第87話 瘴気の発生

馬車での旅を幾日か続け、ようやくイグナシア王国の東の関所へと辿り着いたレイヴン一行。

そこで目の当たりにした異様な光景に、レイヴンを含めた仲間たちが驚いた。


イグナシア王国は西の大国だけあって、普段から交易を生業とする者を含め、人の出入りは多い。

しかし、今日は、ちょっとその数が異常だ。


関所には、王国に入国しようとする人たちで溢れかえり、長蛇の列ができている。

逆に出国しようとする者は、まるでいないため、レイヴンが操る馬車はすぐに関所の門の前に到着した。


イグナシア王国の紋章付きの馬車という事もあり、ろくな審査も受けず、ほぼフリーパスでアーチをくぐることができるのだが、一度、手綱を緩めて門兵に、この様子を尋ねる。


「こんな人だかりは、珍しいんじゃないか?何かあったのかい?」

「いや、今日だけの話じゃありません。ここ、二、三日は、ずっとこんな調子ですよ」


この門兵の話が本当なら、明らかな異常事態だ。入国を待つ人々の顔は、一様に険しい。

まるで、何かから逃げてきたようだった。


「なんでも大陸中央から瘴気が上がってきているそうです。それで、みんな慌てて逃げて来ているんですよ」


レイヴンを王国の高官に仕える御者と勘違いしたのか、門兵はやたら気を利かせて説明してくれる。

これも紋章の効果かと思うと、馬車をいただいてもいいかと思えた。


ただ、これから向かうのは、その大陸中央である。

レイヴンとしては、ありがたい情報だが、嫌な予感しかしなかった。


「十分、お気を付けください」


最後、敬礼とともに門兵が見送ってくれるのに手を振って応える。その後、レイヴンは急いで、キャビンの中にいる仲間たちに状況を伝えるのだった。

そこで、真っ先に反応したのは緑の髪をしたソフィアである。


「大陸の中央とは、すなわちファヌス大森林がある場所です。あの大森林、特に『世界樹』の浄化作用がある以上、そんな大量の瘴気が発生するとは思えません」


「でも、みんなの様子はただ事じゃないわ。もしかしたら、その『世界樹』が機能していないって事かしら?」

「・・・そんな事・・・」


カーリィの台詞は、森の民にとってみれば、絶対にあり得ないことだ。それに、門兵、一人の証言であり、その事実確認もできていない。


だが、イグナシア王国の関所を見る限りでは、何か変事が起きているのも事実なのだ。

通常では、起こりえないことが、起きていても不思議ではない。

レイヴンは最悪の事態も想定して、進む必要があると感じるのだった。


「ここから行けば大森林の手前には、グレースという街があります。旅人の中継地点として、栄えている宿場街です。一度、そこで情報取集をしましょう」


足りない情報を集めるべく、ソフィアが提案をする。

その街は、彼女が森の民の集落を飛び出した際、一度だけ、立寄ったことがあるそうだ。


自分を見失っていたソフィアに対して、宿屋の女将が温かく受け入れてくれて、親身に世話をしてくれたらしい。

女将のアドバイスで、イグナシア王国に行く決意をしたとの事だった。


大森林からも近く、いずれにせよ通り道にある。

レイヴン一行は、ひとまずそのグレースを目指す事にした。


街道を進み、イグナシア王国の関所を通過してから、五日後に街の外観が見え始める。

その道中に感じた事だが、大陸中央へと近づくにつれて、だんだん空気が悪くなっているような気がした。


そして、グレースの街の中に入った時、その惨状にソフィアが口に手を当てる。

立寄ったのは、ほんの数年前の話なのだ。


それなのに、あの時と比べて、明らかに人の往来は少なく、街の中に活気がない。

初めて来た人にとっては、ただの寂れた街にしか見えないだろう。


呆然と立ち尽くすソフィアの肩をレイヴンが叩いた。

一同はとにかく、彼女がお世話になったという宿屋を目指す。


微かな記憶を頼りに街路を歩き、やっと行きついた目的地は、かつての面影がなかった。掲げられている看板がなかったら、もしかしたら、ソフィアは見逃していたかもしれない。

それぐらい雰囲気が変わっているのだ。


宿屋の扉を開けると一階は、食堂兼酒場になっている。

客は僅かにいるのだが、みんな死んだような目で酒をちびちびと飲んでいた。


新しい客であるレイヴンたちに注目が集まると、酒を飲んでいた連中が、いきなりいきり立つ。

席から立ち上がって、睨みつけてくるのだ。


初対面の相手に、ここまで敵愾心てきがいしんを持たれたことは、今まで一度もない。

レイヴンは、面を喰らってしまうのだが、どうやら飲んだくれ連中の視線は、ソフィアに向けられているようだった。


「でめぇ、その髪の色は森の民だな!」

「お前らのせいで、ここら辺一帯は瘴気で汚染されちまった。おかげで、旅人も寄り付かない。森人もりびとを自認するなら、大森林をきちんと管理しやがれ」


投げつけられた空のグラスはレイヴンがキャッチして、難を逃れたが、ソフィアはショックで青ざめている。

この酔っ払いの話に偽りがなければ、ファヌス大森林から瘴気が発生しているという事になるのだ。


自分が生まれ育った故郷で、一体何が起きているのか?

ソフィアは考えに固まってしまう。


そこに森の民という言葉を聞いて、他の客たちも反応し始めた。

次々に、ソフィアに向かって、物を投げつけてくるのだ。


この狼藉に怒りを覚えたモアナが、飛来物を次々と『千鳥』で叩き斬る。

ついでに、その刃先を最初にグラスを投げた男に突きつけるのだ。


「これ以上、無体を働くというのであれば、その首を斬り落とすぞ」


元々、気概を持っての行為ではない。モアナの鋭い刃と迫力に男は、その場にへたり込んでしまった。


「何だい、大の男が女の子に寄ってたかって」


そこに、この宿の女将と思しき女性が現れる。ソフィアの姿を見つけると、手招きして抱きしめるのだ。


「あんたの故郷は、今、大変なことになっているけど、しっかりと気を保つんだよ」


この恰幅のいい女性の大きな包容力に、安心した表情を見せるソフィア。

街並みは変わっても、これだけは変わらないと彼女の温かみに心を預けるのだった。


「でもよぉ、ファヌス大森林のせいで、俺たちが困っているのも事実だぜ」


宿屋の女将に諭された連中は、今、起きている大問題を前面に出して反論する。

だが、貫禄ある彼女は、それすら一笑に付すのだ。


「今まで、さんざん大森林の恩恵を受けていながら、ちょっと調子が悪くなったからって、簡単に手の平を返すんじゃないよ」


そう言われれば、確かに二の句がない。大森林から運ばれる新鮮な空気によって、作物を育み、小動物の狩りも行ってきたのだ。

その無償の恵みで、今まで暮らしてきたのである。


日頃は、当たり前のように甘受していながら感謝もせず、それが受けられなくなったからと言って文句を言うのは、筋違いなのだ。


その点に気づいた男たちは、ばつの悪そうな顔をして、スゴスゴと酒場を後にして出ていく。

女将一人残るとソフィアが、改まって挨拶をした。


「あの時は、大変、お世話になりました。・・・そして、今もありがとうございます」

「そんなの気にする必要ないんだよ」


そう言い切った直後、何かを思い出したのか、女将は表情を曇らせる。


「あんな酒場でくだを巻く連中は、どうだっていいんだけどね。・・・南の大国メントフが動き出すって、噂があるんだよ」


この瘴気の影響は、近くにあるグレースだけではなく、各国にも影響が出ているらしい。

その中で、イグナシア王国と並んで大国と称されるメントフ王国が、号令を上げたのだ。


何でも瘴気を出す原因がファヌス大森林にあるのであれば、その森を全て焼き払ってしまおうという判断を下したとの事。

その先兵が、近々、このグレースにやって来るようだと、女将は続けた。


『・・・大森林を焼き払うですって・・』


ファヌス大森林に異常事態が発生していると知ったばかり。そこに南の大国まで出てくるとは、ソフィアは二重のショックを受けてしまった。


とんでもない事が起きているのは間違いないが、物事には必ず原因があるはずである。

レイヴンは、それさえ取り除けば何とかなると、落ち込むソフィアに声をかけた。


「大丈夫だ。俺たちが先に解決すれば、いいだけの話だ。南の大国だろうと、無法は許さない」


黒髪緋眼くろかみひのめの青年は、例え、メントフ王国だろうと、一歩も退かないと宣言する。

その力強い言葉に、仲間も同調した。


周囲の励ましで、少しは元気を取り戻すソフィア。

彼女の目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。


「・・・ありがとうございます」

「ああ、だが気にするな。俺たちは、はなから森の民を助けに来ているんだ。ついでが一つ、二つ増えたところで、大した問題じゃない」


レイヴンは、そう言うと手近な椅子に座り、飲み物を注文する。

承った女将が意味深な視線を送ってきた。


「あら、あんた、いい男だねぇ」


その流し目に、背筋を伸ばすレイヴン。

胆力には自信がある男も、思わず身を構えてしまうのだった。

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