第4章 呪われた森 編

第83話 目の当たりにした事実

エウベ大陸のほぼ中央に広がり、大陸最大の面積を誇る大森林。

それがファヌス大森林だった。別名『迷いの森』。


その通称の所以ゆえんとなるのが、大樹に生い茂った葉により陽の光が遮られている事が多い点。この地には似た草木しか群生しないことから、目印となるものが少ない点が上げられる。


よって、余程、植物の知識に長けた者以外が大森林に入れば、たちまち、自分がいる場所がどこなのか、例え地図と方位磁石を持っていたとしても見失ってしまうのだ。


今、その『迷いの森』に海の民のライは、行動を共にするアンナと一緒に入ろうとしている。


彼の祖国マルシャルは、鎖国状態が長く続いていたため、外界の知識が乏しかった。そのためファヌス大森林に対する予備知識は少なかったが、雰囲気だけで、ただの森とは異なると感じる。


その妙な不安を先導する森の民の少女にぶつけた。


「アンナさんを疑う訳ではありませんが、この地に部外者の私が足を踏み入れても大丈夫なんでしょうか?」


「普通に冒険者の方たちも、訪れます。大丈夫ですよ。・・・ただ、確実に私の後について来て下さい。もし、はぐれてしまったら、ライさんだけでは、この森林は抜け出せなくなると思います」


『さらりと飛んでもないことを言われたなぁ』と、思いつつライはアンナの後に続く。


こんなに人の背中を必死に追いかけたのは、生まれで初めての事だ。

ファヌス大森林の地面は微妙に起伏があり、足腰を鍛えているライもアンナについて行くのがやっと。


木々の間を歩きなれている森の民には敵わないと痛感するライだった。


『それにしても・・・』


薄紫色に見える靄が、大森林を包み込んでいる。こいつがなければ、歩くのも少しは楽になるのだが・・・


そのまま、長い時間、歩き続けると、木々の並びが減り出し、開けた土地が次第に見えてきた。奥の方には、一本だけ他よりも圧倒的に高い木が、屹立きつりつしている。

ライは、その神秘的な樹木に夢中になるあまり、立ち止まっていたアンナとぶつかってしまった。


「きゃっ」


体格の違いから、押された格好の森の民の少女は、つんのめって体勢を崩す。手をついて、転んでしまうのだが、その音に反応して草むらが揺れた。


思わずアンナに緊張が走るが、その雑草の茂みから飛び出したのは、小動物のウサギ。

ホッと胸を撫で下ろす。


ライの手に捕まり立ち上がったアンナは、衣服の土埃を払いながら、今後の行動についてすり合わせを行った。


「ここから先、森の民の集落があります。ただ、もしかしたら、『死人ゾンビ』がうろついているかもしれません。慎重に行きましょう」

「了解しました」


『海の神殿』がある島から抜け出した船中、何度も聞かされた話をライは思い出す。

アンナが語るには、彼女の実姉であるサディが『死人ゾンビ』となって、他の森の民を襲っているらしい。


にわかには信じられない話だが、あの黒い魔女ミューズ・キテラに見せられた映像には、その悲惨な状況が映っており、まがい物とは思えない信憑性もあったそうだ。

事実かどうか確かめに来た以上、現実だった場合に備えて、慎重にあたらなければならない。


「ここから、目と鼻の先であれば、僕が様子を見に行った方がいいのではないですか?」


アンナは、今、唯一の武器である鉄笛を失っていた。スキルの大半が使用できない状態であれば、武力に勝る槍の名人ライが偵察に行くというのは理に適っている。


だが、自分の目で確かめたいという思いは譲れなかった。アンナの中で、葛藤が生まれる。

もし戦闘になれば、足手まといになるのは、明らかなのだ。ここまで、一緒について来てくれている仲間を、むざむざ危険な目に合わせるのは忍びない。


そんな心情を察した海の民の戦士は、優しく声をかけた。


「分かりました。一緒に行きましょう。何があっても僕があなたを守ります」

「・・・でも、それだと、ライさんに危険が及ぶかもしれません」

「なぁに、僕はアンナさんの槍になると誓ったのです。気にしないで下さい」


そこまで言われるとアンナは、ライの優しさをありがたく受け取る事にする。


やはり、実姉サディの事が気がかりであり、もし真実であれば、妹の自分が止めなければならないという覚悟もあった。

そのために浄化能力があるという『水の宝石アクアサファイア』を許可なく持って来ているのである。


もう目的地は近いため、前を歩く順番を入れ替える事にした。

ライが前方に気を配りながら、ゆっくりと歩く。


そして、森の民の集落の入り口に立った時、あまりの静けさに驚いた。

集落の中には荒らされた形跡はないのだが、人の気配をまったく感じられない。


建物が以前と同じく建ち並び、人の姿だけがないのは、ここで育ったアンナにとって、不思議な感覚だった。

何か別次元の同じ場所に迷い込んだ錯覚に陥る。


集落の造りは整然としており、見通しは悪くなかった。これだと、例え、どこかに何者かが潜んでいたとしても、不意打ちを喰らう心配はない。

アンナの案内で集落の中を進むと、一軒の家の前で足が止まる。


「ここは私の実家です。・・・もう誰も住んでいませんが」


その説明の後、二人は建物の中に入って行った。

いわゆる海の民では『』の部類に入るライは、やや手狭に感じるが、これが森の民の一般的な住宅だと聞いて、自分の常識のなさを恥じる。


「生活環境が違うので仕方ないですよ」と笑うアンナは、ある物を探し出したようだ。

彼女の小さな手にあるのは、それも小さな楽器である。


「それは?」

「これはオカリナです。幼い頃、これで音楽を練習していました」


ついでに言うと、この楽器で『旋律メロディー』のスキルも使えるとの事だった。

実は姉の件以外、もう一つの目的が鉄笛に代わる武器を手に入れることだったのである。

アンナが家の中に変わった様子がない点を見て回り終えると、揃って表に出た。


すると、風向きが変化したのかある臭いが鼻をつく。二人とも同時に感じたようで、お互い顔を見合わせると、その方向に向かって走り出した。

路地の角を曲がり、その臭いがきつくなった先にあった光景に、二人は思わず絶句する。


それは倒れた人間の体をむさぼるように食べる『死人ゾンビ』がいたのだ。

ライとアンナが感じた臭いは、血の匂い。ある程度、凄惨な現場を想像していたが、その予想をはるかに超える現実を目の当たりにしてしまった。


「きゃぁあ」


この信じられない事態に、悲鳴を上げてしまうアンナ。当然、『死人ゾンビ』にも、その声は届いた。

二人の姿を視界に捉えると、ゆっくりと立ち上がる。『死人ゾンビ』はライとアンナに向かって、威嚇するように血塗られた口を大きく広げた。


この集落には、限られた民しか住んでいない。その『死人ゾンビ』は、アンナもよく知っている人物だった。

姉のサディでなかったことで、わずかに理性を保てた彼女は、咄嗟にオカリナに口をつける。


鎮魂歌レクイエム


小さなオカリナが紡ぐ旋律が、『死人ゾンビ』、いや『食屍鬼グール』の動きを止めた。

但し、この後、アンデットと化した森の民に手を下す事ができない。


「ライさん、この場を離れましょう」

「分かりました」


二人は急いで、集落の出口へと向かった。今、彼女たちにできるのは、自分の身を守る事だけなのだ。


しかし、簡単に話は終わらない。

どこから湧き出てきたのか、他の『死人ゾンビ』たちが集まって来たのだ。


アンナは走りながら、オカリナも『水の宝石アクアサファイア』も使おうとせず、わき目もふらずに出口を目指す。


もし、新たに出てきた『死人ゾンビ』の中に、サディの姿を認めた時、自分がどうなるのか怖かったのだ。

本当は、その事を確かめに来たのに、実際に『死人ゾンビ』がいると分かると、現実を知る勇気がなくなったのである。


集落の出口を過ぎ、捕まることなく逃げ延びるとアンナは安堵した。

ただ、次の瞬間、戦慄を覚える。


一緒に逃げたはずのライの姿が、どこにもないのだ。

考えられるのは、アンナを逃がすために彼が殿しんがりを買って出てくれたという事。


その事にすら気づかず、一心不乱に走っていた自分の弱さを彼女は嘆いた。

集落の外にある木陰にもたれかかるアンナは、息を弾ませながら溢れる波を止めらない。


覚悟はしていたが、自分の覚悟なんか、薄っぺらいものだったのだと自覚させられたのだ。

森の民を助けると意気込んで、『水の宝石アクアサファイア』まで、持ってきたのに、いざとなったら何もできない。

自分の無力さに、泣きじゃくることしかできなかった。


『・・・私は、どうすればいいの?・・・ライさんも置いてきてしまったわ・・・もう、分からない』


完全に思考が停止したアンナには、空虚な絶望感だけが残った。

どこで、自分が間違えたのか・・・


反省と後悔を繰り返し、途方に暮れる。

小さな体が、より小さくなった時、彼女の肩を軽く叩く者がいた。

見上げると、そこには海の民の戦士が立っている。


「ライさん!」


思わず抱きつくと、彼の広く大きな胸を涙で濡らした。

対処に困ったライだが、優しく彼女の頭に手を乗せる。


「大丈夫です。二人で、考えれば何とかなりますよ」

「・・・はい」


まだ希望は残っていた。いや、それよりもライが生きていてくれたことが嬉しい。

色々な感情が渦巻く中、ようやく彼女も落ち着きを取り戻しつつあった。


「・・・アンナかい?」


そこに、別の第三者からの声がかかる。聞いたことがある声色に、アンナは驚きながらも、ゆっくりと振り返るのだった。

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