㊙︎7 『色』
新緑に光を通したようなエメラルド、星を浮かばせたラピスラズリ、夜明けを映すアメジスト――燦々と太陽の光が降り注ぎ、その泉は絶えず色を移し変えながら煌めいていた。
「ユトゥルナの泉――人魚の宝石とも呼ばれている」
岩石の上でくつろいでいた半人半魚の女性は、こちらに微笑みかけてからその泉に飛び込んだ。ぱしゃあん、と鱗に覆われた尾が水面を叩き飛沫があがる。
「わ、あ」
白いワンピースが水に濡れる。白銀の髪に水を滴らせながら、隣にいた青年はそれでも穏やかに微笑んで手を差し出した。
「一緒に泳ごう、マイレディ」
潜れば水は透き通り、遠く底に白い砂も見えた。水生植物が風に撫でられたように揺らぎ、色とりどりの魚は空を飛ぶように行き交う。ぽこぽこと自分の口から漏れていく泡ぶくにしか音はなく、静寂だった。水を纏った身体は思う通りに、天地自由の宙を掻く。
やわらかく、あたたかい。ずっと浸っていたいのに、泡は粒になっていき胸が喘ぐ。上へ。ようやく手を伸ばし水を蹴る。こんなに深く潜っただろうか、輝く水面はいつの間にか遠く、届かない。意識も静寂に掻き消されそうになったとき――手首が力強く掴まれた。
ザバァ、と水が弾かれ音が戻る。体が重なり抱かれていた。硬質な、人肌の温もり。
濡れて降りた黒い髪、その目元を特徴づける三連の黒子は
「ご主人様、」
そう呼ばった喉元、首輪の内に引っ掛けるように指が差し入った。
「お前がそう呼ぶから、だ」
ぐいと引かれて鼻先が触れ合うほど顔が近づく。
「この呪いはお前が自分にかけている。そして――俺にも、」
星色の瞳だけが映る。満ちた二つの月がぼやけてぶれる。吐息と声の響きが唇に触れた。
「ど、どうしたら」
「望め。こんなものは、いらない」
目を伏せた。衣服を脱ぎ濡れた上半身は筋肉が隆起しすっかり逞しい。時は差を隔絶させていく。まだ背丈も変わらない子供の頃にも飛び込んで――引き上げた、男の子とはまるで別の身体のように
「――あなた、誰?」
バチッ
と、感電したような衝撃が身体に走り、《目を開いた》。
目の前に映るのは同じ人だけれど衣服を着てここは泉でもなく
「――ルキウス、ソラが目を覚ました。代われ」
「本当か! そうにしても術者が見えない以上迂闊に結界は解けない」
「もういい」
何か緊迫した状況に置かれていることだけは察知した身体は固まって、そのまま地に置かれた。黒い背が立つ。
トゥル オーダル
モルスケルタ・ホーラインケルタ
「=アブソルブ= 光を呑め」
途端さっと辺りは建物の影に入ったように一段暗くなった。その中で更に真っ黒な、人影が浮き出て現れる。
「グラキエス・凍れ」
すぐさま《影》を氷が縛った。ルキウスは杖を向けながらそれに近づく。
「何者だ。――いや、目的は何だ。この賢者が揃う学校下に忍び込んだ上、その幻惑魔法……王命、なのか」
喉元に杖を突きつける。平常の柔和な笑みは消え瞳は氷のように冷たい。
「答えろ。さもなくばここで砕け散るか」
《お仕えできる日が来たら、その問いに答えましょう》
眉を顰める間もなく瞬時に影はささめいた トゥル オーダル
バニシュ
と破裂音を残して影は跡形もなく消え失せた。
「……知っていることを話せ」
今度はジークが平時より更に無機質な声で、険しい顔つきのルキウスに問う。
「今のはおそらく、
「王に訊けば分かることだな」目を瞑りジークは促すが、ルキウスの顔は固い。
「謁見が通ればだけど、望みは薄い」
「――自分の父親に?」
怪訝そうに問うと、ルキウスは顔に暗澹とした色を滲ませる。
「地上からすれば不死にも近い命を持つと、息子はむしろ玉座の脅威に写るのかもね」
「……王族の確執に興味はない」ジークは一瞬案ずるように眉を寄せたが、再び向けた眼差しは鋭かった。
「その害が及ぶなら、斬る。ルキウス、お前であっても」
「ソラに、だね。僕だってそうさ。たとえ国王を敵にしても、もう言いなりではいない」
「それならお前が王になるんだな」
それが何を意味するか、畏れもなく口にするのは喩えへの冗談でも皮肉でもない。それでも彼が言えば本当に一手段のようにも聞こえてしまう。ルキウスは含笑しながらも、いつかは本当に、と確信めいた決意をする。
「そして君を、“王の剣”にする」
有事には王の代わりを務めるほどの信頼をおく、騎士の最高権威に。
その言葉に対してもまるで畏まらない、彼だからこそ、と。
「それにしても、〈白夜の尋問人〉を退けるなんて恐れ入る。全員が一等星の称号を持つ、隠密と幻惑魔法のエキスパートだ。姿なく、逃れることは不可能と言われているのに」
「透明は全ての色の透過だ。光の吸収率を上げれば姿あるものは現れる」
「簡単に言うけど。その無の反証を、単独の範囲魔法でやってのける想定はしてなかっただろうね。学生への油断があったにしろ」
「
「賢者顔負けの君に褒められると嬉しいよ」
「系統の違いだけだ。……回復魔法は、〈月〉の方が適性がある」
と、いまだ放心して横たわっている少女にジークは目を向けた。
「うーん」
ソラは仰向けのまま伸びをした。覗くようにルキウスと、後ろにジークがいる。
「おはようございます……??」
くすっとルキウスは笑い、ジークはため息を吐く。
「おはよう、ソラ。――もし、何か夢を覚えていたら教えてくれないかな。手掛かりになるかもしれない」
「夢……? あ、夢みたいに不思議な場所で……ルキウス様と、ご主人様……じゃない人がいて」
「そこまで雑な人の識別があるか?」
「いいや、ジーク……あの幻惑魔法は、人の記憶を利用して術者に都合よく再構築する。例えるなら思念を色に変えて絵を描くことで自然に見せているんだけど、細部では不整合が起きることがある。ソラは気づいたんだね」
「はい。ご主人様は左目の他にも、三連の黒子があるんです……右の脇腹に」
ソラが神妙に頷くと、ルキウスも慎重な面持ちで訊く。
「脇腹……どういう夢を?」
「宝石みたいな人魚の泉で、泳いでいました」
「ユトゥルナの泉のことかな……? 中々ロマンチックな絵描きだね。星の宮の付近は神秘的な景勝も多くて避暑地に人気だから、夏休みに入ったら皆んなで行こう。王宮の別荘に招待するよ」
「俺は遠慮する」
ぼそっとジークは断るが、ルキウスはすっかり決まったことのように陽気だ。
「まぁ検証のためにさ。ジークのしたような気付けは補助的なもので、被術者自身が違和感に気付けなければ解けない……廃人化の可能性もある本当に危険な術だったんだ。僕と君も見分けられるようにしないと、」
ヒュ、と言い終わるか終わらぬうちにジークの脚が廻り鳩尾を打つ。ルキウスは前につんのめってぐぅ、と声を漏らし胸を抑えた。
「殿下だったら、避けられないと思って確かめた」
「確かにこれは本物のジークだな……。こんなに思いっきり喰らうのは生まれて二回目だよ」
「魔法使いは近接に弱い。お教えする一度目の光栄に預かれなくて残念だ」
「初めてはソラだね……出会った時に」
「えっ⁉︎ 」
ジークを咎めるような顔を向けていたソラだったが、矛先が変わり寝耳に水を受けたように驚く。だが思い当たることがあった。
「あ、――あの、ごめんなさい! 毒を吐き出せるかと思って、」
しどろもどろに手を振って、弁明する。
ルキウスは二人を見て明るく笑った。
「君たちに出会ってから、世界が色づいて見えるんだ。僕はずっと、自分を漂白していたのかもしれない。それが王子だと思って」
「ルキウス様……
ソラは目に涙を光らせながら、天を見上げた。ルキウスも抜けるような青空へ向け、力強く頷く。
「お前がたびたび俺の保護者ぶるのはなんなんだ……?」
ジークはあきれながらも、顔を上げ同じ空色を瞳に写した。
――――㊙︎7 『色』了.
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