♰07 渇く喉を鳴らす執着症状。(月視点)
諸事情により、匿ってもらっている組のところの組長のお嬢様。
舞蝶(あげは)お嬢とは、入ってからここ一年、交流なんてものはなかった。
けれど、高熱で騒ぎとなって入院したお嬢が、退院して戻ったその夜に、不思議な交流が始まったのだ。
陰湿で無愛想だって思われていたお嬢だったのに、直接関わると全然違う印象。
しっかりと目を合わせてくれるし、真っ直ぐに見つめてくる。声が出ない代わりか、仕草が全部可愛い。
ただでさえ、”吸血鬼をも超える美貌の組長”とか揶揄される組長によく似た容姿のお嬢は、はっきり言って可愛い容姿だ。それでいて綺麗とも言えちゃう雰囲気なんだから、それで子どもらしい可愛い仕草なんて、キュンキュンするのも仕方ない。
偏食の上に小食のせいで、料理人を泣かせるほどに困っているらしいと聞いたのに、会う度にお腹を空かせている。
何かがおかしい。
けれど、彼女はそれを探らせようとはしなかった。お嬢の嫌なことはしたくなくて、しぶしぶ引き下がるが、なんとか好きな食べ物を買ってあげようと、デートのお誘いに乗って、こっそりと出掛けた。
バレたら大目玉だけれど、俺なりに逃げ道は用意してある。お嬢がお腹を空かせている原因を問い詰めてみればいいんだ。
お腹空かさせた方が悪くね?
……だからって、黙って抜け出すなんて、悪いんだけど。まぁ、それは覚悟の上ってことで。
その日。いざ出掛けようとしたら、使用人が来て、お嬢にドリルを渡した。その声はとてもじゃないが、お嬢を優しく世話しているとは思えないもの。
特に気にした様子もなく、落ち込んだ様子もなく、お嬢は20分くらいでドリルを終わらせたらしい。ビックリ。頭いいのかな。漢字も打てるし、そうなのかも。
これでドリルは済んだから、適当に屋敷内を遊んでいると思うかな。お嬢は怒られないはず。
一応持ってきたコンビニのおにぎりを、喜んで食べるお嬢は、痛々しい。
この組のご令嬢なのに……。
本当にどうしたんだろう。
とにかく、今日は楽しませてあげて、隙をついて、聞き出してみよう。美味しい物を食べさせて、可愛い物を買ってあげる。
無趣味でよかった。報酬はたんまりあって、余裕だから。
だが、体力がないのか、すぐに舞蝶お嬢は疲れ切ってしまった。
あ、退院したばかりだった! それに抱っこしたら軽すぎだったから、筋肉なんてものもない。
目に入った人気のない建物の階段に座ってもらって、そこで休憩。タピオカジュース店があると思い出して、買いに行ったが、戻ってきてみれば、そこにお嬢がいない。
護衛もなしに、秘密に出てきたお嬢の身に何かあれば……!
お咎めどころじゃない。
だが、何よりも彼女の無事が最優先。
焦って路地の奥へと進んで捜す。聴覚を研ぎ澄ませて、周囲の音を聞く。
お嬢は今声を出せないから、助けすら呼べない。
そんな彼女を、一人にするなんて……!
すると、聞こえてきた。
ガシャンと何か物が落ちる音。それに集中しながら追ってみれば、聞き取れたのは、呻き声。
グール!?
ヒヤッとした焦りが、突き刺さった。
お嬢がグールに襲われている可能性がある以上、特殊能力を使うしかない。
許可を得た相手じゃないと出来ないが、死体、つまりはグールなら可能だ。そのグールの影に潜り込むために、先に影を繋げて、そこから瞬時に出てお嬢を捕まえる前に、肩を掴んで引き剥がして、突き飛ばした。
お嬢を見た限り、怪我はないようだ。
逃げ回ったのだろう。息を切らしていた。胸を押さえて、ポカンとしている。
固まっちゃって、相当怖かっただろう。
早くここから出してあげようとしたが、グールが襲い掛かってきた。腰に差した銃を取り出したが、もみ合いになってしまって倒された拍子に、落としてしまう。
「お嬢! こっちに!」
なんとか噛み付かれないように顎を掴んで押し退けながら、お嬢の足元に転がるそれを、こっちに転がしてほしいと頼むが、よく考えれば、こんな怪物に遭遇してしまったお嬢が、すぐ動けるわけがなかった。
固まってたしっ。
これ以上の能力使用は、消耗しすぎだし、お嬢にもバレかねない。
でもしょうがないと、使おうと思ったが。
パンッ。
両手で銃を持ったお嬢が、グールの頭を一発で撃ち抜いた。
力を失くしたグールが、真横にぐしゃっと倒れるのを唖然と見てしまったが、慌ててお嬢の元に向かう。
「お、お嬢、大丈夫っ?」
色々大丈夫なのだろうか。
そう心配したが、俺をじっと心配そうに見上げて、キョロキョロと俺に怪我がないかと探す。
「え? 俺……?」
怖い目に遭った自分より、他人の心配……?
怖かったはずなのに……。
俺のことを心配してくれるお嬢に、キュンとしたあと、酷く喉の渇きを覚えて、
ハッとして、口を押える。
マズい。今俺……
現実の吸血鬼は、映画や小説のように、血には飢えてはいない。
だが、別の特徴がある。執着する相手を欲してしまうことだ。人間の恋とは、少し違う。吸血鬼の母は、必ずしも、恋愛に直結するわけではないとは、言っていた。
何かにこだわりが薄いが、一度執着すれば放さない。異常な執着により、欲望は喉の渇きとして症状に出て、それで喉を鳴らしてしまうのだと。
今まで自分は、誰にも執着したことなどなかった。だから、こんな症状は出たことがない。
それでも、自分は――――もうすでに、お嬢から離れたくなくなったのだと知った。
黒くて長い髪と青灰色の大きな瞳の幼い少女。
じっと真っ直ぐに見つめてくれて、お礼をちゃんと伝えて、可愛らしく笑って見せるこの子に。
俺は――――
口を押えている俺を見て、不思議そうに首を傾げる辺り、お嬢は知らないようだ。
お嬢が、吸血鬼が喉を鳴らす意味も、知らなくてよかった……。怖がられたくない。
まぁ、グールをヘッドショットで仕留めたしなぁ……。
肝は据わっている。
人嫌いで臆病で陰湿な性格なわけがない。どうして、彼女はそう言われていたんだろう。
俺は匿ってもらっている身だし、元々吸血鬼は淡白だから、深くは関わってこなかった。
お嬢のことなんて、誰かが噂している時にしか聞いたことがないし、すれ違う時だけ挨拶したのは、俺だけじゃない。
……そう。組員のほとんどが、そうだ。お嬢と関わってない。俺が適当に人付き合いしている以上に、浅い。
この子は――――なんなんだろう。
その謎も、俺を惹き付けて、執着させる要因の一つなのだろうか。
可愛くて放っておけない存在に、執着している。
首を逆に傾げるお嬢は、ツンツンと俺のシャツの袖を引っ張って気を引いた。
だから、仕草が全部可愛いです。
どうするのか、と尋ねるように、グールの残骸を指差す。
普通の手順は、踏めないな。
廃ビルみたいなこの現場なら、急がなくていいだろう。あとで連絡を送って、他の者に処理を頼もう。
今は、お嬢とデートだ。
怖い目に遭わせちゃったから、それを帳消しにするくらい楽しまなきゃ。
「えっと……ここは他の者に片付けさせますんで、買い物に行きましょうか!」
コクン、と頷いて見せるお嬢の笑顔に、また喉を鳴らしたくなったが、グッと堪えた。
怖い目に遭ったのに、俺とデート行きたいんですね! ホント可愛い!
喉を鳴らさないように、注意をしていこう。
手をしっかり繋いで、階段に置いてしまった濃厚イチゴタピオカジュースを、飲んでもらって、商店街の通りに入った。
髪飾り専門の店に入って、お嬢を抱え上げて、選んだ。今日のお嬢は、二つ結びだ。
いつもはそのままか、一本にまとめているけれど、お洒落してくれたのかな。なんて思うと、喉が渇いてきたから、困った症状だ。
吸血鬼として困ったことと言えば、自分の特殊能力くらいだったのに。
ああ、そうか。ここ最近使ってなかった特殊能力を、お嬢のために昨日も今日も使ったのは、お嬢に執着しているということもあるのか。物凄い納得。
俺も、お嬢に似合いそうな髪飾り選びに熱中。
どれもつけてほしいなぁ。
ここからここまで! って一気に購入するヤツ、やってあげれば、ウケて笑ってくれるかも。
そう思って言おうとしたら、お嬢は一つ、手にしてじっくりと眺めていた。
「あ。可愛いですね。それ買います?」
金色の、三日月に乗った猫の装飾がついた髪飾り。お嬢の黒髪に映えるし、きっと可愛い。選んだのは、お洒落だ。大人びていて、センスがいい。
服装も見る限り、大人びているもんなぁ。シンプルなワンピースとカーディガン姿ばっかり。前までのは、よく覚えてないけど……多分大人しい感じだった気がする。
でも、それを選んだはずのお嬢は浮かない顔で悩んで、やがて首を横に振った。
「要らないんですか? どうして?」
気になっているだろうに。どうして買わないのかと尋ねると、困り顔をした。
スマホのメモアプリを開いて渡すと、こう打ち込んだ。
【失くしたら困る】
失くした時の心配……?
引っかかったけれど、お嬢に優しさがないと感じられた使用人の声を思い出して、もしかしたら、使用人に奪われる心配をしているのかもしれない。それに、買った覚えないのに、こんな目立つものがあっては、使用人も気付いてしまう。誰からもらったのか、って。
「……でも、俺はお嬢にこれをつけてほしいので、俺といる時につけてもらっていいですか? それまで俺が失くさないように持ってますので」
「……」
俺が持っていれば、奪われたりはしないから。そんな心配は要らない。
大きな青灰色の瞳を見開くと、お嬢は、はにかんだようにコクリと頷いた。
衝撃が胸に、ズキュンとくる。同時に、喉の渇きも襲いかかってきた。
【ありがとう、月】
口元を押さえて、必死に喉を鳴らさないようにしたが、お礼の文字を見せながら、嬉しそうな笑みのお嬢を目の前にして、結局、喉を鳴らしてしまう。
お嬢が知らないのは幸いだが。
普通に。
なんか、恥ずかしい。
静かに悶えている俺を見て、お嬢は不思議そうに、きょとんとしていた。
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