斗が羨ましそうに見ている。


【雲雀舞蝶です。今忙しいと存じますが、ご相談あり、優先生のアドレスから送信させていただきました。ご都合のよろしい時に、直接会ってお話させてほしいので、ご連絡お待ちしております】

「礼儀正しいですよね。……あっ」


 頭を撫でて褒めてくれた優先生は、メールのあとに、すぐにかかって来た風間警部からの着信に驚く。

 間違いなく、私が出ることを期待していると思うけど、無理に喋らなくていいと言うと、優先生は「はい、氷室優です」と電話に出た。

「はいはい。スピーカーにします。メンバーは前回と同じですよ」と急かされたようで、うんざりした様子で、スマホの通話をスピーカーにした。


〔舞蝶ちゃん! 待ってたよ!〕


 元気な声。疲れてはいなさそう?


「 かざまけいぶ 」

〔! …………〕

「「「「……?」」」」


 シン、と静まり返ってしまった。

 耐え切れず「あの? 風間警部?」と、月斗が声をかけると。


〔グハッ! きゃわいいっ……! やっぱり、舞蝶ちゃんは声まで可愛かった! 素敵すぎるっ……ごめん、録音出来なかった……! ファーストボイス!〕


 なんか一人で盛り上がっていただけだった。


「風間警部。お嬢様が気遣ったように、お忙しいのではないですか?」


 しらけた目でスマホを見る優先生。


〔ああ、大丈夫大丈夫。気にしなくていいよ。あとは大半部下に任せておけるからさ。早速だけど、直接会って話すのって明日でも大丈夫?〕


 切り替え早い。


「……はい」


 特に予定はない。なんなら、適当に出掛ける先を選んで、気が向けば行こうって話だった。


〔きゃわいい……じゃあ、舞蝶ちゃん。パンケーキがふわっふわのとろりとした甘いクリームと甘酸っぱいミックスベリーがゴロゴロのデザートがあるパンケーキ専門店、予約して食べない?〕

「 たべるっ 」


 速攻でデザートに釣られました。


〔よかった! 食べたいんだね! ”たべるっ”って、きゃわいい~! いっぱい食べさせる! 絶対に俺持ちで! あっ、藤堂も聞いてる? とりあえず、明日は偶然会った俺が『キー組』に個人的に労ったってことで、事後報告しておいて!〕

「……はい」

〔? なんか落ち込んでる? どした? お疲れ? 俺の方が働きまわってるはずなのに、藤堂の方が疲れてる感出すよね?〕

「……誰も俺のことを労わってくれなくて泣きそう」

〔慰めないから、やめようね〕


 グスンと鼻を啜る藤堂。

 自業自得だよ。自分の言動を振り返って反省しようね。


 あっさりと明日に風間警部と待ち合わせることが決まった。


 藤堂は、月斗の愛の告白の弁解と明日のお出掛けの手筈をするために、先に部屋をあとにした。

 私も寝る時間だと、寝支度。ベッドに横たわる前に、優先生と月斗の手を握った。


「……ありがと」


 記憶喪失であっても、変わらないでいてくれて、ありがとう。そうギュッと握って込めてお礼を伝える。

 ゴクン、と喉を鳴らす月斗に、キーちゃんが頭突きをする勢いで頬擦りをした。


「ちょ、締めないでください」と優先生の方は、尻尾が絡まって首が締まるとところだったため、苦笑しながら解いた。


「大丈夫ですよ、舞蝶お嬢様。私の誓いも、変わりませんからね。不安になったら、いつでも仰ってください。私達は絶対的な味方だと思ってくださいませ」


 そう両手で握り返してくれた優先生に、頷いて見せると頭を撫でてくれる。


「舞蝶お嬢も、キーちゃんも、おやすみなさい」とキーちゃんの頭を撫でて、月斗もへらりと笑うと、手の甲にキスをしてくれて、そして頭を撫でた。

 私とキーちゃんが布団に収まることを見守ると、電気を消して部屋をあとにした。


 ふぅー。ミッション、一つクリアね。


 ホッとした私は、キーちゃんと頬擦りをし合って、眠りに落ちた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る