第22話・LIBERTY④
トラックの積荷はペンキだった。蓋を開ければ、鮮烈なミルクチョコレート色に目を奪われる。
するとレイ中尉は、すぐさま我々に指令を下す。
「連合軍専用客車を、すべてこの色に塗れ」
だが、レイ中尉の指示は終わらない。置き去りにされそうな俺たちは、必死に耳を傾ける。
「上野から青森に向かう専用列車も走らせる。状態のいい客車を集めて整備しろ」
狼狽えながらも工場長が、おぼつかない足取りでレイ中尉へと迫っていった。
「整備と仰られましても……我々は図面に従うまでです」
「鉄道総局に図面を作らせる。今は客車を集めればいい」
唇を噛み、そう言い捨てたレイ中尉は、自動車に乗って大井工場を去っていった。
その自動車が、鉄道総局に乗りつける。レイ中尉は真っしぐらに渉外室へと向かっていって、蓮城に列車と車両の仕様を告げる。それを蓮城は
製図台が並んだ客貨車課には、鉛筆の響きだけが縦横無尽に駆け抜けている。蓮城は迷いなくひとつの製図台へと向かっていった。
「椎名さん、GHQから客車改造の要請です」
椎名は親子二代の鉄道技師で、彼の父は高速化や車体側面への等級帯の導入など、歴史を塗り替えるほど鉄道の発展に大きく寄与した。
一方の彼は、イギリスの技術を使用したアメリカの汽車を輸入させ、その写しを国産化した。しかしその高性能だが重く複雑な機関車は、日本の線路の脆弱さと、技術の未熟さを浮き彫りにしただけで、今も扱いに苦慮している。バラック電車のモハ63型も、彼の設計であった。
それらは鉄道省や軍部の失策なのだから、椎名に非があるわけではない。実際、彼が手掛けたC11やD51などの蒸気機関車は手堅い設計で扱いやすく、数多く作られている。鉄道車両設計の基本が出来ている、動かぬ証拠であろう。
椎名は仕様に目を通し、若い技師を呼びつけた。
製図を一段落させてから、やってきたのは法師という、まだ三十にも満たない男。GHQの要請に嫌な顔ひとつ見せず図面を引いて、その仕上がりに彼らを満足させている。
客車の仕様に目を通す、その目はどこか嬉しそうに輝いている。そのうちひとつに目を留めて、眉間に浅くしわを寄せた。
「これは、座席をすべて取り払わないと作れませんね。それなら三等車でもいいでしょう、GHQ専用になって二階級特進です」
「法師君、客車を殺さないでくれ。状態さえ良ければいいから、かえって好都合ということか」
「イチから図面を引くんですよ? いずれにせよ、こっちも工場も楽ではありません」
そう言いながらも、法師は屈託のない笑みをこぼした。純粋に車両の設計が好きなのだと、ひと目でわかる。彼のような人こそが日本の未来を築くのだろうと、蓮城は古い自分を密かに恥じた。
「大手を振って新製出来れば、君の腕も鳴るだろうにな」
蓮城がぽつりとこぼした呟きに、法師が鋭い視線を突き刺した。その真剣さに、蓮城は思わず怯んでしまう。
「日本の鉄道技術は、この戦争で大きく遅れを取りました。日米開戦の頃、アメリカの鉄道技術は世界のどこよりも先に行ったと聞いています」
それを法師に吹き込んだのはレイ中尉だろうか。彼なら図面が気になって工作局に立ち入るだろう。またGHQ随一の鉄道通が、優秀な技師である法師に目をかけたとしても、不思議ではない。
蓮城はそれが事実か確かめようとしたが、内から燃え上がる法師の情熱に身を焦がされて、堪らず口を噤んでしまった。
「GHQの要請は、まさにアメリカそのものです。その期待に応えていれば、アメリカの技術を手中に収められるんですよ? 戦時の不要不急路線廃止で減らされましたが、それでも日本の鉄道網は隈なく敷かれています。各路線に応じた技術を取り入れたなら、日本は鉄道大国になり得ます。日本の鉄道には、鉄道大国の萌芽があるんです」
烈火の如き熱弁に圧倒されたが、法師の言葉を噛みしめるうち、蓮城には疑問がじわじわと湧き上がってきた。
確かに、世界一だと信じた技術を軍部に託して、日本は敗けた。戦争の肝は戦術だ、圧倒的な物量を前にしては、技術だけでは勝ち目がない。だが戦術も、高い技術がなければなし得ない。高射砲が届かない遥か上空を飛んだB─29が、日本の技術は世界一ではなかったと証明している。
占領下の今は、遅れを取った技術を学ぶときだ。
それには、蓮城も同意する。
しかし、それでは模倣に終始するのではないか。
未来を見据える法師の夢は、何だろう。蓮城は、それとなく問いかけてみた。
「法師君は、鉄道にどんな未来を託すんだい?」
法師は難しい顔を見せてから、澄んだ瞳をパッと開いた。彼には未来が見えている、それもはっきりとした景色をもって。蓮城も、椎名も期待せずにはいられない。
「専用路で大量輸送を叶える鉄道は、軍事輸送には向いています。しかし線路を破壊されてしまえば、無用の長物です。装甲列車や列車砲が作られましたが、とどのつまり鉄道は、戦争に不向きです。私は鉄道を、平和のために使いたいと思っています」
そう言い切って製図台へと向かう法師は、窓から差した光を浴びて、未来へ歩き始めたようだった。
我々も、法師と同じ景色を見なければ。
椎名と視線を交わした蓮城は、渉外室へと帰っていった。
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