♰10 料理人と護衛と側付きと。
月がうどんを茹でてくれて、ずずっと啜っていたら。
「お前か! 食材をちょろまかしてんのは!!」
怒鳴り込んで入ってきたのは、料理人らしき人。
年齢は二十代と若そうだけど、強面だ。月より、ガタイもいい。
「お嬢?!」
そうして、ちょこんと座っている私にひっくり返りそうなほど驚いたが、私がうどんを食べていると知ると、ギッと睨んできた。
「俺がお出している料理は一口ぐらいしか食べずに突き返して来ておいて、夜食を盗み食いとは! どこまでワガママなんですか!!」
目の前で悪態をつく料理人の強面男。
私は、目をまん丸にしてしまう。
料理は、ちゃんと毎回作ってくれているようだ。しかも、この人が。
確かに出されるのは、同じ物をお盆で運ばれていた。昨日からレパートリーが変化したけれども、私に出されるのは、廃棄物のような冷遇セット。
思わなかった。私のために、ちゃんとした料理が作られているとは。
料理が可哀想だし、目の前の料理人にも申し訳ない。
この冷遇お嬢人生を始めて、食事のありがたみを痛いほど痛感しているのだ。申し訳ない気持ちは、何よりも強い。
よし。
今後の夜食のためにも、行動することにした。
月のスマホのメモに、文字を打ち込んで。
【明日の夕食は、彼に写真をこっそりと撮らせてください。戻って来た料理は、とっておいてください。この時間に来ますので】
と、伝える。
怪訝な顔をする料理人の前で、食事を終えた。
翌日。
月の撮った写真と同じ料理が、少しだけ崩されていたが、出された。
「お嬢のための料理だよ?」
質問に答えてくれる月。彼のことは信用しているので、信じることにした。
【いただきます】と用意した紙を見せて、食べ始めようとしたが。
「なんで食べるんだよ!?」
お盆ごと取り上げる料理人。
ガーン! 美味しそうなご馳走を! 目の前で! 奪われた!
「意味わかりません!
そう怒鳴られても、私だって意味がわからない。
「ええっと、橘(たちばな)だっけ? お嬢の料理って、いつから担当してるです?」
「俺は今年の春から担当してるが、まともに食べてもらったことがねぇな。本邸に配属されて二年は経つが、その頃には、もう
「毎食作ってるんですか?」
「朝はみんなが同じのを食べてるが、昼は頼まれた人だけ。夜は必ず俺がお出ししている」
月が尋ねてくれるので、話が聞けた。
二年か。その頃には、もう食事は冷遇セットが使われていたのかな。よく耐えたな、この子も。
私は無理よ。月がいなければ、飢え死に。
料理人泣かせとまで言われている私の料理人担当のこの橘って人は、ちゃんと届いていると思っていたのだろう。他の人達もだ。
料理を届ける使用人が、すり替えている。というか、届けていないまま、戻しているだけだ。多分つまみ食いとかはしている。
美味しそうだもん。
食べたと思われている料理は、使用人が食べていると思うと、憎いわね。おのれ、虐待……!
この冷遇が、組長の指示かどうか、明確ではない今、下手なことは言えない。
組長が冷遇に関与していなくとも、気付かないほどに組長は娘に関心がないのだし、無意味に等しいだろう。
【立場的に、知らない方がいいと思う】
という文を見せれば。
「いや、だから……意味が……」
困惑した様子。
きゅるるっと、美味しそうな料理を前に、お腹の虫が鳴る。
お前はよく活躍するね……。
「とりあえず、食べたがってるんだから、食べさせてあげてよ」
月もやんわりと急かした。
「……温めますんで」
と、料理人は、改めて出してくれた。
美味しい。
【美味しい!】
と、予め用意した紙を突き付けた。
面食らった顔をする料理人。
【今まで食べられなくてごめんなさい】
本当に申し訳ない。
文字を読んで、少しだけ黙り込んだが。
「明日は……もう少し早い時間に来れば、用意しますぜ」
言ってくれた。
彼の名前は、橘(たちばな)祐樹(ゆうき)。
【ありがとう!】
笑顔で文字を見せれば、気まずげに俯かれた。
月も何か言いたげだが、ただ食べることを見守ってくる。
食べる? と差し出すが「お嬢が食べてください」と断られた。
んー。大丈夫かな?
立場的には、難しい問題だって理解してくれただろうか。むやみに、首を突っ込まないといいんだけど。
橘が片付けを引き受けてくれて、月はいつものように、私を部屋まで送ってくれた。
翌日、朝食の時間にやって来た月が、窓から覗き込んだ。
初めて冷遇セットを目にして、顔を思いっきりしかめた。
誰かを殺さんばかりの怒った顔だ。怒らないように、窓辺に乗って、頭を撫でてやる。
「…………お嬢。このままで、本当にいいの?」
弱々しく尋ねてきた。
そう言われてもなぁ……。
まぁ、もう少し把握させてほしいので、”ちょっと”と示すジェスチャー。
「大丈夫なんですね?」
尋ねるから、頷く。
だって月がいるんだもん。大丈夫だよ。
大丈夫にしてくれているのは、他でもない月。
「力になりますからね。出来る限り!」
笑顔で頷いて、見せる。
「……今日もデートします? 橘が、デザートも作ってくれるって言ってましたよ。材料、買ってきません?」
月は優しく笑いかけた。
三回目のデート! ぜひ!
自分を冷遇してくるのは、やはり私の世話を担当する使用人のみのようだ。顔も名前も覚えた。
でも、理由は? そして、誰からの指示か。それがわかっていない。
どうするかなぁ。これだけの証言で、あの刑事さん、助けてくれるかな。悩ましい。
担当料理人の橘が用意してくれる夕食を舌つづみする日々。
一人は嫌なので、一緒がいいと駄々をこねれば「しょうがないですねぇ」と頬を赤らめながらも、三人分を作ってくれて、一緒に食べてくれるようになった橘。悪い人じゃない。
月は朝と昼に差し入れてくれるし、なんなら橘からの差し入れまで持ってきてくれた。
そんなある日。
「なんかいい匂いがすると思ったら……なんでまた、寝てるはずのお嬢がいんだよ?」
ガラの悪い顎髭の男が、厨房を覗き込んだ。
覚えがある。病院から迎えに来た一人だ。
「俺も腹減ったわー」
遠慮なく、堂々と居座る。
「お嬢が他人と居るとは、ビックリだな。送迎の護衛である俺らとも、会話したことねーのに……餌付けに成功したのか? なんか丸くなってきたな」
そして遠慮のない物言いの低い声を放つ。
送迎担当なのか、この人。
冷遇指示を受けていないようで、料理を出している二人のことを咎める気はないようだ。
まともな食事を食べられたおかげか、確かに肉付きはよくなってきたが、言い方……。
「そーいやぁ、
橘の食事を奪い取って、言い出す。
そばつき……? 首を傾げれば。
「おいおい、つめてーなぁ、お嬢。元はと言えば、お嬢が熱あることも黙ってろって駄々こねたから、治療を遅らせて大事(おおごと)になったせいで、側付きのオバサンが謹慎処分を受けたんじゃないすか。母親代わりも同然のあのオバサンにしか、心開かないくせに」
「藤堂(とうどう)さん……」
嫌味を込めて笑われた。
橘の咎めるように呼ばれた名前で、彼が藤堂(とうどう)という名だと知る。
パチパチと、目を瞬かせてしまう。
母親代わりの側付きがいるらしい。側付きってあれだろ……えっと……側近、みたいな?
それは困った……流石に、記憶がないことがバレそう……。大丈夫だろうか……。
いや、大丈夫じゃないだろうなぁ……。
母親代わりの世話係。食事のこともあるし、冷遇の加担者なのは、間違いない。むしろ、彼女こそが、主犯格ではないだろうか。
憂鬱だな。
どうして、私は父に放置されているんだろうか。
そもそも、父に放置されているからって、冷遇される理由って何?
全然それらしい理由がわからない。いや、その側付きとやらが知っていそうだ。
食べるだけ食べては、さっさと行ってしまった藤堂という送迎の護衛。
……顎髭のダンディーなイケメンだけど、性格悪いな。橘の分を、勝手に完食していったぞ。
橘に自分の分を差し出せば「大丈夫ですよ。自分の分は、しっかり食べてくだせえ」と苦笑を返された。
はい! 食べまする!
そして、憂鬱な翌朝を迎えた。
幸い、朝食を届けに来てくれた月と鉢合わせることがなくて、助かる。
月が「またお昼に」と帰ったあと。
「お嬢様。佳代(かよ)でございます」
挨拶をしてから襖を開いた側付きの女性と対面。
50代に入ったであろう女性は、シワのある顔を歪ませて、蔑んだ眼差しで見下ろされた。そこには確かに、嫌悪と憎しみを感じ取る。
他の使用人とは違う。明確な悪意。
「お嬢様のせいで、罰を受けました」
冷たく言い放つ。
私のせい、だと……? 高熱で入院した私に向かって?
「今後とも、お父上様にご迷惑をおかけしないように、熱如きで大事(おおごと)にしないでください」
高圧的な声を押し付ける側付きの前で俯いて、やっと理解した。
――――元凶は、この人だ。
この人こそ、他人と関わることを嫌がる無口で陰湿で、偏食で小食なお嬢様に仕立て上げた。
側付きとは、肩書きだけだ。仕える気なんて毛頭ない。
側付きとして引っ付いているなら、幼い子どもを孤立させるなんて、簡単だったろう。
私を見下している。
『雲雀舞蝶』を嫌っているのだ。
『雲雀舞蝶』を虐げている張本人。
……さて。どうしたものか。
俯いて隠した顔で、冷静に考え込んだ。
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