第4話

 そして翌朝、俺はアラーム音にたたき起こされた。

 仕事をしていた時に設定したのを解除するのを忘れていたのだ。

「……はぁ、起きるとしますか」

 俺は別に早起きする必要なんて無いのに布団から出る事にした。

 仕事を失った事を理由に自堕落な生活に入ったら、本当に負けたような気がした。

「……卵、まだあったよな?」

 俺は布団から這い出すと、冷蔵庫のあるキッチンへと向かった。

 シンクには昨日、碧に出した鍋の残骸がありそれを見て実感した。

 昨日あった出来事は夢でも何でも無く、本当にあったのだと。

「先にこっちから片付けるか」

 俺は朝食の支度の前に夕飯の後片付けから始める事にした。

 冬場の洗い物は冷たく、給湯器があったらなと思わずには居られない。

 手早く鍋をかごに干すと、俺はやかんに水を入れコンロにかけた。

「良かった、まだ卵が残ってた。ほうれん草もあるな」

 湯が沸くまでの時間で俺は簡単なオムレツを作ろうと考えていた。

 卵を二つ割り、そこに冷凍ほうれん草やベーコンを入れて焼くだけ。

 簡単だが、おいしいし栄養もあるから朝はしょっちゅうこれで済ませていた。

「……う~ん、この匂いは……」

「悪い、起こしたか?」

 俺の作るオムレツの匂いを嗅ぎ取ったらしく、碧が目を覚ました。

 ぶかぶかの寝間着姿でのびをする彼女は、どことなく猫を連想させた。

「やっぱりオムレツ作ってたんだ!」

「すぐ焼けるから顔洗って来なさい」

 オムレツの隣では、やかんがコンロにかけられ湯気を立てていた。

 俺はやかんの火を止めると、マグカップにインスタントコーヒーをついだ。

 インスタントコーヒーにお湯を注ぎ、皿にオムレツを移す。

 後はちょっと黒くなってしまったトーストを皿に乗せれば我が家の朝食の完成だ。

「冷たかった~~!顔が縮むかと思った」

「そんな訳ないっしょ!?朝ご飯出来たよ?」

 俺はこたつを定位置に戻すとそこに皿を二枚とマグカップを二つ移動させた。

 碧は俺の向かい側に座り、コーヒーに砂糖を二杯入れていた。

「さて、食べるとするか。いただきます」

「いただきまーす!!」

 こうして俺は碧と朝食を手早く済ませる事にした。


「インスタントコーヒーってこんな感じなんだ」

「インスタントは初めてか?」

 インスタントコーヒーを飲みながら、碧がそんな事をつぶやいていたから俺は尋ねた。

 何となくだが、この人は育ちが良いのかも知れないと昨日から考えていた。

 所作の一つ一つに品のようなものを感じさせていたからだ。

「うん。インスタントコーヒーなんて飲むの、今日が初めて」

「ふ~ん。普通のコーヒーは飲むのか?」

「うん。家ではいつも焙煎したコーヒーを飲んでたよ」

「……そっか」

 その回答を聞いて、俺はこの人はやっぱり裕福な家庭の育ちなのだと確信した。

 しかし、そうなると一つ分からない事がある。

 裕福な家庭の育ちなのに、なぜ彼女はお金を全く持っていないのだろうか?

「どうかしたの?」

「いや、ちょっとこの後の事を考えてたんだ」

 俺は誤魔化しながら碧の身の上を推測していた。

 仮にこの人が家出か何かしていたとしてもお金くらいは持っている筈だ。

 しかし、碧は所持金が少ないどころか全くのゼロだった。

「そう言えばパ……祥太郎さん!お金用意してくれた!?」

「え?もちろん用意したよ?ただ……」

「……ただ?」

 俺は彼女にお金を渡す前に、どうしても確認したい事があった。

 それを教えて貰うまでは、お金を渡すわけにはいかない。

「どうやってお金を増やすつもりなの?」

「……それは『禁則事項』かな?」

「え?そこでも出るの?禁則事項」

 彼女は俺が何か核心を突く質問をすると禁則事項と言う言葉で逃げる。

 彼女はひょっとすると何か重要な秘密を隠しているのかも知れない。

 個人的なレベルでは無く、多分もっと大きなレベルの秘密だ。

「どうしても教えられないんだけど、絶対に増やして返すから」

「どうして絶対なんて言えるんだ?どんな手段でも絶対とは言えないっしょ?」

「それがあたしの場合だけは絶対って言えるんだ。これが」

 彼女は自信満々の笑みを浮かべて俺にそう断言して見せた。

 その顔は本当に増やす方法を知っているとしか思えない顔だった。

 何かヤバい事でもするんじゃ無いだろうか?


「言っとくけど、ヤバいことだけはするなよ?」

「大丈夫だよ。悪影響を与えるようなことは絶対にしないから」

 結局、俺は碧から何も教えられることなくお金を渡してしまった。

 不思議なことだが、俺は彼女が俺のお金を悪用するように思えなかった。

「じゃあ、行ってきます!」

「ああ、夕飯は帰ってから食べるのか?」

 俺はのんきにそんなことを碧に確認していた。

 普通だったら、絶対に返してくれよとか言うところだが、訊く気にならなかった。

「うん!お金増やしたらすぐに帰ってくるからね!?」

「……何?」

 俺は碧がなかなか外に出ないので気になって理由を尋ねた。

 彼女は俺の方を向いたまま、じっと俺を見ている。

「行ってらっしゃいのハグは?」

「ハグ!?ここは日本だぞ!?」

 欧州やアメリカでは挨拶としてハグをする習慣があると聞くが、碧もそうなのか?

 しかし、会って間もない相手とハグするのは日本人としては抵抗がある。

「む~~」

「……分かった!分かったからそんな顔するな!!」

 碧が玄関でふくれ面をしているので、俺はやむなく彼女とハグをすることにした。

 この人は一体、どこの出身なのだろうか?

「にひひっ!行ってきま~す」

「……うん」

 碧は封筒に俺の十万円を入れると、昨日と同じ服装でアパートから出た。

 あのウエディングドレスみたいな格好で外に出たら、相当目立つと思うのだが?

 バタンッという音を立ててドアが閉まったのを見た俺はパジャマをかき集めた。

 幸い、今日は天気が良いから洗濯物をしようと言うわけだ。

「……パジャマがたたんである」

 ベッドを見ると、昨日碧に貸したパジャマがたたんだ状態で置いてある。

 やっぱり、あの娘は育ちの良い人なのだろう。

「何か突発の仕事でも無いかなぁ……」

 俺はそんな独り言の言いながら家事を片付けていくことにした。

 そう言えば、もう冷蔵庫の中がもうほとんど空っぽだったなぁ……

 碧のヤツはあの十万円で何をするつもりなんだろうか?

 俺は碧に貸した十万円が本当に帰ってくるか心配しつつ、洗濯機のボタンを押した。


「……これで午前中の家事は終わりかな?」

 俺が時計を見ると、十一時を回っていた。道理で腹が減るわけだ。

 買い物にでも出掛けようと思い、財布の中身を確認すると千円札が一枚入っていた。

 これがこの家に残された最後のお金ということになる。

「明日からどうやって生活して行けば良いのやら……」

 俺は財布をポケットに押し込むと鍵を持って玄関を出た。

 すると隣のおばさん、吉田さんとばったり出くわしてしまった。

「あら~森保さん、こんにちは」

「どうも、こんにちは」

 吉田さんは金が無い俺に時々カレーやら差し入れてくれる今時珍しい人だ。

 だが、今の俺は吉田さんに碧についてあれこれ訊かれるのが嫌で逃げようとした。

「森保さん、今朝部屋から出て来た女の子は誰?」

「え?アレですか?アレはですね……」

 何と説明すれば吉田さんは納得してくれるだろうか?

 まさか昨日の出来事をありのまま話すわけにも行くまい。

 そんな事をしたら、ただの連れ込みとしか思われない。

「……もしかして、妹さん?どうりで似てると思った」

「似てる?碧と僕が?」

 吉田さんはどこを見て俺と碧が似ていると言っているのだろうか?

 碧と俺は昨日出会ったばかりの赤の他人だ。似てるわけが無い。

「眉なんてそっくりだったわよ?もしかして違った?」

「え~っと、アレは妹じゃ無くて従妹なんです!昨日、外国から来たんです!!」

 吉田さんは俺と碧を身内だと勘違いしてくれたみたいだ。

 俺はその勘違いに、これ幸いと話を合わせることにした。

「あ!そうだったの!?どうりで何かちょっと外人っぽいなと思ったのよ」

「そうでしょ!?ハーフなんですよ!ハーフ!!」

 もう完全にデタラメだがそんな事は今はどうでも良い。

 とにかく、噂好きの吉田さんに変に勘ぐられると俺のイメージが悪くなる。

「可愛い子だったから変な虫がつかないように気をつけてあげないとダメよ?」

「分かってますよ!じゃあ僕、買い物があるんで……」

 俺はこれ以上、あれこれと訊かれては困ると逃げ出した。

 実際、碧についてあれこれと尋ねられても答えようが無いのだし。

 それくらい俺は彼女の事をあまりにも知らなすぎるのだ。

 碧は俺の事をある程度は知っている様子だったが。

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