第25話・REQUIEM②

 緩やかな坂道を三十分ほど歩いただろうか。これならば自動車を手配しろと通訳が恨み言を吐きたくなる頃、一行は目的地に辿り着いた。

 舌のように這う山裾を穿うがつ、赤煉瓦のトンネルがある。そう長くない、むしろ向こうの景色が見えるほど短いトンネルであった。

 そして蓮城は、ベッスンに背中を向けたままトンネルを見つめて口を開いた。


「これはの花トンネル、全長180メートルほどしかありません」

 古いが、何の変哲もないトンネルである。これがどうしたとわずらわしく問う通訳を、ベッスンは黙って制した。

「蓮城、教えてくれ。ここで何があったのか」

 身体を捻り、ベッスンに目をやってから、蓮城は求められた話をはじめた。


「昨年の八月二日未明。麓の八王子が空襲を受けたので、中央線は復旧作業に追われました。運転再開は八月五日、空襲警報が鳴り響く中、昼頃に一時間遅れで走った二本目でのことです」

 淡々と語られる過ぎた日を、アメリカ軍が日本で何をしたのか、ふたりのアメリカ軍人は黙って耳を傾けた。


「この先にある小仏トンネルは二五〇〇メートル。そこまで逃げ切れば、十五メートルの機関車と二十メートルの客車八両、全長百七十五メートルの列車編成は、避難出来るはずでした」

「しかし、間に合わなかった」

 ベッスンの予想は、残酷な事実だった。頷こうと頭を下げた蓮城は、そのままうつむいていた。


「湯の花トンネルの同じ長さの編成ですが、空襲時は機関車を最優先で保護するようにと、命じられていました。機銃掃射を受けた機関士はそれに従い、機関車を最も安全な位置に停車させた」

「それで、何両がトンネルに隠れたんだ」

「機関車と客車二両、それだけです」


 蓮城に同調しているベッスンに、通訳は焦りと苛立ちに躍り出て、声を荒げた。

「軍用列車か!? 軍人が乗っていたのだろう!?」

「二等車に軍人が十九名、あとは多数の市民が乗車していた一般列車です」

 蓮城が返した言葉は、凍てつくほどに冷たくて、焦がれるほどに燃えていた。通訳はたじろぎ、唇を噛むほかなかった。


「トンネルに入れなかった客車六両は、執拗な機銃掃射を受けました。市民が乗る三等車は、身動きが取れないほど混み合っていました。機銃掃射の合間を縫って逃げ出せた旅客もいましたが、その多くは客車にとらわれたまま、銃弾の雨を浴びたのです」


 浮かび上がった光景にベッスンは戦慄し、通訳は堪らず目を背けていた。逃げ場のない客車の屋根を車体を、無数の銃弾が貫いていく。飛び交う悲鳴と血飛沫が霧散する頃には、肉体が力なくそこかしこへと横たわる。


「ここだけの話では、ありません。福岡では複数の列車と駅が、徳島では鉄橋を渡る無防備な列車が、そして鳥取では赤十字を掲げた病客車を含む列車が機銃掃射を受けています」


 蓮城はその立場から鉄道の被害のみを語っているが、市民が戦火を被ったのは鉄道だけではないと、ベッスンは改めて思い知らされた。

 アメリカ軍の空襲により焦土と化した横浜や東京は、軍人として誇らしくもあった。しかしそこには市民が暮らしていたのだと、かけがえのない日常があったのだと、そんな思いに蓋をして固く閉ざしていたと、それに気付かされて胸をえぐられるような痛みが走った。


「蓮城、我々を恨んでいるか?」


 身を切るようなベッスンの問いに、蓮城は迷っていた。空襲も民間人殺戮も、日本軍は行っていた。南京での百人斬りも重慶爆撃も誇らしく報じられていたから、否定のしようがない。そんな軍部が侵攻した外地で何をしたのか、想像するだけで身の毛がよだつ。

 しかし互いに同じ行為に及んだとしても、散った生命をなかったことには出来なかった。蓮城は恨むべきはと考えた末に身を翻し、固唾を呑むベッスンと対峙した。


「私は、戦争を恨みます」


 ベッスンは、自嘲した。我々が犯した罪は、赦される程度なのか、と。

 だが、いずれ近いうち、東條以下戦争犯罪人への裁判が行われる。それは戦勝国が執り行い、日本の罪を問うだけに終わることも、想像に難くない。

 市民にナパームの雨を浴びせて、ふたつの都市を一瞬にして消し去った罪は、戦争を終わらせるためという詭弁のもとに、問われることはないだろう。


「優等生だな、蓮城は」

 そう呟いたベッスンは、湯の花トンネルから高尾駅へと伸びていく悲劇の舞台を眺めて、語った。

「列車を走らせるのが鉄道総局の使命ならば、戦争は軍人の使命だ。任務を遂行するため、どんな詭弁であろうとも飲まなければならない」

 緑豊かな山を降り、傷が癒えない東京へ、列車が走り去っていく。金属音が吸い込まれるのを待ってから、ベッスンは話を続けた。


「日本には小さな工場が町中にあり、そこでは兵器の部品が作られていると、だから日本中が軍事施設だと教えられた。また、泥沼の戦争を早く終わらせなければという焦りもあった。ナパームの雨を降り注ぎ、原子爆弾で街を消し去った、それも恨みではなく、軍人としての使命だからだ」


 ベッスンの襟首めがけて腕を突き出した蓮城に、通訳が銃口を向けてきた。

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