第31話
あの子が生まれたのは、とても暑い夏の日だった。
だから私たち夫婦は待望の我が子に『夏子』と名付けた。
妻は四十に近く、きっと私たちは子供に恵まれないだろうと諦めかけていた。
そんな時に生まれた小さな小さな娘は、私たちの希望だった。
夏子は予定日より二ヶ月も早く生まれ、体重も二千グラムに満たなかった。
生まれつき心臓が悪く、医者からは『人の半分生きられたら良い方だ』と言われた。
私たち夫婦は『人の倍、笑っていられるように育てれば良い』と心に誓った。
そんな私たちの気持ちが通じてか、夏子は良く笑う子に育ってくれた。
辛い日々の中でも、夏子の笑顔が私たちの道を照らしてくれた。
だが、夏子が九歳になった頃だった。あの憎き吸血鬼共が現れた。
吸血鬼共は狭いドームに私たちを押し込め、生活の全てを管理し始めた。
朝は何時に起きて、何を食べて、何の仕事をして、いつ眠るか。
そんな生活が始まり、家族の時間も制限された。
だがそれでも、わずかな時間でも家族と会って、我が子の笑顔を見ると安心した。
世界をこんなにしてしまったのは人間だから、これは人類に対する罰なのだ。
そう思うことで私たちは、日々に対する不満を飲み込んだ。
しかし、そんな日々はある時終わりを告げた。
夏子が吸血鬼共によって、私たち夫婦から引き離されたのだ。
妻はその日以来、塞ぎ込むようになりだんだん痩せていった。
吸血鬼に何度も頭を下げ、娘に会わせるように頼んだがそれも断られた。
そんな日々が二週間も続いたときだった。夏子が骨になって帰ってきた。
吸血鬼共から詳しい説明は何一つなされなかった。
それから三日後、妻が自殺した。ホースで首を吊っていたのが発見された。
私は愛する我が子も妻も失い、生きる目的を失ってしまった。
そんな私に残された唯一の感情、それは『吸血鬼に復讐したい』と言う感情だった。
それ以来、私はファームから逃れ人類解放軍のメンバーとして活動を開始した。
一匹でも多くの吸血鬼を殺したい。その一心だけが私の支えとなっていた。
そんな私の耳に、タイムマシーンの情報が入るのに時間はかからなかった。
苦しい戦局を変える最終手段だと聞いていたが、私には神の思し召しに思えた。
これを使えば、夏子を救えると。あの日々を取り戻せると思った。
「分かるかワトソン!?愛する我が子を奪われた私の気持ちが貴様に分かるか!!?」
私は最後の気力を振り絞って、炎の中から這い出しワトソンに迫った。
ワトソンの首が、あと数歩で手に届く距離まで近付いてきた。
もう少しだからね、夏子。お父さんが必ずお前を助けてあげるからね?
「……何……だと……?」
俺は目の前に立っているタイタンの存在が信じられなかった。
あれだけの炎の中で生きていられるだなんて、コイツは何なんだ?
「逃げて!パパ」
碧が俺に逃げるように言うが、俺には娘を置いて逃げるなんて出来なかった。
タイタンは一歩一歩、アスファルトを踏みしめて俺に近付いてくる。
「……」
刀も折れ、道具も使い果たした俺にはタイタンと戦う術なんて無かった。
タイタンの鋼鉄の指が、俺の喉に静かに伸びてきた。
「(やられる!)」
俺はそう感じ、祈るような気持ちで思わず目をつぶった。
奇跡でも何でも良いから、助けて欲しかった。
ガシャン!と言う、アスファルトに硬い物がぶつかる音がした。
「……!!」
俺は五秒くらい目をつぶっていたが、何も起きなかった。
このたったの五秒が、何時間にも感じられた。
「……ん?」
しかし待っても待っても何も起こらないものだから、俺は恐る恐る目を開けた。
そこには、倒れ伏したタイタンが転がっているだけだった。
「何だ?碧、何がどうなったんだ?」
「あたしも分からないよ。ただ、急にバランスが崩れて倒れたの」
俺たちは静かになったタイタンを黙って見つめていた。
ひょっとしたら、急に立ち上がって襲いかかってくるかも知れないと思ったからだ。
しかし、タイタンが立ち上がることは二度と無かった。
「祥太郎!どうした!?返事をしろ!!」
「あ、姉貴!?どうした!?」
スマホ越しに姉貴の声が聞こえてきて俺は我に戻った。
さっき終話する前にタイタンが現れたから、そのままだったのだ。
「どうしたじゃ無い!お前がどうしたんだ!?」
「え、え~っと……敵が生きていたと思ったら、死んだんだ」
俺にはそう説明するだけで精一杯だった。
詳しい説明は、直接会って話した方が良いだろう。
「えっと……姉貴、詳しい話はそっちでするよ」
ちょうど良いタイミングで、救急車のサイレンが近付いてきた。
「森保歩美さんの指示でこちらへ来ました。お名前を確認しても?」
救急車から降りてきた隊員が俺に本人確認を求めてきた。
救急車と言っても、普通の救急車と違い真っ黒な特殊仕様の車体だ。
「これ、退魔師ライセンスね」
「……確かに。ところで、そちらの方は?」
隊員は俺の免許で本人確認をとると、座り込んでいる碧について尋ねてきた。
まあ、いきなり吸血鬼が座り込んでたら誰でも訊くからな。
「この吸血鬼は協力者なんです。私を何度も危機から救ってくれました」
「……吸血鬼が、ですか?」
「はい!間違いありません」
救急隊員は少し納得がいかないといった様子で、俺に尋ねてきた。
吸血鬼は基本的に人間を見下しているから、人を助けたりは滅多にしない。
「そうですか。で、患者は貴方なんですか?彼女なんですか?」
「彼女の方です。森保総合病院へ送って下さい。事情は私が説明します」
森保総合病院は読んで字のごとく、森保家が経営する病院だ。
そこに運べば、碧を診て貰えるし、彼女の秘密が漏れることも無い。
「……分かりました。ストレッチャーに乗せるので、貴方も来て下さい」
「警戒しなくても、何もしませんよ」
碧は隊員達の手で台車に乗せられて、救急車におさめられた。
俺が証言したとおり、彼女は大人しくしており何もしなかった。
「あたし、どこに運ばれるの?」
「おじいちゃんが経営してる病院だよ。そこでおばさんに診て貰うんだ」
親父はまだ、おじいちゃんと呼ぶような歳では無いが碧から診たらおじいちゃんだ。
俺が親父って呼ぶと、救急隊員が混乱するからそう呼ぶことにした
「貴方も乗って下さい」
「ちょっと待って下さい。アレについて何ですが……」
救急車に乗る前に、俺は倒れ伏しているタイタンを指した。
アレも未来の技術で作られているから、回収しないといけない。
「分かってます。森保歩美さんのところへ運ぶんですね?」
「はい。なるだけ人目に付かないようにお願いします」
「心得てます。私たちはそれが仕事ですから」
姉貴が寄越した救急車とは、公に出来ない秘密を運ぶ救急車だ。
負傷した退魔師を運ぶこともあるし、ヤバイものを運ぶこともある。
簡単に言えば『闇の救急車』だ。
「まったく、ガソリンスタンドを爆破するだなんて……」
「……申し訳ありません」
森保総合病院で俺は、姉貴に出会い頭に叱られてしまった。
姉貴は中学校の敷地内でタイタンを倒せと言ったのに、俺たちはそこから出た。
そして、その近くに駐車してあったタンクローリーを爆発炎上させたのだ。
叱られて当然、むしろもっと怒られてもおかしくないくらいだ。
「隠蔽する側の身にもなれ。退魔師なら、もっと目立たないように出来んのか?」
「……いや、あの場ではああする以外に助かる道は無いと思いまして……」
俺は今にも消えそうな声で、必死に姉貴に弁明した。
実際、俺たちが目の当たりにしたタイタンのスペックは凄まじいものだった。
「はぁ……まあ、この話はこれくらいにしておこう。生きてここまで来たのだから」
「ありがとう姉貴。ところでアイツの容態はどうなんだ?」
俺はさっきからずっと、碧の怪我の具合が気になって仕方が無かった。
本人は脚にひびが入ったと言っていたが、本当にそれだけだろうか?
「アイツというのは、お前が連れてきた吸血鬼か?今、精密検査にかけている」
「結果はどれくらいで出そう?」
碧はタイタンから脚を掴まれ、振り回されている。
娘の顔に傷でもが残ったら、どうしようかと気が気じゃ無かった。
「随分アイツのことを心配するんだな?まあ、当然と言えば当然か」
「……何でか分からないんだけど、出会った時から他人と思えなかったんだ」
俺は碧と出会った時から、彼女に既視感のようなものを感じていた。
本当は初対面であるにも関わらず、俺はあの子を妹のように感じていた。
「まあ、あり得ない話では無いな。離れて飼育された犬でも親子が分かるからな」
「……犬猫と一緒にしないで欲しいんだけどな」
しかし、姉貴の言いたいことは分からなくも無い。
俺は本能的に碧を自分に近しい存在だと理解したのだろう。
「しかし、お前からあの子のサンプルが送られてきた時は驚いたぞ?」
「こっちに来るなら、あらかじめ知っておいて貰った方が都合が良いと思ったんだ」
ここに来る少し前、俺は姉貴に碧の唾液のサンプルを送っておいた。
唾液を使えば、親子関係を証明できるからだ。
ついでに、俺たちが本当に親子なのかどうかも確認できる。
「祥太郎!」
「おふくろ!こんな時間に来なくたって」
病院の待合室で話していた俺たちに、おふくろが駆け寄ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます