♰02 夜食を恵む吸血鬼青年。
今、わかっているのは……。
名前、雲雀舞蝶(ひばりあげは)。小学一年生。女の子。
組名はまだ不明でも、極道の者がこの大きな屋敷にいる。父親は、組長。
高熱を放置されるくらい、冷遇されているらしい。
らしい、というのは、まだ父親との関係性が冷え切っているということしかわかっていないから。
『雲雀舞蝶』自身の記憶は、高熱のせいか、前世と入れ替わるかのように、ない。
高熱で魘されている間に、水分補給も出来なかったために、喉を痛めてしまい、声を出すと声帯を余計痛めるからと、主治医に禁止されているところ。
口が利けない状態なのは、不幸中の幸いと言うべきか否か。
元々、無口な子どもらしいから、誰も話しかけてくることもないので、記憶がないことはバレていない。
……いっそ、最初から、記憶喪失だって、身振り手振り……いや書き物をもらって、主治医に伝えるべきだったかもしれない。
この屋敷に戻ってきて、極道の者達や、吸血鬼の吸血行為を見てしまったあとでは…………だめだよねぇ。主治医が事情を把握しているようだったけれど、迂闊に外部に漏らさないようにするだろう。
冷遇されているらしいし、病院で手厚く保護されるか、どうかも、怪しい……。
…………人生、詰んでるな、この子。
いや、私だったわ……悲しいことに、私だったわ、この冷遇お嬢。
今現在、『雲雀舞蝶』は、私である。
しみじみ思ったのは、夕食の時だった。
不機嫌な顔をした使用人らしい着物を着た三十代ぐらいの女性が、雑に置いていった私の夕食。
なんか旅館の従業員みたいだなぁ、とかいう感想を抱いたが、見下す目を向けられては、それも吹っ飛ぶ。
それに目の前に置かれた腐った食べ物。
……食べ物? と呼んでいいのか? 同じ物のように呼んでは、本当の食べ物に対して、失礼では?
明らかに、かびた白米。腐って緑色っぽい色に変色した焼き魚。悪臭が鼻につく。
そういえば……。主治医が、じっと見てきては、不思議がっていたことを思い出す。
『酷い偏食で少食だと聞いていたのですが……ちゃんと完食して、えらいですね』と、不愛想ながらも淡々と褒めてくれていた。『家に帰っても、ちゃんと栄養あるものを出来るだけ食べてくださいね』とも、言いつけてきたなぁ……。
無理そうです、先生! こんなものは食べられません!!
幸いなことに、無理矢理食べさせるわけでもなく「30分後に来ます」とピッとタイマーを設定したのか、使用人は部屋を出て行った。
……今までの私は、これを無理矢理食べていたのだろうか。でも、腐ったものだ。多少空腹を紛らわせても、病気の原因になるに決まっている。
…………今からでも、記憶喪失だと訴えて、病院に戻りたい。
先生ぇ……患者の健康のために、入院させてください。多分、入院費ぐらいはくれると思うから……あの組長。
てか、これって、やっぱり、その組長の指示なのかな?
極道の娘に、これを出すって……相当デンジャラスよね? 命が惜しくない?
愛されていなくても組長の実の娘に、腐った料理を出すとか……許可でも貰ってないと、出来ないよね? それとも、私が知る常識と違って、これくらいの冷遇は許されちゃう、幼児にすら厳しい異世界? 極道って、子どもにも非道?
そもそも……部屋で一人食べるって……。これほど大きな屋敷なら、広々した宴会用の部屋もありそうだし、大所帯で食事をしていそうなのに…………お嬢様は、ぼっち! ぼっちで腐った食事を出される! 虐待だろこれ!!
よ、よよ、よし。落ち着こう。
と、とにかく、だ。
私は、部屋でぼっちに食事をすることが決まっているらしい! そして、使用人が運んでくる! 腐った料理を!
うぐぐぐ……! なんて過酷な人生を送っているんだ、この子! あ、今は私だったわ。
とりあえず、食べる心がけはした、という形跡を残すために、箸で変色した魚をほぐし、かびた米粒を箸の先につけておく。
でも、30分後に戻って来た使用人は、特に確認した様子もなく、蓋を被せては下げていった。
……なんのための腐った食事なんだろうか。
些か疑問だ。冷遇のために、わざわざ腐ったものを出すって……どんな幼稚な発想。いっそ、餓死させるために、食事を出さなければいいのに……。
いや、病院にも運んでもらったし……多分、私には生かす価値があるのだろう。
利用価値があるから、生かされてはいる。
……”生かす”と言えば、私って吸血鬼……なの、か……?
あの冷え冷えとした眼差しを注いできた父。美という暴力を放つような人外級の美貌の父が吸血鬼だったら、私も吸血鬼?
…………いやいや。こうして食事が運ばれるということは、人間のはずだ。病院の食事も、普通に平らげたし。
人間と吸血鬼のハーフとか? でも、さっき青年が噴き出した血に、全く興味はそそられなかったし、牙ないし、吸血鬼の面は皆無に思える……。私が吸血鬼だってことは、可能性的にない。
なら、私が生まれたあとから、美貌の父は、吸血鬼に成ったとか……?
…………この世界の吸血鬼の設定が、全くわからなくて、わっかんないよぉおお!!
頭を抱えて、ぐおおおっと呻きたくなった。
吸血鬼だって色々あるじゃん! 日光が弱かったり、実はそれは嘘で平気だったり! 噛めば吸血鬼に出来たり、出来なかったり! 各作品で、設定が違うよぉおお!!
今わかっている吸血鬼の情報は、歴史には載っていないくらいに公にされていない存在で、血は飲むってことの二つのみ!!!
なんで組員なのかもわからないしなぁ……。
いや、吸血鬼問題は置いておこう……。
私は目前の問題を乗り越えなければいけない……!
…………ッお腹が空いた!!!
お家でまともに食べれないって知ってたら、退院なんかしなかったよ! 病院の柱にしがみついて、拒否ってたわ!!
今のところ、一番優しいのは、あの不愛想な主治医だよ! いかにも女にモテすぎて嫌になって不愛想になってしまった美丈夫の眼鏡主治医!
普通に患者相手に仕事として話しかけていただけなのが、これまた、つらい事実だけども! でも、腐った食事を出されるより、百倍優しいよね!?
不愛想な先生が、恋しいよぉ……グスン。
目の保養な眼鏡イケメンドクターでした……グスン。
入浴の時間に、また来たかと思えば「30分です」と、またタイマーセットされた。
いや無理だろ! と、ツッコめない。
声出せない。くそう。
大きな屋敷でも、大浴場が一つしかないらしい。なので、私のために貸し切り時間が設けられているということなのだろう。
……露天風呂が、そこにはあった。…………浸かったら、気持ちよさそう。
どうせ、浸かる時間はないので、いそいそと隅っこで身体と頭を洗っていたが、幼児がそう器用に手早く済ませられるわけもなく「遅いですよ!!」と、扉を叩かれて急かされた。
腰まで届く長い髪ゴシゴシと拭きながら、父と違って艶がなくて、枝毛も多くて不揃いな理由を知る。
栄養不足の上に、手入れもしてもらえていないまま、無造作に伸ばされているだけの黒髪。美少女、いや、美幼女も台無しなわけだ。
――――で。お腹が空いた。
今までの私は、一体どうやってしのいできたというのだろうか? 慣れ?
まぁ、結局、限界がきて、高熱を出して病院に運ばれるほどに、重症化したみたいだけれども。
私の場合、病院食を毎日三食完食していたから、胃袋が広がってしまったようで、空腹がつらいよ……。
ふん! こうなったら!!
――自力で食事を確保するのさ!!
入浴場に行く前に、厨房らしき場所を発見しておいたので、夜中に近い時間帯になってから、私はこっそりと部屋を抜け出した。別に監視の目もないので、物音を立てないように心がければいい。
厨房は、もぬけの空のようで、静まり返っていた。
よかった! ここから食べ物を拝借する!
極道のご令嬢、夜中に盗み食いをするの回!!
「あれ? お嬢。どうしてこんなところにいるんですか?」
声をかけられて、びくぅううんっと震え上がる。
夜中の屋敷には相応しくない、明るい声。
振り返った先の薄暗い廊下に立つのは、さっき血を噴き出していた吸血鬼青年だ。
きゅ、吸血鬼は夜行性~!!!
鉄則でした!!
「こんな時間に、だめじゃないですか~」
よ、夜中に吸血鬼に遭遇すると、食べられるからですか!?
と、身構えた。
「子どもは、寝ている時間ですよ~?」
…………普通に子ども扱いなんだ……。
「はい。お部屋に戻りましょー」
と、手を伸ばしてきたが、触れる前にピタリと止めては、引っ込めた。
「お嬢に触っちゃいけないんだった」と、目の前で独り言を零す。
? 吸血行為を見せるなとか、触るなとか……変なルールばっかりあるのね? しかも、私に対して……?
「お嬢、部屋に戻りましょ?」
困り顔で言う吸血鬼青年を見て、私の方も、正直困る。
これは、一旦部屋に戻ってから、再チャレンジするべきか?
ここまで来たのに……! ゴールは、目の前よ!
きゅるるるっ。
そこで響いたのは、か細い小動物みたいな鳴き声。
私のお腹から出た音だとバレバレで、吸血鬼青年の視線は、私のお腹に注がれた。
それから、真横の厨房に顔を向けて、腑に落ちたように一つ頷く。
「お腹が空いちゃったんだね? じゃあ、何か拝借しましょうか!」
にぱっと明るく笑って見せた吸血鬼青年に、恥ずかしさで顔を熱くしつつ、コクリと頷く。
空腹のつらさに比べれば、こんな恥……べ、別に…………別に、だもん! だいたい幼児だもん! 三十路ならともかく、幼児だからいいだもん!! 私は小学一年生なう!!
「何があるかなぁー。……明日の仕込みは、絶対に手、出しちゃだめだよなぁ」
厨房に入った吸血鬼青年の後ろに続く。
仕込みかぁ。それで組長の分を当てたら、大目玉よね。私はともかく、彼が巻き込まれては可哀想だ。
「軽いものでいいですか?」
私も探ろうとしたけれど、吸血鬼青年は何か決めたらしく、そう振り返って笑いかけてきた。
食べられるなら、と私は頷いて見せる。
……軽いもの……とは?
湯気が立ち上るラーメンを見て、私は……基準は人それぞれよねぇ、いや彼は吸血鬼だから人と基準が違うのかもしれない……と、遠い目をする。
インスタントラーメンを発見したらしい吸血鬼青年が、茹でて作ってくれたラーメンを、手を合わせて、”いただきます”と口だけを動かして言っておく。
キッチン内に椅子があったので、それを運んでもらい、中央の作業スペース台で、堂々と食事。箸で摘まみ上げて、ずずずーと吸う。
空腹の時のインスタントラーメン……うま。しかも、限定品の濃厚とんこつ味。うま。空腹に滲みるわ、うまうま。
「えー……全部食べちゃった……」
隣に腰かけて頬杖をついて、食べているところを眺めていた吸血鬼青年のその呟きを聞いて、ギョッとする。
もしかして、一緒に食べるつもりだったの!? 麺、全部食べちゃったよ!? ごめんなさい!! 一皿のどんぶりだけ出すから、てっきり! いや待って!? 吸血鬼って、ラーメンを食べるの!? えええ!?
口をあんぐり開けてショックを受けた私の顔を見て、吸血鬼青年は慌てた。
「あっ! いやいや! 別にいいんすよ? ただ、少食だって聞いたことあったんで、まさか一人で食べ切るとは思わなくて、自分で残りを食べる気でいました。そんなにお腹空いてたんですねぇ。病院食で満たされなかったとか?」
少食設定かぁ~。
それで、残りを食すつもりでいただけ。
……マジで食べるんだ、吸血鬼。ラーメンを。
明るく言ってくれる青年に、ホッと胸を撫で下ろす。
むしろ、病院食の方がマシよ……あんな腐った物を食べるよりもね。いや、比べたら、病院食に失礼すぎる。あれは栄養バランスを考えてくれたメニューでありれっきとした料理であり、私に出されたのは廃棄物よ???
とりあえず、感謝を込めて笑顔で両手を合わせて、ぺこりと吸血鬼青年に頭を下げた。
「えーと……どういたしまして?」と、お礼を言われたかどうかも自信なさそうながらも、そう返す吸血鬼青年は、顔を上げた私を、じっと見つめてくる。
明るい髪は、金髪ではなく、うっすら黄緑色をまとう不思議な色。後ろで束ねているけれど、肩につく程度の長さだから、ぴょんとはねている。
瞳は、黄色みたいだ。猫みたい。西洋風の顔立ちだ。
美青年なのだけれど。なんだけどもさ。
……あの美の暴力のような父を初っ端で見たせいか、美形ランキングが、不動の一位よ。
……うん。夜食をくれた人に、失礼よね、ごめん、吸血鬼青年さん。大丈夫。あなたは、二位よ。
「なんか、お嬢、変わりました? 今まで会話しなかったし、挨拶も返してもらったことないっすけど……ここに来て、一年ぐらいかなぁ~? 初めて、お嬢の明るい顔……てか、笑顔を見ました」
一年。組員としては、新入りなのだろうか。
まぁ、よくよく見れば、少年とも言えそうな若さの顔立ち。
……吸血鬼なので、実年齢は絶対にわからないけれども。実は100歳超えという可能性もなくはないので。だって吸血鬼って。不老不死設定もありえるからね。
食事を運んでくれた看護師さんに、食事を完食したことに褒められて、笑顔で頷いていたけど、確かに身近な人? には、初めての笑顔を見せるかも。
やっと変化に気付いてもらえたことが、なんだか嬉しかった。
対して親しくないにも関わらず、そう言ってくれる人が、一人でもいてくれたことに安堵する。
だから、笑みを深めて見せると、目の前の青年は少しだけ目を見開くと、ふにゃりと破顔を返してくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます