ご主人様はひそかに愛でたい -チラ裏にKAC-

る。

㊙︎ 1『○○には三分以内にやらなければならないことがあった』


 ジーク・ヴァン・ローディスには三分以内にやらなければならないことがあった。それが時を止める刻限だからだ。

 ――クロノス・カイロス〈砂時計の見えざる回し手〉

 瞬時に想起し唱えて術式を展開する。このが彼の尋常ならざるところだった。

 この術を他が真似ようとするならば、何百にも及ぶ図式数列を何十時間もかけて羅列し記号に変え魔法陣に導かなければならない。為、この魔法式の解である時間圧縮とは矛盾が生じる――不可能であると言える。超絶難解式を直観的に解くことができる彼を除いて。黒手袋の内に公式化して刻んだ魔法陣と術名に代えて彼は再現する。

 ――時は止まった。

 客観的には彼が光速化したという方が近いが、主観的な要点としては代償を要することである。止めた時間の百倍を術者から奪う。つまりは寿命を縮めることになる。最大三分時間を止め、五時間の命を捧ぐ。それが現在の彼の範囲と代償だった。

 して、彼が向かうのは全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れである。大実習室の扉をその角で突き壊し魔法学校である城内の長廊下を所狭しと猛進する。床石はひび割れ蹴散らされ、壁の彫刻も欠け落ち絵画は踏み破れ、埃が晴れる頃には無惨だった。其れ等は供犠であった。彼が属する星寮の錬金術クラスでは、度々その錬成の贄として悪魔やその乗り物としての象徴――山羊や水牛を用いる。手順として先ず鎮静の魔法をかけて行うべきところ、反記号が掛かったのか錯乱魔法を付与してしまった者がいたのだ。それは連鎖的に混乱を招き、瞬く間に狂乱の群れとなって収拾の付かぬ事態となった。といっても、代々の授業歴の中で前例が無かった程の事でもない。こういった場合に備え、予め生徒には自ら対処せず、先ず避難だけするよう厳しく言い含められていた。驕り直接対峙するようなものなら魔法使いと言えどもその命は軽く踏み潰される。周囲を無人化した上で複数の賢人たちによる範囲魔法で一網打尽にするのが方法だった。

 ので、ジーク・ヴァン・ローディスも発端時には軽く眉を顰めただけでバリケードを教室後方に張り群れを見送った。すぐさま現れた避難場所に他の生徒達も混乱を生じるまでなく集合し、気配避けの施された透明壁の内で固唾を飲んでいた。最後の一頭の尻尾が教室を出ていくと、止めていた息を吐き出しながら「さすがです、ご主人様」とすぐ彼の背後にいた女生徒が熱い眼差しを投げる。本来その立場にある教師補佐役すらそのバリケードの陰に隠れていたのだから。

 通常彼は無反応だが、思い過ったことがあり一瞬その金色の瞳を流した。

 ご主人様、とあだ名させることになった張本人、魔法学校への入学前には彼が領主を務める領館でメイドをしていた少女の姿だ。彼女は自らに一時の暇も許さぬようにその時間ができれば屋敷中を掃除していた。父同然に慕っていた前領主の喪失をやはり自分では埋められない事を痛感しながら、彼もまた彼女が眠りにつくまでせめてもの豊かさを願い執務室にこもった。

 「ご主人様とメイド」――その主従関係は王子により招致された魔法学校への入学により解消された。今や各々にその責務はなく、未来はより輝かしく上書きされた。かたや王子の片腕の騎士として、そして見初められた少女はおそらく――

 一つ瞬きした後に彼は時を止め、駆けた。

 黒い水牛の背中、その縦列を一頭一足しながら城内を駆け抜ける。ようやくその先頭の頭を踏み、とんと床石に降り立った。全て彫刻のように止まった世界の中で、彼は一人息を細く吐き整えながら歩み寄る。いるはずがない。通常生徒は。その使用されない埃被った廊下に、一人箒を持った少女の像はしかしてあった。性懲りも無く、癖が抜けず掃き掃除をしていたのだろうか。ただならぬ事態に気が付きさりとて術なく彼女の形見の首輪、その琥珀色の水晶に触れている。

 その固まったままの体を抱き上げて、ジークは外窓から飛び降りた。

 “起こる”前だ。賢人達が、それも織り込んで対処したかもしれない。彼女自身の判断で飛び降りたかもしれない。それでも、万が一は許せない。魔法は死を変えないのだ。

 ――――三分。

 少なくとも存在を悟られぬように、立ち去れたらよかった。そうすべきだった。しかしスルリと時の砂が加速したように最後滑り落ちる間際、見つめてしまった。


「えっご主人様……?」

 動き出した箒の少女は突如現れた姿に瞬きをする。

 ドドドドと地鳴りと砂埃が上がる、先ほどまでいたはずの空中廊下を見上げてわずか口をぽかんと開ける。

「もう止めろ」

 箒を一瞥し彼は言った。渡った金貨で自由にしてほしかった。貴族階級の娘がするような身支度一式を整えらえるはずだった。それなのに少女の口から出た「箒を買っていいですか」には無性に苛立った。自分こそ引きちぎってやりたい、その首輪を。刻まれた家の紋章は一体誰のものなのか。

「城中を掃除する暇があるなら、」と言って詰まった。淡いシルクのワンピースを着て王子と並び白銀のグリフォンで空中散歩する。入学式前に探して見つけ、悟った光景。既に口に出すのは無用だ。

「違うんです。城中じゃなくて……その、掃除は言い訳というか」

 少女、ソラは気恥ずかしげに箒を握りしめた。

「ここは星の寮との渡り廊下だから、もしかしたら会えるかも、と思って」

 鼻頭に薄ら星屑のように散らばるソバカスの上、大きな瞳が覗くように見上げる。

「寮間の移動は原則、ねじれの扉だ。今は星間橋を使う者はいない」

「そうですよね、でも」

 ソラは無意識にかまた首元の水晶に触れる。日差しの下きらりとそれは金色に煌めいた。

 ジークは黒いローブを翻し背を向ける。

「ご主人様、」と声が呼び止めた。「ってもう呼んだらいけないんですよね」

 尻すぼみに声は沈んで。

「あたしが“メイド”を置いていくからって言ったのに、また面倒をかけてごめんなさい。きっと、助けてくれたんですよね。……でも、ローディス様って呼んだらすごく遠くなっちゃう気がして」

「別にいい」とジークは背中で返す。

 ――ソラ・グリンデルフィルド

 姓を問われそう少女は名乗った。愕然とした思いは抱いた。自分の接し方が、彼女にローディスとは名乗らせなかったのだ。もう家族ではなく、あるのは主従の残骸だった。

 ――ただ。言わなくても分かるだろうと思い違いしていたことがきっとあまりに多かった。

 父ならそうするだろう。

「ソラ、ローディスになるか?」

「え⁉︎」

 ぱったん、と取り落とした箒が地面に倒れて穂が土埃を立てた。振り返ったジークとソラは間を置いて見合う。

「え、え、あたし、あたしなんかが……だってみなしごで、そんな、ご主人様には、」

「ローディスは辺境とは言え伯爵家だ。父上の功績もある。養子入りしていれば役立つこともあるだろう」

 ――あの王子、ルキウス自身が身分や種族に分け隔てがないとしても、王宮は当然一枚岩ではない。手順を踏んでおけば幾らかの雑音は消せる。

「あ……」

 混乱と動揺から一転して静まり少女は腰を折って箒を拾い上げた。 

「いいえ、あたしはグリンデルフィルドでいます。ここにいるのは、グリンデルフィルドのソラなんです」

 その瞳に写る澄みやかな空色を、眩しく思った。

「――そうか」

 父自身なら、そう言うだろう。

 理屈はない。それなのに確信めいて、人を惹きつける。焦がれた姿を、不思議とその少女に投影することがあった。

 どうでもいいのだ。自分の修飾語など。

 ただ自分が、どうしたいかだけ

「あの!」

 再び向けた背から聞こえる。

「でもあたし、掃除しておきます。ご主人様が、また通られるかもしれないから」 

 何も答えず、真っ直ぐの眼差しに追われないよう転移魔法で後にした。

 やはり何も変わらなかっただろう。少女がすることも、自分がすることも。

 ただ途中式を変えても解が一つであるように。

 秘かに。秘かにあればいい。どんな思いを抱こうと、変わらない。

 砂尽きるまで、守る。


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