㊙︎3 『箱』
晴れてのどやかな青空の下、花束の黄色が行き交う。
春の訪れを告げる祝祭日に人々は日頃の感謝の意を込め花を贈る。
天空国家ナヴィスデアのその慣習を当日の光景から知った少女、ソラは魔法学校城下の学園都市に繰り出していた。
(でも、しぼんじゃうんじゃないかな)
花屋いっぱいの水々しい花と膨らんだ笑顔。なのに過ぎった翳りが伸ばしかけた手を止めた。
(渡せずに)
感謝の意。それはこれからも、を押し付けることにならないか。彼女が初めに浮かべた姿を思い返し、その顔を探った。遠くを見るような眼差しに引き結ばれた唇。彼以外にだったら、何も躊躇わなかっただろうにと不思議に思う。
領館に飾られることは滅多になかった。花は野に咲くもので、見にいくものだったから。同じ場所、同じ時に。同じものを目にしているというだけで、花々はまるで魔法がかったようにいっせいにきらきらと輝き、風に揺らぎ香りに満ちた。
ぷらぷらした手のままソラは結局戻ってきた。幸せ、幸せの予感に満ちた通りの散策はそれだけで輝きの粉を纏ったように気持ちを穏やかにしていた。――夜のように黒いローブを見かけるまでは。
(花だ)
可憐な黄色の小花たちを片腕に抱える。冷徹な印象を人に抱かせる姿とその組み合わせはアンバランスで、それ故に息を呑ませる美麗があった。心臓がばくばくしだして学内の敷地を行くその後ろを追ってしまっていた。
(だ、誰に渡すんだろう)
太陽の寮からは逸れたあたりで冷や汗が滲む。しぼんだことで自分が僅かでも期待を抱いていたことに恥ずかしくなる。若者の間では恋心を伝える機にもなっているらしく、だから避けたことでもあるのに。
丘を登る。樹の下に一人。誰が来るのかまで覗いてはいけないと思いつつ、足が固まっていた。視線の先、顎が上向く。ふわり。手を振り上げまるでそれを解くように軽やかに、花は舞い上がった。
明るい空に昇り、刹那に、流星のように落ちていった。足元に散らばる。
その挙動は皆目分からなかった。
「……
ただ古代語で呟いたのではなく、それは彼、ジークの魔法の法言だった。落ちた花々が一様に瞬く間に
そのまま、ジークは離れる。足元にも気を留めず、恐らくは幾つかを踏み歩いて。
来た道を戻り、つまり棒立ちしているソラに向かう。無表情からは、気づいても気にもとめなかっただろうことが伺えた。何も言えずどういう顔を向けても、路傍の花のように通り過ぎるだろうか。
「……しゅ、じんさま。何で」
声は掠れたが、でも理解からも遠ざかる気がしてすれ違うすんでで尋ねた。
ジークは足を止めまた顎を上向けた。空を乞うような眼差しに今度はハッとして思い出した。
「――ローディス様」
今は彼だけのものになった名前ではない。亡父だ。
『英雄』
そう言われ、言われ続けている。だけど齎した平和に風化されつつあることはその功績を残した天空にあっても感じる。『英雄の子』それは声高らかではなく潜めるように囁かれるのだから。遺物を見るように。
英雄が死んだのはいつなのか。戦いを終えた五十年前、命を終えた五年前、それとも花を供えられなくなったとき。
柩には向けなかった。
白い箱、白い顔に彼は涙を落とさなかった。落とすまいと上を向いたのだとか、家紋を表す鷹に敬意を払ったのだとか、庇う人は言ったが何を眼差していたかは分からない。肯定も否定も要しない。
花は咲き、枯れる。
続けてまた後ろを歩いた。ただ、香りに気を取られて振り返る。
花が咲いていた。
黄色の花が樹下一面に。散った何倍も。
何故かは知らぬ涙が頬を伝った。
枯れた花は戻らない。けれども種子はいきづいていく。いずれ元の花も知らず知られずに。
それでもそこに、どこかに、咲き続けるのだ。
彼の英雄は箱に死なない。
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