第88話 メントフ王国との因縁

南の大国メントフ王国。

その国土はファヌス大森林の南にあり、ダネス砂漠のすぐ東に位置した。


大国と称されるだけあって、人口、経済、軍の規模はイグナシア王国に匹敵する。また、その国力もさることながら、魔法道具マジックアイテムの生産国としても有名だった。


レイヴンの中指に嵌められている借用契約用の黒い指輪も、実はメントフ王国製の魔法道具マジックアイテムである。


宿場町グレースの宿屋で、女将から想定していない、そんな大国の軍事行動を聞かされたが、現時点では、特に打つ手もなく情報の一つと捉えた。


レイヴンは、女将からエールが入ったグラスを受け取ると、礼を言って口をつける。

すると、表情を強張らせている二人の姿が目に映った。


それはカーリィとメラである。

砂漠の民である彼女たちの出身はダネス砂漠。


メントフ王国とダネス砂漠は、隣接する位置関係から、以前より交流があったとしてもおかしくないのだが・・・

彼女たちの渋く険しい表情が、やけに気になった。


「メントフ王国に何かあるのか?」


思わずレイヴンは、ヘダン族の二人に尋ねる。なぜか、カーリィが言いづらそうに躊躇っているため、代わりにメラが答えるのだった。


「すでにお気づきだと思いますが、我々の部族は、古来より、彼の大国と交流を持っています」

「それはそうだろうな。隣人として、付き合わないわけにはいかない」


メントフ王国の軍事行動に口を挟んで、友好国との関係悪化を気にしているのか?

カーリィは族長の娘という立場がある。外交面を意識するのは、致し方のないことだと思った。


ならば、南の大国と接触する時は、彼女たちには後方で待機してもらう必要がある。

レイヴンは、そう考えながら、二口目のエールを口に含むのだが、話しはそれだけは終わらなかった。


「王家同士の繋がりもあり、あの国の王太子と姫さまは幼馴染という関係です。ただ、それだけではなく・・・」

「メラ!そこから先は、私が話すわ」


それまで、黙っていたカーリィが、お付きの侍女に対して、やや厳しめの口調で話す。何をムキになっているのか、分からないが、彼女の次の言葉を待った。


「よくある話よ。両国の結びつきを強くするための政略結婚ね」

「つまり、その王太子とカーリィは、婚約をしているってことか?」


ヘダン族の族長の娘とメントフ王国の王太子。

両国の友好の象徴として、まさにうってつけの相手なのだろう。


レイヴンの質問に、カーリィは否定も肯定もせずに黙ったままだった。

しばらく、沈黙が続いた後、破ったのはメラである。


「はっきり、お伝えしますが、今は違います」

「今は?・・・という事は、破棄・・」


最後の言葉は尻つぼみとなった。何があったか知らないが、相手が一方的に破った事なら、カーリィが傷ついているかもしれない。


しかし、彼女はレイヴンが思っているよりも強かった。


「破棄されたのよ。・・・私が『精鎮の巫女』だと分かったから」


『精鎮の巫女』とは、『砂漠の神殿』で行われる儀式の後、命を落とすと言われる短命の女性である。


メントフ王国が、そんな女性を未来の王妃として、迎え入れることはできないと考えてもおかしくなかった。

普通に考えれば、間違った判断とは思えない。


だが、当人にしてみれば、どうだろうか・・・

自分の死を受け入れる事さえ難しいだろうに、幼馴染からまでも裏切りに近い仕打ちを受けたのである。


彼女たちのあの表情は、そんな辛い思い出があっての事だったようだ。


「姫さまの命を諦めることなく救って下さったレイヴンさまと、メントフ王国の態度は雲泥の差があります」


これだけは、絶対に言いたかったのか、メラがこぶしを突き上げんばかりの勢いで熱く伝える。


初耳のモアナとソフィアは、感心したようにレイヴンを見つめた。

彼女たちは、『砂漠の神殿』での出来事を当然、知らない。


その辺の経緯についても興味津々といったところだ。

野次馬の視線を、心を無にしてシャットアウトすると、レイヴンは、別の事を考える。


今の話を聞いてしまっては、メントフ王国との交渉の場では、彼女たちの立場を考慮しなければならないという事だ。

やはり、席を外してもらった方が無難だろう。


ところが、そんなレイヴンの配慮をぶっ飛ばす発言をメラが続ける。普段の彼女からは考えられないほど、感情が抑えられなくなっていた。


「メントフ王国の方々が来るのであれば、一言、言わさせてもらいます」

「何を?」


その返答を待っていたかのように、メラの怒涛の独壇場が始まる。

途中、聞くに堪えない暴言が混じっていたが、要するに、その後のメントフ王国の態度が気にくわないようだった。


婚約を破棄した件は、自分たちに非はなく、逆に欠陥のある娘を押し付けようとしたヘダン族が悪い。

また、非がないゆえ、賠償、その他の責任も発生しない。逆に、こちらが賠償請求したいところを長年の誼に免じて許す。


そういったたぐいの話が、ちまたに広がったそうだ。


メントフ王国の正式発言ではなく、噂で広まったのが、余計にたちが悪いとメラは憤る。

噂話では、ヘダン族もメントフ王国に抗議できないからだ。


そして、極めつけは、最近、メントフ王国から厚顔無恥な外交交渉があったとの事。


「そして、呆れることに、あのアホ王太子は、姫さまが生き残っていると知ると、厚かましいことに、再び、婚姻の申し込みを族長のロンメルさまにしてきたのです」


メラは怒り心頭といった口調で、一国の王太子をアホ呼ばわりする。カーリィも黙っていられず、話を捕捉した。


「でも、して。お父さまも私も、その申し出はきちんと断っているから」

「安心・・・ああ、そうか」


他に言葉のかけようがあるのかもしれないが、今はそうとしか言いようがない。

『根性なし』と言いたげなモアナの視線が痛いが、レイヴンは無視することにした。


とにかく分かったことは、ヘダン族とメントフ王国の間には、トラブルが起きているという事と、個人的にも族長の娘と王太子の間には、因縁があるという事である。


冷静な話し合いができないのであれば、逆の意味で二人には同席させられないとレイヴンは、考えるのだった。


南の大国の件を聞くまでは、すぐにファヌス大森林に向かう予定だったが、大森林が燃やされるとあっては、そうもいかない。


自分達が中にいる間に、火をかけられては、たまったものではないのだ。

最低でも、その放火を先延ばしにしなければならない。


「出発はメントフ王国の奴らが来るまで、なしにする。まずは、馬鹿な行為を止めよう」


この意見に、皆、賛同した。レイヴンの意図を十分に察しているのである。

相手が話し合いに応じてくれるか、否かは分からないが、最悪、ラゴス王の威光を借りることまで視野に入れた。


イグナシア王国の『国王巡察使』を名乗れば、メントフ王国の先兵と言えども、無視はできないはず。

いよいよもって、ラゴス王の元を離れられなくなるが、それも致し方ない。

少なくとも、今は、その予定も、そんな気もないのだから。


この日は、そのままこの宿屋にお世話になる事にした。

ソフィアとしても、久しぶりに会った女将と話をしたいのと、僅かとはいえ、路銀を落とす事は、恩返しに繋がると考える。

レイヴンの提案に、率先して賛成した。


宿の外見は、大分くたびれてしまっていたが、部屋の中は女将がしっかりと手入れをしている。レイヴン一行は、フカフカの寝台で休むことができた。


朝食も宿屋で用意してくれるため、翌朝は、久しぶりにゆっくりと目覚めよう。

そんなささやかな希望を持って、寝床についたレイヴンだったが、朝陽が昇るとともに、けたたましい音が街中に鳴り響き、無理矢理、叩き起こされるのだった。


何事かと思っていると、どうやら例のメントフ王国の先兵隊が、グレースの街に到着したようである。

広場に住人が集まるようラッパなどを吹いて、呼びかけていた。


「朝っぱらから、迷惑な奴らだ」


騒音の原因を確認すると、レイヴンは、再び寝台に身を預けようとする。


「駄目だよ、兄さん」


それを弟のクロウに止められた。メントフ王国の先兵たちとは、大切な話をしなければならないのである。


「分かっているよ」


レイヴンは、眠い眼を擦り、あくびを噛み殺しながら、部屋を出た。

一階には、黒髪緋眼くろかみひのめの青年とは違って、しっかりと身支度を整えた女性陣が待っている。


「おはよう。・・・じゃあ、早速行こうか」


レイヴンたちは、南の大国の先兵がいる広場へと向かうのだった。

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