♰18 怒る主治医と頼られなかった組長。(大人side)



 舞蝶の部屋のベッドの上で、呼び出された不愛想な若い医者・氷室(ひむろ)は、喉を見ては思いっきり不機嫌な顔をした。


「薬を飲んでいませんね? あれを飲んだ形跡がありませんが?」


 怒気を放つ。

 舞蝶は”待って”と両手を見せるジェスチャーで伝えると、月を手招いた。

 キョトンとしながら近付いたが、ハッと気付いて、ポケットに入れたボイスレコーダーを手渡す月。


 カチッと押せば、流れる虐げる声に、氷室は目を見開く。

 これじゃない、と途中で切り替えた舞蝶。


〔まったく! 主治医にまで取り入ろうだなんて! 汚らわしいことをしないでください! 喉をよくする薬など必要ありませんね! 惑わすような声など、当分出さなくて結構です!〕


 グシャリと何かを握り潰す音まで、しっかりと録音されたデータ。

 決して、舞蝶自身は、故意で飲まなかったわけじゃないのだという証拠。


 驚愕の顔を、怒りに変えた氷室は、ギロリとそばに立つ組長を見上げた。

 まともに受け止められない組長は、目を背ける。

 物申そうとした氷室だったが、舞蝶が小さく咳き込むため、優先順位を思い出す。


「仕方ありませんね。応急処置はされていますので、今はこれを舐めてください。すぐに噛んではいけませんよ、口の中で転がすのです。夕食は薬膳スープで安静に眠ってください。もっと効果のある薬を処方しますが、それはとても苦いです。ですが、飲んでくれますね?」


 白衣のポケットから、飴の袋を見せる。喉にいい蜂蜜の飴。

 優しく言い聞かせる氷室を、じっと見たあと、コクコクと頷いた舞蝶は、ゆっくりと口を動かした。


「”頑張る”? いい子ですね。はい、口を。では少々お待ちを」


 慈愛に満ちた眼差しで、舞蝶の口に飴を一粒入れると、頭を一撫でする。


 そして、ギロッと眼光を放つような鋭い目付きで、組長に目配せをして、舞蝶の部屋を出た。



 廊下で、立ったまま。


「つまり……あの側付きは、今まであなたの娘を虐げてきたと? 彼女が高熱にうなされても、喉が潰れるほど放置されたのは、側付きに虐げられたことを気付きもしなかったあなたのせいですか?」


 氷室はすぐに少ない情報を基に、言い放つ。


 鋭利すぎる言葉に「おいっ」と、組長の部下は咎める声を出すが、氷室は動じない。


「組長が言ったことは、一字一句覚えていますよ? ”娘は気難しい上に酷くワガママで偏食で少食で、ただでさえ不健康だった”と。高熱で苦しんだ娘を、そう紹介してくれましたよね?」


 突き刺しては捻じ込むような言葉のナイフに、組長は顔を歪める。

 目が合わせられないのは、その言葉を放った覚えがあるから。

 後ろめたさを感じれずにいられない。


「おい、分を弁えろ!」


 ガタイのいい幹部のそのドスの利いた声にすら、動じない氷室は。


「は? 反論があるならどうぞ? あんな幼い子を孤独にした図体ばかりデカい男どもがどれほどの間、放置していたのか、私は知りたくありませんけど? でも、彼女の主治医となりましたし、参考までに聞きましょうか? 一体、彼女はいつからあんな側付きに虐げられていたのでしょうか? ”ワガママで偏食で少食”と予め聞いていたのに、入院中は残さずに食べましたし、ワガママのような行動を一切見せませんでしたよ? ”気難しい”だって? この前診察出来た時、ホッとして笑顔で手を振ってきましたよ? さっきだって見たじゃないですか。言うことを素直に聞いて、頭も撫でさせてくれました」


 と、まくし立てるのに、淡々と、でも鋭利に切り返す。

 反論が出来ない者達は、怯むしかない。


「それに、彼は吸血鬼じゃないですか。”吸血鬼嫌いで人嫌い”という情報は、一体なんなんですか……?」


 月を指差して、責め立てる氷室は、怒りを込めて唸るように問う。


 あまりにも殺伐とした空気に、耐え切れないとばかりに、藤堂が口を開く。


「って、いうか……なんで、お前までいるんだ? 月」


 一緒に廊下に出てきた月が、舞蝶のそばにいなくていいのか、と暗に問う。


「え? な、なんか、お嬢がついていけって指差すから……多分、話を聞いておいてくれってことじゃないですか?」


 だめなのか、とオロッとする月だったが、他でもない舞蝶が指示をしたのだ。


「お嬢も聡い子だから、ダメな部分は黙っておきますんで、それは口止めの命令をしてください」


 どうぞどうぞ、と話を続けるように促す月は、ぶっちゃけ早く話を済ませてほしい。

 一人で休んでいる舞蝶の元に戻りたい。


「……月。いつから、舞蝶はお前に懐いている?」


 ボイスレコーダーを貸したのは、月。

 今回の大きな功労者でもある月は、明らかに舞蝶に好かれている。

 解せないと、しかめっ面をしながらも、組長は尋ねた。


「えっと、お嬢の退院の初日からですね。夜中に無人の厨房の前にお嬢が一人でいたので話しかけたら、お腹の虫を鳴らしたので、何か食べたくて来たのかと思って、ラーメンを作って食べさせてあげました」

「なんで退院初日の夜中に、ラーメンを食べさせるんだ!」

「いや! だって黙ってくすねたし! そこにあったし! 俺だって”小食”だって聞いていたから、ちょこっと食べれば満足すると思ったのに、完食しちゃって!」


 氷室に咎められて、ビクッとしながらも言い訳をしておく月。


「”小食の女の子が夜中にラーメンを完食”、ねぇ?」


 皮肉たっぷりの言葉を口にしながら、組長を睨み付ける氷室。あまりにも矛盾している。


「吸血鬼の俺は、特に触っちゃだめって言われてましたけど……その夜、スマホを貸して話をしていたら、逆にお嬢から”なんで触っちゃいけないの?”って聞かれちゃいました。その時はまだ知りませんでしたけど、確かに怖がることなく一緒にいるのに、吸血鬼嫌いでもなさそうだなって、変だと思いました」


 月のその言葉に、組長達は驚愕で目を開くし、氷室は睨みをさらに鋭くさせて怒りを膨らませた。


「い、いや、本当に……! トラウマで吸血鬼が嫌いになって、他の男も手がぶつかっただけで泣き喚いてっ」

「その夜に、普通にお嬢から俺の顔に触ってきましたし、抱っこしても平気ですよ?」


 月には、そんな反応をしない。

 血の気が引く組長達。


「もうトラウマを克服した、もしくは、あの側付きが何か吹き込んだことで、そんな反応を見せるようになったのでは?」


 問い詰める口調の氷室に、息を詰める組長達には心当たりがあって、何も言えなかった。


 その通り。舞蝶が、トラウマで吸血鬼に怯え出したあと、触れただけで泣き喚いた事件が起きた時、側付きがいた。そして、徹底的に触れさせないようにガードする進言したのだ。


「揃いも揃って、使用人如きにしてやられるとは」


 呆れて額を押さえる医者は、ため息を深く吐いた。


 組長だって、顔色が悪くなる。気持ち悪さで倒れそうになり、壁に手をついた。

「組長」と心配で呼ばれても、応えられないほどのショックを受けている。


「天下の組長も形無しか」と嘲て吐き捨てる氷室は、幹部に睨まれようと痛くも痒くないと言わんばかりに、顎をツンと上げて、見下す視線を返す。


「その夜の会話で、何も言わなかったのですか?」と、月に話の続きを促した。


「あ、はい。俺が勘繰って探ろうとしても、はぐらかすんです、お嬢。橘に夜食がバレちゃって、そしたら、その橘が作ったお嬢の食事が届けられてないってわかって。でもお嬢は”立場的に知らない方がいいと思う”って言ってきて……。俺達の立場にはわからない複雑な事情でもあるのか、立場の低い俺達じゃあ、食事をこっそり与えるのが限界なのかなって悶々としていたら、高熱で入院させた側付きの謹慎が開けて戻ってくるって聞いて、お嬢、微妙な顔してて……次の日に、わざわざ俺の元までこのボイスレコーダーを貸してくれって来ました。組長の目の前を横切ってまで、俺に頼んだので……組長に言うべきじゃないのかな、って」

「っ……」


 証拠を録音したボイスレコーダーを取り出して見せた月。


 それを見て、組長は青灰色の瞳を揺らす。

 自分の目の前を過ぎて行って、月の元に行った日を覚えている。

 そう。父親である自分を頼らなかったのだ。


 普通に組長を追い込んで責める話となっているが、月としても物申したい。


「お嬢が自分にされている仕打ちを話せなかったのは……組長に愛されてないって思っていたからじゃないですか? 組長が冷遇してもいいだなんて、側付きに許可でも出して、甘んじて受けてたんじゃないですか?」

「そんなことはっ……!」

「だから新入りの俺にも、”助けて”って言えないかったんですよ。死にたくはないから、食事は受け取るけど……でも、お嬢、この前尋ねてきました。”私を生かす理由でもあるの?”って」


 ヒュッと、組長は喉を鳴らす。

 自分の娘が、そう尋ねた。

 虐げられていた事実に続いて、衝撃的すぎる。


「悲壮感なんてなかったです。さっきお嬢が尋ねたように、淡々と……自分は利用価値があるからこそ、この家で生かされているって考えているみたいなんです。ないなら、別にここにいなくていいじゃんって……そう思っているんでしょうね」


 知らず知らずのうちに、無感情な声となる月。


 家から出ようとする舞蝶を――――月は、止めるすべを持たない。

 その時、ついていってもいいだろうか……。

 自分の事情を考えると難しい。



「つまり……高熱で死にかけたあの子は、吹っ切れて、病院食をたらふく食べて、クソな側付きのいぬ間に優しい吸血鬼と料理人に懐いて! こうして証拠を突き付けたから、こんな家を出てやるって結論が出たわけだな!? 利用価値がないから、家に縛られることもないって! どうやったら、そう思わせられるんだ!? ああん!?」


「「「(この医者、口悪っ!!!)」」」



 ヤクザ顔負けのガラの悪さを見せた氷室に、一部慄いた。


「やめないか。組長だって大変な時だった。奥方を失くして荒れていて、止むを得ずあの側付きに任せるしかなくて」


 組長を庇う幹部だったが、火に油だった。



「おおそれは大変だな。だが! 三年前の話だろ!? 彼女の方は、三歳で母親を亡くした! その上、父親もそばにいなかっただと!? 少し考えればわかるだろ!? てめーに見捨てられたって、思うと!!」

「違うっ! 見捨ててなど!!」

「高熱で苦しんで目覚めたあとも、寄り添わなかったアンタに信憑性なんてねぇよ!!」


「ちょぉおおおと、ストップーっ!!!」



 ヒートアップする一方の医者と組長を、廊下の奥へ押しやる月。

 そして、振り返って汗をダラダラ垂らす。

 舞蝶の部屋の近くの廊下で、こんな話を大声ですれば、聞こえてしまう。


 流石に、これは月の口からも聞かせられない。


 我に返った一同も、静まり返る廊下の先の舞蝶の部屋を見ては、無反応なことに少し安堵した。


 そこにやってきた幹部が「お嬢が告発した使用人、全員捕えました」と報告にやってきた。


「今、下の奴らが、拷問で罪を吐かせてますが……やはり、あの側付きの指示だそうです。その……”組長になんとも思われていない娘だから、大丈夫”と言われたそうで……」


 言いにくそうながらも、事実を報告。


「ハッ! 使用人に舐められるたぁ、落ちぶれたもんだな」


 盛大に嘲笑い鼻で笑い飛ばす氷室。


「私は舞蝶お嬢様の治療に専念しますので、拷問には呼ばないでくださいよ。処罰は、お任せします。身の回りの世話もお任せを。使用人が足らないでしょうからね」


 最初の口調に戻すと、白衣を整えた。嫌味をぶち込む。

 それから。


「料理人ですか? こちらの薬膳スープを作れますか? 一度薬を取りに戻りますので、ない食材を持ってきますよ」

「あ、はい。問題ないです、作れます」


 橘は、スマホで見せられたレシピを確認して、ない食材を挙げた。


「では、月という名でしたね? 戻るまでそばにいてください。誰もいないのは心許ないでしょうし、あなたのことを一番信用しているでしょう」

「あ、はいっ!」


 思わず、舞蝶のそばにいると頷いてしまったが、本来は組長の決定を待つべきではないかと、オロッと視線を向ける。


「舞蝶お嬢様が知りたいことは、全て話してください。また要らない誤解を与えてはいけませんから、ね?」


 笑顔の氷室は、圧を放って、組長の返事を催促する。

 組長は、のろのろと重く頷いた。

 氷室と橘は、廊下の先を歩き、月も舞蝶の部屋に戻る。


 少しの間、組長は顔を伏せたまま立ち尽くした。

 幹部達は、黙って見つめて待つ。


「……行くぞ」と、冷え冷えとした眼差しをした組長は顔を上げると、廊下を歩き出す。




 敷地内の蔵の中に隠された地下牢。

 拷問を受けた使用人達はこぞって、側付きのせいだと、訴えて泣き喚いた。


「やっぱりあの女の娘!! 当主様を誑かしたあんな女の娘!! みんなあんな娘に誑かされて!! 吸血鬼に殺されてしまえばよかったのに!!」


 側付きの聞くに堪えない訴えを、顔を歪めて受けた組長。


「お前を信用していた……。我が家に忠実に仕えたお前を……」


 ギリッと歯を噛み締める。

 それが全ての過ちの始まりだったのか。いや、そもそも、側付きに、娘の世話を投げたのが悪かった。

 三年だ。あれから、三年。


「娘の世話を務めた礼だ……三年。生き地獄を味わわせてやろう」

「えっ……?」

「三年は絶対に生かせ。毎日休まず、拷問させろ」


 冷酷な処罰を下した組長は、地下牢を出ようと踵を返す。

 側付きの悲鳴は、中途半端に呻きに変わったが、組長は無反応のまま出て行った。



 

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