第5話

「え~~っと、中山に行くには……」

 その頃、碧は電車の駅に居た。電車に初めて乗る彼女には分からない事だらけだ。

「……何でこんなにたくさん駅があるのかな?もっとシンプルにしろよ!!」

 まるでアニメキャラのコスプレのような格好の彼女だったが、誰も声をかけない。

 声をかけないどころか、碧の姿が見えていないようだった。

 その証拠に人々は碧を避けようとせず、碧は前後左右に動いて人々を回避していた。

「人もこんなにごった返してるし!人が多すぎるよ!!人が!!!」

 碧は文句をたれていたが、それでも人々は彼女を見ようとしない。

 まるで碧は、幽霊か何かのようだった。

「全然わかんないけど、誰かに訊くわけにも行かないしなぁ……」

 碧が困っていると、天の助けがあった。

 偶然にも彼女と同じ場所へ行く人が碧の目に止まったのだ。

「あのおじさんが持ってるのって……間違いない!」

 碧は自動改札機を乗り越えると新聞を持った壮年の男性の後に着いていった。

 切符も買わないで駅に侵入したにもかかわらず、誰も彼女を見なかった。

「……コイツ、海外帰りだしなぁ……」

 男性は碧がぴったりと後ろに着いているのに、お構いなしだった。

 新聞を睨んで何かをブツブツとつぶやいているが彼女には目もくれない。

「……にひひっ」

 碧はそんな必死の形相の男性を悪戯っぽく嘲笑していた。

 彼女には男性の努力なんて、全くの無駄に見えて仕方が無いからだ。

「ソイツ、全然勝てないよ?」

「え?」

 男性は後ろから若い女の声が聞こえたから振り向いたが、そこに女は居なかった。

 後ろに立っていたのはヘッドホンで音楽を聴く若い男性だった。

「……何だ?今の?」

 壮年の男性は声の主らしき人物を探したが、それらしき人物は見えなかった。

 男性は声は気のせいだと思い、再び新聞を凝視し始めた。

「……にひひっ」

 碧は再び新聞と格闘し始めた男性を見て、ニヤッと笑った。

 周囲をよく見ると、ポツリポツリと新聞を睨む人が碧に視界に入った。

 皆、真剣そのもので新聞に丸印を付けたりスマホと新聞を見比べたりしていた。

 新聞の見出しには赤と黄色の文字でデカデカとこう書かれていた。

 有馬記念


「さてと、夕飯は何にするかな?」

 スーパーマーケットへと足を運んだ俺は割引シールを探していた。

 全財産を失ったかも知れないにも関わらず、俺は自分でも驚くくらいのんきだった。

「パパぁ、これ買ってぇ!」

 俺がお菓子売り場の前を通ると、五歳くらいの女の子が父親におねだりしていた。

 今は昼前だから、お菓子を食べてしまうとお昼が入らなくなるぞ?

「……じゃあ、すぐにお昼ご飯になるから一個だけにしようね?」

「うん!」

 女の子は箱に入ったチョコレート菓子を抱えて父親と一緒にレジへと向かった。

 その様子を見ていた俺は何となく昔の事を思い出していた。


 あれは今から二十年以上前になる。俺が幼稚園の時だ。

「お母さん、どうして今日はすき焼きなの?」

「祥太郎が『眼力』を持ってるって分かったからよ」

 俺の一族は代々『眼力(がんりき)』と呼ばれる特殊な能力を持っていた。

 これは親から子へ、子から孫へと遺伝する特異体質のような能力だ。

「お姉ちゃんはどうして眼力を持ってないの?」

「……きっと、お母さんが悪いのよ」

 俺の姉はこの特殊能力を受け継げず、一族からは落ちこぼれ扱いだった。

 それを二人目の子供である俺が受け継いでいると分かった時は嬉しかったろう。

「僕の眼力ってどんなのかな?」

「それはこれから少しずつ分かっていく事よ」

 眼力は遺伝性の能力だがどんな能力が発動するかはその人それぞれだった。

 中には目を合わせただけで相手を心停止に出来る能力者も居たらしい。

「あ!お母さん、タキノコの山里買って!!」

「……帰ったらすぐにお夕飯出来るから全部食べちゃダメよ?」

「うん!」

 そんなやりとりが昔、俺とおふくろの間で交わされた。

 それから二十数年、一族の期待は眼力を受け継がなかった姉貴に向けられている。

 姉貴は悔しさをバネに勉学に励み、今では世界的な科学者になっている。

 それに対して眼力を受け継いだ俺は今では職を失い、金も失った。

「……さっさと買い物、済ませちゃおっと」

 俺はお菓子売り場から逃げるように精肉売り場へと歩いて行った。

 あの頃の俺が今の俺を見たら、何と言うだろうか?」


「え~っと、これにしよっかな?」

 お菓子売り場から逃げた俺はブラジル産の鶏肉コーナーを見ていた。

 おいしくは無いが、安いからこればっかり食べている。

 それにタンパク質が豚肉より多い気がするからも理由の一つだ。

「……一応、いつでも仕事に行けるようにしとかなくちゃいけないからな」

 俺の元々の仕事は激しく動く肉体労働だから、身体作りは基本だ。

 眼力も仕事で役に立つから一族は眼力使いを優遇している。

「一人分で良いかなぁ?」

 俺は碧が本当に帰ってくるのかいまいち確信が持てずに居た。

 それは、彼女が俺から十万円をだまし取ったと考えるのが普通だからだ。

「でも、一応二人分買っておくか?」

 しかし、俺はそんな状況下でも彼女の事を心のどこかで信じたいと思っていた。

 碧は必ず、俺の元へ戻ってくる。何となくそんな気がしていた。

 根拠なんて何処にも無い。ただの勘、もっと言えば願望だからだ。

「姉貴に知られたら、絶対に怒られるだろうなぁ……」

 俺を絶対零度の目で見下す姉の姿が、リアルに想像できた。

 今や一族の恥さらしとなった俺だが姉は俺に目をかけてくれた。

 そのせいか、姉は俺に対して少し厳しく当たるところがある。

「……正月に何て報告すれば良いんだよ」

 俺も姉貴も実家を出て一人暮らしだから、正月には本家へ顔を出した。

 姉貴は良く分からない新発明の話が出来るが、俺は女に騙された。

 その時の事を想像するだけで今から胃が痛くなった。

「お買い上げ、ありがとうございます!」

 俺は憂鬱な気持ちのままスーパーマーケットを後にした。

 マイバッグには結局、二人分の食材が入っていた。

「これで本当に碧が大金持って帰ったら俺、神様信じるよ」

 そんな事をぶつくさと言いながら俺は家路についた。

 道には楽しそうに歩くカップルやら家族やらが何人も居て、気まずい気分だった。

 しかし、そんな祥太郎を見ている一人の人物が居た。

「……あいつが『ファウンダー』か?」

 その人物は黄色い目と無精ひげが特徴的な五十代くらいの男性だった。

 男性は祥太郎の後ろを静かについて歩き、祥太郎が一人になるのを待った。

 その瞳に殺意をみなぎらせながら。

 祥太郎はこれから自分の身に起きる出来事を全く予想していなかった。


「……」

 スーパーから出た祥太郎は、家には帰らずに町をウロウロと歩き回っていた。

 公園に行ったり、書店に入ったりと家路につく様子が無かった。

 ただ、不自然にスーパーから買った食材をぶら下げて歩き回っていた。

「アイツ、いつになったら家に帰る気だ?」

 黄色い目をした男は、相変わらず祥太郎の後ろを付けて歩き回っていた。

 その目は獲物が隙を見せるのを待ち続ける肉食獣のそれだった。

 しかし祥太郎は人通りの多い場所を歩き、ついには夕方になってしまった。

「……やっと一人になったか」

 黄色い目の男は祥太郎が路地に入ったところを見逃さなかった。

 気配を消したまま祥太郎の後を付けて、同じ路地に入った。

「……っ!?」

 しかし、男はそこで祥太郎にボールペンを突きつけられた。

 書店で買ったばかりのボールペンが男の首筋に冷たく突きつけられている。

「さっきから俺の後を付けて回ってるけど、あんた誰?」

「まさか勘づかれていたとはな」

 男はボールペンを突きつけられているにも関わらず平然としていた。

 ただ、深く被ったフードの奥で黄色い目が祥太郎を睨んでいた。

「仕事柄、気配や殺気には敏感でね。で、あんた誰?」

「……正義の味方さ」

 男は一瞬の隙をついてボールペンを払いのけると祥太郎から距離をとった。

 路地裏には人の気配が無く、周囲も徐々に暗くなっていった。

「ここでなら誰にも見られなくて済むだろう……」

「どこのどいつか知らないが、こっちも黙って殺されるわけには……なっ!?」

 祥太郎は目の前で起こっている出来事が信じられなかった。

 男は祥太郎の目の前で見る見るうちにライオンへと変身したのだ。

「……グルァァァアアア!!!」

「コイツ、何者なんだ!?ワーウルフの新種か何かか?」

 祥太郎は半人半獣になったライオン男を解析していた。

 彼も仕事柄、色々な人外の存在と遭うがこんな手合いは初めてだった。

「ワァァァトソォォォオオオン!!!」

「ワトソン!?俺は森保だぞ!!?」

 祥太郎の主張も虚しく、ライオン男は祥太郎に襲いかかった。

 くたびれたビルの裏で壮絶な死闘が始まろうとしていた。

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