第24話・REQUIEM①

 昭和二十一年、イギリス連邦軍も占領に加わった二月のある日。

 休日に日本の案内をしてくれ、行き先は委ねるとベッスンから蓮城へと依頼が入った。軍用炭の一件以来、ふたりの関係はギクシャクしていたが、待ち合わせをした新宿駅で、一般列車後部に連結された専用客車をひと目見て、ベッスンは赦されたような気がして安堵した。

 車掌との打ち合わせを済ませた蓮城が歩み寄り、ベッスンに浅く頭を下げてきた。蓮城も休日だったが、非礼がないよう襟付きシャツと折り目がついたズボンを欠かしていない。


「蓮城、どこへ連れて行ってくれるんだ?」

「それは着いてのお楽しみにしてください」

「君のことだ、一筋縄では行かないだろう。それも楽しみにしているよ」

 湛えていたベッスンの笑みと期待が、一瞬にして消え去った。蓮城は会釈するなり、ベッスンの専用客車から離れていったのだ。

「どこへ行くんだ、私を案内してくれるのではないのか?」

「私は日本人ですから、隣の車両に乗ります。目的地に着いたらお迎えに上がります」


 その約束どおり、蓮城は一般列車の最後部に乗車した。ベッスンに空いた風穴に、早春の薄ら寒さが吹き抜ける。

 専用客車に乗車して、通訳とMPだけのガランとした客室の、適当な席に腰掛ける。通訳はベッスンの向かいに座り、つまらなそうな准将をそれとなく諌めた。


「行き先を日本人に任せるなど、危険ではないですか? あの蓮城という官僚は、大日本帝国の亡霊に取り憑かれた国粋主義者と噂されています」

 ベッスンは頬杖をついて眉を歪めた。しかし意外そうな顔ではないのが、通訳をいぶかしげにした。

「そう見えるだろうが、蓮城は違う。職務に忠実、ただそれだけだ」


 発車の時間が訪れて、小さな電気機関車が先頭で唸りを上げた。それが緩く繋がれた連結器へと伝播して、後ろへ後ろへと微かな衝動を与えていった。それが専用客車までたどり着き、ベッスンらを前後に揺さぶった。窓枠に肘をついたベッスンは、ゆっくりと流れ出した景色をぼんやりと眺めて、列車を見送る駅員を蓮城や仁科と重ねていった。


 そうとも。決められた職務の遂行が、彼らの思想を形作っている。軽んじて評価をすれば兵隊だが、それには留まらない矜持が彼らにはある。それは、はじめて顔を合わせた日に蓮城が証明してくれた。


『それが私たちの使命です』


 街が焦土になろうとも、何事もなかったかのように列車を走らせているのは何故か。それに対して、何が不思議なのかと問いかけるように答えたのは、蓮城だった。

 連合軍の命令に従って傷病兵輸送を担ったのも、それが鉄道従事員としての使命だからだ。

 死守した客車をかき集め第八軍司令官専用列車OCTAGONIANを仕立てたのも、要望に応えようとする使命感に突き動かされてのことだ。

 そのオクタゴニアンから天皇の客車を守ったのも使命であり、軍用炭を融通するように迫ったのも、連合軍特急Allied Limitedを走らせたのも、使命感によるものだ。

 この専用客車を用意したのも、鉄道従事員としての使命なのか。


 田園の向こうで帯を成す武蔵野の森が、ベッスンの横顔に影を差した。

 使命感で奔走している蓮城の本心は、どこにあるのか。それを彼の口から聞きたくて、垣間見たくて休日に誘ったのではないか。

 ひと目見たいと願っていた戦闘機工場も、神社風の駅舎や車庫も、冷たい窓の向こうで過ぎゆく景色と化していた。

 今、私が見たいのは、蓮城が夢見る新しい日本、それだけだ。


 その神社に似た駅を通り過ぎてすぐ、停まった駅で専用客車は切り離された。もしやここか、と周りを見回してみれば案の定、プラットホームの蓮城がガラス窓をノックして、英語で話しかけてきた。

浅川あさかわ駅です、ここから少し歩きます」

「山が近いな、高尾山の入口だ。ハイキングか?」

「いいえ、散歩といったところでしょうか」


 留置線に引き上げた専用客車をMPに託し、蓮城が改札口へと導いていく。しかしふと、留置線の車止めそばで足を止めて上屋を見上げた。軍人であるベッスンも、通訳もそれが何か理解した。

 弾痕だ、梁が丸くえぐられている。撃ち抜かれた角度を見れば、上空から射出されたのだとわかる。


「お察しのとおり、これは機銃掃射の弾痕です」

 蓮城の淡々としながら力強い物言いを、通訳が顔をしかめて一蹴しようと言い放つ。

「ここは立川が近く、山が深い。軍事機密があると睨んだのだろう」

 それに蓮城は何も答えず、駅舎へ向かった。後を追ったベッスンは、他とは違った駅舎の造りに感服させられていた。


「木の柱、白い土壁、まるでTempleだ」

「さすが准将、お目が高い。こちらは大正天皇大喪たいそう列車の始発駅として作られた、新宿御苑駅舎を移築したものです」

 そこへ役目を奪われた通訳が、割って入る。

「この手前に、似た駅があった。あれは何だ」

「東浅川駅ですね? 大喪列車の終点として設けられた、皇族専用駅です。駅正面から多摩御陵まで、親拝のために道が整備されておるのです」


 山麓の小さなこの町は天皇に縁があったのか、と理解して凝った駅舎を眺めていると、蓮城の視線が頬を突く。ベッスンはそれを解して、通訳の非礼を詫びてきた。

「弔いのためにある町に、軍事機密はないだろう。疑ってすまなかった」

「いえ、ご理解して頂き、ありがとうございます。しかし旅はこれからです。桜には早いですが、行きすがらに梅が香っているかも知れません」

「そうだな、日本の春は素晴らしいと聞いている。とくと堪能しようじゃないか」

 そうして蓮城の導きで、ベッスンと通訳は浅川駅を出て西の山麓へと歩いていった。

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