第26話

「ほら、入れよ」

「……ただいま」

 俺が開けた玄関口からうつむきがちな碧が口数も少なく入室した。

 こんなにへこまれると、何だか悪いことをしているような気分になる。

「手を洗って来いよ。コーヒー入れるから」

「……うん」

 碧は一言返事をすると、脱衣場の方へと歩いて行った。

 俺はやかんに水を入れると、それをコンロの火へとかけた。

「訊かない方が良いかな?」

 そんな考えが一瞬頭をよぎったが、そんな甘い考えはすぐに捨てた。

 これは碧と俺の問題なだけではなく、人類全体の問題でもあるからだ。

「……」

 しかし頭ではそう分かっていても、心までは思い通りに行かなかった。

 別に七十億の赤の他人の心配なんて、要らないんじゃ?

 そういうことにしてしまいたかった。

「あっ!」

 俺は、湯が沸いたとやかんがピーピー鳴るので我に戻った。

 どうやら、思った以上にぼんやりしてしまったようだ。

「あちちっ!!」

 俺は火を止めると、やかんのお湯を黒い粉末の入ったマグカップに注いだ。

 お湯に粉末が溶け、コーヒーができあがる様を何となく見ていた。

 コーヒーに映る俺の顔は、碧のように眉を寄せ浮かない表情だった。

「何がしたいんだろう?俺」

 俺はさっき『娘を裏切るような父親にはなりたくない』と宣言した。

 その気持ちは今でも変わらないし、それで正しいとも思っている。

 しかし今の俺がしようとしているのは、娘を裏切ることにならないだろうか?

「……冷めちゃうよ?」

「え?……あっ!」

 こたつから聞こえた碧の声で、俺はコーヒーを眺めているのをやめた。

 俺はコーヒーミルクを二つのマグカップに入れると、軽くかき回した。

「お待たせ!」

 そのまま俺はマグカップ二つをこたつの上に置き、一つを娘に差し出した。

 俺が今から質問しなくちゃいけないのに、何でこんなに悩んでるんだろう?

 そのまま俺は、こたつを挟んで碧の反対側に座った。


「……」

「……」

 こたつに座った俺たちは黙ったまま、少しぬるくなったコーヒーを飲んでいた。

 これを飲み終わったら、何を話せば良いのだろうか?

「……さっき、解放軍が言ってたことなんだけど……」

「え?あ、うん!」

 俺は、まさか碧の側から話を切り出すと思っていなかったから間抜けな返事をした。

 俺はコーヒーから目の前の碧に集中することにした。

「解放軍が言ってたのは嘘じゃないよ?でも、本当のことでもない」

「何か大切な部分が抜けてるってことか?」

 解放軍は『貴族さえいなければ人類が解放される』と言っていた。

 だから、俺が吸血鬼と結婚しないように要求してきた。

「うん。解放軍は自由さえ手に入れれば何とかなるって思ってる」

「……実際はそんなに甘くない?」

 碧はブランコに乗ってる時に俺に少しだけ教えてくれた。

 核戦争で汚染された未来では、場所も水も空気も限りがあると。

「うん。もし、人間が本当に自由になったら今の一割も生き残れないと思う」

「一割?それってつまり、七億人くらいってことか?」

「……」

 碧は黙ってうなずいてみせた。七十億人の人口が七億人だなんて信じられなかった。

 もしそんなに人が急激に減ったら、下手したら絶滅するかも知れない。

「あたしたちが頑張って三十億人くらいにしてるけど、解放軍はそれを分かってない」

「……それでも三十億人か」

 七十億人の人が三十億人になるなんて、考えただけでもぞっとする。

 一クラス四十人だったら、十七人くらいしか生き残れない計算になる。

「これでも一生懸命努力はしてるんだよ?一人でも多く生き残らせるために」

「だからその為に邪魔な個人の権利を制限するってわけか」

 俺は碧たちのやっていることをこの目で見たわけではない。

 しかし、この子がいたずらに残忍な行いをする子ではないと俺は思っている。

「あたしも出来れば、もうちょっと一人一人を大事にしてあげたいんだけどね……」

「でも、人間の欲望は際限が無い……と」

 人間は現状に満足することがなかなか出来ない。

 いつも、今より上の生活がしたいと、今より前に行きたいと願い続けている。

 だから、碧たちが人間の要求の全てを飲むことは出来ない。


「時には残酷な決断だってしなくちゃ行けないときもあるよ」

「残酷な決断?」

 碧の言う残酷な決断とは何のことだろうか?

 人間を統制して管理しているのに、その上があるのだろうか?

「……人間を、間引くんだよ」

「間引く?資源が足りないからか?」

 ファームと呼ばれるドームの中には限られたスペースしかない。

 その為、人があまりにも増えすぎると食料や空気が不足するのだろう。

「そんな時、どんな基準で犠牲にする人を選ぶと思う?」

「……」

 そこまで言われて、俺は碧が言わんとすることが分かったような気がする。

 人間に優先順位を付ける、それにはある合理的かつ冷酷な方法がある。

「弱ってたり、役に立たない個体から間引いていくしかないよね?」

「……寝たきりの人とかか?」

 これが人間じゃなくて、鶏や豚だったら至極当たり前だ。

 限りあるスペースと資源を有効活用するには、それしかない。

「寝たきりの人だけじゃないよ。介助が必要な人もだよ」

「だから解放軍は、あんなに俺を殺そうとしてたのか」

 吸血鬼を排除してファームを解き放とうとする解放軍の主張は、至極人間的だ。

 人間を役に立つ、役に立たないで判断して命を奪うなんて倫理的におかしい。

「でも、解放軍のやろうとしてることは……」

「分かってるよ。その場は良くても長期的には人間を危機に陥れるんだろ?」

 解放軍が本当に人間を自由にしてしまったら、今度は人間同士の争いだ。

 暴力が支配し、奪い奪われるだけの世界になってしまう。

 その世界で生き残れるのは、きっとほんの一握りだろう。

「あたし達は一応、人間を平等に扱ってるよ?」

「だってお前、飢える人が一人も居ないって言ってたからな」

 碧たち吸血鬼は、確かに人間を家畜化して支配してるかも知れない。

 しかし、それは彼女たちが導き出した人間が一番犠牲にならない方法だった。

「でも、解放軍は何度もドームを壊そうとするの」

「ドームが吸血鬼が人間を支配してるっていうシンボルに見えるんだろ?」

 実際に見たことは無いが、きっとドームとは想像を絶するデカさだ。

 その中に全人類が囚人のようにおさめられているのだから、醜悪に見えるだろう。

 それを打ち壊してしまえば、全ての問題が解決されるように錯覚もするだろう。


「……パパは解放軍が正しいと思う?」

「人間が人間らしく生きれるようにしたいって気持ちは正しいとは思う」

 俺は自分の子供達が将来、ファームを管理運営する立場になると知っている。

 だが、もしそうじゃなくて子供達が管理される側だったらどんな気分だろうか?

 きっと、どんな手段を使ってでも子供達に自由を与えてやりたいと思うだろう。

「……じゃあ、パパは……」

「でも、方法が間違ってると思う。こんなことしても、根本の解決にならない」

 しかし碧たちが人類を管理運営しているのは、そもそも人間が絶滅しないようにだ。

 そしてそうなった原因を作ったのは、第三次世界大戦をしてしまった人間自身だ。

「碧たちがしてることが正しいかは分からない。けど、善意でやってるのは分かる」

「うん。あたし達は人間が生き残れる道を見つけたいの」

 自由を手に入れたい解放軍の気持ちが分からないわけではない。

 しかし、その為にもっと多くの人が犠牲になるのはおかしいと思う。

「俺はお前を信じるよ。お前は人のために頑張ってくれるヤツだって」

「うん!あたし、頑張ってるんだよ!!」

 俺の選択が正しいかどうかは、未来の歴史家が決めれば良い。

 ただその歴史家が産まれるには、碧たちに頑張って貰うしかない。

「碧、必ず勝とうな!?」

「うん!!」

 何だか少しだけ、心のモヤモヤが消えたような気がした。

 自分のしたいことがちょっとだけ分かったような、そんな気分だ。

「あれ?パパ、何か来たよ!?」

「ん?この間、臭いを追わせた管狐だ」

 窓ガラスをすり抜けて、管狐が俺の部屋に戻ってきた。

 コイツには、未来人の臭いを覚えさせて居場所を特定させていたのだ。

「この子が戻ってきたってことは……」

「敵の根城が分かったってことだ。でかしたぞ、あつあげ!」

 俺は帰ってきた管狐のあつあげを褒めてやった。

 あつあげは笑ったような鳴き声を出して俺に甘えた。

「あつあげ?この子の名前?変なの~」

「そうか?」

 狐にあつあげって名前は変だろうか?普通だと思うが?

 姉貴なんて、自分の発明に珍妙な名前ばかり付けるのに。

 俺は何だか少し、釈然としない気分だった。

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