♰36 父と娘の心の距離が遠い。(困る護衛side)




 まだ安静が必要な喉を使ってしまったが、幸い、小さな声だったため、比較的、軽傷。

 舞蝶の咳を宥めて、喉にいい飲み物を取りに行くついでに、厨房へ寄った一行。


「よかった! お嬢! なんか事故に巻き込まれたと聞いて心配でしたけど、怪我もないようで何よりです!」


 舞蝶の料理担当の橘が、にっかりと笑いかけた。

 月斗にお姫様抱っこされている舞蝶は、コクコクと頷いて答える。

 その事故とやらよりも、父親に対して苛立ちを露にして、声をうっかり出して軽傷状態になってしまったのだが、言えない月斗と藤堂は口をきつく閉じる。

 氷室は、断りを入れてから厨房の中、さっさとお茶を淹れ始めた。


 舞蝶は、厨房の中から香るいい匂いを気にして、スンスンと鼻を鳴らして、厨房を覗こうと首を伸ばす。


「あ、わかります? 実は、今日はハヤシライスをたーくさん作ったんですよ! まぁ、お嬢の料理が作りてぇーんで、厨房のみんなと手分けして作ることになったんですがね」


 橘は手を口元に添えて、こそっと教える。

 大量にハヤシライスを作り、舞蝶にも食べてもらった気になりたい他の料理人の案らしい。


「人参、玉ねぎ、トマトたっぷり! あと高級和牛肉も! たくさん食べてください!」


 自信があると言わんばかりに二の腕を見せる橘。

 興味をがっつり惹かれた舞蝶は、青灰色の瞳を見開いてキラキラと輝かせては、満面の笑みで、うんうんと頷く。

 それを見て、機嫌がよくなったと、ホッと胸を撫で下ろす三人。


「はい。お嬢様。これをゆっくり飲んでください」

「ん? 喉を痛めた時のお茶? また声を出してしまったんですかい? お嬢」

「……ええ、まぁ。これも持っていきますね。夕食は、気持ち早めに持って来てください」


 氷室は答えることを避けて、お盆の上に必要な物を持っていき、バイバイと手を振る舞蝶と抱えた月斗と、一緒に廊下を歩き去った。


 一人残った藤堂は。


「なぁ、橘。?」

「はい? 何を言って……ハッ! まさか、また組長に声をっ!?」


 と、察して青ざめた橘と、少し立ち話。

 前回、声を出した相手は、組長。

 親子関係は、決して良好ではないとは思っていたが。


「そ、そんなに酷いんすか……?」


 無理もないが、組長の方は、舞蝶を大切には思っているはず……。

 現に、虐げられた事実に激怒はした。

 ただ、舞蝶の方は、父親に直接頼らなかった辺り、心の距離は開いている。

 何より、舞蝶自身が、冷遇すらも父親の指示だと思ったと言ったくらいなのだ。

 ”利用価値ないなら”と、6歳の女の子が言い出すなんて、肝が冷えた。橘は、知らず知らずのうちに、胃の上をさする。


「思った以上にな……。はぁー。頭がいいと、余計拗れるんかね?」


 ガシガシと、頭を掻く藤堂。

 取り上げられていた家族アルバムの代わりに、新たに現像して組長自らが写真を差し込んだ家族のアルバムは、一体何が悪かったのだろうか。

 懐かしむように見るわけでもなく、観察する目で見つめていたかとを思えば、ベッドの隅に放ってしまい、不機嫌な息を吐いた。


 不穏な雰囲気の舞蝶が、何を考えているのか、何を思っているのか。さっぱり、わからなかった。


 塞ぎ込みそうだと思い、出掛けることを提案したわけだが……。


「(頭がいいからこそ、父親の複雑な心境とか考えてくれねーのかねぇ? そりゃあ求め過ぎ? でも、下っ端な月斗達を変に巻き込まないように首を突っ込ませない配慮をした思慮深さがあるんだし、それぐらい……。子どもらしく意地張って理解したくないとか? 頭がいいからこそ、あんな才能と力があっても、サイスを直撃させないだけ、マシだと思うべきなのか!? マジであんな力をしっかり学んでいいのか!? お嬢って、復讐とかきっちりしちゃったりしない!? うがあああっ!)」


 藤堂は、悶々と悩ませた頭を抱えた。

 舞蝶が冷めた目で父である組長を見る度、心臓がヒヤリと冷める感覚を覚える。


「(組長も組長で、なんかもどかしいんだが…………それにしてもお嬢も、組長に対して心閉ざしすぎているというか……)」


 憤怒した組長に向かって、口を塞がれてしまった舞蝶は、まともに学んでもいない『式神召喚』を行使した。

 下手をすれば、組長の身体をザックリ…………恐ろしくて、身震いする。


 寒くてしょうがないため、藤堂は沸かした残りのお湯で、別のお茶を入れて啜った。


 そして、最後。

 藤堂もメッセージカードを見ただけだが、夕食を一緒に、というお誘いで昨日は夕食をともにした。

 組長が”今日は夕食は一緒には無理だ”と言っていたが、そのポカンと見送ったあとの舞蝶は、明らかに不愉快そうに顔を歪めて、低い声を零した。そして、喉を痛めて噎せた。


 絶対、組長は毎日夕食をとるという約束をしていない。

 勝手に、約束した、と思い込んでいるパターンだ!


 藤堂達は、それを理解した。舞蝶が、それに激怒していることもだ。


 だめだ、これは。父親と娘の溝がヤバすぎる。


 かといって、無用な気遣いなんてしてみろ。

 下手を踏めば、今の舞蝶の『式神召喚』により、スパンだ。……死。


 なんで、こうなったんだ。

 遠い目をしてしまいそうになった藤堂だったが、やるべきことがあると、我に返る。


「あ、そうそう。お前ら、可愛いお嬢に食べてもらいたのはわかるが、許可をもらわずにやるなよ。今後も、お嬢の料理は橘が担当だ」

「「「ええぇ」」」

「それと、毒物混入にも気を付けろよ。誰も許可してないのに入る奴、怪しかったら、のしていいから。俺がそれを許可する。今日事故に遭ったお嬢は、念のために警戒レベル最大限に上げて、守りを固めっから、そのつもりでな」


 事故に遭っただけで、家でも毒物混入を危険視しているとだけ言えば、”何かある”とわかるだろう。

 全部は聞かされなくとも、勘付く。


「「「「へいっ!」」」」と、鋭い声で返事をする料理人達の厨房から出た。


「(まぁ、お嬢は冷遇の間、厨房からの食事を受け取っていないからな。それなのに、”料理人泣かせのワガママお嬢”なんて冤罪の名をつけちゃって……。これで何か盛られたりしたら、料理人として責任持って切腹しかねぇな。……お嬢も好かれたもんだ)」


 ふー、とやれやれと肩を竦めた藤堂は、護衛の部下と軽く話してから、遅れて舞蝶の部屋に入った。


 真っ先に目にしたものに、ビクッと固まってしまう藤堂。

 舞蝶のベッドの上に腰かけている氷室の膝の上に、舞蝶はちょこんと座っている。

 羨ましそうにそばに立って、眺めている月斗。


「……何してんだ、ドクター」

「術式の勉強中です」

「……それ、机じゃだめなのか?」

「読み聞かせるには、ちょうどいい体勢かと」


 涼しい顔で、しれっと言い放つ氷室。

 舞蝶は全然気にした様子もなく、むしろご機嫌に小さな足を揺らしては、のど飴を口の中で、コロコロ転がしていた。


 機嫌がいい今のうち、と思い、目の前まで行くと藤堂は。


「お嬢。組長に向かって『式神』を出しちゃだめじゃないですか~、怪我しちゃったらどうするんです?」


 と、あくまで、おちゃらけた風に、舞蝶の怒りの度合いの探りを入れてみる。


 ぷくっと頬を膨らませた舞蝶は、そばに立つ月斗の腕を掴むと、ブンブンとその腕と足を振り回して、ご立腹を示す。

 ホント、あざとい仕草を見せるようになったものだ。


「そうですね。話を聞かない組長が悪いのですよね」


 なんて笑顔で味方する氷室。


「だからって『式神』って!」


 よくないだろ! と藤堂を言おうとしたが。


「だから言ったのですよ? 制御を学ぶ方がいいと。声を出せませんし、手を上げても届かないところに、たった一つあった自己主張の手段が『式神召喚』です。これから学ぶので、せいぜい追い込まないように、気を付けた方がいいですよ」


 と、氷室はいたって冷静に、淡々と告げる。


 気を付けろ。

 それは藤堂に言っているようで、組長への伝言にも聞こえた。


 ゴクリ、と息を呑んだ。

 そんな藤堂を、じっと不思議そうに見上げる舞蝶。

 その視線に疑問になるが、ハッと意味を理解した。


「俺は吸血鬼じゃねー!! だいたいお前が組長の前なんかで、盛大に喉を鳴らすから!!」

「俺のせい!?」

「どう考えても藤堂が悪いでしょ、誘発したのはあなたです」

「うぐ!」


 喉を鳴らした件がいけないと喚いたが、誘発材料を投げ込んだのは他でもない藤堂だと、氷室が言えば、舞蝶も指を差してきた。ムッとした顔である。


「おれっ…………俺です、すみません……」


 非を認めるしかない。

 しょんぼりと、頭を下げた。



 

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