第20話・LIBERTY②

 ゼイゼイと蒸気を吐く汽車が、足の踏み場もないほどに混雑している客車を牽いて、プラットホームに這々ほうほうていで滑り込む。復員兵だと気を遣われて、車内の客が窓から俺を引き入れた。

 ただ、そこから先には隙間がないので進めない。下ろした背嚢はいのうを足元に置き、開け放った窓にちょんと腰かける。駅に停まるたび客は入れ替わっているが、空いてくる気配は一向にない。

 気持ちも身体も休まらず通り過ぎた神戸や大阪、その光景に再び俺は愕然とした。


 黒焦げになったビルディング、地面を埋め尽くす掘っ立て小屋、汚れたまま道行く人々。

 ただ彼らは生にしがみつき、アメリカ兵に遠慮しながらも、呪縛から解き放たれて輝いていた。

 生き恥を晒した俺に言える台詞ではないが、死力を尽くした総力戦は、銃後を守った彼らを苦しめるだけだったのか。天皇陛下から賜ったのだ生命より大事にしろと握らされた銃剣は、彼らから回収した鍋や釜ではなかったのか。彼らの明るい表情は、何を物語っているのだろうか。


 そう苦悩する俺のみっともない姿を、ピカピカに磨き上げられた客車が映し出す。と、垂れ下がった俺の肩にポンと手が乗せられて、しわがれ声をかけられた。

「あんまり見たら、あかん。GHQ専用客車や」

「GHQ……?」

「占領軍や。おっと、そんなん言うたらへそ曲げるわな。日本を占領しとる連合軍の偉いさんやで」

 専用客車は切り離されて、小さな汽車に押されて牽かれて他の列車に繋げられた。どうやら俺が来た方へと向かうらしい。


 列車最後尾に繋がれた客車の窓からは、外国人の将校が悠々と過ごしている様がはっきりと見えた。それより先から汽車までは艶をすっかり失った客車や貨車に、日本人がぎっしりと詰め込まれている。

 あれが、さっきまでの俺だ。そして、これから先も──。

 向かいの列車に吸い寄せられて遠のく意識を、お節介な老人の退屈しのぎが、棒立ちの身体へ戻していった。

「あんた、東京モンか?」

「はい、東京です」

「さよか。東京も名古屋もみんなやられた。道中、外に目ぇ向けん方がええやろ」


 この老人の忠告通り、過ぎゆく街から目を背け、押し込められた人垣をただひたすら見つめ続けた。

 そして、バラックと焼け跡に埋もれた東京をMPが闊歩する様に、俺は激しく打ちのめされた。親が住まう家は跡形なく、交番に貼られた張り紙に所在はおろか名前もない。役所に行くと、一家もろとも空襲に遭って生命を落とし、まとめて焼かれて埋葬されたと教えられた。


 俺は、天涯孤独になってしまった。親戚を頼ろうにも、どの家も遠い。焼き払われた東京で、ひとりで生きていくしか術がない。

 合同墓地の家族に手を合わせ、靖国神社に赴いて戦友の御霊を弔って、無念に涙を枯らしてから、身の振り方を考えた。

 配給品は足りないが、闇市は高い。働かなければ食っていけない。しかし招集されるまで勤めた軍需工場は、戦争が終わってしまったから仕事があるか期待できない。


 そうだ、鉄道総局が受け皿になると聞いていた。


 駅に向かい、調べてくれた手続きを踏んで、大井工場の門を叩いた。焼けた本部跡そばの広場には、小さいながら鎮守の木立に囲まれた神社があって、安全意識の高そうないい職場を紹介されたと思い、すぐさま始められた面接の意欲が高まった。

「出征前は工廠勤めか。何をしていたか、具体的に教えてくれないか?」

 場合によっては炭鉱夫だと駅員に脅されたから、俺は必死に食い下がって腕を売り込む。

「はじめは溶接工でしたが、手が足りなければエンジン製造も電気配線も担当しました」

「動員学徒がいなくなってしまったところに、熟練工が来てくれるのは、非常に助かる。車両の新製は出来ないが、修繕はGHQから許可された。君の腕が必要なんだ」


 ここなら、すぐ役に立てる。そう頬を緩めた次の瞬間、俺の視界は厚いとばりの中に封じられた。

「GHQの要請に応じた改造もあってだな、修繕になかなか手が回らんのだよ。何せ、事務所の一室がGHQ配下のRTO事務所だからね、すぐに指示が飛んでくる。木工や壁紙の仕上げは出来るかい?」

 街という街を焼け野原にして、俺の家族を葬った連合軍のため、俺は客車を整備する。葛藤が火炎のようにゆらめいて、食うためなのだと苦汁を舐めて「出来ます」と返そうとした、そのときだ。


 収容所で聞き慣れた軍靴の響きが、俺の心臓を鷲掴みにした。GHQ、RTOが我が物顔で工場内を闊歩している。

 面接官も事務所に詰める職員も、修繕作業をしていた工員までもが将校のもとへ駆け寄った。俺も、何が起きているのかと後を追う。

 俺たちに囲まれた将校が、広場の神社を指差して通訳に耳打ちをする。誰かの囁き声が、その将校の名がレイ中尉だと教えてくれた。

「大井工場に寝泊まりできるよう、RTO事務所を本設する。場所は、ここだ」


 工場総員がどよめいた。GHQは、神の社を潰すというのか。

 しかし、狼狽えながらも誰ひとり、反対する者はいなかった。

 どうして抗わないのかと目を泳がせていた俺に、面接官は淋しげな吐息のように呟いた。

「いいかい? これが今の日本だ」

 そうだ、日本は敗けて占領されて、統べる権限を奪われたんだ。日本は、GHQの手の中にある。神でさえも、彼らに首根っこを掴まれている。

 これが、今の日本なのか。

 彼らは、自由の使者なのか。

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