第86話 森の民として
イグナシア王国・王都ロドスの城壁に朝陽が差す。
城内、冒険者ギルドの前には、イグナシア王国の紋章付きの馬車が止まっていた。
前回、西海岸の港町ダールドに向かった時にレイヴンが、ラゴス王から借りたのと同じものである。
ただ、借用期間の延長を申し入れると、「もう、その馬車はお前にくれてやる」といわれ、レイヴンの持ちもの候補へと変わっていた。
自身で所有するのなら、王国の紋章は外したかったのだが、それはラゴス王からきつく止められる。
それが馬車を下賜する条件のようであり、本当に受け取るかどうか、ただ今、思案中だ。
それで『候補』なのである。
冒険者ギルドの前に停車している理由は、今回、ファヌス大森林の案内役を務めてくれるソフィアを待っているためだ。
仕事を、きちんと引継いでから旅立ちたいという彼女の意向を汲んでの事。
給金をもらって働く者の鑑のような行動だ。
しかも、その仕事というのが、本来、レイヴンの本業なのだから、御者席に座る低利貸屋も頭が下がる。
そのまま、しばらく待っていると、しっかりと旅装を整えたソフィアが、冒険者ギルドの扉から出てきた。
「お待たせしました」
「・・・いや、それほど待っちゃいないが・・」
レイヴンは、やって来たソフィアの変貌した姿を見て、一瞬、言葉を詰まらせる。
昨日会った時と、見た目の印象が大きく様変わりしていたのだ。
変わっている部分は一箇所だけ。見事なブロンドだった髪の毛が、綺麗な緑色に変わっているのである。
視線に気づいた、ソフィアは自分の前髪を触りながら、「染めていたのを戻したんです」と、ちょっと照れた表情をした。
アンナもそうだったが、その髪の色が本来の森の民の特徴でもある。
今回、故郷の集落に戻るのを機に元に戻したのは、彼女がある決心を下したからだ。
「ファヌス大森林を出た時、過去の自分を捨てるつもりで髪の毛を染めました。・・・でも、それは偽りの自分を演じるだけ。今回、森の民として自分に向き合おうと思います」
その言葉を後押しするように女性陣からは、ソフィアの新しいヘアスタイルが大好評である。
「当たり前だけど、すごく似合っているわ」
「私もいいと思います」
「うむ・・・素の自分が一番だからな」
赤髪の砂漠の民、青髪の海の民。そして、緑髪の森の民とキャラバンの中は、色とりどりとなった。艶やかであり、華やかでもある。
盛り上がる車内に、号令をかけてレイヴンは、馬車を発進させた。
まずは、イグナシア王国の東の関所を目指す。移動距離は、この前の港町ダールドとほぼ同じ。
最低でも八日間は、馬車に揺られることになった。
初日の夕食の後、レイヴン所有のコテージの中で、みんなが集まって、情報の整理をする。
まず、弟のクロウが聞いたという『
よく聞き取れなかった部分もあるため、正確性に欠ける面はあるかもしれないが、手持ちの情報の中では、一番重要な話である。
クロウが聞こえた会話の中で、キーとなるのは『ファヌス大森林』と『お姉さん』という単語だ。
『ファヌス大森林』はともかく『お姉さん』とは、実姉なのか?それとも親しい年上の女性の事なのか分からない。
いずれにせよ、森の民の人物であることは間違いなかった。
その時、案内人という立場であったため、やや離れた場所にいたソフィアが首を傾げる。
目ざとくその様子に気づいたレイヴンが、彼女に発言を求めるとソフィアは、座っていた椅子を人の輪の中に入れた。
「お姉さんって・・・アンナの姉なら、三年前に亡くなっているはずですが・・・」
「それは、間違いないかい?」
「ええ。サディは、私と同い年で割と仲も良かったので、間違うはずがありません」
自信をもって、そう発言するため、その事実に間違いはないのだろうと、皆が納得する。
そもそも森の民の人口は、それほど多くないと聞いていた。
集落の中で起こる冠婚葬祭。特に人の死にまつわる話を勘違いするはずがない。
では、亡くなった姉に思いを馳せた言葉なのだろうか?
聞いていたクロウの感覚では、それよりも切羽が詰まった感じで、その人物の行動を止めようとした叫びに聞こえたそうだ。
・・・亡くなった姉の行動を止める?
そんな馬鹿な話はあり得ない。だとすると、『お姉さん』とは、身近な年上の女性のことを指しているのが、一番、無難な結論だった。
「アンナと親しくしていた年上の女性に、覚えはあるだろうか?」
「活発だったサディと違って、あの子は内気な性格だったから・・・」
すぐには思いつかないソフィアは、あごに手を当てて考え込む。大体、同じ時期にファヌス大森林を出たはずなので、アンナについて知らない情報は、あまりないはずなのだが・・・
思い出せないのではなく、思い当たる人物が誰もいないため、ソフィアの眉間にしわが寄る。
いや、正確に言うと、思い当たる人物が一人だけいた。但し、それは実姉のサディだけなので、考えが堂々巡りでまとまらない。
「まぁ、森の民の集落に行ってみれば分かることだ。」
アンナが、どうして『
手持ちの情報だけで、導き出そうとしたが、現時点では無理なようだ。
レイヴンは、ソフィアを思考の迷路から解放するために、『お姉さん』の件については、一旦、終了させる。
「森の民の集落に名前はあるのかしら?」
難しい話題が終わると、素朴な質問をカーリィがぶつけてきた。
そう言えば、今まで、誰も聞かなかったが、名前くらいあって当然だろう。
ところが、ここでもソフィアが考え込んでしまうのだ。
まさかと思ったが本当にないらしい。森の民にとっては、住んでいる場所が一箇所だけなので、名前を必要としていないとの事だった。
何とも驚きのカルチャーショックだが、ファヌス大森林の中にある森の民の集落。
外から客人が来るわけでもないため、自分たちさえ認識していればいいだけなのだ。
森の民同士の会話の中では、『村』とか『集落』という表現で、事足りる。
そこで、あえてレイヴンたちに、森の民はどこに住んでいると聞かれれば、「ファヌス大森林です」と返答するのが、一番、スッキリする回答だとソフィアは思った。
木々の芽吹きともに生を受け、緑に囲まれて生活する。やがて葉の色が変わるように歳を重ね、落葉とともに人生の幕を引く。
自然と供に生きる森の民たちにとって、大森林、そのものが家なのだ。
「そう言われると、心、穏やかな人が多そうね」
「基本、争いごとは嫌いますね。ただ、その分、外敵には弱いですが・・・」
『
当事者だった、ソフィアは特に心の傷として、今も深く残っている。
「二度と、森の民が苦しむことがないように、アンナを助けてやらないとな」
レイヴンの言葉にカーリィ、メラ、モアナは賛同した。
それだけで、ソフィアの気持ちが少し楽になり、救われた気持ちになる。
「ファヌス大森林までの道のりは、始まったばかりだ。途中、情報収集しながら、進んで行こうぜ」
「そうね」
これで、今日の所は、一旦解散となった。東の国境までは、まだまだ先は長い。
現時点で、結論付けができない事を、思い悩んでも仕方がないのだ。
各自、与えられた部屋に戻ると、やや早めの休息に入る。皆、明日の出発に備えるのだった。
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