第75話 死狂ひ
吸い寄せられる真っ暗な闇を纏ったように、全身が漆黒の毛に覆われた魔獣。その三つ首の姿が、相対する者の目に神々しく映り、地獄の番犬『ケルベロス』を連想させた。
天に向けたスキュラの咆哮が、恐怖の二文字を突きつける。
同時にアンナのスキル『
一瞬、怯み沈みかけた雰囲気をレイヴンが一喝する。
「追い詰められているのは、あの三つ首の方だ。俺たちは、何も失っちゃいない」
変化なのか進化なのか、変貌した魔獣の能力については、以前、未知数のままだが、レイヴンが話す事は、まったくもって正しい。
今のところは、うつむく要素は、まったくないのだ。
一同から、同意する叫び声が聞こえ、前衛の三人は散開する。
丁度、相手の首も三つだ。分担もしやすく、レイヴンが真ん中、モアナが右、ライが左に陣取る。
「カーリィとメラは、遠距離から援護。アンナは、もう一度、『
言われた通り、カーリィとメラは、それぞれサラマンドラの炎と
そして、前の三人は各々の武器を構えて距離を詰めた。
ここで『
それもそのはず、レイヴンたちの攻撃は、全て一様に、ガチンという固い音ともにはね返されたのだ。
「ちっ、強度が増しているのか?」
漆黒の毛のせいなのか、力を減った三つ首に力を集中させているせいなのか判断がつかないが、スキュラの防御力が格段に上がったことは間違いない。
モアナとライの攻撃は、このパーティーの最大の武器。ましてや、サラマンドラの霊力が宿る『
「そ、そんな・・・」
手に残る感触としびれから、軽い絶望感を味わったライが、思わず立ち尽くしてしまった。その槍の名手に対して、魔獣が大きな口を開ける。
耳をつんざくような咆哮を、まともに喰らうのだ。
スキュラの叫びにはスタン効果があるのか、ライの動きが止まってしまう。そこに右足の大きな爪が襲いかかった。
死を悟ったライの前に、一番、近くにいたアンナが庇うように飛び出す。
「ライさん、危ない!」
隣のレイヴンも気付いていたが、らしくなく一瞬、反応が遅れた。彼も魔獣の強化に対して、ショックを受けていたのである。
急いで先ほど、アンナを守った壁を『
何とか爪の直撃こそ免れるものの、中途半端に建てた壁ごと二人は遠くに飛ばされたのだ。
「モアナ、カバーを頼む」
前線の守備を剣の達人に頼むとレイヴンは急いで、二人の元へ駆け寄り、傷の具合を確かめる。
二人とも意識はあるようだが、アンナは肩、ライは腕の骨を折ったようで、患部を抑えて苦悶の表情を浮かべていた。
「待っていろ、すぐ治してやる」
『
レイヴンが呪文を唱えて、怪我を治し苦痛が消えると、ライがアンナに向かって謝罪する。
「僕が隙を作ってしまい、申し訳ありませんでした」
すぐにアンナの反応がないため、まだ、痛みがあるのかと心配になったが、実はそうではなかった。自分の鉄笛をジッと見つめて動かないのである。
レイヴンが覗いてみると、小さな手に握られている鉄笛がくの字に曲がっている事が分かった。
これでは、笛として使うことはできないのは、一目瞭然である。
アンナの鉄笛は唯一無二の逸品。当然、『
事の重大さに気づいたライが、土下座する勢いで謝った。
「申し訳ございません。・・・どう詫びればいいか・・・」
「・・・大丈夫です。ちょっと、驚いただけですから」
喪失感を堪えて、気丈に笑顔を向ける少女の気遣いに海の民の勇士は、心を痛める。
何をもって、アンナに償えばいいのか考え込むのだ。
「今は、戦闘中です。前線に戻りましょう」
レイヴンすら、一瞬、呆けてしまった中、森の民の少女だけが辛い気持ちを抑えて、冷静でいるのに、二人は恥じる。
「アンナ、お前は大した奴だ。・・・ライ、行こう。アンナは、クロウがいるコテージの中で休むんだ」
「私も、まだ、戦えます」
森の民の少女は、反論するが、レイヴンが差し出した物を見て、言葉を失った。
それはハンカチであり、この時、初めて自分が涙を流していることに気づく。
「今日の戦いが最後じゃない。お前の力は、まだまだ必要だから、今は休んでくれ」
聡いアンナは、今の心理状態では、逆に足手まといになる事を察した。
ハンカチを受け取ると、レイヴンの提案を承服する。
「・・・お二人とも、頑張ってください」
これが、今の彼女が言える、精一杯の台詞だった。
「分かりました。必ず、スキュラを倒します。・・・そして、アンナさん、僕はあなたの槍になることを、ここに誓います」
返せるものが『武』しかない槍の名人は、自分の愛槍『ブリューナク』を前に誓約を立てる。
その後、時間が惜しい前衛二人は、急いで体を張ってくれているモアナの元へと向かった。
一人、残ったアンナは、いままで一緒に旅をしてきた鉄笛を胸に抱きしめる。
「・・・お姉さん。ごめんなさい」
そう呟いた後、フードの後ろに鉄笛をしまい、走る二人に背を向けるのだった。
レイヴンとライが戦場に復帰する。戦況は、モアナの剣技とカーリィの炎の壁で、何とか持ちこたえてくれたようだ。
「ライ、海の民の戦士が情けないところ、見せるんじゃないよ」
「面目ない。今からの僕は『
『
死を覚悟した人間に対しては、たとえ数十人で取囲んだとしても、容易に倒すことはできないように、心の据え方で、己の力は大きく飛躍する。
最大の窮地にあっては、それほど腹をくくって戦闘にあたらなければならないという教えだった。
ライは、目を閉じて瞑想を始めると、静かに深呼吸を始める。
そして、刮目した後、体の血流が燃え上がるように肌が赤みを帯びるのだ。
「まぁ、それができて一人前だよ。ライもようやく、スタートラインに立ったねぇ」
幼馴染の剣の達人を見ると、自分と同じ姿に変わっている。さすがだと認めつつ、ライは反抗心を見せた。
「その内、モアナを追い越すさ」
「言ったね」
『
『
二人の同時攻撃で、スキュラの猛攻を押し返す。決定打にはならないが、有効打にはなっているようだ。
海の民の応戦を尻目に、カーリィがレイヴンに近づく。
「アンナは、無事なの?」
「ああ、大丈夫。あいつは凄いよ」
仲間の身を心配したカーリィに答えると、レイヴンも前線に戻った。
二人のような武道の心得はない
「おい、くそ狼。いい物、食わせてやるよ」
レイヴンは、スキュラの三つの口に樽を放り込んだ。すると、途端に魔獣は目を白黒させてのたうち回る。
彼がスキュラの与えたのは、ダールドに向かう途中で寄った街。トゥオールで買った、とんでもなく辛いという香辛料。
摂取量によっては、命に関わるという代物だ。
一般の人間なら、百人は死に至らしめる量を一気に体内に収めたスキュラ。この最悪の魔獣もやはり、生物だったようで、苦しむ感覚は持ち合わせていたようだ。
「敵は弱っている、さっさと止めを刺そうぜ」
「よし、来た!と言いたいけど・・・あんただけは敵に回したくないね。まったく、スキュラに同情する日が来るとは、思わなかったよ」
「僕もです」
最大級の誉め言葉をもらったレイヴンが先頭となり、魔獣スキュラに向かって、飛び込む。
三人は、それぞれの武具による攻撃を食らわすのだった。
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