♰19 月は口説けば来てくれるでしょ。
主治医に怒られることを回避して、側付きの所業を暴露したら、かなりお怒りになったようだ。
のど飴を与えてくれて、私の頭を撫でてくれたあと、”ちょっと表出ろ”な笑顔状態で、組長達を連れて部屋に出た。
月は残ろうとしてくれたけれど、ちょっと聞いて来てほしくて、ついて行くように指差す。月はしぶしぶと、あとから部屋を出る。
でも、なんか聞こえるくらい大きな声で、廊下で話していた。
めっちゃ揉めてるなぁー。
部屋の外から、氷室先生が乱暴な言葉遣いで怒鳴っていると思いきや、月がストップをかけた声がした。
それから、静かになったかと思えば、少しして、月が戻ってきた。
「戻りましたー。飴、ちゃんと舐めてます?」
明るく笑いかけた月。
コクコクと頷いて、口の中が見えるように大きく開く。
「ちっちゃ」と、へにゃりと緩んだ顔をした月は「えらいですね」と頭を撫でてきた。
座っていいよ、とそばの椅子を指差す。
「失礼します」と、素直に座る月は、部屋を見回す。
いつも窓からだったけど、中でゆっくりと見たのは、初めてだっけ。
「……なんもないっすね」と、ポツリ零す。
そう。何もない。綺麗に整頓されてはいるけれど、特に何もないのだ。
子ども部屋に見えて、子どもらしくない部屋。
「なんか、欲しいものとかないんですか?」
尋ねた月は、いつものようにメモアプリを開いたスマホを差し出してくれた。
【ボイスレコーダーを貸してくれてありがとう】
改めてお礼を打ち込んだ画面を見せると、何故か月がむくれた顔をする。
「お嬢……またはぐらかしました? まだ何かあるんですか? あの側付きや使用人なら、とっ捕まえたじゃないですか」
ぶーと唇を尖らせて「そりゃ俺は下っ端で、出来ることは少ないと思いますけど!」と文句を零す。
そんなつもりではなかったが、確かに、今までは質問をスルーしていたっけ。
【お礼を伝えるのは大事でしょ?】と、笑って見せる。
「……それなら、さっきも言ったじゃないですか」と、まだ腑に落ちない様子。
【欲しいものって、具体的になんのこと?】
尋ね返す。
「ほら、模様替えとか。ぬいぐるみとかはどうですか? お人形さんは?」
もっと女の子らしい部屋にするために、欲しいものはないか、という話か。
……確かに、ないわね。おもちゃ。人形一つない。
【それより、スマホ欲しい】と見せた。
何故か、と首を傾げるから【離れてても月と話せる!】と見せれば、目を見開く。
【月のスマホをずっと借りてたら】申し訳ないって、打ち込もうとした手を掴まれた。
「……お嬢……出ていくの?」
泣きそうな顔で、尋ねられる。
きょとんとしてしまう。
”出ていく”? ああ、そっか。家出るって、無理に声を出したせいで、こうして、ベッドで安静にのど飴を舐める羽目になったんだった。
【月が一緒に来てくれたら嬉しいな】
返事を打たせてくれたので、それを見せて上目遣いではにかむ。
「っ……!」
途端に真っ赤になった月は、ゴックンと喉を鳴らした。慌てて口を押える月。
そして、頭を抱えるように顔を伏せた。
「かわいっ……」と、悶えている月の頭を、ポンポンと撫でてやる。
わかっているよ。知っている。私は可愛い。そして、私の可愛さにノックダウンしている月。わかってる。
わかっててやっているので、口説けばついてくるだろ!
という楽観視。
ところで、前からだけど、月はなんで喉をよく鳴らすんだろう?
なんか意味ある……? 鳴らすと、慌てるよね……?
「……もちろん、お嬢が望んでくれるなら、どこまでもおともしたいんですけど……俺にも事情がありまして。正直、もしもの時は、ご迷惑かけてしまいかねません」
顔を上げた月は、シュン、と眉を下げた。
「俺、この組に保護されているようなもんなんですよ。だから、吸血鬼嫌いと思われているお嬢が住む家にも、置いてもらえたんです」
そういえば、他にも吸血鬼の組員がいるらしいね。私が吸血鬼嫌いになったことを機に、追い出されちゃったみたいだけど、月だけはその事情とやらで、本邸にいることを許されたただ一人の吸血鬼。
あ。前に、意味深なこと言ってたよね?
なんか自分が、以前はもっと上の立場にいるみたいな言い方……。
他の組織で、上の立場にいた可能性はあると思ってた。だって、特殊能力持ちの吸血鬼だもの。かなりの戦力だ。あり得る。その前の組織で、問題があったのかな。
【私も危険になっちゃうってこと?】
尋ねると、悲しげに顔を伏せた。
「お嬢……お嬢はもう裏を知ってますんで、表の者には戻れません……。危険から完璧に離れることは、出来ないです。……多分、この家にいた方が、ずっと安全だと思うのですが……どうしても、この家を出たいんですか?」
目をパチクリさせる。
月は、ここに引き留めたいのか。
父に言われたかどうかはわからないが、私の意思を確認する。
【公安に相談してみない?】
「え? あっ! あの人か!」
前に会った公安の刑事さんを、思い出してくれた。
「お嬢……もしもの時は、あの人を頼る気だったんですか?」
【公安は、月の保護出来ないの?】
「それは……まぁ、働き次第だと思いますよ」
働き次第……。労働を対価に、保護、か。
【月がいた方がいい】と、一言を見せれば、また真っ赤になってはゴックンと喉を鳴らす。
首を傾げて、月の首に注目すれば。
「そそそ、そうだっ! 服は!? なんかモノクロのワンピースばっか着てません!? クローゼットを見せてもらいますね!!」
下手クソにはぐらかした月は、クローゼットの方へ逃げ込んだ。
許可も得てないのに、女の子のクローゼットを開けおった……。
そして、月は、膝から崩れ落ちた。
「わかっちゃいたけど……」と暗い声を出す。
あまりにも少ない服の量に、本人より絶望してどうするの。
「服! そう! 服から増やしていきましょうね!? お嬢の好きな服を教えてください!!」
気を取り直したように、こっちに戻って来た。
……美少女だけどなぁ。あいにく、前世が30代の女なので、ちょっと、わからんわ。
【好みがわかるほど、お洋服を着たことがない】という文を見せたら、月がウルウルと泣きかけた。
「甘やかす! デッロデロに甘やかすんで!! 覚悟してください!!」
がしりっと、肩を掴んで、宣言。
「なんの宣言だよ」とツッコミを入れたのは、ノックもなしに部屋に入ってきた藤堂だ。
ノックしろよ、と怒りたいところだけど、今は一番に怒りたいことがある。
【学校に連絡したでしょ!?】
月のスマホを突き付けて、プンスカ怒っていることを示すために、布団をポンポンと叩いた。
「怒りますー? おかげでこうして解決したのに、お礼を言ってくれないなんて、悲しいなぁー」
【私はもっと証拠集めたかった!】
「大丈夫ですって。あの汚物食事セットという証拠もありますし、もう十分でしょ。捕まってますし、洗いざらい吐いては罰を受けさせますんで」
ケラッと言い退ける藤堂。
「買い物するなら、タブレット貸しますよ~?」
【許す!】
「チョロ!」
ケラケラと笑いながら、藤堂は座布団まで持参してきて、目の前の床に座って、自分の顎をさする。
「んー。先ずは軽く、お嬢のワンピースを数着選びましょうかね? もう少しで冬になりますから、ニットの可愛いフリルとか、よくないですか?」
ポチポチと操作しては、とあるサイトでニットワンピースを検索したものを見せてくれた。
ブランドものらしく、お値段、たっかぁああ……!
【ブランド、高いね】と、普通に驚いたと感想を伝える。
「え? いつもここら辺で買っているじゃないですか。今年はまだでしたが、去年もこの店で冬服買ってましたよ。俺、目の前まで送りましたしね。側付きと二人で入っていきましたから……きっと、あのオバサンがテキトーにひらひらしていない大人びたの、買ったんでしょうねぇ」
開きっぱなしのクローゼットを振り返って、藤堂は呆れて肩を竦めた。
なるほどー。
そういえば、記憶のこと、どうしようかな。このタイミングで話すべきか……。こうやって会話をすれば、記憶がないって、ボロボロとボロが出そう……。
「はいはい! 好きなだけ買っていいですよ? 一億円分の服を買っちゃえば? 全然ラクショーですよ~」
タブレットを持たせてきた。
金銭的に、一億も使えるって、マジか。
【一億円分も着れません】と、検索欄に文字を書いて見せておけば、噴き出した。
「それな~。お嬢、友だちもいないから、着て出かける機会ないですもんね!」
失礼極まりない発言。
殴っていいかな? と込めて、笑顔を月に見せながら、藤堂を指差す。
ブンブンと、横に頭を振る月が、ストップをかける。ダメか。
「あ、だからって、お家とかねだっちゃだめですぜー? お家が欲しいなら、お父様と相談してくださーい」
軽く釘をさされた。
ねだらないけれども、確かにそれは父とは相談すべきだろう。
月の事情もあるし、どう足掻いても組長の血縁者だから、裏側からの危険は切り離せやしない。安全の考慮についても、話し合わないと。
……なんなら、護衛のためにも、月をつけるって話に持っていけばいいと思う。
一難去ってまた一難。冷遇する側付き達は、排除した。
次は、あの父親。
……また情報収集。いや、様子見が、妥当か?
そう考えつつ、とりあえず、手当たり次第、カートに入れるボタンを押した。
「はやっ」とギョッとする藤堂にタブレットを押し返す。
覗いて見ていた月も「そういう系が好きなんすか? なら、ここのブランドはどうですか?」と、自分のスマホで検索したサイトを見せてくれた。
【月が選んで】
「えー! いいんですか!? これは? これはどうですか!?」
爛々と目を輝かせた月は、喜んで選んでくれた。
やっぱり、ひらひらを選ぶんだなー。
まぁ、可愛い女の子にはひらひらを着せたいよね。わかる。着てあげるよ。ひらひらフリルドレスも、今のうちだもん。抵抗がない今のうちがいい。
もういいんじゃないかってくらいの量を選んだので。
【人気だったものを教えてほしい。なんせ友だちいなかったので!!】
「めちゃくちゃ根に持たれたな」
「いや自業自得でしょ」
過去から現在、人気なマンガやアニメ、音楽まで教えてもらった。
読みたかったのだけれど「お嬢、宿題は終わったんですか?」と言われて、げんなり。
宿題中に呼び出されたのよ。
「学校は、またお休みですよ。すでに連絡を入れてもらいました」
ノックをしてから、氷室先生が部屋に戻って来た。
再登校、二日で終わったわ……。
「もう少しで、夕食が来ますからね。とりあえず、改めて診察をさせてもらいます」
優しい声をかけて、氷室は熱を測る。
「何か、身体について、悩んでいることはありますか?」
主治医は問診のためか、スマホを手渡した。
首を捻って考えた末に【病気とかの問題ではないです】と答えた。
「本当ですか? 医者に話すことではない問題でも、別に話しても私は大丈夫ですよ? なんでも聞きましょう」
前回の診察からも、気にかけてくれる優しい医者だとは思ったけれど、優しさ全面的に出してきたわ。
そりゃあ女の子が虐待を受けていたとなれば、普通の人なら、そっと扱うよね。
組長相手に、激怒しては怒鳴っていたしね……。
……それが許されるなんて、この医者、ただ者ではないな……気のせい?
【入浴時間が短すぎて、髪を丁寧に洗えなくて……とりあえず、整えたいなぁ。とかでもいいですか?】
気恥ずかしながら、スマホ画面を見せる。
それを見た氷室先生と月と藤堂が、固まった。
それから、髪の毛を見られた。無造作に伸びきった髪。
やっぱり、的外れなこと言っちゃったかな。はずっ。
「俺、ちょっと実家が美容室で、切るのが上手い奴、知ってんで、揃えるだけでもやらせましょう」
藤堂が、一度部屋の外へ行ってしまう。
「……はぁ。入浴時間は、どれくらいですか? というか、世話を一切してもらえなかったのですか?」
目頭を揉む氷室先生が、深くため息をついて尋ねてきた。
コクリと頷く。それから【全部30分】と答えた。
「ぜんぶ……」と読み上げては、顔を片手で覆った氷室先生は、一拍置いて、笑顔を見せる。
「ちょっと、ごうも、ゴホン。ちょっと地下に行ってきますので、少々お待ちを」
彼も、また行ってしまう。
……今、拷問、って言いかけなかった……?
あの使用人達、やっぱり、ヤクザの娘を虐げた罰として、地下で拷問を受けているのかな?
…………待って? 拷問してくる、って言いかけたの? 先生???
「お嬢…………もっと早くに動けなくてごめん」
シュンと肩を下げている月の頭を、いい子いい子と撫でる。
月の髪は、綺麗だな。
黄緑色にほんのりと艶めく明るい金髪。細くて、柔らかい。指を差し入れながら、両手で撫でていくと、月は歯がゆそうに緩む口元をキュッと締めた。
黄色の瞳も、気持ちよさそうに細めて見つめてくる。
そんな申し訳なさそうにしなくとも、月は私を助けてくれたんだから。
笑ってよ。と笑いかけた。
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