第28話

「いや、魔族じゃない。量子力学に登場する考え方の一つだ」

「量子力学って『シュレディンガーの猫』とかが出てくるヤツ?」

 化学でさえお手上げの俺に、量子力学なんてちんぷんかんぷんだった。

 箱の中の猫が生きてるか死んでるかなんて、箱を開ければ分かるだろ?

「……まあ、そうだな。シュレディンガーの猫は知ってたのか」

「いや、中学の時にちょっとかじって……」

 あれは中学校二年生くらいの時だった。

 俺は何となくかっこよさそうな言葉を調べて、使ってみたい時期があった。

 今では封印したい過去になってしまったが。

「ラプラスの悪魔とは簡単に言えば『運命は最初から決まっていてる』と言う考えだ」

「運命が決まってる?じゃあ例えば俺が今、自殺したら?」

 運命が決まっているなんて、荒唐無稽な理屈に感じられた。

 人は自分の道を自分で決められる生き物だからだ。

「死ねない。または死ぬのも運命のうちだ」

「何でもありじゃん?その理屈だったら」

 そんなトンデモ理論、証明も否定もできないじゃないか。

 何か起きても、全てが運命で終わるなら考えるだけ無駄だ。

「まあな。しかし過去を変えられないなら、それは運命と呼ぶほかあるまい?」

「運命をとるか、宇宙の崩壊を選ぶか……」

 正直、俺はどっちも選びたくはなかった。

 運命というレールの上を行くのも、よくわからない宇宙崩壊もどっちも嫌だ。

「しかし、なぜ突然タイムトラベルの話なんかしてきた?」

「え?あ、いや……最近読んだ小説で……」

 未来人に命を狙われてるとか、未来から実娘が来たとか言って良いものだろうか?

 俺は誤魔化すように、読んでもない小説の話を出した。

「フィクションの世界の科学的考証は作者の解釈次第だ。特にタイムトラベルはな」

「……うん。そうだよね!?ちょっと納得できない部分があってさ!!」

 俺は何となく、碧たちについて話さない方が良いと思って姉貴に隠した。

 親父やおふくろや姉貴に隠し事なんて、本当はするべきじゃないんだけど。

「お前はのんきだな?二度も殺されかかったんだぞ?」

「あはは……」

 俺は笑ってその場を誤魔化すしかなかった。

 横目で碧の方をチラッと見ると、グラスに輸血パックの血を注いでいた。

 やめろ!それ洗うの俺なんだぞ!?シンクが血まみれになる!!


「歩美さんは何て言ってたの?」

 電話を終えて、こたつに座った俺を碧がグラスを傾けて血を飲みながら尋ねてきた。

 血を飲むなんて、想像するだけでも寒気がするがこの子はさも旨そうに飲む。

「ラプラスの悪魔がなんとかって言ってたけど、結論として過去は変えられないって」

「過去は変えられない……か。それなら心配ないんだけどね」

 もし、過去が変えられないとしたら解放軍の目論見は完全に無駄骨になる。

 そして碧もわざわざ過去に来た意味が無くなる。過去は変えられないのだから。

「パパはどう思うの?」

「過去が変えられるかどうかは分からないけど、運命とやらは嫌だな」

 姉貴の話では過去が変えられないのは、運命で決まっているからだそうだ。

 そうなると、人の生き死にも結婚も就職も受験も全て決まっていることになる。

「でも、あたしはパパにはママと結婚して貰わないと困るよ?」

「それは分かってるよ。でも、今までの努力と結果が全部運命だったなんて……」

 今までの出来事が運命かどうかを確かめる方法はない。

 姉貴が言うには、自殺してもそれは運命として片付けられるからだ。

「あんまり難しく考えなくて良いんじゃないかな?確認できないんだし」

「……それもそうだな」

 運命かどうか確かめられない以上、運命について考える意味はない。

 仮に運命でも、俺が頑張らなくちゃいけないのは変わらない。

「それよりもどうするの?敵陣に乗り込むの?」

「敵の拠点が分かっていて、このままじゃ援助も期待できないからな」

 魔物を狩るときは、敵の居場所を特定して準備を整えてから奇襲をかける。

 今回は敵の居場所が分かっていて、武器や道具は部屋にある分しかない。

「今から行くの?」

「いや、出発は明日の夕方だ。今から向かってたら、脚がない」

 管狐のあつあげが持ち帰った情報によると、敵は倉庫街に潜んでいる。

 この時間では、タクシーくらいしか移動手段がないがタクシーはこの辺では少ない。

「あの黒い箱がなんなのかも気になるし、今日はやめておこう」

「そうだね。状況的には、こっちが断然有利だからね」

 どこに行けば相手に会えるのか知ってる分、こっちの方が有利だ。

 対して相手は、俺の正確な位置を掴めていないはずだ。

「明日が決戦なのか……」

「大丈夫だよ!パパはあたしが守るから!!」

 碧はコップを空にすると、俺に笑ってみせた。


 一方、その頃倉庫街のある一角では土屋がほくそ笑んでいた。

「……完成だ。遂にタイタンが完成した!!」

 土屋の目の前には、金属製のスーツが横たわっていた。

 これこそが土屋が心血を注いだ『強化外骨格外筋システム・タイタン』である。

「これがあれば私一人ででも、ワトソンの息の根を止められる」

 土屋は小さなリモコンを取り出し、タイタンの電源を入れた。

 タイタンの全身に取り付けられたアクチュエーターが起動し、ビクッと動いた。

「あと少し、あと少しなんだ。夏子」

 土屋はリモコンを操作し、タイタンの胸部ハッチを開放した。

 内部に土屋を取り込んだタイタンは、力強く歩き出した。

 その歩き方は、おぼつかない足取りだった土屋が入っているとは思えなかった。

「待ってろよ……ワトソン!!」

 タイタンは土屋の脳波を受けて、祥太郎が住む方向へと歩き出した。

 そんなタイタンの姿を、倉庫街で残業していた職員が目撃した。

「な、何だ!?あれは!!?」

 職員の男性、大木は目の前に居る土屋を見て我が目を疑った。

 あんなのは、彼が子供の頃見ていた特撮番組に出てく代物だからだ。

「……あれだ。俺、疲れてるんだ。早く帰って寝なきゃ」

 年末の仕事納めのために、四日間職場に泊まった大木は夢を見ていると思った。

 家に帰ってものまね番組でも見ようと思っていたが、それは取りやめた。

「ものまねより格付けの方が見たいからな」

 大木は目の前の土屋を見ていないことにすると、タクシーを拾いに歩き出した。

 こんな状態で車を運転したら、大事故につながると思ったからだ。

「……」

 一般人に見られてしまったが、土屋は再び歩き出した。

 彼はターゲットである祥太郎以外の生き物を殺してはいけないのだ。

 むやみに人畜を殺すと、未来に予想外の影響を与える可能性があるからだ。

「ここから目的地まで、およそ三十キロか……」

 車だったら三十キロなんてあっという間だが、歩きでの三十キロは骨が折れる。

 しかし、未来人で通貨も身分証名称も持たない土屋には車両が使えない。

 仮に現金があっても、タイタンを身につけていてはタクシーも無理だろう。

「ええい!タイタンをバラせるようにしておけば良かった!!」

 深夜の歩道を機械音を立てながら、タイタンが歩行した。

 かなりの数の人に見られてしまったが、ほとんどの人がコスプレか何かだと思った。


「……」

 風呂も済ませ、就寝準備を整えた俺たち親子だったがなかなか寝付けずに居た。

 明日が決戦なこともあるが、妙な胸騒ぎがずっとしていたのだ。

「碧、起きてるか?」

「うん。パパも眠れないの?」

 俺はカーペットの上から起き上がると、スマホでSNSをチェックした。

 本当は眠る前にスマホなんか触らない方が良いのだが、そうした方が良い気がした。

「……何だこれ?」

「パパどうかしたの?」

 俺はSNS上で、妙な画像と動画がバズっているのを発見した。

 書き込みはどれも呑気なものばかりだが、俺にはヤバイ物に見えた。

「碧、これなんだと思う?」

「ん?どれが?」

 部屋の明かりをつけると、俺はスマホの画面を碧にみせた。

 スマホの画面を見た碧の表情が一変したのを俺は見逃さなかった。

「……タイタンだ」

「タイタン?やっぱり、解放軍絡みか?」

 碧にみせた動画、それは歩道を行く人型のロボットの動画だった。

 コスプレにしては妙に重量感があるそれを見た俺は、嫌な予感がしてならなかった。

「うん。解放軍が開発した『対貴族用ロボットスーツ』だよ」

「コイツ、まっすぐこっちに向かってるぞ?」

 動画に映っている場所には、何度か見覚えがあった。

 ここから徒歩で三十分くらい歩いた場所にある、ホームセンター前だ。

「パパ!寝てる場合じゃないよ!?」

「分かってるよ!お前こそいつまでワイシャツなんか着てる気だ!?」

 碧は俺が昔、国家退魔師だった頃のワイシャツをいつの間にか寝間着にしていた。

 彼女が言うには『ファンサービス』らしい。

「まさかこんな形で年を越す羽目になるなんて!」

「って言うか、何で解放軍はここが分かったの!?」

 碧の疑問はもっともだが、それを考えるのは後にした方が良さそうだ。

 飛び起きて戦闘準備をしているが、もう時間が無いからだ。

「碧!タイタンっていうのは強いのか!?」

「強いは強いよ?だって眼力が効かないんだもん」

 今年が終わるまで、残り数時間しかなかった。

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