㊙︎2 『住宅の内見』

「これがソニム・ドムス?」

    ――古代語では〈夢の家〉。

 両の手に乗るサイズの、きらきらした青い鱗粉を練り込んだ陶器のような小さな家模型。

「そう。これが自分の心うちにある理想の家を引き出して、形にする。これを元に、魔法建築家が敷地や費用に合わせて実際の家を建てるんだ」

 太陽寮の談話室では、夕食後に二人の生徒、オタクとソラがその魔法道具を囲んで覗き込んでいた。

 それは持ち主不在で寮の共有物として吸収された忘れ物だった。出自は学校卒業者の寮室からであることが多い。中には明らかに忘れるはずなく、ポツンと部屋の机の上に取り残されているものある。おそらくは「自分にはもう不要だが捨てるに忍びない」といったものが、寮に引き継がれることを見越して置いていかれるのだろう。

 オタクはグラス一杯の水をその煙突に注いだ。すると、それは焼く前の粘土のような柔らかさを取り戻して少し膨れる。オタクは両の手に挟んでむぎゅっと潰した。こねこねと、形作る。

「棒付きパン?」

「まぁ見てなって」

 ソラがそう形容した珍妙な形状は、みるみる自動に精細化していった。

 そうして一本の樹の枝上に、切り妻屋根の家が現れる。

「ツリーハウス!」

 ソラがはしゃぎ声をあげ、オタクは得意げな顔をする。

「入ってみよう」

 扉を抓む。それはキイと開き、同時、白い壁に囲まれていた。

 色と質こそツルツルした陶器のような白磁一色だが、タイル貼りのキッチン、木目のダイニングテーブル、キルト調の絨毯と、一目で分かり自由に色を乗せて生活が想像できた。

「全部すぐ手に届く範囲、っていうのがいいんだよね」

 梯子からロフトに上がる。そこは一面ベッドだけれど家中に明るい光をもたらす天窓があって、手を伸ばすと木の枝からりんごがもぎり取れた。

「他にもオレンジ、葡萄、栗にレモン……季節ごとに実が鳴って、いつでももぎたての果物が食べられる。レモン・ケーキを焼くオーブンだってもちろんあるさ」

「すてき!」

 まるで森の中の秘密基地に来たように時間を忘れて語り合って、家ごとカタカタ鳴り始めてからようやく後にした。

「制限時間があるの?」 

「みたいだね。あくまで模型だから、戻って来れなくならないような安全装置じゃないかな」

 さぁソラ、と今度はオタクが興味津々に家を差し出す。ソラはしかし躊躇った。

「うーん……あたしがしたら、グリンデルフィルドの領館になると思うから、オタクへの案内は取っておきたいな。まんまるの大きな湖があって、あたしの屋根裏部屋からは朝日が一番に見えて、きっと気に入ると思うわ」

「オーケー、でも、人を表すようで家って面白いね。他の人にも試してもらっておじゃましない?」

「あ! じゃあご主人様の家がみたいな」

「いつものローディス卿? いや無理じゃないかな。悪くて粉々にされそう。一応寮の備品だし」

「意外と断る理由がなければ断らないのよ」

 ソラは訳知り顔で太鼓判を押した。



 星の寮の居住区エントランスは水中にある。深い水底のような紺碧を、ふよふよした透明の膜が隔てている。魚の姿はなく静的で、ただ浮遊するプランクトンが発するらしき灯りが時折明滅していた。他寮生が用いる「ねじれの扉」は行き先が認証されるとそこに開く。

 窓外のチカ・チカを見つけては指差しする間もなくに、ローディス卿は現れた。

 部屋内だから当然か、いつものローブを羽織らず薄着で、また髪がいつもより黒々としていて心持ち濡れて見えた。

 ソラは時間を考えずに押しかけたことをようやく恥じた。紺碧の水も夜だからで、人によっては寝じまいし始めているだろう。夜更かし組であるオタクも浴後に気づいて気まずそうな顔をした。

 けれどもどのみち来てしまったのだから、とソラは水を注いだ家模型を差し出す。 

「これで、家をつくってください!」 

 ローディス卿は特に理由をただすでもなく無表情で受け取り、ぐっと両手で覆ってすぐさま正方形のキューブにして返した。そうして踵を返しまた暗がりに消えていく。

「本当につくった……」

 オタクは呟き、あとは二人そそくさと星の寮を後にした。



「質素!」

 早速入ってみてオタクは一声をあげた。

 がらんどうの空間、というか。部屋はだだ広く天井も何層も抜けたように高いが、埋めるものがない。

「なにこれ? 瞑想かトレーニング室? いっそ神殿?」

 住みづらそうだなァ、とオタクはぼやき、ソラも神妙に見渡す。

「生活感感じないのはらしい、、、けど……ていうかよく考えたら貴族ってその辺知らないんじゃ? 建築家と相談するのも執事とかなんだろうな」

 貧しい貴族もいるのよ、とソラは名誉の為に口に出さなかったが、少し腑に落ちない感じはしていた。顔と名前と役割と居場所と、使用人の全部を把握した、むしろ執事のような仕事も包括していたはずだ。だからこそ、その一切を放り出したような空間なのだろうか。


「あ、ここは寝室っぽい」

「え!」

 そろそろ忍び込む。特に変哲はなかったが、ただ飾り気ない寝台の他に塞がった窓のような長方形があった。

「鏡?」オタクが覗き込むと、森が映り尻尾の長い小動物達が映った。「わ!」と手でそれを覆い、ソラは逆にイタズラ気に身を乗り出した。その映像は変わる。黒髪の男性が、輪切レモンの浮かんだ炭酸水を受け取り一息に飲み干すとグラスを返している。個室に入り、ベッドに横になるともう目を瞑った。寝顔は幾分柔らいだ、年の頃らしい顔付きになる。

「ご主人様……」

「え……」

 ソラもチラとオタクを見ると、体でその映像を覆い隠した。

「いや、分かった。見ないから……」と、二人でまたそろそろと家を出た。

「なんか見ちゃいけないものを見たような……あれって、スト「そういうのじゃないと思う」

 ソラは被せた。

「だからつまり、特定の人を映すにしても、警護の為で。そういう生真面目なところあるから」

「警護? ローディス卿は誰を映すと思っているの?」

 ソラはごくりと唾をのみ声を小さくして親友に教えた。

「たぶん、ルキウス様……」

「違うと思うけど」

 交差しているのにすれ違うというか……オタクは、ねじれの扉を通りながらその名称の意図について考えた。


  

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