第15話

 そんな会話をしながら、オムレツを作っていたら電話が鳴った。

 相手はこの間、俺が狼男のサンプルを送りつけた姉貴だった。

「もしもし、姉貴?」

「ああ、起きていたか。先日送られてきた唾液のサンプルの解析結果が出たぞ」

 電話の向こうの姉貴は相変わらずまるで男のようなハスキーボイスだった。

 本人には失礼だが、俺はあの人を姉貴と言うより兄貴扱いしている。

「で、どうだった?」

「なぜ急に声が小さくなる?お前、どこに居るんだ?」

 碧は顔を洗っている最中で、俺と姉貴の会話は聞こえていないはずだ。

 俺はどことなく、この会話は碧には聞かれない方が良いと思った。

「いや……自分の部屋だけど?」

「……本当か?」

 姉貴は何か勘ぐっているが俺はそんな事よりも結果を聞きたかった。

 あの狼男について何か少しでも知りたかった。

「そんな事よりも結果を教えてくれよ。アレは何なんだ?」

「まあ良い、アレは間違いなく人間の唾液だろうな」

 電話の向こうで姉貴は俺を疑っているが、早くして欲しかった。

 碧が洗面所から出てくるまでにこの会話を終わらせたかった。

「やっぱり良そうなのか?でも、どうやって変身なんかするんだ?」

「あの唾液には少量だが、血液も混じっていた。それもついでに解析した」

 姉貴に渡したサンプルには狼男の血が混じっていたらしい。

 唾液よりも血液の方が、多くの情報を持っているから何か分かるかも知れない。

「それで?それでアレは何なんだ?」

「落ち着け。こっちは徹夜明けで頭が回ってないんだ」

 姉貴は世界的に有名な科学者だが、そこに至るにはやはり色々苦労があるのだろう。

 徹夜で研究に没頭する事も時々ある。

「ゴメン!早く結果を知りたかっただけなんだ」

「命を狙われたお前からすればそりゃ知りたいだろうな。無理も無い」

 姉貴は別に怒っている様子では無かった。

 あの人は落ちこぼれの俺に対しても気を遣ってくれる。

「結論から言うぞ?アレは遺伝子を生物工学で改造された人間だ」

「遺伝子を……改造?」

 姉貴の告げた真実を、俺はすぐには信じられ無かった。

 人間の遺伝子を改造するなんて禁忌じゃ無いのか?


「そんな事って出来るのか?」

「おそらく遺伝子治療の技術を応用して発明された技術だろうな」

 遺伝子を改造してあの未来人達はオオカミやライオンに変身するのか?

 でも、そんな事をして本人達は平気なのだろうか?

「お前、あのサンプルをどこで入手した?とても現代の技術とは思えん」

「え?あ、いや……その……」

 まさか姉貴に未来人に命を狙われているなんて説明するわけにも行くまい。

 何か良い言い訳が無いかと必死に頭を回転させるが、何も思いつかない。

「人間を変身させるほどの生物工学など、現代ではとても無理だ」

「……アレはみ、みら……」

 俺はいっその事、姉貴に全てを打ち明けてしまおうかと思った。

 しかし、そんな非現実的な事を言ったら頭がおかしくなったかと思われる。

「みら?」

「みら……ミラクルな……感じで……」

 それを言うだけで精一杯だった。

 やっぱり姉貴でも未来人から採取したなんてとても説明できない。

「……はぁ。精神的に疲れてるのは分かるが、もっとしっかりしろ!死ぬぞ!!」

「いや~その~~……ゴメン」

 姉貴に本気で心配されてしまった。

 俺でもあんな訳の分からない事を言われたら『コイツ大丈夫か?』と思う。

「パパー!石鹸どこ!?」

「……パパ?」

 電話越しの姉貴の声が険しくなった。このタイミングで人の事パパとか呼ぶなよ!

 姉貴は俺の部屋に未来から来た実娘が居るなんて知らない。

 絶対にあらぬ誤解をされているに違いない。

「違うんだ姉貴!隣の吉田さんのところに娘さんが来てるんだ!!」

「パパ、早く!!あたし、顔がぬれてて手が離せないんだけど!?」

 こっちの状況なんて知らない碧は俺に石鹸をせがんでくる。

 もし姉貴伝いに変な噂が広まったら、親父やおふくろに何を言われるやら。

「……やけに近くから声が聞こえるようだが?」

「ほら!このアパート、壁が薄いからさ!!声がこっちまで聞こえるんだよ!!!」

 こんな事になるのなら、部屋の外で電話すれば良かった。

 俺は軽く現実逃避しながら、そんな事を考えていた。


「パパァ-!!何で無視するの!?誰かと話してるの!!?」

「……呼んでるぞ?返事しなくて良いのか?パパ」

 電話の向こうの姉貴が絶対零度の声で俺に問いかけてくる。

 俺は姉貴と娘の板挟みになってしまった。

「姉貴、落ち着いたらちゃんと説明するけど姉貴が想像してるようなのじゃないから」

「……ほう。ちゃんとした説明をして貰えるのか?それは楽しみだな」

 姉貴は多分、俺が女の子をお金を出して部屋に呼んだのだと勘違いしている。

 要するに『パパ活』に手を出したのだと勘違いしている。

「ねぇパパってば!!」

「分かってるよ!!人が電話してるときにパパパパって呼ばない!!」

 俺は洗面状の碧に怒鳴りつけると電話の姉貴と向き直った。

 姉貴にはどっちみち、碧の事を紹介しなくてはいけないと考えていたし。

「祥太郎、正月には顔を出すのだろうな?」

「こっちの用事が片付いたらちゃんと行くよ。さっきの子と一緒に」

「……ほう。さっきの娘を父さんや母さんに会わせるのか?」

 普通に考えたら、パパ活女子を両親に会わせるヤツなどこの日本には居ない。

 だが、碧はパパ活女子等では断じて無く、俺の実の娘だ。

 それを両親や姉貴に会わせるなんて決してやましいことでは無い……筈だ。

「姉貴に姪を紹介するよ」

「はぁっ!?おま……え!!?姪!!!?お前、何をしたんだ!!!!?」

 電話の向こうの姉貴が急にうろたえ始めた。

 その反応の理由が俺には即座には分からなかった。姉貴はどうしたんだろう?

「姉貴?どうしたんだ?」

「どうしたもこうしたもあるか!!祥太郎、お前まさかそこの女を孕ま……」

「違うから!あの子はそんなんじゃないから!!」

 俺は姉貴がなぜうろたえているのか、やっと分かった。

 姉貴は俺が『パパ活女子を妊娠させて責任をとろうとしている』と勘違いしたのだ。

 でも、この状況では姉貴の想像の方が現実的だ。

「とにかく、全部をちゃんと説明するからそれまで待っててくれ!!」

「父さんや母さんに何て説明する気だ?お前、ちゃんと考えてるのか!?」

 電話の向こうの姉貴は動転してこっちの話をろくに聞いていない。

 これは一旦、時間をおいてから改めて電話をかけ直すしか無いだろう。

 少なくとも、このままでは姉貴から未来人の情報を聞き出すことは出来ない。

 その後、俺は碧に石鹸を渡しながらパパと呼ばないでと注意した。


「さてと、出掛けるか」

「パパどっか行くの?」

 こたつでミカンをむいていた碧がジャンパーを着る俺に声をかけた。

 コイツ、あれだけ言ったのに相変わらず俺をパパと呼びやがる。

「パパって呼ぶなって言ったっしょ?」

「自分の父親をパパって呼んで何がおかしいの?」

 碧は悪びれも無く、俺にそう言い返してきた。

 確かに、彼女の立場では俺をパパと呼んでもおかしくは無いがそれでも困る。

「変な誤解されたらどうすんの!?ただでさえウケが悪いのに!」

「ウケが悪い?その髪の事?好きで染めてるんでしょ?」

 碧が言っているのは俺の背中まで伸ばした長い髪の事だ。

 この髪は長さと緑色に染めている事から、通称『こんぶ』のあだ名がついている。

「髪の話じゃ無い!周囲から『その日暮らししてる甲斐性無し』って思われてるの」

「事実じゃん?フリーランスの退魔師なんて、その日暮らしみたいなものでしょ?」

 退魔師と言う職業は一般には知られていないし、あまり話して良いものでも無い。

 そのせいで仕事を訊かれた時、凄い仕事なのに曖昧な回答しか出来ないのだ。

「ぐっ!改めて言われるとキツいな」

「それに下手にパパの評判が良くなったら、悪い虫がつくかも知れないし」

 碧はミカンの皮をゴミ箱に放り込むと立ち上がった。

 どうやら、俺の外出に着いてくる気のようだ。

「ママ以外の女と仲良くするなって?別に乗り換えたりなんかしないよ」

「男って言うのはちょっと優しくされるとコロッと行くからねぇ……」

 碧は腰におもちゃのベルトを巻くと玄関まで歩いてきた。

 あのベルトはお気に入りの品らしく、彼女の宝物なのだとか。

「そんな情報、どこから仕入れてきた?」

「あたしのペットがお姉ちゃんに優しくされてデレデレしてたから」

 それを聞いて俺は急に肩の力が抜けてしまった。

 何だ、恋愛話かと思ったら未来で飼ってるペットの話かよ!

「ペットかよ!人間と犬猫を一緒にしない!!」

「童貞の男なんてどいつもこいつも同じようなものでしょ?」

 碧は急に機嫌が悪くなった。言葉に険のようなものが含まれている。

 どうやら、そのペットが姉になついているのがよっぽど面白くないようだ。

「あたしのペットなのに!あたしが面倒、見てるのに!!」

 これ以上は碧のペットについて触れるのは止めておこう。

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