♰30 蹂躙と解放の時。(大人side)
視える者には視えるが、通常の人間には視えない紫色のドーム型の結界は、外部からほぼ遮断された異空間のような場所と化している。
『負の領域結界』内。
中はうっすら紫色の視界となり、薄暗い。不気味な空気。
トンネル前の道路に転がるリムジンのそばで、負傷者を庇う三人は、動きを止めた目の前の多くの怪物に警戒しつつ、その光景に釘付けになっていた。
「どういうこった!? いつの間に、お嬢に教えやがった!」
目にする光景が信じられず、藤堂は問い詰めずにはいられない。
「教えていませんよ。教えたところで、出来るわけがありません」
「今出来てるじゃん!」
「火事場のバカ力による才能開花、でしょうか」
「なおあり得ないだろ!!」
事実を話し、可能性の話をする氷室は、淡々と返すしかない。
自身のエネルギー、気力を切らしたための疲労で乱れた息を整えながら、頭蓋骨が凍り付いた死神のような巨人を見る。
「だいたい、あの『式神』は、お前の家系専用のモンだろ!?」
氷室家の『最強の式神』であり、その『完全召喚』だと、藤堂にもわかった。
わからないのは、"何故か"ってこと。
何故、氷室家の者しか『召喚』が出来ない『血の縛り』があるはずの『最強の式神』が、舞蝶に出せているのか。
そもそも、どうして出来てしまうんだ。
”何故か”。
それは、氷室だってわからなかった。
「ええ、我が家の『最強の式神』です。彼女には『血の縛り』が通用しないのか、それを凌駕する"何か"があるのか……」
疑問だが、そんなことを調べている場合ではない。
「どちらにせよ、今は彼女に頼るしかありません。巻き添えを食らいたくなければ、静かに距離を取る方がいいでしょう。ただでさえ、『完全召喚』は集中力が必要ですから、気力も持っていかれます。制御不能の場合、最悪、我々もあのサイスの餌食ですよ」
「ひでぇ」
「事実です」
冗談ではなく事実だとわかるから、藤堂も声を潜めて、部下の野田にも下がるように、手振りで指示。
真っ黒な男物の着物を着た巨人ガイコツ姿の『最強の式神』は、赤黒いサイスを振り回して、暴れ始めた。
敵の怪物達も、一番相手すべきだとわかっているようで、一斉にそちらへ向かうが、両断されては吹き飛ばされるだけ。
その戦闘は、一言で表すのなら――――蹂躙だ。
無限再生する複数の人型の敵を、カタカタと笑いながら、巨大な死神はカマで薙ぎ払う圧巻の光景。
「最強ぉ……」と、思わず、声を零す藤堂。
苦戦していた相手に、たった一体が、遊んでいるようだ。力の差は、歴然。
いくらしつこいほどに再生を繰り返しても、ダメージは受けているように、動きが鈍る怪物達に、目に見えて追い込んでいた『最強の式神』は、その名に相応しい暴れっぷり。
その形勢逆転の一体を召喚した舞蝶を見て、ハッとする藤堂。
「待てよ。こんな『最強』を、いきなり『召喚』して、お嬢、平気なわけないよな?」
「やめなさい。彼女の集中を途切れさせる方が、彼女には負担です。最悪、パニックで制御不可能な暴走を起こしたり……お嬢様が、昏睡状態に陥るか、ですよ」
「っ!」
氷室の静かだが押さえ付けるような力強い声に、藤堂は押し黙る。
とんでもない。
あの守るべき幼い娘が、そんな目に遭うなんて。
「すぐに気力が限界になれば、自然と戻すでしょう」
「ほ、本当か?」
「はい。……そもそも、彼女が我が家の『最強の式神』を召喚できたのは、名前を見たからでしょうね」
「名前?」
「あの『最強の式神』を召喚するための必要な”カギ”とでも言いましょうか。本当に才能がある者には、視えるものです。……普通、視えたところで、本当に『式神』を……ましてや『最強の式神』を『召喚』出来るわけがないので、恐ろしいですね。真の天才は」
認めざるを得ない。
舞蝶が、真の天才だと――――。
青灰色の瞳を見開いて、『最強の式神』を戦わせている小さな少女。
「しかも……『完全召喚』……。なんて人だっ……!」
悲願の『完全召喚』を可能にされた悔しさよりも、興奮が上回る。
小さな少女の天才的才能。
ゾクゾクと興奮した。
そこで、敵が一つに固まって、一体の巨人になった。
『式神』よりも大きいのだが、『式神』はその大きさなど気にもしていないようで、振りかぶったサイスで、ズバッと一刀両断。
わらわらと分裂した敵を追い打ちで、ザクザクと連続で滅多刺しに切り裂いてしまえば、あとはドロリとボタボタと落ちた。
シン。辺りは、静かになった。
「勝った、のか……? お嬢は?」
『式神』の一方的な攻撃に気を取られたが、舞蝶の様子を確認。
そうすれば、月斗が片腕で抱えて歩いていた。
銃を拾ったかと思えば、それを舞蝶に手渡した。
受け取った舞蝶は、あろうことか、『式神』の眉間をそれで撃ち抜いたのだ。
パキンッ!
と、氷が弾け散った。
「なっ!? 『式神』を攻撃していいのか!? 『最強』だよな!?」
「待ってください、何か意味、が……っ」
慌てふためく藤堂を止めて、肩を掴む氷室も混乱したが、次の光景に息を呑んだ。
『最強の式神』は片膝をついて、こうべを垂れていたのだ。
月斗に抱えられた少女に向かって。
深い感謝を伝えるように、頭を下げている。
そして、氷が消え去った骸骨は、舞蝶に手をひらひらと振られて、大きな骨の手を振り返して、跡形もなく消えていった。
同時に、『負の領域結界』も解けて、元の明るさに戻る。
「お嬢ー!? って、うわっ」
声を上げては、その場によろめいて、尻もちをついた月斗。
慌てて、舞蝶の様子を確認しに駆け寄るが、月斗の腕の中で、ぐったりしているだけ。こちらを見上げる大きな瞳を見れば、意識ははっきりしているようだ。
藤堂と氷室は、ホッと胸を撫で下ろす。
「お嬢、一応聞きますが、大丈夫ですか?」
藤堂は声をかけると、ちょうど地面が土だったため、震える小さな手を伸ばして、人差し指で書き始めた。
「ダイイングメッセージみたいなんで、やめてもらっていいですか?」
止めるも、震える人差し指は【つかりた】の一言を書き遺す。
「疲れましたか。当然です。術式は、気力を消費するものです。元気を使うということですよ。『完全召喚』なんて、ごっそり持っていかれたでしょうに、よくあんなにも保てましたね。すごいです、舞蝶お嬢様」
氷室は頭を撫でてやりたかったのだが、護衛の運転手を応急手当てしたため、血で汚れた手だと思い出し、思い留まる。
「後遺症とか、ちゃんと確認してくださいよ、ドクター。周囲の警戒は怠らないように。弾も僅かだ。緊急連絡をしますんで」
藤堂は、負傷して倒れたままの部下とそばについている部下に指示を出しながら、電話をかけ始めて一旦離れた。
「……舞蝶お嬢様」
呼びかけながら、眉間を撃ち抜かれて感謝のこうべを垂れた『式神』を脳裏に思い浮かべる氷室。
しかし、順を追って聞き出したい。
「私の『式神』の文字が、視えたのですか?」
問うと、月斗の腕の中でぐったりした舞蝶は、頷いて見せた。
「もしかして……一昨日、初めて、私が『式神』を出した時も、ですか?」
それには、キョトンとした顔をしたあと、そうだ、と頷く。
本来から、才能はあった。
危機的状況で、至高の術式を行使しただけのこと。
もっと根掘り葉掘りと聞き出したい探求心がくすぶるが、グッと堪えておく。
舞蝶は今や、スマホで文字を打ち込むことすら、難しい気力切れ状態だ。
恐らく、自分より疲労は酷い。我慢我慢。
「……月斗。どうして、お嬢様が『式神』を撃ったか、わかるか?」
「え? ”銃くれ”って、ジェスチャーをするから、拾って渡したら、撃ちましたね……。でも、多分、そう頼まれたからじゃないですか? じゃないと、自分達を助けてくれた『式神』を撃たないと思うんですけど」
「”頼まれた”?」
月斗から聞き出してみれば、思いもよらない話になって、目を真ん丸に見開く氷室。
頼まれたから、舞蝶は撃った。
だから感謝された。
理由はわからないが、意思の疎通が出来た。
『式神』が頼みをするほどに、自我を持つ!
舞蝶と目を合わせれば、肯定のために頷いて見せた。
ああ! 根掘り葉掘り聞き出したい! 記録したい! 詳細に聞き出さねば!
声が出ない今、パソコンを用意して……いやキーボードとタブレットを用意してあげれば……!
と、じっと舞蝶をガン見しながら、考え込む氷室。
「眼鏡の奥がこえーぞ、ドクター」と、戻って来た藤堂に、ハッとさせられた。
「連絡したから、応援が来るぞ。みんな、命に別状はねーが、奇襲がこれで終わりってことも断言出来ない。そもそも、狙いがわからねぇな。『夜光雲』の者を狙った犯行か? そうだとしたら、強すぎねーか? あのトラップ。俺達は思い立って、出掛けただけじゃねーか。誰か知らねーが、予測されて仕掛けられるとは思えねぇよ。……お前狙いじゃねーよな? 月斗」
ジロリと、犯人の狙いが月斗にあると、疑いをかける藤堂だが、本人はブンブンと首を横に、激しく振った。
「違うと思います! だいたい、俺如きを消すためにしては大掛かりでしょ!? しかも『夜光雲』の者、ましてや、そこのお嬢様である舞蝶お嬢を巻き込んで、なんて!」
全力否定するも、藤堂は納得したような顔はせず。
「じゃあ、ドクター。こんな大掛かりで厄介なトラップを作れる奴に心当たりは?」
トラップ『負の領域結界』を作り出す術式使いの心当たり。
「……全然ありませんね」と短く考えて、氷室は首を振る。
「なんで!? アンタ、天才術式使いで研究者だろ!? 詳しいんじゃねーの!?」
「本当に心当たりがありません。恐らく、複数人が丹精込めて作った『負の領域結界』だと思われます。どちらにせよ、単独行動ではありません。連絡したのは、組だけですか? 公安にも連絡すべきだと思いますよ。これは大規模に警戒すべきかもしれません」
「――――
「……あり得ると言う話です」
ピリピリと張り詰めた空気。
大規模な戦争を宣戦布告する始まりかもしれない。
その危惧に、緊張で張り詰めた。
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