第18話
「お前、そんな事が分かるのか?」
俺にはマスクをして話すウェイターの息なんて全然分からない。
コイツの嗅覚って一体どうなっているのだろうか?
「あたしは吸血鬼だからね。鼻がきくんだよ」
「……お前にはこの辺りに漂ってる匂いが全部分かるのか?」
俺は退魔師で吸血鬼と戦った事も何回かある。
しかし、こんなに吸血鬼の嗅覚が優れているなんて初耳だ。
「うん。あたしにはこのお店の匂いが分かるよ。お酒飲んでる人が居るね」
「それは貴族だから嗅ぎ分けられるのか?」
吸血鬼と交戦したときに、そんなに体臭について気を配ったことは無い。
しかし、上位の個体である貴族ならそれが分かるのかも知れない。
「そうだね。あたしは貴族だから低級な吸血鬼より鼻がきくよ」
「……もしかして、俺の臭いまで感じてるとか?」
そこまで話していて、何となくそこが気になった。
このジャンパーは一年の内にシーズンの始まりと終わりにしか洗わない。
もしかしたら、俺は碧からしたらとても臭いのでは?
「うん。だって臭いを追ってパパを見つけられるんだから当然でしょ?」
「え!?そんな事まで出来るのか?」
それを聞いて、急に顔が熱くなるのを感じた。
娘の前で男臭いジャンパーを羽織って歩き回るのが恥ずかしくなった。
「ママもお姉ちゃんも出来ると思うよ?パパ、服に臭いが染みついてるよ?」
「止めてくれ!臭いが染みついてるとか言われるとショックだ!!」
別に普段からだらしない生活をしているつもりは無い。
身体だって毎日洗うし、歯磨きだって欠かさないし、毎日着替えてる。
ただ、ジャンパーは頻繁に洗えないからそのままになりがちだ。
「気にしなくても大丈夫だよ?あそこのおじさんの方が数段臭いから」
「そんな事、言っちゃダメ!!」
碧は俺の後ろに座っている、中年太りの男性を指さして言った。
確かに臭そうではあるが、そんな事は口にしないのがエチケットだ。
「おまたせしました店長おすすめ!デラックストッピングうどんときつねうどんです」
「待ってました!!」
大きなお盆を持った店員の乱入で、俺たちは会話を一時中断した。
やっぱりと言うか、店員は最初俺の前にデラックスうどんを置いた。
普通、このデカさのうどんをこんな小柄な女が頼むとは思わないからな。
「パパ、それだけで良いの?もっと頼んだら?」
「いいや、俺のはこれだけで充分だ」
俺のきつねうどんは碧のデラックスうどんより、二回りほど小さい。
普段の俺だったら、これくらいでは足りないだろう。多分、いなり寿司を追加する。
「パパって小食なんでね?そんなんで良く持ったね?」
「持った?何が?」
碧は一体、何のことを言ってるんだ?持ったって何を持つんだ?
俺は碧がうっかり漏らした一言が気になって、尋ねてみた。
「だってパパ、ママと……あ、イヤ!何でも無い!!」
「え!?俺、ママと何があるの!!?」
碧は未来を守るために来ているから、未来に影響を与えてはいけないのだ。
その為、彼女は未来に関する情報を頑なに俺に与えようとしない。
「そんな事より!冷めちゃう前に食べよっと!!いただきま~す!!!」
「不自然極まりないけど……いただきます」
俺はモヤモヤしたものを抱えたまま、うどんをすする事にした。
こうなってしまったら、碧は頑として口を割らないからだ。
「へぇ~、釜揚げうどんってこんなんなんだ?」
「こんなんって、普通のうどんだろ?」
俺たちがすするうどんは、ごく普通のうどんに感じられた。
そんな感心するような物では無いと思うんだけどな?
「ううん、普通のうどんと全然違うよ。ボワボワしてる」
「……ボワボワ?」
ボワボワとはどのような食感の事を言っているのだろうか?
俺は自分のきつねうどんのどんぶりを凝視した。
「普通のうどんはつるつるしてて、もっと歯ごたえがあるよ。けど、これは違う」
「釜揚げうどんは水でしめないからな。そのせいで食感が違うのかもな」
俺の地元では釜揚げうどんは珍しくなく、ありふれた食べ物だ。
しかし、碧にはこの釜揚げうどんの食感が珍しいようだ。
「何か変なの……」
「変なの言うな。早く食べないと伸びちゃうぞ?」
俺はいぶかしげにうどんの麺を眺める碧をせかした。
うどんなんて、そんなにのんびり食べる物では無い。
「このエビ天、衣ばっかりだ」
碧はそんな感想を言いながら、うどんを食べ続けた。
五分後。
「……うっぷ。まだ、こんなに残ってる」
碧はどんぶりの中に漂っている麺と苦戦していた。
俺が予想したとおり、あの量のうどんは彼女には多すぎたのだ。
「碧、そのうどん俺にくれないか?」
「イヤだ。自分の力で食べきるんだもん!」
俺は碧に助け船を出そうと思い、そう提案したが彼女に拒否されてしまった。
碧としては自分が注文した料理だから、自分の力で食べ切ってしまいたいのだろう。
「……」
「……ズルッ……ズルッ……」
しかし、碧がうどんをすするペースは明らかに落ちていた。
見るからに不味そうにうどんをすすり、苦悶の表情を浮かべている。
「……なぁ、碧……」
「イヤだ。パパの力は借りない!!」
俺は見ていられなくなり、再び助け船を出す事にしたが碧の返事は相変わらずだ。
最初に忠告されたのを無視して強行したから、後に引けないのだ。
「そうじゃない。まだ、食べ足りないからくれないかって言ってるんだ」
「……本当に?」
碧は俺に疑いの眼差しを向けてきた。まあ、疑わしいのは認めるよ。
本音を言えば、別に伸びたうどんなんてわけて貰わなくても問題ない。
俺がしたいのは、うどんを食べきれないで居る碧を救済する事だ。
「本当だよ。やっぱりきつねうどん一杯じゃ全然足りなかったよ」
「……」
しかし、それを素直に碧に伝えても彼女は俺を頼っては来ないだろう。
だからあらかじめ、俺は自分の料理を少なめに注文したのだ。
「なあ、頼むよ!」
「仕方ないなぁ。はい」
そう言うと、ようやく碧は俺にどんぶりを差し出した。
俺はそのどんぶりからうどんをすくい上げ、ほとんど自分の器に移してしまった。
残ったのは、一口か二口分だけだ。
「ありがとう」
俺はそう一言告げると、冷めて伸びたうどんをすすった。
碧と今の俺は歳なんて大して変わらないはずだ。
それでも、何となく父親らしい事をしてやりたいと思った。
「……ありがとう。パパ」
碧は小さな声でそうお礼を告げたが、俺は聞こえないふりをした。
ここで『どういたしまして』とか言ったら、助けたのがバレバレだ。
俺は俺の腹を満たすために、碧からうどんをわけて貰っただけなのだ。
「はぁー、腹一杯だ」
数分後、俺と碧はようやくうどんを間食し器を空にして見せた。
何となく子供の頃、親父に似たような事をして貰ったのを思い出した。
あの時も、俺は親父やおふくろの忠告を聞かずに注文していた。
「さて、勘定を済ませるか」
「……うん」
俺は伝票を持つと、会計へと足を運んだ。
昼時と言う事もあり店にはたくさんの人が来ていて、それは会計も同様だ。
俺たちの前には十人弱の人が並び、会計の順番を待っていた。
「これが終わったら、次は神社に行くぞ?」
「……うん」
うどんを食べてから、碧は妙に口数が少なくなった。
ややうつむきがちになり、火が消えたようになっている。
自分のワガママで俺に迷惑をかけたと思っているのだろう。
「そんな落ち込むなよ。誰にだってある経験っしょ?」
「この年でこんな失敗するのも?」
確かに、成人した女が注文の分量を間違えるなんて珍しい失敗だ。
だがしかし、彼女がこんな失敗をしたのはこの時代の勝手が分からないからだ。
誰だって、異国に行けばこの手の失敗はするものだ。
「失敗したって良いさ。それを次に生かせば良いだけなんだから」
「本当にそう思う?」
彼女は上目遣いで俺にそう尋ねてきた。目はわずかに潤んでいるように見えた。
「ああ、そう思うよ。俺だって何度も失敗したからな」
俺は自信を持ってうなずいて見せた。
失敗もしないで成長する奴なんて、この世には居ない筈だ。
その成長の過程に、人とか吸血鬼とか大人とか子供とか関係ない。
「……そっか、そうだよね。今度は失敗しない!」
「うん、それで良いんだよ」
俺は少しだけ元気を取り戻した碧を見て、何となく安心した。
やっぱり俺は、どんなにウザくてもこの子には元気で居て欲しい。
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