♰13 主治医と再登校とブチギレ。
病院勤めなのに、お昼になって、わざわざこの屋敷に足を運んで診察しに来てくれた主治医。
氷室(ひむろ)先生。
灰色っぽい銀色の髪と銀のフレーム眼鏡という冷たい印象の若い美形。
「おや? 顔色がよくなりましたね」
私の部屋まで来てくれた彼は、少し柔らかい微笑みを見せてくれる。
入院中、少しは仲良くなれたらしい。手を振って、笑顔で挨拶。
「おやめください! お嬢様! はしたないです!」
ぴしゃんと、手を振って挨拶しただけで怒鳴りつける側付きに、氷室先生も、僅かに眉をひそめた。
「あなたですね? 高熱で寝込んでいるにも関わらず、医者を呼ばなかった側付きとは」
主治医は、咎める姿勢で問う。
「はい。申し訳ございません。お嬢様が、どうしても嫌だと駄々をこねて……」
「……高い熱のせいで、喉が酷く渇いたはず。水分補給は?」
「それさえも、億劫だと拒まれてしまい……お世話係として、ちゃんと教育が出来ず不甲斐ないばかりです」
やや顔を俯かせるが、しれっと答える側付き。
しかし、入院中はワガママなど言わなかった私を知る氷室先生は、側付きに疑心の目を向ける。
だから、話で気を逸らしながら、スマホで【いじめられているのですか?】という文を打ち込んで、私のそばに置いた。
優しいお医者さんだ、と感心しつつ、【しーっ】という秘密にしてほしい文を、下に打ち込んだ。
確認した氷室先生は目を見開いては、私を見たが、ただニコッと笑って見せた。
氷室先生だって、特に、手助けは難しいだろう。
しぶしぶと引き下がる様子の主治医は、喉を診察。
「喉の方は、よくなりましたね。この薬を飲んでいけば、すぐにでも声が出せるようになりますが、くれぐれも焦って声を出しすぎないように。長く話すことも、もちろん、大きな声を上げることも、喉をまた痛めてしまう原因になるので」
そう言って、用意してくれた薬を置いてくれた。
「その点を注意すれば、学校には、明日から通っても問題ないです」
「ご苦労おかけしました」
ぺこっと、頭を下げて見送りする側付き。手を振るなと叱られたが、彼女が背を向けている隙に小さく手を振った。少しだけ柔らかな笑みを返してくれた氷室先生は、別の使用人に付き添われて帰っていく。
「まったく! 主治医にまで取り入ろうだなんて! 汚らわしいことをしないでください! 喉をよくする薬など必要ありませんね! 惑わすような声など、当分出さなくて結構です!」
罵倒する側付きは、氷室先生が渡してくれた喉の薬を、紙袋ごと握り潰した。
それも、私は――――ちゃんと録音しておいた。
薬の袋を捨てに、ご機嫌ナナメな彼女が部屋を出た隙に、カーディガンの袖下に潜ませたボイスレコーダーを確認。下にボタンをスライドさせれば、新たな録音記録が保存されたと表記された。ホッ。
この調子だな。
薬の件も、氷室先生に確認してもらえれば、わかることだ。
それにしても、どうにも、彼女は妄想に取りつかれているみたい。
父と結婚した母が、惑わすような妖女か何かだったと思っている。
月の情報では、穏やかな美しい人だったというし、私は月の方を信じるので、彼女が被害妄想で暴走しているアブナイ人にしか見えない。
だいたい、私は父似でしょ。母の顔知らないけど。
まぁ、側付きにとって、母の子だからこそ、憎いのだろう。
使用人の分際で、組長に恋慕か?
身の程知らず。と言いたいところだが、あの容姿だから、しょうがないだろう。美の暴力だ。
とはいえ、恋が、子どもを虐待する免罪符になってたまるかっての。
まだ迷ってはいるけれど、この証拠は父に提出することがいいだろう。
私のために、どこまでしてくれるかはわからないけれど、使用人の処罰は当主として当然やってくれるはずだ。
何より、使用人の分際で、年下の当主様に恋慕して、嫉妬にかられて悍ましい嫌悪を子どもにぶつける彼女には、効果てきめんな”ざまあ”となるだろう。
彼女だけじゃない。従う担当の使用人も名前は覚えているが、関与していた証拠になる録音はしておく。
やはり、側付きの指示だったようで、彼女が戻って来たことで気が大きくなって、罵る言葉が出てくる。
こちらだって、大きくなるさ。大人が寄ってたかって、幼い女の子を虐げるんだ。怒りも、増幅する。
以前の『雲雀舞蝶』は、どれほど傷付き苦しんだことやら。
使用人だというのに、世話をするという仕事を放棄もしている彼女達を、絶対に解雇に追い込んでやる。
……まぁ、ヤクザのご令嬢にこんな仕打ち。果たして、ただの解雇で済むか、わからないけれどね。
翌朝。学校へ、登校。
黒のワンピースと白のカーディガンを着て、赤いランドセルを背負った。
……ランドセルぅ。
自分は小学生だと、痛感するアイテムだ。
白のカーディガンのポケットには、しっかりとボイスレコーダーを入れておいた。部屋に置いておく真似などしない。
大事な証拠だもんね!
学校への通学は、リムジン。あの病院に迎えに来た黒光りするリムジンだ。
「おはようございます、舞蝶お嬢」
藤堂はどうやら、この送迎護衛の責任者と言う立場らしい。
信用を得ている地位の高い組員だったのか。どうりで、月と橘が下手に出るわけだ。
……こんなリムジンで学校の送り迎えってことは…………バレてるな、私がヤのつく家のお嬢様だって。
側付きの佳代も、同行。着物姿で、凛とした姿勢で隣に座った。
病院のお迎え帰りと同じく、沈黙。でも、彼らは慣れっこの様子。
これが平常運転か。
学校は、普通に見えた。チラチラと見られる中、私と側付きだけが校舎内へ。
側付きはただ、挨拶と謝罪をして、職員室で私の声が出ないことを説明して、淡白に「よろしくお願いいたします」と言うだけ、さっさと帰った。
「久しぶりに会えてよかった。これ、声が出ないなら、使ったらどうかな? クラスのみんなと話す時にでも」
中年男性である担任教師は、そっとメモ帳を渡してくれた。
これでクラスメイトと交流しようと言われたが……。
教室に行けば、歓迎されていない雰囲気。
やはり、友だちがいない……。
ヤーがつく家のお嬢様。ぼっち。
まぁ、期待はしていなかったため、淡々と授業を受けた。
小学一年生の授業…………退屈だなっ! ねっむい。
授業は眠らないように耐えて。ぼっちだから、特に気を遣わず、椅子に座ったままでいたのだが。
どうやら、クラスでは、いじめを受けていたようだ。
以前の『雲雀舞蝶』が、可哀想すぎる。
クラスの中心人物らしき、勝気のポニーテールの女子生徒に。
「どうせ誰ともしゃべらないんだし、いらないでしょ!」
メモ帳を破き捨てられた。
それは教師にもらったものだ、とキッと睨むと、女子生徒は怯んだ。
反抗的な態度には、慣れていないのだろう。
おあいにくさま。私はやられっぱなしで済ませないわよ。
しかし。
その女の子が好きなのか。
「生意気だぞ!」
男子生徒に、突き飛ばされた。床に、尻もちつく。
それを、ケラケラとせせ笑う一部の生徒達。
私が悪いわけじゃないのに……――。
度重なる理不尽な目に遭っていう事実に、プッツンとキレた。
家でも、学校でも、理不尽な目に遭ってたまるか。
立ち上がって、ガシャンッと机を蹴り飛ばすと、あちらこちらで悲鳴が上がった。ちゃんと飛んだ方に誰もいないと確認したから、怪我人はなし。
「な、なんだよ! 暴力を振るのか!? 流石は、ヤクザの子だな!!」
慌てて声を上げる男子生徒こそ、暴力を振ってきたくせに。どの口がほざく。
今までの『雲雀舞蝶』は耐え忍んできたかもしれないが、私は違う。
自分の椅子を持ち上げて、男子生徒に迫れば、情けない悲鳴を上げてひっくり返った。
ヤクザの子だと知っていて、いじめるとは、見くびるにもほどがある。
ちゃんと大人に、ヤクザを教わっておくんだったね。反社会的勢力。暴力団。それがヤクザの別称だ。
そのヤクザの子どもを、突き飛ばした対価を思い知れ。
「どうしたんだ!?」
中年男性の担任が、教室の中に駆け込んだ。
目にするのは、私が椅子を持って迫り、青ざめて倒れている生徒。
「助けて先生! こいつが、ぼうりょくを!」
情けない声を上げるものだから、椅子を振り上げた。
「やめなさい!」
咄嗟に声を上げて、担任が制止するが、男子生徒の上に椅子を置いただけ。
小学一年生は椅子の四本の脚に踏まれることなく、挟めるほどに小さいな。
そのままそこに座った私は、床に落ちた破かれたメモ帳を指差した。
「メモ帳? なんで破かれているんだ? ……誰が?」
担任が尋ねてくれたので、ツインテールの女子生徒を指差した。
ビクッと震えた彼女は「ち、ちがう!」と首を振っては。
「ね? あたしじゃないでしょ?」
と、周りを味方につけようとした。
だけれど、私の暴れっぷりを目撃した生徒達は、嘘をつくことを怖がり、何にも証言をすることなく俯く。
みるみる青くなる顔の女子生徒は、カタカタと震えた。
私は椅子から下りて、チョークと手にして、後方の黒板に書き込む。
【声が出せないので、大きな音を出しました。暴力を振るうヤクザの子だと悪口をいうので、仕返しに脅しました。私は突き飛ばされましたが、暴力を振ってませんよ?】
危害は加えていない。相手には、触れてもいないもの。
蹴り飛ばした机だって、誰にも当たっていない。
私は加害者ではない。むしろ被害者だと、主張する。
【私の父を呼びます?】
付け加える。
それには担任も、生徒とともに震え上がった。
ヤクザの組長が来るのは、怖いらしい。
慌てて穏便に済ませようと、保護者に内緒で仲直りしようと言った。
一先ず、私のことは怖いという認識にさせたので、学校はしばらく大丈夫だろう。
給食を無事に食べることが出来たが……。うーん。
……橘の料理の腕前って、素晴らしかったんだなぁ。
と、しみじみ思うことになった。次会った時に伝えよう。
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